第34話

   第五章 小悪魔の誘い




 深夜。日中にメリッサからされた「魅了してメロメロにした女の子から実際に迫られたら、どんなふうに誠実に対応してくれますか?」という話が忘れられず、なかなか眠れずにいた俺だったが、次第に眠気に襲われ意識がまどろみだした。すると、そんな時のことだ。


「こんばんは」


 と、小声が聞こえた気がした。俺の意識はまだまどろんだままで――、


「あらあら、眠っちゃっているんですね。なら、この隙に……。んー、ショーツはベッドにあった方がそれっぽいかな?」


 夢なのか、現実なのか、区別がつかない。しゅるしゅるっと、衣擦れするような音が響く。それから少しすると、ギシッとベッドに誰か入り込んできたような音がして……。

 流石に意識が覚醒してきた。ゴソゴソッと布団の中に誰かが入り込んできたところで目を開けると、布団の中で誰かが密着していて――、


「……んん? …………おあっ!?」


 変な声を出してしまった。少し遅れて、隣の部屋でゴトッと大きな音が鳴る。だが、そんなことを気にしている場合じゃない。

 布団の中にいる人物が誰なのか、暗闇の中で目を凝らす。


「あら、起きちゃいましたか。こんばんは」


 メリッサだった。


「なっ、なななな……」


 言葉を失ってしまう。


「もう、神騎士ゼウスさんったら大胆なんだから」


 メリッサは頬に手を当て、初心な乙女みたいに恥じらった。


「は、はあ!?」


 意味がわからないぞ。と、そこで――、


「ちょっと、タイヨウ。開けるわよ。何なのよ、大きな声を出して!」


 眠そうで不機嫌そうなルゥの声が聞こえた。かと思えば、ドアノブが回る音がして、扉が開け放たれる。メリッサは素早く俺の布団の中に潜り込んだ。


「ああぁ、ル、ルゥか……。すまん、なんか寝惚けていたみたいで……、ぁう!?」


 咄嗟に眠そうな声を装い、苦しい言い訳を口にする。が、布団の中でいきなりボタン式のシャツを脱がされ始めて、ギクッとする。


「はあ?」


 ルゥは部屋の入り口にある灯りをつける道具をいじり、弱い光を灯した。眠りを妨害されたからか、不機嫌そうに目をこすっている。


「いやっ、自分の声でっ、俺もびっくりして起きちまった。は、ははは……」


 と、誤魔化すように笑って答えている最中も、俺の寝間着はメリッサの手で器用に脱がされている。って、それはズボンだぞ!?


「………………馬鹿じゃないの」


 心底、呆れたように言われた。


「ああっ、ほんとっ、ごめん。眠い……っぁ!?」


 目をこすって眠い振りをする。しかし、布団の上になぜか女性用のパンツが脱ぎ捨てられているのを発見し、言葉を失ってしまう。気がつけば、サッと手が動いていた。ギュッと握りしめて、ブツごと手を布団の中に突っ込む。 

 って、おい、なんかすごく生温かいんですけど!? これ、マジでパンツか!? 脱ぎたてか!? メリッサのだよな!? そして布団の中の俺、ほぼ半裸なんですけど!


「寝惚けて夜這いとかしないでよ?」

「し、しないよ。というより、鍵がついているんだからっ、不安なら締めておけよ」


 メリッサの両手で、俺の肌がそっとまさぐられる。変なところを触るなよ。すごくくすぐったい。というより、やばい、この状況をルゥに見られたら、死ぬ! が――、


「……ふんっ。おやすみ」


 俺の緊張がマックスに達したところで、ルゥがパタンと扉を閉まて立ち去っていく。最後まで不機嫌そうだった。


「……い、行った」


 ホッと安堵の息をつく。


「んー、気づかれませんでしたか」


 メリッサが布団から出てくる。


「気づかれたらまずっ……」


 言葉を失った。メリッサが下着姿だったから。ネグリジェ? ベビードール? よくわからないけど、薄らと透けたセクシーなミニワンピースの下着だ。

 ルゥが灯りをつけっぱなしで出て行ったから、見えてしまった。常夜灯くらいの明るさだから部屋の中はまだ薄暗いけど、見えたもんは見えた。

 ドクンと身体が熱くなる。相手は四つ学年が下の女の子なのに……。


「あ、胸は微妙かもですけど、興奮してくれました?」


 メリッサは小声でひそひそと呟く。


「し、してない!」


 上ずった声で否定する。隣の部屋のルゥに聞こえないよう、俺も小声だ。


「ええ~、ほんとですかぁ?」

「ほんとだって、ほんとだから、服を着て事情を説明してくれ」

「服を着るのはお断りします」


 すごく良い笑顔で断られる。今日、あんな話をしてきたばかりなのに。この子がなにを考えているのか、全然わからないよ、俺。


「……じゃあ、事情は?」


 諦観を込めて訊く。


「あは、昼間のお話の続きをしに来ました。魅了してメロメロにした女の子から実際に迫られたら、どんなふうに誠実に対応してくれるのかなって。私、あれから身体が疼いちゃって、どうすればいいのかわからないんです」


 メリッサは俺に身体をすり寄せて、甘い声で語る。


「っ……」


 ごくりと唾を呑む。つまり、夜這いしに来たってことだよな?


「それで、神騎士さんは私のことをどうしてくれるんですか?」

「どうしてって……」


 それがわかっていればとっくに行動に移している。襲えばいいのか? って、それはいかんだろ。メリッサの温もりが直に伝わってくて、良い匂いもして、理性がぐらぐらと音を立てて揺さぶられてしまい、一瞬でもそんなことを思ってしまった自分を咎める。


「すりすり、すりすり」


 メリッサが自分の上半身を俺の身体にこすりつけてきた。


「メ、メリッサちゃんは俺にどうしてほしいんだよ?」


 俺は彼女の肩を掴んで距離を置かせ、真面目な顔を取り繕って問いかける。


「えっ? 女の私にそれを言わせちゃうんですか?」

「うぐっ……」


 そう言われると、なんか自分がヘタレに思えてしまった。


「というより、言ったら私のお願いを聞いてくれるんですか?」

「……何のお願いをするつもりだよ?」


 まさか、そういうお願いなのか? エ、エッチな……。と、薄々と予想はできていながらも、俺は訊いてしまう。


「言ってもいいんですか?」


 メリッサはそう尋ねて、意味深長に微笑む。


「ま、まあ、言うだけなら……」

「んー、なら、遠慮なく」


 そう前置きして、メリッサがにこやかに口にしたお願いはというと――、


「私、貴方に神騎士を辞めてほしいんです」


 メリッサが何を言ったのか、俺は理解できなかった。状況的に予想していたお願いの斜め上すぎたから。


「……は?」

「ですから、神騎士を辞めてください」


 二度目の要求で、ようやくその言葉の意味を受け止めて……。


「……………………それは、できない」


 俺は動揺を抑えて、なんとか言葉をひねり出して断った。


「どうしても?」


 メリッサは特に感情の揺らぎを見せず、すかさず訊いてくる。


「どうしてもだ」


 俺はおもむろに頷く。


「理由を訊いてもいいですか? 聞きましたよ。ちょっと信じがたいんですけど、神騎士さんってこの世界の人間じゃないんですよね? なら、別にこの世界のために戦う理由なんてなくないですか?」


 メリッサは心の底から不思議そうに尋ねてきた。


「……理由なら、あるさ。ルゥに、イリスに、アナスタシアに、聖騎士団のみんなに、恩を返したいから。俺にとってみんなは、もう家族みたいなものだから」


 不思議とすんなり理由が出てきた。いや、不思議じゃないか。嘘偽りのない本心なんだって、胸を張って答えられるからだ。


「家族みたいなものだから……ですか。聖騎士団のみんなが」


 メリッサは一瞬だけ、その瞳に暖かな瞳を灯した、ように見えた。だが、同時にあざ笑うようにフッと口許を緩める。


「なにがおかしいんだ?」

「このままハーレムの主になったら、神騎士さんは苦労しそうだなと」

「……なんで?」

「ハーレムの主に求められる役割は種馬ですから。それを自覚して自分の性欲に素直になれる人間でないと、精神的に病んでしまうんじゃないかなと。聖騎士のみんなを家族みたいに思っている神騎士さんは苦労するのが目に見えました」

「そもそも俺は自分がハーレムの主になっている姿を想像できないけど」

「でしょうね。そんな貴方だから、苦労するだろうなと思ったんです。でも、遅かれ早かれ貴方はハーレムの主になりますよ。貴方の意思にかかわらず」


 メリッサは少し困ったような顔で推測した。


「……まるで予言するみたいに言うんだな」


 俺はそう言って、メリッサの表情と真意を窺う。


「だって神騎士は女神エロース様が遣わした人類最強の戦士であり、神々が失われたこの地上界に存在する唯一の現人神ですから。今後の魔物キメラ達との戦いに勝利し続ければ、神騎士さんの影響力はさらに増していくでしょうし。権力者ならそんな男性の子種が欲しいに決まっているじゃないですか。ハーレムを作ってくれって、迫られるのは自明です」


 と、メリッサは自信満々に断言した。


「でも、だからって、なんでメリッサちゃんは俺に神騎士を辞めるように迫るんだ? わざわざこんな夜這いまで仕掛けて」


 この子が何を考えているのか、いまだによくわからない。


「単純ですよ。相手が男の人なら色仕掛けをした方がお願いを聞いてもらいやすいのかなと思ったからです」


 メリッサはそう言うと再び抱きつくように俺と密着し、肌を重ね合わせてきた。俺は寝間着を脱がされてパンツ一丁の状態だし、メリッサはスケスケな下着姿だし、彼女の体温が直に伝わってきて冷静さがどんどん奪われていく。


「な、なるほどっ……」

「ふふっ、その様子だと効果はあるんですね。女の子にも興味はあると」


 そりゃあ男ですからねえ!


「否定はしないけど。この状況で何も感じない奴は男じゃないからな」

「でも、神騎士を辞めるつもりはないと」

「ああ」


 俺は自らの意思を示すため、決然と頷く。


「予想はしていましたけど、やっぱりそう簡単に辞めてはくれませんか。では、私もお願いを変えるしかなさそうですね」


 メリッサは物憂げに、逡巡するように溜息をついて言った。


「……今度は何のお願いだよ?」


 やや身構えて尋ねる。すると――、


「私の恋人になってください」


 メリッサはまたしてもとんでもないお願いを口にしてきた。


「…………恋人? なんで?」


 そうなるんだ? この子、本当に何を考えているの?


「お願いしているのは私ですよ。恋人になってくれるのか、くれないのか」


 メリッサはマイペースに話を進め、俺の両太股の上にまたがって抱きついてきた。


「っぉい」


 変な声が出た。顔が、近い! 胸が、小さいけど当たっている! 身体軽いな、おい! ってか、この子、今パンツ穿いてないんだよな? 本当にどういうつもりなんだよ!?


「付き合ってください」


 メリッサは俺に抱きついたまま、耳許で囁いてきた。


「っ……」


 ゾクリと身体が反応してしまう。


「好きです」


 もう付き合っていいんじゃないの、これ? アドレナリンが大量放出されて心臓がドキドキした状態で、真っ白な頭で考えて口を動かす。


「つ、付き……」


 俺はなんと答えるべきか……。


「返事は?」

「付き……合えないよ。メリッサちゃん、俺のこと本当に好きなのか?」


 かろうじて理性が勝った。


「えー? 嫌いな相手にこうやって下着で迫ることができると思います? 私、今けっこう胸がドキドキしているんですよ? 魅了スキルを遣われた時とはまた違う感じがして、身体が変なんです」


 と、メリッサは年齢にそぐわない蠱惑的な顔で語る。


「へ、へー」


 おいおい、マジで小悪魔だな。じゃあ、本当に好きなの、俺のこと? そういうこと言うと、本気で勘違いするぞ?


「で、付き合ってくれるんですか、くれないんですか?」


 メリッサはジト目で問いかけてくる。


「自分のことはもっと大事にしなよ」

「意気地なしですねえ。未来のハーレム王になる人が」

「ならないって……」

「ですから、貴方が神騎士である限りいずれそうなるんですよ。って、もういいです。意気地なしな神騎士さんでも頷いてくれるように、お願いの仕方を変えます」


 メリッサは大きく溜息をついた後、可愛らしく頬を膨らせた。


「どうやって?」


 こうやって喋っているうちにちょっとは余裕も出てきたし、今ならさっきよりは迷わずノーと答えられる自信がある。


「私の恋人になってください。断ったらこの場で『助けて』と大声を出します」

「…………お、落ち着け。落ち着け!」


 誰だよ、余裕が出てきたとか言った奴。心臓が止まりかけたぞ。


「私、演技は得意なんです。鳴き真似とか」


 メリッサは悪戯っぽく笑って言うと、俺の身体をぐいっと前に引っ張った。


「なっ……!?」


 あたかも俺がメリッサを押し倒したような姿勢になる。メリッサは俺の左手を掴むと、下着越しに胸の上へと誘導した。小さい。けど、柔らかい。


「ほら、さっき言った通り、心臓がドキドキしているでしょう?」

「っ……」


 本当だった。実際、メリッサの顔は気恥ずかしそうに赤くなってもいる。でも、俺の心臓の方がバックンバックン鳴っていると思う。


「ヘタレな神騎士さんに最後の譲歩です。私と恋人でいるのは、この浮遊都市にいる間だけでいいですよ。イエスかノーか、五秒以内に答えてください」


 メリッサが五、四、三……とカウンダウンを開始したところで――、


「……わ、わかったよ。付き合おう」


 俺はとうとう頷いてしまったのだった。

 だって、この状況ではこれしか選択肢がないだろ。ここで断ろうものならマジで大声を出されて弁明の余地がない事態に陥りかねない。

 今はこの危機的な状況を乗り切るのが最優先だった。


「ありがとうございます。これで私達は今夜から晴れて恋人同士。よろしくお願いしますね。そうだ、恋人らしくあだ名で呼んでみましょうか。んー、?」


 メリッサは仰向けの状態で俺の顔を掴むと小首を傾げ、おそらくは今考えたであろうあだ名で俺を呼んできた。今までさんざん「神騎士さん」って呼んできたくせに……。


「っ……」


 不意打ちすぎて反則だろ。こんなの可愛すぎる。


「どうしたんですか?」


 メリッサはまっすぐと、不思議そうに俺の顔を覗いてくる。


「な、なんでもないよ、えっと、めーちゃん?」


 俺も即興で考えたあだ名でメリッサを呼んでみた。だが――、


「あ、それは気持ち悪いので止めてください」

「ひどくない!?」


 拒絶されてしまった。


「たーくんがちょっと気持ち悪いので、今夜はこの辺りで帰るとします」


 帰すもんかと言いたくなってしまった。さっきまで早く部屋から出て行ってくれとしか思っていなかったのに……。いや、話はまだ終わってないんだけどさ。でも――、


「……そっか」


 このまま話を続ける雰囲気でもなくなってしまった。


「そんな顔をしないでください。また明日、恋人同士の時間を作って。その時にゆっくりと続きをお話ししましょ」


 今の俺、どんな顔をしているんだろう? メリッサは俺の顔を手放すと、そっと俺の身体を押し上げて起き上がった。そのままベッドから降りて、ベッドの下にそっと畳んであった寝間着を着ていく。俺はその姿を呆然と眺めていた。


「じゃあ、帰りますね。お土産には置いていきます。おやすみなさい」


 たーくん。最後にもう一度、俺をあだ名で呼ぶと、メリッサは静かに退室していった。

 これ、夢なんじゃないだろうか? っていうか、人生の初彼女なんだけど……。


「…………痛い。はあ……」


 左手で頬をつねってみると、確かな痛みを覚える。大きく溜息をつき、俯いて視線を下げる。右手には力強く握りしめられたメリッサのパンツ……。


「お、おおおおお!」


 お土産って、これのことだったのかよ!? それから俺は眠ることができず、メリッサのパンツを意識しながら悶々とした夜を過ごしたのだった。

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