第35話
メリッサから夜這いを受けた翌朝、俺は寝不足のまま食堂を訪れ、ルゥ、アナスタシア、イリスの三人と一緒に朝ご飯を食べていた。食欲はあまりないけど。
「……あの、タイヨウさん。やっぱり顔色が悪いですけど、大丈夫ですか? 今日は朝ご飯の量も少ないですし、私達が起こす前から起きていましたし……」
食事中、正面に座るイリスが心配そうに話しかけてきた。
「いや、ちょっと昨日の歓迎会で興奮しちゃってさ。なかなか寝付けなかったというか」
朝ご飯の量が少ないのと早起きしていたくらいで体調を心配してくれるとは。イリスはよく見てくれているなあ。
「夜中に変な奇声を上げていたのよ、気持ち悪い」
ルゥはやれやれと嘆息する。
「その件はマジで悪かったって。眠りが浅くて、変な声が出ちまったんだよ」
嘘は言っていない。眠りは浅かったし、変な声も出たし。
「今日は午前の訓練はないから、ゆっくり休んでくださいな」
アナスタシアはそう言って、くすりと笑う。
「そうなのか?」
「ええ。魔物が大量発生した廃都から人類の安全領域まで戻ってきたの。午前中のうちに近隣の都市国家へ到着するはずだから、訓練は予定から外したわ。午後からはマーキングのためにその都市を訪問するけど、午前のうちは気兼ねなく休んで頂戴」
「ああ、そうさせてもらおうかな……」
昨晩のことも考えたいしな。と、そう思った時――、
「おはようございます。皆さん」
背中から忘れられない女の子の声が聞こえて、俺の心臓はドキッと跳ね上がった。
「……あら、メリッサさん。おはようございます」
はす向かいに座るアナスタシアが、俺の後ろに立つメリッサに応じる。昨日、食堂でちょっとした口論みたいになったからか、ちょっと警戒しているみたいだ。
「…………」
ルゥに至っては露骨に何の用よ? って言いたそうな顔をしているし。
「メリッサちゃんは朝ご飯はまだなの? 私達はほとんど食べちゃったけど、まだならここに座って一緒に食べる?」
と、イリスは昨日の食堂での話を知らないからか、メリッサを朝食に誘う。
「あ、いえ。朝食はもう済ませたので。
メリッサはかぶりを振って、そんなことを言う。
「…………たーくん?」
ルゥ、アナスタシア、イリスの声が綺麗に揃った。そして三人の視線がギギギッと俺に向けられる。みんな勘が鋭すぎじゃね?
「たーくん、恋人が来たんですから朝の挨拶くらいしてください。って、ひどい顔をしていますよ、たーくん?」
メリッサは俺の横に回り込み、顔を覗き込んできた。
「………………………………コイビト?」
まずい。俺の危険センサーが最大音量で警報を鳴らしている。
「ちょっと買い物をしたいので、付き合ってもらおうと思ったんですけど……」
「オッケー! 買い物か! よし、行こうぜ!」
俺は右手でトレイを掴むと立ち上がり、左手でメリッサの手を掴んだ。
「えっ、はい……」
メリッサは引っ張られるがまま、俺に付いてくる。俺は迅速にトレイを返却すると、そのまま急ぎ足で食堂を出て行く。
食堂にいる女の子達は手を繋ぐ俺とメリッサを見て、何事かと目を丸くしていた。ルゥ達も硬直したまま、俺とメリッサが食堂から出て行く姿を眺めている。
そうして、俺とメリッサが食堂から出ると――、
「………………ちょっとタイヨウ、どういうこと!? 待ちなさい!」
少し遅れて、食堂の中からルゥ達の声が響いてきた。
しかし、俺は立ち止まらない。立ち止まるわけにはいかない。メリッサの手を握ったまま城内を駆け、大急ぎでお城の外へと飛び出した。今日も快晴で良い天気だなとか、恋人らしくのんびりと会話を繰り広げている余裕はない。
「ここまで来たらもう飛んだ方が早いですよ、
メリッサは逆に俺の手を引っ張って地面を蹴り、空へと飛翔を開始した。
「うぉっとと」
俺は慌ててメリッサの腕に抱きつく。
「もう、大胆ですねえ、たーくんは」
ふふっとメリッサは上機嫌に微笑むと、空中で「えいっ!」と俺に抱きついてきた。俺はそのまま運ばれることになる。
非現実的な体験なんだけど、妙にしっくりもきていて……。俺はようやく、落ち着きを取り戻し始めていた。本当、昨日からこの子には振り回されてばかりだ。
昨晩、俺に
「……どこへ行くんだ?」
まったく関係のないことを訊いてしまう。
「言ったでしょう。買い物ですよ」
「そっか……。何を買うんだ?」
なんとなく教えてくれない気がした。
「んー、それはお店に着いてからのお楽しみということで」
ほらな。謎めいた彼女のことがちょっとわかった気がして、なんだか無性に嬉しくなってしまう。ついつい口許が緩んでしまいそうになった。
この時間が長く続くはずはない。それはわかっている。でも、このまま振り回されるのも悪くはない。そう思ってしまった。
◇ ◇ ◇
それから、俺はメリッサに連れられるがまま、都市部にあるお店の中に入っていた。そこは男にとって禁断の領域、ランジェリーショップである。
「…………マジで?」
メリッサに腕を組まれ入店した。そのまま普通に奥へ進んでいく。男である俺の姿を発見すると、女性客はもちろん店員さん達もギョッとしていた。
「いらっしゃいま……」
で、止まっていたからな、しばらく。
現在時刻は午前九時くらいだろうか。日本ならまだ店が開いていない時間だろうに、この浮遊都市では普通にいたる場所でお店の営業が始まっていた。しかも、けっこうお客さんで賑わっている。
(日本とは行動時間が違うんだろうな)
今置かれている状況から現実逃避するように、そんなことを考えた。が――、
「たーくん、たーくん、私に似合う下着を選んでくださいね」
メリッサは俺の腕を引っ張りながら、俺の意識を現実へと引き戻す。
「いやいや、なんでランジェリーショップ? ってか、俺が入っていいのか、この店?」
「さあ、大丈夫じゃないですか? 店員さんもなにも言ってきませんし」
「店員さんも思考が停止しているだけじゃないだろうか」
女性しか暮らしていない都市の女性専門のランジェリーショップに男性客が入店するとか前代未聞すぎるだろ。
「まあいいじゃないですか。たーくんにお気に入りのショーツを一つあげちゃったから、こうして新しいのを買いに来たんですし。代わりの下着を選んでくれるくらい」
周りに女性客が普通にいるのに、あっけらかんと言うメリッサ。
「ちょっ、ばっ、声が大きいって! 人に聞かれたらどうするよ!?」
俺、社会的に死ぬんですけど!? 年下の女の子から下着を貰ったとか。
「え、いいじゃないですか。減るものじゃないですし」
「俺の神経がすり減る。っていうより、アレはもう返したいんだけど」
「アレって?」
小首を傾げてとぼけるメリッサ。絶対にわかっていて訊いているだろ……。
「パ、パンツ……」
「誰の?」
「……メ、メリッサの」
「え、いらないんですか? あんなに力強く握りしめていたのに」
君がベッドの上なんかに脱ぎ散らかしてくれたから、仕方なく握ったんだよ。と、言ってやりたいところだが、人目を気にして言葉が出てこない。
「あっ、もしかして私が帰った後に使って汚したから、新しいのが欲しいとか?」
「あのままだよ! 何なら今、持っているよ! 返そうか!?」
「えっ、今も持っているんですか、私のパンツ?」
当たり前だ。部屋に置いておけるわけがないし、見つかったらどうするんだ。バレた瞬間に俺の死が確定するぞ。そう思ったんだけど――、
「……だから、こ、声。持っているから、頼むから受け取ってくれ」
パンツという言葉に反応して、どうしても周囲を意識して小声になってしまう。
「えー、でも今は無理です」
メリッサはあくまでも受け取りを拒否する。
「なんで?」
「だってここ、下着屋ですし。パンツなんか受け取ったら、窃盗と間違われそうじゃないですか」
「ぐっ……」
憎たらしいほどに正論だ。
「というわけで、私の代わりだと思って肌身離さず大切に持ち歩いてください。あっ、使用するなら使用しても大丈夫ですよ?」
メリッサはそう言うと、俺に抱きつく力をギュッと強めた。
「使わねえよ……」
使ったら、俺はもう引き返せない。っていうか、何に使うのかわかって言っているんだろうな? いや、知っているのか。生まれ育ったハーレムでそういう知識を仕入れたのかもしれない。そう思った。
「なんですか、その何か訊きたそうな目は?」
「……いや、浮遊都市に暮らす聖騎士は清らかな乙女ばかりって聞いていたけど、メリッサはエッチな話題にも明るそうだなと思って」
「ええ~? 失礼ですね。清らかな処女に向かって」
「しょっ……」
言葉を失ってしまった。
「あっ、顔が赤くなった」
メリッサはからかうような笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んでくる。
「くっ……」
駄目だ。世界最強の神騎士になった俺だが、このランジェリーショップという空間においてはどうあがいても圧倒的な弱者に追いやられてしまうらしい。喋れば喋るほどドツボにはまっている。
「それはそうと、たーくん。私のこと。ちゃん付けで呼ばなくなったんですね」
「え? ああ……」
メリッサに振り回されているうちについ、遠慮がなくなっていた。突っ込んでばっかりだったし。
「たーくんが私のことを彼女として見なしてくれているんだなと思えて嬉しいです。というわけで下着も選んでくださいね」
「なにが『というわけで』なんだよ……」
恋愛経験値ゼロの男にはさっぱりわからん。
「やっぱり恋人が気に入ってくれる下着を穿きたいじゃないですか。いたいけな乙女のささやかな努力ってやつです。なので、例えばこういうのとか」
メリッサは適当なパンツを手に取り、スカートの上からそっと位置を合わせる。
「っ!」
おい、やめろって。それ、実際に穿いているところをイメージできちゃうから。直視できないだろうが。なのに――、
「んー、でも黒はちょっと私には早いかな? あっ、同じデザインで白いのもある。たーくん、たーくん、黒と白。どっちがいいですか?」
メリッサは黒と白のパンツを手に取り、交互に重ね合わせている。しかも、俺に意見まで求めてきて……。これはたぶん意見を言うまで終わらないやつだ。
「……どっちもいいと思うよ」
ちらりと視線を向けて答えた。
「えー、どっちがいいか押してくださいよ。ねえ、どっちですか? ほら、よく見て」
メリッサは一つ選べという。
「………………黒」
ぼそっと口を動かす。だが、しっかりと聞き取られたようだ。
「へー、たーくんはこういう黒くてちょっと背伸びした感じのやつを私に穿かせたがるんですか。なるほど、なるほど、やらしー」
メリッサはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ど、どちらかというとな」
絶対顔が真っ赤になっているはずだ。「下着屋でいちゃつくんじゃねえよ、このバカップル」とか、傍から見ていたら思うかもしれない。
なあ、メリッサ。たーくんはもう限界だよ。って、いかん。思考がバカップルになりかけている。顔をぶんぶんと左右に振って我に返ろうとした。すると――、
「じゃあ、試着してみるので、こちらへ」
メリッサが再び俺の腕を掴んで引っ張り、近くの試着室へと引っ張り込んでしまう。慌てて出て行こうとするが、メリッサは腕を放してくれない。それどころか抱きつくように身体を寄せてきて、試着室のカーテンをサッと閉じてしまった。
「ちょ、おい。これはマジでまずいって!」
流石に本気で抗議する。ランジェリーショップで男女二人きりで試着室に入るとか、絶対にいけないやつだろ、これ。なにを考えているんだ?
「いいじゃないですか、恋人同士なんですから」
恋人同士。その言葉の響きは本当に甘美で、心地よくて、メリッサだって最高に可愛くて、こんな彼女なら一生死ぬまで尽くせるって心の底から思う。でも――、
「…………偽りの、だろ?」
たっぷり逡巡して、そう言った。話を先に進めるためにはメリッサの本心を掘り下げる必要があるが、掘り下げたら俺達の儚い恋人関係は解消されてしまう。そんな予感があって、解消したくないと心のどこかで願っていたから。
でも、それでも進めなきゃ駄目なんだ。だから……。
「偽りだと思いますか?」
「思いたくない気持ちはあるけど」
「……そうですか。お世辞でも、少し嬉しいです」
俺が正直に気持ちを吐露すると、メリッサは少しだけ意外そうにはにかんだ。
「お世辞じゃないさ。メリッサちゃんはとても魅力的な女の子だから」
「私も神騎士さんことは魅力的な人だなと思いました。貴方が神騎士でなかったら。そんなことまで考えてしまうくらいに……。でも、貴方は神騎士なんです、男性の」
たぶん、互いの呼び方を戻したこの瞬間から、俺達の恋人関係は解消された。
「……俺に神騎士を辞めろなんて言った理由。まだ教えてもらっていないけど、聞かせてくれないか?」
そう、俺はまだその話を聞いていていないのだ。そこを知らないことには、もうこの話はこれ以上進展しないと思う。だから、訊くことにした。
「んー、それは貴方が無頓着に、無自覚に、男性の神騎士であるがゆえに、世界中の女性を不幸にすると思ったからです」
メリッサはずばり端的に理由を告げた。
「世界中の女性を不幸にするっていうのが、わかるようでわからないというか、どうも漠然としているんだけど……。それにしたってかなりの行動力だよな?」
下着姿で俺に迫ったり、恋人になったり。なんというか、メリッサからは尋常ならざる動機の強さを感じるのだ。でないと、ここまでの行動は起こせないと思うから。
「私がハーレムで生まれ育ったって話はしましたよね」
メリッサは唐突に、そんな話をし始める。
「ああ、言っていたな……」
突っ込んで訊いていいのかわからなかったから、特に触れてはこなかったけど。
「私の母はパルテノン国王が築いたハーレムに所属する下位の妾だったんです」
メリッサはさらりと言ってのけた。
「そう、だったのか……」
つまり、メリッサも王女様だったってことか。
「まあ、父親が国王といっても、私はアナスタシアさんやイリスさんのような王位継承権を持つ正当な王族ではありませんけど。というより、王女ですらありません」
「……どういうことだ?」
「単純にハーレムに所属する妾の数が多すぎるんですよ。だから、子供の数も必然的に多くなりすぎる。全員に王位継承権を与えるわけにはいきませんし、増えすぎた子供をすべて育てるとハーレムの経費を圧迫するので、その他大勢の妾が産んだ子供は物心が付く前にハーレムから追い出すのが一般的なんです」
「……ひどい話だな」
「この世界ではありふれた話ですよ。言ったでしょう? どこぞの大物な王侯貴族が妾に孕ませた子供が女の場合、大抵は聖騎士にするために物心が付く前からこの浮遊都市にあるアカデミーに預けられるって。大抵は親の顔も覚えていない年齢で
本当、ひどい話だと思った。
「でも、メリッサはハーレムで生まれ育ったことを覚えているんだよな?」
「ええ。私は特別に物心が付いた後もハーレムで育てられましたから」
「……理由は訊いてもいいのか?」
「んー、ほら、私ってすごく可愛いじゃないですか」
急に何を言いだすんだろう。
「お、おう……」
確かにその通りだけど、すごい自信だ。しかし――、
「だから、そういう対象として見られちゃったみたいですよ、実の父親から。それで成長して可愛かったら手を出してみるのも一興か的な」
メリッサは重すぎる事実をけろりとカミングアウトした。その発言を頭の中で理解するのにたっぷりと時間を必要としてしまう。
「………………そう、なのか。ごめん。嫌なことを訊いた」
こういう時どんな反応をすれば良いんだろうか。人生経験が浅すぎて何もわからなかった。謝らなくちゃ、そう思って頭を下げる。
「いえいえ。結局、七歳の時には天位の
特に気にしていません。メリッサは明るい声でそう言った。そして――、
「でも、私が特別扱いされたせいで、母親が私を利用してハーレムの中での将来的な地位を確保しようと思ったのか変に張り切っちゃって、色々とエッチな知識まで教わることになっちゃったんですよ。おかげですっかり耳年増になっちゃいました、もう」
そう語って、やれやれと溜息をつく。
「…………」
俺はすっかり押し黙ってしまう。
「貴方はこう言いました。愛のないハーレムはハーレムじゃないと」
「言ったな……」
小さい声で頷いた。そういったハーレムの現実を知ると、本当、現実が見えていないんだな、俺って。心からそう思った。
「その言葉、私にとってはかなり衝撃的だったんですよ。愛のあるハーレムなんて想像もしたことがなかったので」
メリッサはそう言って、ふふっとおかしそうに微笑むと――、
「ですが、愛のないハーレムこそがハーレムなんです。それが現実です。私が生まれ育ったハーレムにあったのはドス黒い欲望だけ。実の父は娘をそういう目で見ちゃう変態さんですし、実の母は娘を利用して保身に走る痛い人でしたし、愛って何なんでしょうね? って、そんなふうに愛を理解していない私が、愛の女神エロース様が創造された天位の神話聖装と契約しているんですから、面白い話なんですけど」
と、話を続けた。
「…………」
いや、全然笑えないって。
「ふふ、これで少しは理解してもらえましたか? 史上類を見ないであろう規模のハーレムを築いて、大量の女性と子供を不幸にする潜在的な元凶となりつつある貴方に神騎士を辞めてもらおうと思った動機を」
「……ああ、よく理解した」
「では、そんな貴方に改めてお願いします」
メリッサは満足そうに声を弾ませると――、
「男の神騎士って、本当に必要な存在なんですかね? もしもこの疑問に共感してくれるのなら、神騎士を辞めてくれませんか?」
と、改めて頼んできた。
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