第二巻 誘惑の乙女

第21話

   第一章 神騎士であることがバレました




 俺は柊太陽。日本に暮らす十六歳の高校二年生。

 だった。つい少し前までは。

 変化があったのはほんの数日前のこと。

 夜、バイト帰りに繁華街を歩いていたと思ったら、ギリシア神話風の異世界に訳もわからず召喚されたのだ。

 たどり着いた先はアルカディアという名の浮遊都市で、そこは清らかな乙女しか装備できないはずの神話聖装アポカリプシスで武装した聖騎士団の本拠地で……。どういうわけか男の俺が、神話聖装と契約する事態に陥ってしまったのだ。

 まさか男が現れるなんて思ってもいなかったものから、聖騎士団の総団長であるアナスタシアや、副総団長のイリスを始め、団に所属する女の子達は大パニックになった。

 いったいどうして男が神話聖装と契約することができたのか、と その答えを知る少女こそ俺と契約した神話聖装に宿る管理人格、ルゥ・ダプネーである。ルゥはアナスタシアやイリスに隠れて俺の前に姿を現すと、色々と教えてくれた。

 結果、驚くことにルゥが管理している神話聖装の剣こそが数多く存在する神話聖装の中でも唯一最高、最強にして伝説と謳われている神剣ケラウノスなのだと知る。

 ケラウノスは超特別な存在であり、他の神話聖装と契約した乙女達が聖騎士パルテノスと呼ばれるのに対し、ケラウノスと契約した者はただ一人、神騎士ゼウスの称号を与えられるのだという。

 人類を脅かす魔物キメラと戦う聖騎士団にとって、ケラウノスとその契約者である神騎士は喉から手が出るほどに探し求めていた救世主である。

 かくして、俺は伝説の神騎士として世界を救うため、聖騎士団に所属して人類の敵である魔物との戦いに身を投じることになったのだ。


 と、そうなっていれば、まさしく王道ファンタジーだったわけだけど……。

 話はそう単純ではなかった。ルゥは約五千年前に起きた神が人類を救済した聖魔大戦デウス・エクス・マキナで先代の神騎士と一緒に魔物達の親玉を見事に封印した後、神剣としての役目を終えて用済みとなり封印されたことを不満に思い、再び世界を救うことを嫌ったのだ。

 で、ルゥが拗ねるのも無理はないと思った俺は、自分が契約した神話聖装がケラウノスであることをアナスタシア達に伏せることにしたわけだ。

 結果として俺は神騎士として振る舞うことはせず、男なのに神話聖装と契約した得体の知れない胡散臭い存在として浮遊都市アルカディアでの暮らしを始めた。

 アナスタシアやイリスを始め聖騎士団のみんなはとても親身に俺のことを歓迎してくれから、本当のことを黙っているのはかなり後ろ暗かったけど……。

 でも、俺がケラウノスと契約した神騎士であるという事実は、存外早くみんなに露見することになる。この世界に来てからわずか数日の間に色々とあったわけだけど、俺の初任務で訪れた廃都で魔物達との大規模戦闘が突発的に発生してしまい、その窮地を乗り切るためにケラウノスの力を解放することにしたのだ。

 能力を解放するにあたっては、天啓の誓詞エウァンゲリオンと呼ばれる詠唱を口にしてケラウノスの名前を出してしまったから、しっかりとその名を聞かれてしまったことだろう。

 現に、ケラウノスの名を口にした直後はみんな度肝を抜かれていたし――、


「神騎士様、貴方こそ我らの救世主。女神エロース様より授かった古き神託に基づき、今この瞬間より、我ら聖騎士団は身も心もタイヨウ様に捧げることを誓います。お望みとあらば私達のことも好きになさってくださって構いません」


 戦闘が終了した直後には、アナスタシアが俺のことを神騎士と呼んで、とんでもない爆弾発言を口走ってくれた。


「全隊、神騎士様に忠誠を示しなさい!」


 アナスタシアがそう命じると、つい先ほどまで魔物達と激闘を繰り広げた廃都の広場で密集陣形を構築していたみんなが一斉に膝をついて俺にひれ伏し始める。で、すぐに熱を帯びた顔で、目をキラキラと輝かせて――、


「じいいいいい……」


 と、声でも出しているかのように、俺の顔を揃って見上げてきた。探索任務で廃都へ一緒にやってきた団員の数は総勢五百人。

 俺は千ものつぶらな瞳を向けられて、引きつった笑みを浮かべていた。しかし、時間が経てば経つほど、みんなからの視線の圧が強くなっていくのは自明だ。

 実際、アナスタシアなんかはニコニコと迫力のある笑みを貼り付けていて、視線で俺にこう問いかけている。


 ――さあ、早く説明してください。タイヨウさんが神騎士であることを隠していた理由を、早く。さあ早く、と。


 この状況で説明を免れることはできないことはわかっているんだけど、いったい何から説明しろというのか。説明事項が多すぎて困るし、隠し事がバレてなんとも気まずい。

 ルゥは面倒くさがったのか、面白がっているのか、単純に人見知りなのか、戦闘が終わるとすぐにケラウノスの姿を消して、この場の後始末を俺に丸投げしている。


「えーっとさ、俺、実は神騎士らしいんだ」


 俺は端的に結論だけを告げた。


「知ってます!」


 アナスタシア達は声を揃えて叫ぶ。


「あ、そ、そうだよね? じゃあ、説明は以上です!」


 俺はみんなの勢いに押され、強引に説明を打ち切った。途端、アナスタシア達は拍子抜けしたように、ガクリと体勢を崩す。これまた見事に動きが揃っている。


「そ、そんな説明で納得できるわけないでしょう!? 私達が、世界中の人類が探し求めていた神騎士様が! 現人神が! タイヨウさんなのよ! 正体を黙っていた理由とか、ケラウノスのこととか、洗いざらい説明してもらわないと!」


 アナスタシアはいち早く体勢を整えて立ち上がり、勢いよく俺に詰め寄ってきた。しかし、その足取りはおぼつかない。

 というのも、この場にいるみんなはほんの少し前まで能力を完全開放したケラウノスの魅了スキルを浴びせられていたわけで……。ほんの少し前まで身体が熱くメロメロになっていたばかりなのだ。だからか――、


「きゃっ!」


 アナスタシアはカクンとバランスを崩して、勢いよく転びそうになった。


「っと、危ない!」


 俺は咄嗟に前へ踏み出し、アナスタシアの身体を抱き止める。むにゅりと、彼女の大きくて形の良い胸が俺の身体に押し当てられて歪む。


(や、柔らけえ!)


 このシチュエーション。俺がこの世界に召喚された直後を思い出す。あの時は前代未聞の男子登場に警戒されていたっけか。二人揃って慌ててしまい、変に畏まった会話を繰り広げたことを記憶している。だけど――、


「…………」


 今はあの時と違う。アナスタシアはびくりと身体を震わせたが、そのまま身動きもせずに俺と密着し、至近距離から熱っぽい眼差しで恥じらうように見上げてきた。俺は彼女の背中をグッと引き寄せ、このまま抱きしめたくなる衝動に駆られる。が――、


(っ、駄目だろ。アナスタシアは俺の愛の力エロスを注ぎ込まれて、魅了スキルの効き目がまだ残っているはずなんだから)


 ごくりと息を呑んで、鋼の理性で思い留まった。だが、アナスタシアを押しのけることもできず、無言のままお互いの顔をじっと見つめ合うことになる。すると――、


「ずるい!」


 周りにいる女の子達が、一斉に声を揃えて叫んだ。俺とアナスタシアはびくりと身体を震わせて、みんながいる方を見る。


「また総団長ばっかりおいしいところを!」「普段は私達をタイヨウ様に近づけないようにしておいて!」「見せつけるようにくっついて!」「タイヨウ様を独り占めするおつもりなんじゃないですか?」「権限の濫用だと思います!」


 などと、女の子達は姦しく物申し始めた。魅了スキルの影響でまだ足腰が震えているようだが、ふらつきながらも続々と立ち上がっていく。


「な、何を言っているのよ」


 アナスタシアは上ずった声を出して、彼女達から視線を逸らした。


「むうう……」


 聖騎士の女の子達は可愛らしく唇を尖らせ、不満を訴えている。今にもこちらに押し寄せてきそうな気迫を感じ、俺達はわずかに身じろぎした。


「イ、イリス、貴方からも何か言って頂戴よ。って、なんで貴方までそんな眼をしているのよ!?」


 アナスタシアは幼馴染みであり、妹分であるイリスに助け船を求める。だが、どういうわけかイリスも他の女の子達と同じように唇を尖らせていた。


「……シアちゃん、わざと転んだ?」


 イリスはジト目で問いかける。


「そんなことあるわけないじゃない! 貴方だってまだ疲弊しているはずでしょ!?」


 アナスタシアは泡を食って答えた。


(……よし。とりあえず神騎士のことはうやむやになったな)


 俺が神騎士であることを黙っていたせいで怒らせたかなと思ったんだけど、この様子なら大丈夫だろう。有無を言わせず取り調べを受けるようなことはなさそうだ。たぶん。


(どうせ後で問い詰められるのがオチだと思うけどね)


 やれやれといわんばかりに、ルゥの嘆声が脳裏に響いた。


(その時はルゥも覚悟を決めて人の姿にならないと駄目だからな)

(えー、面倒くさい……)

(まあ別にいいけどさ。俺が神騎士だってわかった以上、ルゥの存在だって絶対に訊かれるぞ。その時に出てこなかったら伝説の神剣は恥ずかしがり屋の人見知りだってみんなに説明しないといけなくなるぜ?)

(はあ? 私は恥ずかしがり屋でも、人見知りでもないし。余裕よ! こんな連中の前に姿を現すことくらい!)


 意外と効果的な攻め口だったようだ。ルゥは少しムキになって応じてきた。


(じゃあ、出てきてくれよな)

(ぐっ……。そんなことより、いつまでその女とひっついているのよ? 鼻の下も伸ばしちゃって。他の女達もそろそろ実力行使に出てきそうだけど)


 俺が勝ち誇ったように頼むと、ルゥは話を逸らして誤魔化そうとした。とはいえ、そこは俺にとっても痛いところなわけで……。

 ルゥと会話をすることで耳を傾けないようにしていたが、アナスタシアと他のみんなは現在進行形で口論し合っている。すると――、


「タイヨウさんも黙っていないで、この子達に何か言ってあげてくださいな!」


 アナスタシアが俺に助力を求めてきた。


「え? いや……」


 まずい。途中から話を聞いていなかったなんて言えない。だが、アナスタシアも他のみんなも俺の言葉を待っているのか、急に黙って一斉に見つめてきた。やっぱりこれだけの人数の女の子に見つめられると、少し緊張する。

 いったいどうすればいいものか。俺が視線を泳がせて悩んでいると――、


「お姉様ぁぁぁぁぁぁ!」


 という叫び声が、遠くから響いてきた。


「ん?」


 俺は声が聞こえてきた方向、斜め頭上を見やる。そこには先端が松ぼっくりみたいな杖を手にしながら、高速で飛翔してくる女の子がいて――、


「エカテリナ・ブリアレオス。聖騎士見習いの若輩者ではございますが、聖位の神話聖装と契約する者として、総団長であらせられるお姉様を助けに馳せ参じ……ました」


 女の子は俺達がいる広場に着地すると誇らしげに登場の口上を述べて、しかる後、俺に密着するアナスタシアの姿を目にして硬直した。

 ちなみに、女の子はこの場にいる聖騎士の女の子達よりも若く、というより子供っぽくて、日本ならばまだ小学校高学年か、せいぜい中学一年生くらいの年齢に見える。そして外見で何よりも俺の目を引いたのは、彼女の髪型だった。


「うわあ、縦巻きロール……。初めて見た」


 ラノベとかで時折見かけるクロワッサンヘアってやつだ。現実で見たことがなくて、思わずまじまじと見つめてしまう。しかし、他にも気になることはあった。


「なあ、ブリアレオスって……」


 俺は同じくブリアレオスの家名を持つアナスタシアに語りかける。


「……私の妹です。浮遊都市にある聖騎士の育成機関、アカデミーに通っています」


 と、アナスタシアは説明し、疲れを吐き出すように嘆息した。一方――、


「お、おおおおおお、お、お姉様! その、その、その、痴漢は、何者ですの!?」


 エカテリナは俺を指さし、あわあわとアナスタシアに問いかける。


「……俺のことを知らないのか?」

「ええ。余計な混乱を与えたくなかったので。お城の外で暮らす人間にはまだタイヨウさんのことを知らせてはいないわ」

「お、お姉様、お姉様……、私のお姉様が、この世で最も高貴な、私のお姉様が、お、男などに、抱き寄せられて、豊満なお胸を、私のお胸を……」


 エカテリナはひどく混乱しているようだ。


「なあ、あの子、大丈夫なのか?」


 なんかとんでもないシスコンに見えるんだけど、アナスタシアの胸はいつからこの子のものになったのだろうか。もちろん俺のものでもないけど……。

 って、やばい。またアナスタシアの胸の感触を意識し始めてしまった。


「……エカテリナ、どうして貴方がここへ来たのかしら?」


 アナスタシアは俺に密着したまま、悩ましそうに妹に尋ねた。


「ふ、ふふ、ふふふふ、許しませんわ。許すまじ、許すまじですわ! この下郎!」


 エカテリナは不気味な笑みを刻むと杖を放り捨てて、両手で掴みかかろうと俺めがけていきなり突進してきた。


「うおっ!?」


 身の危険を感じた途端、ルゥが剣の姿になって俺の手に収まる。瞬間、俺の精神状態は戦闘に最適化されるよう冷静に研ぎ澄まされた。

 ただ、俺が防衛行動に移るまでもなく、アナスタシアが断魔の天剣ヘカトンケイルを何本も実体化させて地面に突き刺し、防壁を築き上げる。

 と、同時にルゥもすぐに剣の状態を解除してしまった。だが、わずかな時間でも実剣化している間に、魅了スキルはしっかりと発動してしまったようだ。


「ふぁっ、あん! こ、これはどういうことかしら、エカテリナ?」


 アナスタシアはびくんと身体を震わせ、艶めかしい声を漏らしてしまう。だが、それでもギュッと俺の服を握りしめ、平静を装って問いかける。


「お、お姉様。い、今のお声は?」


 エカテリナはヘカトンケイルによって築かれた防壁の前で立ち止まると、紅くなったアナスタシアの顔を見て困惑した。


「な、何でもないわ。私の質問に答えなさい」


 アナスタシアは毅然と命令して誤魔化す。


「わ、私はお姉様からその痴漢を引き剥がそうと! 高貴なるお姉様に破廉恥な真似を働くなど、万死に値しますもの! お姉様こそ、どうしてそのような下郎を!?」

「……彼はタイヨウ・ヒイラギ。裁光の神剣ケラウノスによって召喚された伝説の神騎士よ。今は特務騎士として聖騎士団に籍を置いてもらっているの」


 アナスタシアは呼吸を落ち着けながら、俺の素性を語る。


「ゼ、神騎士? 何の世迷い言を……。その者は男ではありませんか!」


 エカテリナはぱちくりと目を瞬いて困惑した。うん、まあそういう反応が当然なんだろうな。神話聖装と契約できる男などこの世界には存在しないはずなんだから。


「けど、正真正銘、彼は神騎士なのよ。現に召喚の儀によって神話聖装に呼び出された場面に私を含む大勢の者達が居合わせたし、先の戦闘でも伝説に勝るとも劣らない輝きを放つ光の剣で魔物達を一掃したのだから」


「そんな……」


 この世の終わりだとでも言わんばかりに、エカテリナは顔面蒼白になった。


「えーっと、初めまして、エカテリナちゃん。ご紹介に与りましたタイヨウです。お姉さんにはお世話になっています」

 警戒させるのは本意ではないので、できるだけ愛想良く挨拶してみる。


「……貴方に馴れ馴れしく名前で呼ぶことを許した覚えはありませんの」


 エカテリナはつんとそっぽを向いてしまった。うん、嫌われているなあ。


(……ちょっとこいつ生意気じゃない?)


 ルゥのムッとした声が響く。ルゥもだいぶ生意気な性格をしていると思うけど、突っ込んだら怒られるので黙っておく。


「エカテリナ。見習いとはいえ貴方も聖騎士を志すものならば、我々にとって神騎士様がどのような存在なのかを理解しているはずよね?」


 アナスタシアは少し冷たい声で問いかけた。


「ぐっ、心得ては、おりますけども……」


 ぐぬぬと、エカテリナは悔しそうに歯噛みする。どうやら姉の言葉とはいえ、俺が神騎士だとはそう簡単に認められないらしい。すると――、


「そ、そうですわ! 証拠! 証拠を! このパッとしない男があの伝説の神騎士様だという客観的かつ明白な証拠がありますの!? そうでないと私は信じられませんわ!」


 エカテリナはハッと反論の糸口を見いだして俺を指さした。


「証拠といえば、タイヨウさんが契約したケラウノスがまさしく証拠になるのだけど」


 アナスタシアはちらりと俺の顔を見上げる。


(よし! ほら、出番だぞ、ルゥ)


 俺はここぞとばかりにルゥに呼びかけた。


(しょうがないわね)


 ルゥは面倒くさそうに応じながらも、スッと俺の傍に姿を現す。そして、「ふん」と勝ち誇ったような笑みを浮かべると――、


「ほら、出てきてあげたわよ」


 と、得意げに言った。アナスタシアやイリスを初めとする聖騎士の女の子達がざわりとどよめく中――、


「……誰ですの、このちんちくりんは?」


 エカテリナはルゥを見て、訝しげに眉根を寄せのだった。

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