第9話

学校が本格的に始まると、おちゃらけていた生徒も真面目な生徒を装って、自分の座席で黙々とノートに何かを書き記す。僕も例に違わずにノートに黒板に書かれた内容を板書している。しかし、僕の隣の席である彼女は可愛らしい吐息をあげ、気持ちの良さそうな表情で夢を楽しんでいるようだった。

当然、先生にその様子は許されたものでなく、罰として教室の一番後ろで立たされてしまう。罰を受けていても彼女は立っているのにも関わらず、コクリコクリと居眠りを再開させてしまう。そんな様子をはじめは先生も咎めていたが、次第に無意味だと感じたのか視線すら向けることはなくなっていた。毎日のように見られるその光景は、クラスのみんなにとっても日常となっているようで、彼女を変に咎めたり、責めたりすることもなく、またかといった表情で教師と彼女のやり取りを見守っている。

 そんな居眠りの多い神谷さんだが、成績は学年でも上位のほうに位置しているようで、それが先生たちからあまり強く文句を言われない要因の一つになっているようだ。先生から問題をこたえるよう突然言い渡されたとしても、さらさらと黒板に回答を記してしまう。

彼女は、学校にいる間ほとんどの時間を眠そうにしている。その理由は、どうやら家庭環境によるものらしい。どうやら、裕福な家庭ではないらしく彼女はいくつものバイトを掛け持ちしながら、バイトで稼いだお金を家庭に入れながら、学業に励んでいるということらしい。それを教師たちも理解しているようで、異議を唱える者は学校内にはいなかった。

単に彼女が、人当たりの良いことも影響しているのかもしれないが、彼女のちょっと特異な日常は周りのみんなが黙認しているおかげで成り立っているようだった。

そうして、今日の放課後まで僕もクラスメイトの一人として学校を過ごした。今日の放課後には、保健室に健康状態を伝えに向かわなくてはならないため、手早く荷物をまとめ保健室へと向かった。

保健室では、二つある保険のベッドの一つにはカーテンでとじられ中が見えないようになっていた。普段着のままである保健室に在中している先生が、一人机に向かって書類を書いているようだった。

失礼しますと一声かけてから入室すると、先生が僕を目視してから「ああ、君か」と言って、僕に近場においてあるソファに腰掛けるように促した。

その保険医である山田先生は、一見若そうに見えるものの加齢によるしわが増え、左薬指には真新しい指輪をこさえている。雑に扱われた頭髪は八方に伸び、結婚による新生活の心労がたたってか顔は少しばかりやつれている。桃色の丸メガネをトレンドマークにしているようだ。支給されているはずの白衣を着ている様子は見当たらず、いつも自分の座っている椅子に掛けてあるだけだ。

「一人寝てるから静かにね」

 唇に人差し指をあてがい、僕にそう告げた先生は、僕の隣に腰掛ける。

「わかりました」

「簡単な確認だけしてくれとのことだから、まあ元気そうだな。顔色もいいし」

 そういってはにかんで見せた先生につられ、僕もふふっと笑みを漏らす。

「はい、元気ですよ。元気に生きています」

「どう? 学校は。楽しんでる?」

「はい。楽しいですよ。いろんな人がいて」

「そうかそうか」と声を上げて笑う先生は「もう学校に来て一月か。早いものだね」と言葉を続けた。

「そうですね。毎日が新鮮で、学校に来るのが楽しみになっていますよ」

「どう? 何か気になったことでもあったりした?」

「そうですね……。僕が入院していた病院によく顔を見せてくれていた女の子がいるんです。でも、去年から顔を見せなくなりました。毎日のように見て、言葉を交わしていたので、もの悲しくなっていました。そこで、その子に会うために僕は病院を出たんです」

「そうだったんだ。どう? その子には会えた?」

 先生のにやけた表情に、僕はにやりと笑って見せ「もちろん」と答える。

 はははと声を上げた先生は「ありがとう。時間を取らせたね」と僕にねぎらいの言葉をかけ、僕も大丈夫ですと返答する。

「僕は、この学校に、何を求めているんでしょうか」

 僕はソファから立ち上がると、先生にそう問う。先生は「え?」と面食らったような表情をしたが、すぐに薄く笑いを浮かべる。

「楽しんでみたら? その目的がはっきりするまでは」

「そうですね。それでは、失礼します」

 そういって僕は、保健室を後にする。携帯に親からの連絡が入っていることを確認すると勇み足で、校門まで歩を進めていった。

 

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