第30話
間章 眷属達の会合
どこか遠い奈落の底のような薄暗い洞窟で。見る者を震え上がらせるようなおぞましい姿をした怪物達が、一堂に会していた。
「やってくれたなあ、スキュラ。地上界で活動できるテメエの貴重な生体人形の一つを失っちまうとはよお。おまけに
二つの頭を持つ禍々しい犬のような怪物が、別の怪物――上半身が美しい女性の姿をしていて、下半身に触手のような足を無数に伸びているスキュラを罵倒している。
「仕方がないだろう。神騎士の復活を確認する必要があったのだ。人の雌の肉体ではあの力に抗えるはずもない」
叱責された女性の怪物は、くぐもった声で不服そうに反論する。
「はっ、化け物のテメエも一応は雌ってことか。ええ、スキュラよ」
はんと、双頭の怪犬はあざ笑う。
「なんだと! オルトロス、貴様!?」
スキュラと呼ばれた化け物はぐぐぐと、下半身の触手を力強くうごめかした。
「おいおい、怒りたいのは俺らの方なんだぜ。生体人形は今の俺らが地上で活動するための貴重な資源なんだ。弱体化はするが、生体人形ごと生け贄に捧げれば、親父殿達が産み落としてくださったこの姿に近い姿で地上界に顕現できる。それを顕現すらできないままスパルトイの状態でやられるとか。もったいなさすぎるだろうがよお」
オルトロスと呼ばれた双頭の怪犬は、ひたすらスキュラを責める。
「……やられたのではない。一時的に鹵獲させたのだ。見た目はただの人間にすぎん生体人形を、聖騎士どもが殺すはずはないからな。情報を収集しようと、ご丁寧に保管するだろうよ。仮にあの廃都での戦いで顕現しようものなら、それこそ神騎士に葬られて生体人形が完全に無駄になっていた。そんなこともわからないとは、貴様はよほどめでたい頭をしているようだ。オルトロス」
「なんだと!?」
オルトロスは激高し、スキュラと禍々しい表情でにらみ合う。すると――、
「スキュラが言う通りに保管してくれているのなら、回収して再利用すればいい」
蛇の頭をいくつも持つヒュドラーという名の巨大な怪物が、静かに言葉を挟んだ。
「けっ、肝心の保管場所が神騎士もいる
オルトロスは投げやりに嘲笑を刻む。しかし――、
「生体人形を再び見繕う手間を考えると、このまま絶命をただ座して待つのはもったいなかろうよ。上手く陽動さえできれば、浮遊都市に相応のダメージを与えることができるかもしれぬ好機でもあるのだ。浮遊都市には良質な魂を持った聖騎士が多いはず。新たな生体人形の素体も手に入るやもしれぬ。試してみる価値はある」
今まで沈黙を貫いていた三つ頭の怪犬ケルベロスが、浮遊都市襲撃へ前向きな意見を提示する。
「……策はあるのかよ?」
「生体人形が手元になくなったスキュラはともかく、生体人形に宿った我ら三人がスパルトイに扮して浮遊都市へ出向けばあるいはな」
オルトロスに尋ねられると、ケルベロスは厳かに答えた。
「この雌の失態の尻拭いを俺らがするのか? 神騎士がいる場所へ生体人形を操って出向くとか、最悪すべての生体人形を失いかねないぜ?」
そう言って、オルトロスはスキュラのことを睨む。
「なら、私とヒュドラーでやるのみよ」
ケルベロスは毅然と語る。
「私はケルベルロスに従う……」
ヒュドラーはこくりと首を縦に振った。
「ちっ……。わーったよ、ついてきゃいいんだろ?」
オルトロスは少し面白くなさそうに舌打ちをしたが、最終的にはケルベロスの案に乗ると決めたらしい。
「では、決行は二日後だ。次はスパルトイの姿で、地上界にて会おうぞ。すべては偉大なる我らが父と母のために」
ケルベロスはそう告げると、ゆっくりと三つ頭の瞳を閉じたのだった。
第四章 魅了スキルを使いこなそう
エカテリナと決闘を果たした翌日の午前中。俺は
「んー、良い朝ですねえ」
メリッサは俺の隣までやってくると、両手を使って軽く伸びをして、日の光を浴びながら身体をほぐし始めた。
「確かに良い朝だけどさ……」
「どうかしたんですか?」
可愛らしく、きょとんと小首を傾げるメリッサ。
「アナスタシアは大丈夫なのかなと思って。昨夜も今朝も食堂には姿を現さなかったし」
俺とメリッサから少し離れた場所でイリスと一緒に団員達に指示を出しているアナスタシアの姿を、ちらりと見る。
昨日、エカテリナが逃げ出した後、実妹の気持ちを知ってショックを受けたのか、アナスタシアは途端に口数を減らしてしまった。
ちなみに、あの後はすぐにアカデミーの講師が駆けつけて騒がしくなって、事態の収拾を図ることになった。お城へ帰還した後は「少し一人で今日のことを考えてみたい」と言い残して自室に籠もってしまったから、碌に会話をする時間もなかった。
「心配しすぎなんじゃない? 今は普通にしているように見えるし、イリスが部屋まで食事を運んでいたみたいだし」
と、俺のすぐ傍にいたルゥがアナスタシアを眺めながら、会話に加わってくる。
「まあ、身体に支障はないんだろうけど……」
仮に俺に弟がいたとして、自分が恋愛対象として見られているとしたらどんな気持ちになるだろうか? 想像してみたが……。うん、筆舌に尽くしがたいことは確かだ。これ以上、この想像に踏み込むことに本能的な危機感を覚えた。
「それにしても、メリッサちゃんはどうしてエカテリナちゃんの気持ちをアナスタシアにバラしちゃったんだよ?」
俺は話題を変えるべく、メリッサに尋ねる。
「んー、だってきちんとリナちゃんの気持ちを説明しておかないと、リナちゃんが起こした問題の本質的な解決には繋がりませんよね?」
ずばり問題の核心を捉えて突く回答だと思った。
「…………確かに」
「ま、意中の相手をポッと出の見知らぬ第三者に奪われそうになったら、焦って何かしらの行動に出なきゃとは思うものよね。なかなか豪胆じゃない。少し見直したわ」
ルゥはふふんと上機嫌に笑みを刻んで、エカテリナを評価していた。
「この世界の常識的に、同性愛ってオッケーなのか?」
訊いてみる。
「……一般的ではありませんねえ」
メリッサは俺の顔をじっと見つめて答えた。
「愛を司るどこかの性悪女神は特に禁止していないわよ。先代の神騎士が同性愛者だったくらいだし」
ルゥも答えてくれる。そういや先代の神騎士であるレスボス・アマゾネス先輩はレズビアンだったな。
「むしろこの話を聞けば大喜びするんじゃないかしら。壁が大きければ大きいほど成就した時の喜びは大きく、愛の強さも試されるとか言ってね」
女神エロースのことを思い出したのか、ルゥはふんと面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「成就……するのか?」
アナスタシアにレズの気の気はなさそうだけど。
「んー、なら、こういうのはどうでしょう? タイヨウさんがアナスタシアさんとリナちゃんを二人とも娶っちゃうんです。そうしたらリナちゃんの想いが成就するかどうかはともかく、大好きなアナスタシアさんと死ぬまで一緒にいられますよ」
メリッサは名案だと言わんばかりに提案する。
「いやいやいや……」
そんな理由で結婚したらいかんだろ。
「駄目なんですか? 何も問題ないと思いますけど」
メリッサは不思議そうに訊いてくる。
「仮に俺がアナスタシアと結婚したとしても、その、そういう、大人の、関係に……なっちゃう、わけだろ。それは、エカテリナちゃん的に認められないだろし、俺はハーレムを作る気はないし、根本的に問題あるだろ」
ごにょごにょと言葉を濁しつつ、わかりやすく致命的な問題点を指摘した。話の流れ的に仕方がないんだけど、年下の女の子を相手にこういう話をするのは恥ずかしい。
「んー、そこまで難しく考える必要は無いと思いますよ? ハーレムの主なんて、女性に一度手を出したら、以降は飽きて手を出さないものですし、お飾りで結婚して一度も手を出されない人だってたくさんいますし」
「それは特殊すぎるハーレムだろ……。もはや完全に他人じゃん」
突っ込みどころは多かったけど、ここを突っ込んでおく。
「いえいえ、いたってまともなハーレムですよ。女同士はギスギスドロドロしていてまさしく他人同士ですし、ハーレムの主と女の関係だってただの他人。そこに愛なんて存在しませんから。神騎士さんはいったいどんなハーレムを夢見ているんでしょう?」
メリッサは小首を傾げて問いかける。
「それは……、仲が円満な感じの……」
ライトノベルに出てきそうな明るいハーレムだ。
「ぷっ、あははははは」
メリッサは声を出しておかしそうに笑う。
「いやいや、なんで笑うんだよ?」
なんかおかしなことを言ったんだろうか?
「ははは……。あー、すみません。おかしくって、つい」
メリッサはひとしきり笑うと、普段通りの笑みをたたえて俺に謝罪した。
「いや、気にしなくていいけど……、そんなにおかしかったか?」
「んー、神騎士さんはとてもピュアな人なんだなと思って。でも、ハーレムっていうのは神騎士さんが想像しているよりも、もっとドス黒くて汚い場所なんです」
少し困ったような顔で、メリッサは俺に語りかける。ずいぶんと実感がこもっているというか、まるで見てきたみたいように言うと思った。すると――、
「ま、最もドス黒くて質が悪いのは、すべての女性を愛せないのに際限なく女性と関係を持とうとする男の無責任な性欲ですけどね」
ほんの一瞬、ゾクッとするほど冷淡な表情を浮かべた……気がした。もしかしたら俺の見間違いだったんじゃないだろうかと思ったけど……。
よくよく考えると、十三歳の女の子がハーレムのドロドロした実態を知っていて、擦れまくった発言をしている状況がおかしいんだよな。この世界じゃこのくらいの年齢でここまで達観したような物の見方をするんだろうか。聖騎士団の女の子達を見ている限り、そんな感じはまったくしないんだけど……。
「それにしても、神騎士さんは本当に罪作りな人ですねえ」
メリッサはニヤッと笑みを浮かべて、俺に話を振ってきた。
「ん、どうしてだよ?」
「だって、神騎士さんの存在が公になった以上、世界中の乙女と都市国家が貴方のことを放っておきませんよ? 行く先々で魅了スキルを使えばそれだけで大勢の乙女が恋に落ちちゃうでしょうし、神騎士さんが臨む望まない関わらず、子種を残すためにハーレムの主になることを求められるはずです、愛のないハーレムを作れと……。きっとたくさんの不幸な女性が誕生しちゃいますよ?」
というメリッサの推察は、確かに的を射ているのかもしれない。アナスタシアとイリスがそんなことはないと否定せず、困り顔で口を噤んでいるのだから。
「ふん……」
ルゥ不機嫌そうに唇を尖らせ、ジトッと俺を見てくる。
「いや、まあ、愛のないハーレムなんてハーレムじゃないだろ、うん」
気まずくて、弁明するように言葉をひねり出す。
が、盛大に滑ったかもしれない。なに言ってんだ、こいつ? 的な眼差しをルゥから向けられた。いや、本当、なにを言っているんだろうね、俺。ただ、その一方で――、
「ぷっ、あはははは」
再びおかしそうに笑うメリッサの声が響いた。
「なにがおかしいのよ?」
ルゥはつまらなさそうに尋ねる。
「私の知るハーレムとはあまりにもかけ離れていたものですから、つい。神騎士さんが言うようなハーレムがあれば確かに素敵だなって、そう思いました」
メリッサはそう言うと、どこか遠い眼差しで俺を見つめてきた。
「いや、あくまでもハーレムに対する個人的な見解だからな? 俺がハーレムを作りたいとか、そういう話じゃないから。そこんところはハッキリさせておこう」
「なるほど……」
俺が念を押すと、メリッサは小さく息をついて納得する。すると――、
「タイヨウさん、ルゥ様、メリッサさんも。そろそろ訓練を始めたいんですが、その前に少しいいですか? こちらへ」
イリスがやってきて、俺達を招き寄せた。
「はーい。今行きます」
メリッサは可愛らしい声で返事をして歩きだす。
「おう」
俺もその後を追う。もちろんルゥも一緒だ。そうして向かったのは、アナスタシアがいる場所で、他の子達は少し離れ場所で準備運動をしている。
「タイヨウさん、ルゥ様、メリッサさんも。おはようございます。昨日はお騒がせして失礼いたしました」
アナスタシアは開口一番に謝罪してきた。
「いえいえ、気にしていないので」
「私も気にしていないわよ」
メリッサとルゥはすぐにそう応じる。
「俺も気にしていないから。でも、相談に乗れることがあったら言ってくれ」
俺も自分の気持ちを正直に伝えた。
「ありがとうございます。まあ、いつまでもショックを受けてはいられませんし、気持ちを入れ替えて訓練するとします。それで、ルゥ様にお願いがあるのですが……」
アナスタシアはフッと口許をほころばせて礼を言うと、ルゥを見つめた。
「何よ?」
「
「もとよりそのつもりよ。まあ、単純明快で手っ取り早い方法があるから、それを実践してもらうだけなんだけどね」
ルゥはふふんと不敵に笑みを刻む。
「あら、単純明快で手っ取り早いというのは好都合ですね。ぜひご教授ください」
アナスタシアは乗り気に微笑んでリクエストした。果たして――、
「とにかくタイヨウから魅了スキルをかけられまくるのよ」
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