第36話

 女性用のランジェリーショップの更衣室で。


「男の神騎士ゼウスって、本当に必要な存在なんですかね? もしもこの疑問に共感してくれるのなら、神騎士を辞めてくれませんか?」


 メリッサは俺に密着して、そう頼んできた。だが――、


「必要に決まっているでしょ。馬鹿じゃないの!?」


 間髪を容れずに、ルゥの声が響き渡る。と、シャッと試着室のカーテンが開け放たれて、ルゥが姿を現す。すぐ後ろにはアナスタシアとイリスの姿もあった。

 アナスタシアは俺に抱きつくメリッサの姿を目にすると――、


「なっ、なにを密着しているのよ、貴方達!? 真面目な会話をしているかと思えば!」


 顔を赤く染めて叫ぶ。


「本当、油断も隙もない雌狐ね。エロタイヨウも隙を見せるとすぐにエロエロになるし」


 ルゥはメリッサを睨み、続けてしらーっとした眼差しで俺を見つめる。


「ま、待て、この状況は誤解だ」


 慌ててルゥの説得を試みた。しかし、メリッサがすぐに言葉を挟んでくる。


「えー、なに言っているんですか? 私とたーくんは恋人同士じゃないですか!」


 その恋人関係、まだ続いているのかよ?


「言っておくけど、あんた達が付き合っていないことなんて、お見通しよ」


 ルゥはビシッと俺とメリッサを指さす。


「へー。じゃあ試着室の会話を盗み聞きしていたんですね?」


 メリッサは悪びれずにルゥに訊く。


「聞こえたのよ!」


 俺とメリッサの恋人関係が偽りだって話はけっこう前にしたんだけど、ずっと聞いていたんだろうな。聞こえたと盗み聞きの違いはなんなのだろうか。


「まあいいですけど。それで何の用なんですか?」

「あんたが勝手なことばっかり言っているから、邪魔しにきてあげたの。太陽が必要ないですって? 必要に決まっているじゃない。太陽がいなかったらこの世界は滅ぶもの」


 ルゥは俺が必要だと、きっぱり断言してくれた。ああ、なんかちょっと嬉しい。


「でも、神騎士が男の人である必要性ってあるんですか? ケラウノスの契約を一度断ち切って、女性を再召喚できるのならそれに越したことはないと思うんですけど。将来的な不和の種も発生しませんし」


 神騎士を再召喚って、そんなことができるのか? というか、そんなことまで企んでいたのか、メリッサは。だが――、


「無理ね。何度召喚しようが召喚されるのはタイヨウに決まっている。私がケラウノスのパートナーとして認めているのはタイヨウだけだし、タイヨウの召喚は性悪女神のエロースが仕組んだことなんだから」


 ルゥはふんと胸を張って言う。


「へえ……。そこまで言うなら、証明してくれませんか? 男の人の神騎士が必要なんだぞって理由を。将来的にこの人を主人としたハーレムで生じるであろう大量の不幸が、必要な犠牲なんだって教えてくださいよ。それとも、今のうちから去勢でもして不幸が発生しないようにしておきますか?」

「おい!」


 去勢は勘弁してください、マジで。思わず青ざめそうになったじゃないか。抱きついているからってさりげなく股間に手を這わせようとしやがったし。


「本当に、全然わかっていないようだから、教えてあげる。そもそもケラウノスは男が使うことで最も能力を発揮する神話聖装アポカリプシスなの。でも、神話聖装は女神エロースの加護を受けた乙女しか使用することができないから、この世界の男ではどう足掻いても使いこなすことはできない。だからこそ、この世界の神の加護をまだ受けていないタイヨウが外の世界から召喚されて、新たにエロースの加護を与えられたの。まずはそこから理解しなさい」


 ルゥはケラウノスの真価は男でないと発揮できないと訴える。


「……なぜ、男でないと能力を発揮できないのですか?」


 メリッサはぱちりと目を見開いて尋ねた。


「ケラウノスに宿る魅了スキルが、ゼウスっていう神の特性を大きく受け継いだ能力だからよ。神話聖装が失われた神々の献納や逸話なんかを再現した武具だってことは知っているでしょう? 武具ごとに原典となった神の権能や逸話の特性が女神エロースの特性と混ざり合った状態で色濃く反映されているってことも。だからよ」


 と、ルゥは饒舌に答えた。


「……ゼウス様はどんな神様だったのでしょう?」

「相手が綺麗な女であれば、誰であろうと口説き落として孕ませるハーレムの神よ!」


 メリッサの問いに、ルゥはよどみなく答える。なんとなく、想像はついていた。ギリシア神話でもゼウスといえばとんでない女好きとしてよく知られている神様だし……。


「…………」


 アナスタシアもイリスも言葉を失い、ぽかんと目を丸くしていた。一方――、


「っ、あはははは」


 メリッサはおかしそうに笑いだす。


「なにがおかしいのよ?」


 ふんっと、ルゥは鼻を鳴らして尋ねる。


「いえいえ、どんな女性も孕ませてしまうハーレムの神ですか。確かにそれは男性でないと扱いこなせない気はしますね。思わず納得してしまいました。本当、どうしようもないお方なんですねえ、まさしく貴方にぴったりな能力の気がします」


 と、メリッサ。なんで俺にぴったりなのか、理由を聞かせてほしい。


「そんなわけだから、女の神騎士を再召喚だなんてもってのほかね。男の神騎士でないとテュポーンとエキドナは封印できても倒せないって、女神エロースも言っていたから。神騎士は男じゃないと、ううん、タイヨウじゃないと世界を救えない。私が保障するわ」


 ルゥは改めて神騎士が男であるべき必要性を説いた。それが嬉しくて、ついつい口許が緩んでしまいそうになる。


「ルゥ……」

「ふんっ。だから、タイヨウはつまらないことを気にしないで、神騎士をやっていればいいの。それともまさか、私との約束を忘れたんじゃないでしょうね?」


 ずっと一緒にいてくれるって、神騎士として戦うことを決めた時に約束してくれたでしょ? と、ルゥは視線で力強く問いかけてくる。


「まさか。ルゥが俺を見捨てない限りは、俺からは絶対にルゥを見捨てないよ」

「……なら、いいわ」


 ルゥは気恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。すると――、


「いったいお二人でなんの約束をされたんでしょうか?」


 アナスタシアがしらーっとした眼差しで尋ねてきた。


「べ、別に何でもないわよ!」


 ルゥは泡を食って濁す。


「あと、メリッサちゃん。いつまでタイヨウさんに抱きついているの?」


 イリスはじーっとメリッサを見つめ、俺にひっついたままずっと喋っている事実を暗に咎めた。


「んー、男の人が神騎士であることが望ましいというのは理解できたんですが、なんとなくまだ自分の気持ちに折り合いをつけきれないというか、釈然としないものでして。どうしようかなと」


 メリッサはそう答え、至近距離からじろりと俺の顔を見上げる。


「っ……」


 俺は堪らず息を呑んだ。顔を掴まれ、キスしそうなほどに近づかれたから。


「…………ただまあ、今すぐに解決しないといけない問題でもありませんし、今はこの程度で身を引いておくとしましょうか」


 メリッサは目を瞑ってやれやれと溜息をつくと、ようやく俺の身体を解放した。


「ふうっ」


 全身から力を抜く。メリッサの温もりが遠ざかったことに寂しさは覚えたが、抱きつかれたままというのも心臓に悪すぎる。

 すると、その時のことだった。魔物キメラの襲撃を知らせる警鐘が、都市中に非引き渡ったのは……。付近に魔物が現れたぞという緊急警鐘だ。

 浮遊都市アルカディアの側で感知したか、近隣の都市が襲撃されて救難のメッセージを発したか。可能性は二つに一つ。瞬時にそこまで導き出すと――、


「魔物よ!」


 その場にいる全員が顔つきを変えて、店の外へと向かったのだった。


   ◇ ◇ ◇


 俺、ルゥ、メリッサ、アナスタシア、イリス。俺達は五人で店の外に出ると、揃って頭上を見上げた。


「本当、魔物は空気を読みませんし、無粋ですねえ」


 メリッサは億劫そうに溜息をついている。


「今は無駄話をしている場合じゃないわ。廃都で遭遇した眷属の存在もあるし、人類の安全領域に戻ってきた途端に魔物達の襲撃だなんて、穏やかじゃなさすぎる。近隣の都市国家ポリスに襲撃が及んでいる場合は援軍の編成もしないといけないし、情報が欲しい」


 アナスタシアはテキパキと話をまとめていく。


「仕方がありませんねえ。そういうことなら、私が外に打って出ましょう。近くにいる魔物達を殲滅しつつ、近隣の都市国家にも襲撃が及んでいる場合はそちらの援護へ向かいますので、皆さんはとりあえず都市内部の指揮に専念してください」


 メリッサは自ら単独偵察を買って出た。


「わかりました。伝令使の光杖ケリュケイオンで援軍の緊急要請が届いている場合は、追って増援を送りますので指揮をお願いします」


 アナスタシアは即座に首肯する。緊急事態だから判断が急がれるというのもあるが、何よりもメリッサの実力を信用しているのだろう。


「なあ、俺もメリッサに付いていっていいか?」


 俺はすかさず手を上げて、メリッサの手伝いを申し出た。


「へえ……」


 メリッサは興味深そうに目を細める。


「……なぜ?」


 アナスタシアは俺が同行を申し出た理由を尋ねてきた。


「一人より二人の方ができることは多いだろ? ケラウノスの能力を解放すれば対軍戦闘でも対応できる」


 と、俺は合理的な理由を考えて提示した。まあ、本音はメリッサを一人で行かせるのが心配ってのが大きいんだけど。ルゥはその辺りのことを察しているのか、ちょっぴり不満そうに唇を尖らせている。だが、なにも言ってはこない。


「……なるほど、なるほど。本当、お人好しな人ですねえ。これだけ振り回した私なんかのために。ま、判断は総団長のアナスタシアさんに任せます」


 メリッサは苦笑交じりに言って、アナスタシアに判断を委ねた。


「わかりました。タイヨウさんも向かうのなら、増援を送る手間も省けそうだし、構わないわ。ルゥ様とメリッサさんも一緒ですから、判断を誤ることもないでしょう」


 アナスタシアはそう言って、俺に同行の許可を出してくれる。


「なら、決まりだな。頼む、ルゥ」

「仕方ないわね」


 ルゥはふんと鼻を鳴らすと、ケラウノスの姿になってくれた。俺の手にすっぽりと剣が収まる。他方、その傍らで――、


「顕現せよ。雷光の天槍パラスアテナ」


 メリッサが自分の神話聖装を手元に呼び寄せていた。現れるなりビリビリッと、電流みたいなものが槍全体を駆け巡るが、メリッサは構わずそれを掴み取る。


「おお……」


 そういやメリッサの神話聖装を見るのはこれが初めてだ。長さは二メートルくらいだろうか。鋭い穂先と、柄に刻まれた綺麗な文様。とても美しくて幻想的な槍だった。


「へえ……」


 ルゥはパラスアテナを見て、ちょっとだけ目をみはっている。


「それじゃあ、さっさと行きますよ。私の神話聖装には高速移動を可能とする固有能力があるので、付いてこられなかったら置いていきますから、あしからず。飛翔の聖靴タラリア


 メリッサはそう言うや否や、地面を蹴って上空へと飛翔を開始した。確かに速い。しかし、飛翔速度ならケラウノスだって負けていない。


(私達も行くわよ、タイヨウ!)「おう! 飛翔の聖靴」


 ケラウノスになったルゥを握りしめて、俺もメリッサの後を追いかける。それとほぼ同時に――、


「私達はいったん居城へ向かいますよ、イリス!」「うん!」


 アナスタシアとイリスも飛翔の聖靴を使用して、居城へ向かっていた。そうして、二手に分かれて行動を開始する。

 俺とメリッサは浮遊都市の上空へ躍り出ると、まずは都市の周囲をよく観察することにした。周辺の地理情報の確認と索敵をするためだ。


「……北東の都市国家に魔物が迫っていますね。それと浮遊都市へ接近してくる飛行型の魔物が多数。浮遊都市に向かってくる個体達とは接敵まで二分といったところですかね。あの程度の手勢なら浮遊都市の防御結界を突破できそうにもなさそうですけど……」


 メリッサは神話聖装によって超強化された視力で、付近にいる魔物達の姿を余すことなく捉えた。俺もすぐに発見する。


「どうする?」

「んー、さらに二手に分かれますか? 私は都市国家に勤める現地の聖騎士の援護に向かいますので、神騎士さんは浮遊都市に向かってくる魔物達の殲滅をお願いします。殲滅が済んだ後は状況に応じて行動してください」

「……わかった」


 顔が知られていない俺が一人で都市国家へ向かっても混乱させるだけだろうしな。妥当な采配だと思う。


「では、そういうことで。私の方が先に片付いたら、援護してあげましょうか?」

「冗談。俺が早めに片付いたら援護に向かうよ」

「期待しないで待っておきます。それじゃあ、また後で」


 メリッサはふふっと可愛らしく微笑むと、急発進して都市国家へ飛翔を開始した。


(なんかタイヨウ、あの女にあまいわよね)


 ルゥの声が頭に響く。


(……そうか?)

(だって、ずいぶんとあの女の好きにさせていたじゃない。なにがどういう経緯であの女と偽の恋人になったのかは、この戦闘が終わった後できちんと教えてもらうから)

(あ、ああ、そのことね……)


 やばい。夜這いされたこととか説明できないんですけど。というより、メリッサと口裏を合わせないとピンチなのでは?


(心の声が上ずるのって相当やましいことでもあるのかしら?)

(いや、あんまり魔物を浮遊都市に接近させるとまずいだろ。浮遊都市から離れすぎない範囲で前に出ておこうぜ)


 俺、なんで浮気の言い訳みたいなことをしているんだろう?


(じゃあ、さっさと飛行を開始すれば?)


 少し不機嫌そうな声でルゥの許可が下りる。


(はい)


 俺はぎこちなく返事をしつつ、急加速して浮遊都市に迫る魔物達に接近を開始した。飛翔速度は魔物達より俺の方が圧倒的に上だ。

 まずは先頭を飛んでいた数体の魔物を、すれ違い様に一刀のもとに斬り伏せる。数は百以上、二百には及ばないといったところだろうか。


(さっさと片付けるわよ!)


 棘のあるルゥの口調はなりを潜め、戦闘モードに入る。瞬間、ケラウノスの刀身が光を放出した。


(おう!)


 俺は意気込んで返事をしつつ、光の斬撃を放出して正面から迫ってきた魔物達を何体もまとめて薙ぎ払う。すると、一瞬だけ前方の視界が開けるが、すぐにまた後続の魔物達が押し寄せてきて視界を真っ黒に覆い尽くそうとしてくる。後方の浮遊都市を優先して狙う魔物はおらず、総動員で俺を狙おうとしているようだ。


「上等だ」


 俺はケラウノスによって向上した空間認識能力で前後左右上下の方向を余すことなく把握すると、様々な方向から飛びかかってくる飛行型の魔物達を次々と斬り伏せる。


(雑魚だけど数だけは多いわね、本当)


 ルゥはうんざりしたように言う。すると――。

 ドオンと、激しい衝撃音が浮遊都市の方角から響き渡った。


「新手か!?」


 ちょうど襲いかかってきた大型の獣の姿をした魔物(ネメアー)を光の斬撃で消し飛ばしながら、後方の浮遊都市を振り返る。


「スパルトイだ! いつの間に!?」


 そこには、浮遊都市を覆う光の壁に突っ込んで衝突しているスパルトイがいた。漆黒の大きな剣を手にして、防壁めがけて切っ先を突き刺そうとしている。

 そのすぐ傍にはもう一体、小さな女の子の姿をしたスパルトイがいた。ただ、こちらはすぐ傍で何もせずに浮遊している。


(ちょっと、あの剣を握っている奴、都市の防御結界に干渉しているわよ!? あんなの普通のスパルトイにはできっこない。アイツ、眷属じゃないの!?」

「眷属だって!?」


 俺は不意に初めてこの世界に着て魔物達の襲撃があった時のことを思い出した。あの時も上空から眷属が奇襲を仕掛けてきて、浮遊都市の内部へ侵入してきたんだ。


「光の防壁に穴が空いている!? くそっ!」


 慌てて防御結界に干渉しようとしているスパルトイのもとへ向かおうとするが、周りにいる魔物達が全力で邪魔してきた。その間にも光の壁にみるみる穴が広がっていく。


(剣を持った奴の傍にいる小柄な奴、あそこで魔物を呼び出そうとしているわよ! 浮遊都市の中に魔物を入れるつもりだわ!)

(え!?)


 魔物を切り伏せつつ少女みたいな小柄なスパルトイに視線を向けると、広がりつつある穴に向けて手をかざしていた。そこから闇が膨れ上がっていき、飛行型の魔物達が続々と姿を現して浮遊都市への侵入を開始する。


天啓の誓詞エウァンゲリオンを使って可能な限り薙ぎ払うわよ。いったん頭上へ行って周りの雑魚を振り切りなさい、タイヨウ!)

(っ、ああ!)


 俺は頷き、魔物の壁が薄い頭上めがけて突進を開始して――、


「開け、神話聖装! 時は来た!」


 飛翔しながら、天啓の誓詞の詠唱を開始した。


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