第32話
午前中の訓練が終わった日の午後。自主練として剣の素振りでもしようと一人で城内の訓練場へ向かっていると、アナスタシアと遭遇した。
「妹の……、エカテリナのことで、タイヨウさんに話を聞いてほしいの」
アナスタシアは俺のことを探していたらしく、悩ましそうに顔を曇らせながらお願いされた。俺に決闘を挑んだり、姉に対してガチの恋愛感情を抱いていることが判明したり、話題には事欠かない少女である。話の内容はその辺りのことだとすぐに察した。
「もちろん、いいぜ」
と、二つ返事で頷き、場所を移動することになったんだけど……。
やってきたのはいつも利用しているお城の大食堂だった。
「ご飯時以外の時間で食堂に来るのはなんか新鮮だけど、けっこう人がいるんだな」
人の姿は食事の時間帯よりもだいぶ少ないが、閑散としているわけでもなかった。団に所属する女の子達が随所で固まっていて、スイーツを食べながらお喋りをしている。
「非番の子達の社交の場になっているのよ。リディアさん特製の美味しいスイーツも食べられるから」
「へえ……」
そいつはちょっと良いことを聞いた。男のくせにと思われるかもしれないけど、甘い物は大好きなんだよな、俺。
「あ、タイヨウ様だ!」
近くにいた女の子達が俺やアナスタシアの存在に気づいて手を振ってきたので、笑って手を振り返しておく。行く先々で芸能人みたいな反応をされるのも少しは慣れてきた。他にも俺達の存在に気づいた子達が増えて、きゃあきゃあと騒がしくなり始めたが――、
「もう。せっかくだから美味しいスイーツを教えてあげるわ」
女の子達への対応で際限がなくなる前に、アナスタシアが俺を連れ出してくれた。食事時は給仕の手間を省くためにバイキングスタイルになっているんだけど、おやつ時はレストランスタイルで個別にオーダーして給仕してくれるらしい。
面倒くさがって自主練には付いてきてくれなかったけど、今度ルゥも連れてきてやろうと思う。せっかくなので、カウンターでいくつかケーキを頼んでしまった。
そうして、注文を終えて二人でテーブルに座ると――、
「昨日は本当にごめんなさい。エカテリナのことで色々とご迷惑をかけて」
ケーキが運ばれてくる前に、アナスタシアがエカテリナの件を持ち出してきた。
「訓練の時も言ったけど、本当に気にしていないからいいよ。大切なお姉さんが見ず知らずの奪われると思って、焦っちゃったんだろ」
「見ず知らずのではないわよ。タイヨウさんは
アナスタシアは俺が思っている以上に事態を重く受け止めているようだ。今の今に至るまで心労を溜めていたのか、語りながらどんどん青ざめていく。
「落ち着けって。男が神騎士になるなんて前代未聞の出来事なんだろ? 異論が出るのは当然だし、あんまり上から押さえつけるのはよくないって。罰とか大げさなのは止めてくれよ。そういう事態になる方が俺としては困るからさ」
俺は慌ててアナスタシアを諭す。
「ですが……」
前代未聞の存在を巡ったトラブルだけに前例がなく、どうやって対応すればいいのか測りかねているのだろう。
「本当、アナスタシアも思い詰めなくていいからさ。こうしておやつ時に食堂でケーキが食えることまで教えてもらったわけだし、それでチャラにしようぜ」
「流石にそんなことでお詫びにはならないわよ」
「なら、これからもこうして俺と一緒にケーキを食べてくれよ。やっぱり男一人だと来づらいしさ。俺、実はけっこうあまい物が好きなんだ」
「……わかりました」
俺がおどけて言うと、アナスタシアはほんのりと頬を赤らめ、くすりと笑って頷いてくれた。すると――、
(はあ? なら私と食べに来ればいいでしょ)
ムッとしたルゥの声が頭の中で響いた。
(……ルゥか?)
俺はぱちくりと目を瞬いて尋ねる。
(そうよ)
(なんでここにいるんだよ?)
(気が変わって、しょうがないから自主練に付き合ってあげようとしたの。そうしたら自分だけケーキなんて食べるなんてずるいじゃない)
と、ルゥは拗ねたように言う。
(今度ルゥを連れてこようと思ったんだって。今、食いたいなら出てこいよ)
(……いい。まだなんか面倒な話があるんでしょ。終わってから人の姿になる)
(面倒な話って……。なら、一人で実体化して注文してきてもいいんだぞ?)
(やだ。あんまり知らない相手と話したくない。後で一緒に注文して)
本当に人見知りだし、ものぐさな奴だな。伊達に五千年間も封印されて剣の中で眠っていたわけではないということか。けど、ちょっと微笑ましかった。
(はいはい)
俺はおかしくてつい口許を緩めて返事をする。
「……どうかしたんですか、タイヨウさん?」
アナスタシアは微笑する俺を見て不思議に思ったのか、じっと俺の顔を見つめてきた。
「あ、いや、アナスタシアが少しは笑ってくれたのが嬉しくてさ。昨日からエカテリナちゃんのことでちょっと思い詰めていたみたいだし」
ぎこちなく理由を取り繕う。けど、これは本心だ。
「心配させてしまってごめんなさい。あの子とはちゃんと話をしたいのだけど、どんな顔をして会えばいいのかわからなくて……」
アナスタシアは憂い顔になってしまう。
「まあ、そうだよな……」
仮に俺にガチホモな弟がいて……って、この妄想を膨らませるのはやめておこう。
「でも、聖騎士団の業務もあるし、いつまでも周りを心配させるわけにはいかないわ。もう何日か頭を冷やしてみて、あの子と向き合ってみることにする」
アナスタシアは深く息とをつくと、気持ちを入れ替えたように明るい顔になった。俺と同じ十六歳だというのに、本当、大人だよな。
「俺にできることがあったら、言ってくれよ? 協力するから」
大したことなんてできやしないのかもしれないけど、力になりたい。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで心強いわ」
アナスタシアは嬉しそうに、フッと微笑してくれた。うーん、確かにこれはエカテリナちゃんがラブになるのも理解できるな。すると――、
「そういえばタイヨウさん。ケラウノスを出していなくても魅了スキルを仕えるようになったのよね」
アナスタシアが不意にそんな話を持ち出してきた。
「ああ、そうだよ。日常生活の中で暇な時間があれば練習しておけって、ルゥに言われているんだ」
「でしたら、日常生活の中で私に魅了スキルを使ってくれても構わないわよ?」
「え、なんで?」
ギョッとして訊き返す。
「ルゥ様が本当なら四六時中、魅了されたままでもいいと仰っていたでしょう? 確かに魅了スキルを使われるのは恥ずかしいけど、私の成長が促されて人類の救済へと繋がるのなら努力しない手はないわ。だから、練習台にしてくれて構わないと思ったのよ。私の練習にもなるのだし」
と、アナスタシアはいたって真面目な顔で答える。その言葉に嘘偽りはない。瞳を見てそう直感した。本当、すごい子だよ、アナスタシアって。
俺なんか正真正銘の神騎士になった今だって世界を救うって実感が薄いのに、アナスタシアはきちんと自分の使命を見据えている。心の底から尊敬できると思った。
(へえ、ずいぶんと生真面目なのね)
少し感心したようなルゥの声が響く。
「そういう、ことなら……」
俺としても頷かざるをえない。
「ありがとう。では、練習する時はいつでも言って頂戴。こちらから練習したい時もお願いするから。あとは……、そうね。思いつきだけど、たまに不意打ちで魅了スキルをかけてもらうのもいい訓練になりそうかしら?」
なんかゲームみたいだな。確かに少し面白そうだ。
「だったら、ルールを追加しようか。不意打ちで魅了するのは一日に一回。実際に不意打ちするかどうかはその日の俺の気分次第。あと、スキルの使用時間は俺の体内時間で一分まで。アナスタシアはその一分間で合計五秒以上、俺から目を逸らしたら駄目」
よりゲーム性を追加してみた。こっちの方が緊張感も高まるだろう。
「ふふ、望むところよ」
アナスタシアはニヤリと挑戦的に笑う。と、思いきや――、
「んはっ!?」
ビクンと身体を震わせ、急に甲高い声を出した。
「ど、どうした?」
ドキッとしたぞ。まるで魅了スキルにでもかけられたみたいじゃないか。座っている椅子がガタッと動いて音を立てたせいで、近くの子達も少し驚いている。
「ど、どうしたのって……、ふぁ、っぁ……。そ、そういうこと、な、何でもないわ」
いや、何でもなくはなくね? なんか顔が赤いんだけど。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ! んふぅ、ふぅ」
「そ、そうか……」
アナスタシアは俺の顔を見つめて頷き、かと思えば視線を逸らし、すぐにまた俺の顔を見つめてくる。
「んぁ、くぅっ……、んぉ、っ……、ふぁっ……」
俺の顔を見てチラリ、チラリと一瞬だけ視線を外す。それを何度も繰り返す。本当に何してんだ? そう思ったんだけど――、
「神騎士様、アナスタシア様、ご注文の品をお持ちしましたよ」
料理長であるリディアさんが手ずから注文した品を運んできてくれた。
「あ、どうも。テーブルに並べてください」
リディアさんに礼を言い、お願いする。
(おお、美味そうだな!)
並べられていく品を眺めていると、目が輝いてしまいそうになった。そのまま食い入るようにテーブルを眺める。しかし――、
「こ、こっちを見て、タイヨウさん!」
アナスタシアが焦ったように喋りかけてきた。
「え?」
釣られるように顔を上げると、正面のアナスタシアと視線がぶつかる。
「ふぉっ……」
アナスタシアはいきなり口許に手を当てて塞ぐ。
「なあ、本当にどうしたんだ?」
改めて尋ねる。給仕してくれたリディアさんも突然のアナスタシアの行動に目を丸くしているし、近くに座っている団員の子達も目を丸くしている。
「で、ですから、何でもないと、言っているでしょう? んっ、んんっ、あっ」
そう答えるアナスタシアの顔はやはり赤いし、口を押さえながらもなんか色っぽい声が漏れているんだけど。やたらと俺の顔を見つめてくるし、その度にまた喘ぎ声っぽい声を漏らしているし……。
「ねえ、アナスタシア様、具合が悪いの?」「なんか様子が変だね」「顔が赤い」「っていうより、あの顔は……」
ざわざわ、ざわざわ。ちょうど俺の後ろに設置されたテーブルに座る女の子達の声が聞こえてきた。すると、流石に俺もピンときた。犯人はルゥだ。
(おい、ルゥ。俺の身体を使って魅了スキルを発動させていないか?)
俺の意思でケラウノスを出さずとも魅了スキルを発動させられるのなら、ルゥの側から俺に魅了スキルを発動させることができるのではないだろうか? そう思った。
(いいじゃない。不意打ちでも構わないって、本人も乗り気なんだし)
あっさり白状しているし。やっぱり、そういうことだったか。
(いや、まあ、そうなんだけどさ……)
(ほら、視線を外しちゃ駄目よ。ほら、まだ二十秒くらい残っているから)
(仕方ないなあ)
既にゲームが進行していて、アナスタシアもその気になって挑戦している以上は、このまま最後まで継続するしかない。俺は腹をくくって正面のアナスタシアを見つめた。
「んっ、ふぅ、ふっ、ふぅぁ、んはぁ……」
アナスタシアはメロメロになっているのが丸わかりな顔で、吐息を荒くしていた。五秒しかない休憩時間はもう残っていないのか、食い入るように俺の顔を見つめている。
頑張れ、アナスタシア。すごく頭の悪い状況なんだけど、俺は心の中で真面目に彼女のことを応援した。だが、アナスタシアは周囲の視線を意識し始めたのか、さらに顔が赤くなっていく。限界も近いのか、意識も大分もうろうとしているようだ。
「んぁ、ふぁ、ふぅ、ひぐっ、ふぎゅっん……。ああっ……」
トロンとした顔で、涙目になりながらよだれを垂らしている。結果――、
「んあぁああっ……、もっ、むぃ……。私の、負けよぉ」
アナスタシアは間もなくしてビクビクビクッと身体をのけぞり、俺から視線を逸らしてしまった。そして、自ら降参を宣言する。
「くっ、駄目だったか……」
俺はいたたまれない気持ちでアナスタシアから視線を逸らした。
「あっ、ふぁ……」
アナスタシアはぐてんと脱力して机に突っ伏している。すると――、
「あらまあ、お盛んですねえ」
いつの間にか俺達のすぐ傍にメリッサが立っていて、声をかけてきた。
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