第39話

   第六章 決着




 都市国家の近隣で窮地に追いやられていたメリッサを救出した後、俺達は目を点にして浮遊都市アルカディアから立ち上る闇の柱を眺めていた。


「アレは……」


 禍々しいものだってことを直感的に理解する。やがて浮遊都市を覆う防御結界が割れたガラスみたいに粉々になっていく光景を見て――、


「今すぐに戻ろう!」


 ハッと我に返って、提案した。


「嫌な予感が的中したみたいですね」


 まったく、とメリッサも重い溜息をつく。すると――、


(……タイヨウ! ちょっとメリッサを全力で魅了しなさい!)


 突然、ルゥからの指示が飛んできた。


「……はい?」


 ちょっと全力でって言葉がおかしいだろ。いや、そういう問題ではなくて……。


「なにしているんですか、神騎士ゼウスさん。早く行かないと」


 メリッサは準備万端で、天位の神話聖装であるパラスアテナを握りしめていた。


「ルゥがさ、メリッサのこと、魅了しろって」

「……え?」


 きょとんと目を丸くするメリッサ。


(ああ、もうじれったい! 眷属が出てくるかもしれないのよ! 早くしなさい! っていうより、もう移動しながら魅了しなさい!)


 ルゥがかなり焦っている。これはかなり急がないとまずいみたいだ。


「すまん。今からメリッサを魅了する! 時間がないらしいから、空を飛びながら魅了する! 反論は後で聞くから!」


 そう言って、俺はメリッサに迫る。


「え、え、ええ? ご、強引ですね!? 普段はヘタレなのに」

「頼む、メリッサの力が必要なんだ! 責任は、後でとる!」

「も、もうっ! 言いましたね!?」


 メリッサは貞操の危機を覚えたのか、珍しく顔を赤くして後ずさった。だが、俺は強引に距離を埋めていく。すると、メリッサも覚悟を決めたのか、その場に立ち尽くした。


「ひぅっ、あっ、っぁ、ふぅ……」


 俺がお姫様抱っこすると、メリッサはすっごく甘い声を出す。でも、飄々と振る舞おうとしているのか、呼吸を整えようとしているのがわかった。


「よし、行くぞ!」

(魅了スキルも出力全開で行くわよ!)


 俺は地面を蹴り、無詠唱で空への飛翔を開始した。瞬間、ルゥのケラウノスの出力を解放し始めたのか、俺の身体から魅了のオーラが溢れ始める。


「あっ、あっ、あぇ? えぅ? な、なんかっ、これ……、くっ……、ど、どんどん、強まって、ません!? この能力うっ!」


 気持ちよさがさらに強まったのか、メリッサは必死に表情を取り繕おうとしていた。


「っていうか、は、速っ、速っ、速すぎっ、ですって! も、もっと、ゆっくり、ゆっくり、とんでっ、お願いしまっ! ひぅ……、へ、変になりそう……」


 全力で飛行してかかる反動すら快感になるのか、メリッサはきゅうっと俺の服を掴んでしがみついてきた。


「あぁ、もぅ! ひ、ひどくないですかっ!? こ、これぇ! どう責任、とって、くれるんですか? ほんとにぃ……」


 ビクビクッとメリッサは身体を震わせている。でも、かなり耐えている方だと思う。耐えられない子だともう本当に即落ちするし。


「えっと、そんなに気持ちいいのか?」

「はっ、はあ? な、なに訊いてるんですか? 破廉恥なっ! っていうか、ぜ、全然、気持ちよくなんかありませんけど?」


 メリッサって自分から下ネタ降るのは大丈夫だけど、人から下ネタ振られるのは駄目なタイプなんじゃなかろうか? ちょっとそんなことを思った。


「そ、そっか。ならいいんだ」

「え、ええ。ほんとっ、うっ、くっ……。気持ちよくうあぁぁっ……! はっ、あっ、あっ、ない、ですよ? 今のは、ちょっと、たまたま、波がきただけです」


 顔を真っ赤にして、それでも平静を装おうとするメリッサ。


「お、おう。もうすぐ浮遊都市に着くよ」


 上ずった声でわざとらしく話題を逸らした。メリッサが乱れる姿は新鮮で、偽りとはいえは俺の人生で初めての恋人になった子なわけで。そんな子が自分の腕の中で熱くメロメロになっている姿を見せつけられて、俺もけっこう一杯一杯だったりするんだ。こう、感じている姿をまともに直視するのが無性に恥ずかしいというか……。


「あ、あれれれ? もしかして、ちょっと照れてます? 神騎士さん? 私が乱れている姿を見て、もしかしてドキッとしちゃっています?」


 まさに水を得た魚だ。俺が照れているのを察したのか、なんか急に嬉しそうにニヤけだしたし。


「気持ちよくないんじゃなかったのかよ?」

「ま、まあ、アレですね。慣れてくると、それなりには。それなりには、気持ちいいかもしれません」


 メリッサは視線を泳がせ恥じらった。自分が訊かれる立場になると途端に弱くなるし。


「そっか」


 俺はくすりと笑う。


「っていうか、ですね。女性ばかりに、恥ずかしい思いをさせるのはっ、どう、かと思うんですよ。こう、やられっぱなしなのはっ、っう、癪、なんですよ」


 メリッサは感じるのを我慢しながら、ムッと唇を尖らせる。


「これまで俺の方がやられっぱなしだったんだ。今くらい立場を逆転させてくれよ」


 恋人になってくれとか言われた時とか、マジで振り回されたからな。


「…………嫌だ。やっぱり、癪ですもん。なので……」


 メリッサはじいっと俺の顔を見上げると、いきなり両手で掴んで強引に目線を合わせてきた。肉体的な接触と、視線を合わせたことの相乗効果により――、


「はふぁっ!?」


 今までで一番の快感が押し寄せてきたらしい。


「目線を合わせるか、肉体的な接触で魅了スキルが発動するって言ったろ。両方を足すとすごいことになるんだよ」

「そういえば、そうでしたね。なるほど、両方合わせると駄目なんですね。じゃあ……」


 メリッサはジト目で俺の顔を見上げていたが、そう呟くと――、


「…………んっ、んん!?」


 再び俺の顔を掴んで、キスしてきやがった。瞬間――、


「んっ、ぁっ、んんあああぁぁぁぁぁ!?」


 メリッサがキスをしたまま、さらに大きな嬌声を上げた。


(ちょ、ちょっと!! なんでキスまでしているのよ!?)


 ルゥの猛抗議が届いているが、頭が真っ白でなにがなんだか……。


「……んっ、んんっ、れろ、ぷはぁ」


 メリッサは苦しそうに口を離し、息を吸い込んだ。


「はぁ、はぁ……、な、なにしてんの?」


 俺も荒く息を吸い込み、メリッサに尋ねる。


「乙女の初めてを、さんざん神騎士さんに奪われちゃっていますし、毒を食らわば、皿まで、ということで……。はあ、主導権を握られっぱなしなのも、癪、なので……」


 顔は真っ赤なのに、てへ、ぺろっ。とでも言いそうな、愛らしくてすがすがしい笑顔だった。しかし――、


「アッアアアアアァ!」


 という甲高い悲鳴みたいな声が聞こえてきた。ほぼ同時に、闇の奔流が上空めがけて放出されている光景が嫌でも目に入ってくる。


「っ、あそこに眷属がいるのか!? 行こう!」


 耳鳴りに顔をしかめつつも、敵がいると思しき場所へ向かう。現在地は浮遊都市の上空で、ちょうど都市部の上空辺りだった。それで、闇の奔流が立ち上ったのは中央付近にあるアカデミーで……。


「な、なんだよ、あのバカでかいの!?」


 上空めがけて口から暗黒のブレスを放出している怪物がいた。上半身が女性で、下半身は触手まみれだ。メリッサも少し引いた顔になっている。

 なんで都市部じゃなくて上空めがけてブレスを放出しているんだと思ったが、理由はすぐにみわかった。アナスタシアとイリスを攻撃していたのだ。


(アレはスキュラよ! 急ぎなさい!)

(ああ!)


 ルゥが叫ぶのより少し前に、俺は反射的に飛び出していた。ブレスを防ぎきって力尽きたイリスの身体をアナスタシアが受け止めている。かと思えば、スキュラとかいう化け物が触手で跳躍して、二人に直接攻撃を仕掛けようとしていた。


「まずいっ!」

「大丈夫、リナちゃんが防ぎます!」


 絶体絶命の危機かと思ったが、エカテリナが触手をぶん殴って攻撃の軌道を変えた。そのままアナスタシアとイリスの身体に抱きつき、逃走を開始しようとしている。だが、スキュラは触手を何本も振り上げていて三人をはたき落とそうとしていて――、


「させるかあああ!」


 俺は右手に握ったケラウノスに愛の力を注ぎ込み、咄嗟に光の斬撃を放出していた。


(大丈夫、間に合うわ!)


 というルゥの言葉通り、光の斬撃はスキュラの触手をまとめて焼き払う。結果、スキュラの攻撃は失敗し、そのまま去来の重力に従って落下していく。


「ごめん、遅れた!」


 俺は三人を守るように、スキュラとの間に割って入った。と、同時に身体から溢れる魅了のオーラが減っていく。今は魅了して隙を作りたくないと判断したのか、ルゥがアナスタシア達を魅了スキルの出力を調整したらしい。。


「間一髪、ですね」


 メリッサもこの時ばかりは安堵の溜息を漏らす。直後、ドオンと、スキュラがアカデミーの敷地に着地する音が響いた。


「タ、タイヨウさん! メリッサさんも!」


 呆けた顔を浮かべていたアナスタシアとイリスだったが、俺達の顔を見てパッと表情を明るくする。一方――、


「お、遅いのですわ!」


 エカテリナちゃんも嬉しそうに顔を明るくしていたが、すぐにツンとした声を出す。


「悪かったって。でも、準備は万端だ。あのはた迷惑な野郎……女? を倒そう」


 と、俺は眼下のスキュラを見下ろして言う。触手を焼き払われたことを警戒しているのか、威嚇するようにこちらを見上げている。


(って、女なら、魅了スキルは効かないのか?)

(……駄目ね。あの瞳、狂化状態にある。アレじゃ視線を合わせても魅了スキルは通用しないわ。今のスキュラは女じゃなくてただの怪物になっているから)


 よくわからないが、今のスキュラに魅了スキルは通用しないらしい。


「で、どうやって倒すんですか? 私のことをさんざん魅了してくれたんだから、出番くらいあるんですよね?」


 メリッサはにこやかに訊いてきた。けど――、


(あるのか、ルゥ?)


 俺はルゥに言われた通り行動しただけなので、そのまま問いを投げかける。


(スキュラは触手を使って素早く不規則な移動を得意とするやつよ。まあ、浮遊都市の被害が大きくなってもいいなら神騎士の攻撃で倒せないでもないんだけど、わざわざ被害を拡大する必要はないでしょ)


 まあ、確かにその通りだ。そして――、


(だから、メリッサに上空から超高速の強力な一撃をお見舞いさせて、あいつの動きを止めさせなさい。そいつの神話聖装ならそれができるかもしれないから。で、タイヨウが確実にとどめを刺すの。以上! 今は触手の回復に専念しているみたいだからチャンスよ。回復する前に早く)


 と、ルゥは指示を出してくる。


「えーと、メリッサ、頭上から超高速の強力な一撃を放てるか? アイツは動きがかなり速いらしいから、動きを止めてから俺が攻撃して仕留めたいんだけど」


 俺はルゥの作戦をそのままメリッサに伝えた。


「んー、構いませんけど、なんか今すごく調子が良くて、一撃で倒しちゃうかもしれませんよ?」


 メリッサはふふんと得意げに言う。


(やれるもんならやってみろね)


 と、ルゥが嘲笑する。


「ルゥがやれるものならやってみろってさ」


 俺はまたしてもそのままルゥの言葉を伝えた


「わかりました。じゃあ、今から準備をしますので、私が合図したら、神騎士さんは地上に接近してあの怪物の注意を引いてください」

「了解」


 不敵に微笑むメリッサに、返事をする。と――、


「開け、神話聖装アポカリプシス!」


 メリッサは聞き覚えのあるフレーズを口にし始めた。


「……は?」


 俺、アナスタシア、イリスの三人は目が点になる。


「時は来た! 愛の縁に従い、その神話を示せ!」


 メリッサは俺達の驚きなどお構いなしで、どんどん口を動かしていく。間違いない。これは天啓の誓詞エウァンゲリオンだ。アナスタシアとイリスは今の聖騎士団で使える人物はいないって、前に言っていたはずなのに。けど――、


「さすれば築かん、蜜月の愛を!」


 ここで俺の天啓の誓詞と文言が変わった。


「さあ、行ってください、神騎士さん!」


 メリッサはここで俺に合図を出す。


「あ、ああ!」


 俺は軽く動揺しつつも、スキュラへと接近した。


「いざ、穿て! 回避不能の投擲槍インエスケーパブル・ジャベリン! 電光の天槍パラスアテナ!」


 そう告げた瞬間、メリッサの槍から膨大な電流が放出された。電流は膨張していき、槍を包み込んでそのサイズを大きくしていく。俺はその間に地上へ着地すると、メリッサの手にした槍をちらりと視界に収めた。


「行きます!」


 メリッサはグンと急上昇を開始する。


(よし、俺はこいつの注意を惹きつけるぞ……って、なんでこいつ逃げるんだよ!?)


 俺が注意を引くべく駆けだしてスキュラに急接近すると、なぜか嫌がるように俺と距離を置こうとしてきた。


(ま、眷属どもは神が人類を救済した聖魔大戦デウス・エクス・マキナの時に先代の神騎士にこっぴどくやられていたからね。トラウマを抱えているのかもしれないわ。逃げに徹されると少し面倒なんだけど、今は好都合かもね。ほら、来るわよ!)


 というルゥの声に従い、俺は視線を頭上へ向ける。直後、ゴォンと、落雷でも降り注いだように、スキュラの頭蓋を図太い光がぶち抜いた。


「ッォォォォォ!?」


 スキュラはメリッサからの不意の攻撃を認識できず、断末魔のような叫びを上げる。無理もない。俺だって反応が遅れたくらいに一瞬の出来事だったし、その頭蓋には見事に大きな穴が空いているのだから。


「うわ……。これ、トドメをさす必要あるのか?」


 致命傷を負ったスキュラを眺めていると、その身体がボロボロと崩壊を始める。どうやら絶命するようだ。が――、


(メリッサが天啓の誓詞を使ったのは驚いたけど、なんか妙に弱かったわね、こいつ)


 ルゥがそんなことを言う。


(そうなのか?)

(五千年前よりも身体が小さくなっていたし、再生能力が劣化していたし、天啓の誓詞を使っても半人前のメリッサが一撃で倒せるような相手じゃないと思ったんだけど……、弱体化したのかしら?)

(弱体化したんならいいことなんじゃないのか?)

(まあ、そうだけど……)


 そんな都合のいいことがあるのかしら? ルゥはそう言いたそうだった。すると、メリッサが俺のすぐ傍に舞い降りてきて――、


「どうでしたか? なんか天啓の誓詞が思い浮かんだので使ってみたんですけど」


 ふふんと勝ち誇ったように言ってきた。


「ああ、すごかったよ。驚いた」


 現在の聖騎士団で天啓の誓詞を使えたのは俺を除くと、メリッサただ一人しかいないわけだしな。と、そう思ったところで――、


「ちょ、ちょっと! どうしてメリッサさんが天啓の誓詞を使えるのよ!?」「そうですよ、タイヨウさん!」


 アナスタシアとイリスが大急ぎで飛んできて、俺に詰め寄ってきた。エカテリナもその後を追いかけてくる。


「あはっ、神騎士さんにたくさん魅了スキルをかけてもらったからですかね」


 メリッサは悪戯っぽく笑って答えた。


「魅了スキルなら私達だってたくさんかけてもらっているじゃないですか?」「そうよ、不公平よ!」


 いや、なんでイリスもアナスタシアも俺に詰め寄るんだよ。


「俺に言われても……。メリッサは史上最年少で天位の神話聖装と契約したわけだし、天才だから、とか?」


 思いついた理由を適当に語ってみるが、本当のところはまったくわからない。ルゥなら何か知っているかもしれないけど、まだ倒した眷属について考えているんだろうか?

 仕方がないので、ちらりとメリッサを見る。


「んー、理由ならわかりますよ、私」


 メリッサは俺と視線が合うと、くすりと頬をほころばせて語った。


「……聞かせてくれるかしら?」


 アナスタシアとイリスはジト目でメリッサを促す。


「ええ~、いいんですか? 言っちゃっても?」


 メリッサはなぜか俺を見てニヤニヤと確認する。


「まあ、知っているなら俺も教えてほしいし……」


 俺が頷くと、「じゃあ、仕方がありませんね」ともったいぶるメリッサ。果たして、その理由とはいったい。そうやって、みんなの注目が集まると――、


「そんなの、魅了される時に熱いキスをたっぷり交わしたからに決まっているじゃないですか。というわけで、約束通り責任とってくださいね。


 メリッサは可愛らしく頬を赤く染めて、爆弾発言と一緒に、アナスタシア達に見せつけるようギュッと俺に抱きついたのだった。

 ちなみに、キスの話でさらなる騒動が起きてしまうのだが、それはまた改めて……。

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