第29話

 俺達はアカデミーの訓練場を訪れていた。フィールドの中央で、俺はルゥと並んでエカテリナと対峙している。


「ふ、ふふ。ふふふふふ。遂に、遂に、この時が訪れましたわ! 私の恥辱を晴らし、貴方という不純物からお姉様を奪還する時が! 男の神騎士なんて絶対に認めませんの!」


 エカテリナはビシッと俺を指さして啖呵を切った。


「へえ、廃都で泣きながら謝っていたくせに、私に屈服したのをもう忘れたのかしら?」


 ルゥはふんと嘲笑い、エカテリナを挑発する。


「ぐっ……、あ、あの破廉恥な能力を使用させなければ、勝機はありますの!」

「おめでたいわね」


 エカテリナは悔しそうに顔を歪めて叫ぶと、ルゥはやれやれと首を横に振る。その一方で、俺は戦う前にアナスタシアに最終確認をとっておく。


「本当に戦っていいんだな、アナスタシア」

「はい。お手を煩わせて申し訳ありませんが……」

「いいさ。日頃、俺の方が色々とアナスタシアを煩わせているだろうしな」

「タイヨウさん……」


 アナスタシアは感極まったような顔になった。すると――、


「はいはい、さっさと始めるわよ。私、剣になるから。審判よろしく」


 ルゥが進行を急かしてくる。


「承知しました。では、ルールは互いに契約している神話聖装アポカリプシスの使用が許可されることを前提に、聖騎士団の一般的な模擬戦に準じるものとします。双方、武器を具現化させてください」

「その前に、剣を握った俺と視線を合わせるなよ、エカテリナちゃん。魅了スキルって呼んでるんだけど、俺の神話聖装の固有能力スキルが発動するから」


 ルールの説明が終わったところで、魅了スキルの発動条件をエカテリナに教えた。


「……名前で呼ぶのを許した覚えはありませんけれど、自分から能力の発動条件を明かすなんて、どういうつもりですの?」


 怪訝な顔で睨んでくる。


「ほんと、その通りね」


 ルゥがやれやれと同意しているが、今は無視だ。


「まあ、それだけがスキルの発動条件じゃないんだけど、魅了スキルが発動したら勝負どころじゃなくなるからな」


 何より十二歳の女の子には極力、魅了スキルは使いたくない。


「……ふん」


 エカテリナは拗ねたように鼻を鳴らした。


「じゃ、始めてくれよ、アナスタシア」

「御意。では、双方、今度こそ武器を顕現させて」


 アナスタシアがそう言うと、ルゥは何も言わずに姿を消して、代わりにケラウノスが現れて、俺はそれを握りしめる。一方――、


「舞い降りなさい、剛命の聖杖テュルソス!」


 アナスタシアも自身が契約している神話聖装を呼び出して、その手で握りしめた。先端が松ぼっくりのような変わった形をしている杖だ。


(ふうん、テュルソスねえ。ま、うぬぼれちゃうのも無理はない武器ね)


 ルゥの声が響く。


(強いのか?)

(聖位の神話聖装だし、それなりには。契約者に剛力と自己治癒能力を与える杖で、近接戦闘に特化したバリバリの突撃兵装よ)


 神話聖装は神位、天位、聖位、光位、無位の五つに階級分けされるから、テュルソスはちょうど真ん中に位置することになる。ただ、聖位でもかなり強い武器だという話はアナスタシアやイリスからも聞いたことがあるから、真ん中だからと油断はできない。


(なるほど、手強そうだ)

(遠隔攻撃手段を持ち合わせていないから、ほぼ間違いなく勝負開始と同時に突っ込んでくるわね。まあ、適当にあしらった後に倒してあげればいいんじゃない)

(……意外だな。一瞬で片をつけろって言うかと思った)

(魅了スキルさえ発動させなければ勝てると思っている小娘に現実の厳しさを教えてあげないとね。相手の持ち味を出させた上で、良いところを見させないまま叩き潰すのよ。しばらくはぐうの音も出ないくらいに完封勝ちしとかないと駄目なんだから)


 なんという舐めプ指令。


(えげつないな……)

(なにあまいことを言っているのよ。ある程度の実力差を見せておかないと、今後もことあるごとに刃向かってきかねないわよ、この小娘。一緒にいる取り巻きの連中も黙らせないといけないし、相手はガキ共なんだから、ある程度は派手でわかりやすい勝負を演出する必要があるでしょ。一瞬で片付けても消化不良になるだけよ)

(なるほど……)


 まあ、確かに一理ある。


「では、互いの準備が整ったところで、勝負を開始します。武器を構えてください」


 と、アナスタシアは審判の役割を進行する。俺もエカテリナも黙って勝負が始まるのを黙って待った。果たして――、


「……三、二、一、始め!」


 俺とエカテリナの戦いが、火蓋を切られる。


「はあああ!」


 エカテリナはけたたましい声を発して、ルゥの予想通り俺めがけて急接近してきた。俺はその場から動かず、真っ向から迎え撃つことにする。

 直後、テュルソスの打撃をケラウノスで受け止め、周囲にゴォンと衝撃波が迸った。


(っと、けっこうパワーがあるな)


 子供の体躯が生み出したとは思えない膂力に少し目を丸くする。断魔の天剣ヘカトンケイルを装備した姉、アナスタシアを彷彿させる剛力だった。


(大型のネメアーでも殴って一撃で絶命させる馬鹿力よ。油断して一撃食らうと地味にやばいから気をつけなさい)

(おう!)


 と、ルゥに応じている間にも、エカテリナはテュルソスを振り回してくる。が、その軌道を見切り、的確に打撃を打ち払っていく。


「くっ……、負けませんわ! 飛翔の聖靴タラリア!」


 エカテリナは飛行能力を発動させて高速で飛翔を開始した。そのまま平面上に俺の周りを飛び回り、かと思えば急に接近してきてテュルソスを振るう。

 しかし、ケラウノスを装備した俺の意表を突くには遠く及ばない。エカテリナが接近してくる方向を読み切って向き直り、剣で攻撃を受け止めた。


「っ、まだまだですわ!」


 エカテリナは互いの武器をぶつけ合った状態で、そのまま急加速して俺ごとテュルソスを振り抜こうとした。


「させないよ!」


 俺は剣を前に押し込んで受け止める力を緩め、同時にバックステップを踏んで、エカテリナの推進力を利用して一気に後退する。


「なっ!? 逃がしませんの!」


 エカテリナは一瞬、ガクンとバランスを崩したが、そのまま空中で踏みとどまって、再加速して俺との間合いを埋めようとする。

 俺はそのまま後退しつつ、エカテリナを迎え撃つことにした。案の定、すぐに彼女に追いつかれるが、剣を振るって危なげなく攻撃を受け流す。


「はああああっ!」


 アナスタシアは断続的にテュルソスを振るい始めた。俺を逃すまいと間合いを詰めて、攻撃を仕掛けてくる。

 俺はひたすら受けに徹して、彼女の高速連撃を捌き続けた。訓練場の中を高速で動き回り、いたる場所で互いの武器をぶつけ合い、衝撃波を迸らせる。

 すると、次第にエカテリナの顔に焦りが浮かんできた。


「っ……」


 一見すると彼女が怒濤の連撃で押しているように見えるかもしれないが、すべて後の先で俺が攻撃を無力化している。しかも、俺は魅了スキルを発動させないように、エカテリナから視線を逸らしたまま戦っている。

 互いの実力に大きな差があることを痛感してしまったのだろう。


(ま、こんなところね。もういいでしょ。片をつけなさい、タイヨウ)


 勝てと、ルゥの指示が下った。


(了解)


 実力差を示すという目的を達した。これ以上はいたずらにエカテリナのプライドをいたぶるだけになりかねない。だから、今度は俺から仕掛けることにした。

 彼女が振るったテュルソスを剣先で絡め取ると、攻撃の軌道をそのまま明後日の方向へ誘導してバランスを崩させる。そして、返す刀でケラウノスを振るい、エカテリナの首筋へピタリと添えた。今までの攻防が嘘のように、一瞬で形勢が決まる。


「なっ!?」


 エカテリナは息を呑んで硬直してしまう。


「そこまで! タイヨウさんの勝利です!」


 アナスタシアはすかさず判定を下した。俺が剣を引いて後退すると、エカテリナは地面に両膝を突いて茫然自失になる。直後――、


「惜しい!」「いいところまで押していたのに!」「でも、すごい戦いだったわ! 流石は生徒会長!」


 などと、ギャラリーとして対戦を見守っていた聖騎士見習いの生徒達が、一斉に歓声を上げ始める。ただ、しばらくすると困惑の声も上がり始めた。


「え、でも、生徒会長が負けたってことは、私達の純潔は……?」


 という疑問の声がきっかけだった。


「う、奪われちゃうの?」「都市の人達、みんなすごい声を出していたよね」「私達もああなっちゃうの?」「目線を合わせると妊娠するって……」


 ざわ、ざわ、ざわ……と、傍にいる子達と会話を繰り広げている。しかし、自分達が何を喋っているのか、きちんと理解しているんだろうか。


「でも、あの人、格好良かったよ?」「うん、強かったし」「生徒会長の話で聞いていたより怖くなさそう」「男の人が神騎士だなんて信じられなかったけど……」「少なくとも野獣ではないよね」「というより……」


 ここで聖騎士見習いの子達の視線が、一斉に俺へと向けられて――、


「素敵……」


 うっとりとした顔になった。すると、ルゥが剣の姿を解除して、人の姿になって俺の隣に現れる。


「……呆れるほど脳みそがお花畑なガキ共ね。こいつらが成長すると、お城にいる聖騎士みたいになるってわけ。なるほど、よくわかったわ」


 辛辣だが、確かに的を射た評価だった。こんなの苦笑いするしかない。

 アナスタシアは聖騎士見習い女の子達の反応を見て、やれやれと溜息をついていた。そして、勝負に負けた妹のエカテリナへ視線を向けると――、


「少しは身の程を弁えたかしら、エカテリナ?」


 と、呼びかけた。


「っ……」


 地面に膝を突いたまま俯いていたエカテリナだったが、びくりと身体を震わせる。


「敗北した以上は、勝者に服従するのが決闘の常。自分が何を賭けて戦ったのか、きちんと理解していて?」


 アナスタシアは冷然と問いかける。


「お姉様の……純潔、ですの」


 いや、この流れでアナスタシアから純潔を捧げられても困るんだけど。


「わ、私の純潔は、貴方の一存でどうこうできるものではないわよ! 私が言っているのは、貴方が巻き込んだ生徒達のこと! 彼女達の処遇について、貞操について、貴方個人に責任が取れるのかしら?」


 顔を真っ赤にして叫んだアナスタシアだったが、舵を取って話の方向性を正した。すると、いつの間にかメリッサがイリスと一緒に近づいてきていて――、


「んー、あの子達なら喜んで純潔を捧げたそうに見えますけど」


 ギャラリーの女の子達を見やりながら、会話に加わった。


「ど、どうしましょう? どうしましょう?」「十二歳ならもう成人だし、結婚はできるのよね?」「と、嫁ぐ準備ってどうすればいいの? 嫁入り道具とか」


 などと、聖騎士パルテノス見習いの女の子達はすっかり浮き足立っている。彼女達がいる場所だけ完全にお花畑だった。


「…………いや、しないからね。子供と結婚は」


 否定しておく。なんだかどっと疲れてきた。


「……わ、私は、タイヨウさんに迷惑をかけたことを怒っているのよ! 誠心誠意、今すぐにタイヨウさんに謝罪して許しを請いなさい。ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでしたと。ほら、タイヨウさんの顔をちゃんと見て」


 エカテリナを問い詰める材料がなくなり、アナスタシアは強引に論法を変える。


「っ……。あっ、っ、う、くうっ~~」


 エカテリナはぎぎぎと歯を食いしばり、悔しそうに俺を見上げた。謝罪の言葉を口にしようと考えてはいるようだが、言葉が出てこないらしい。


「まあ、気にしていないからいいよ」


 謝ろうと葛藤している姿で十分だ。これだけ悔しがっているんだし、決闘にも負けて、十分に罰になっていると思ったから。が――、


「よくないわよ! 示しがつかないもの。百歩譲っても謝罪させて、その証しにこんな真似をしでかした理由を洗いざらい吐かせて、以降は二度とタイヨウさんに逆らわないくらいのことはさせないと足りないわ!」


 アナスタシアは納得できないらしい。でもまあ、確かに理由くらいは知っておきたいかもな。単純に俺のことが大嫌いと言われたらどうしようもないけど……。

 ただ、この様子だと素直に教えてくれるとも思えない。と思ったんだけど、メリッサがひょいと右手を上げて言った。


「あっ、リナちゃんがこんなことをしでかした理由については、私知っていますよ」

「……聞かせてくれるかしら」


 アナスタシアが促す。


「えっとですね。リナちゃんはアナスタシアさんのことが大好きなんですよ。だから、愛しのお姉様が野蛮な男性に奪われてしまうことが許せないんです。つまり、すべては愛しのアナスタシアさんのため。ああ、なんて美しい姉妹愛。いえ、同性愛なんでしょう」


 メリッサは「ららら」と舞台で演劇でも披露するような芝居がかった口調で、エカテリナがこんな真似をしでかした理由を語る。


「同性、愛?」


 俺、イリス、アナスタシアの三人が、首を傾げてその言葉の意味を咀嚼する。それはすなわち、レズビアン的な意味で、実の姉であるアナスタシアのことを愛しているってことだよな?


「へえ、そうなんだ」


 ルゥはニヤニヤとエカテリナを見やる。


「ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっ! メ、メリッサさん! 貴方、何を勝手にバラしてくれやがりますの!?」


 エカテリナは顔を真っ赤にしていて、激しく動転していた。


(あ、この反応はガチなやつだ……)


 この場の誰もがそう思ったと思う。そして、ぱちくりと目を瞬いているアナスタシアの反応を見る限り、エカテリナの想いには気づいていなかったようだ。結果――、


「ち、ちちちち、違う! い、いえ、違いませんけど! ち、違いますけど! 違い、違い……、違い……、違いませんのよおおおおお!」


 エカテリナは錯乱しながら姉への思いが恋愛感情であることを認め、全力ダッシュでその場から逃げ出してしまう。


「逃げたか……」


 まあ、実の家族に恋愛感情を抱いていることが知られてしまったのだ。無理もない。そう考えて、ちらりとアナスタシアの顔色を窺うと、目を点にして硬直している。

 うーん、こちらも無理のない反応というか。これ、いったいどうなってしまうんだろうか? わだかまりがあるというわけではないんだろうけど、一波乱どころでないさらなる波乱が起きそうな、起きなさそうな……。

 そんな予感を抱いた。

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