第15話

 深夜。その日の訓練を終えて、夕食をとって、みんなが寝静まった後のことだ。俺は月明かりを頼りに、闘技場で一人、素振りの練習をしていた。

 城内には夜勤の聖騎士パルテノスが見張りの任に就いているが、特に重要な施設のない闘技場を警備する子はいない。こっそり自主練をするにはうってつけである。ルゥはたぶん俺の中で眠っているので、俺は無位の剣を手にして黙々と素振りに集中していた。


「ふっ……、ふっ……、ふっ……」


 ノルマは千回。ゴールは目前。手にした無位の剣は位持ちの神話聖装アポカリプシスの劣化版ともいえる代物だが、肉体や身体能力を強化する汎用能力スキルはきちんと秘められている。

 まあ、その効果はやはり光位以上の位持ちの神話聖装アポカリプシスには及ばないんだけど、それでも身体はだいぶ軽くなるから、たくさん訓練をするにあたっては大いに助かる。

 しかし、千回近くも素振りをすると、流石に身体は火照り、吐息も荒くなっていた。とはいえ、それでもいい加減な素振りをするわけにはいかない。俺は一定のリズムで剣を振り続け、正しい姿勢になっているかを強く意識する。


(イリスもアナスタシアも素振りが様になっているって言ってくれた。早速、自主練の効果が出ているみたいだな)


 そう、俺はアナスタシアと手合わせをした昨日の晩も、一人でこっそりと自主練を行っっていた。

 確かに剣になったルゥを握ればとんでもなく強くなることはできるが、素の俺が弱いことはアナスタシアとの模擬戦で敗北したことからも証明済みだ。男としてそれはちょっぴり情けないし、いつだってルゥに頼れるわけではない。

 要するに、自分一人でも戦える強さが欲しいのだ、俺は。

 ただ、闇雲に剣を振っても意味はない。そこで、俺はルゥを握っていた時の感覚を思い出して、できるだけその時の動きをトレースするように心がけていた。今日はイリスにマンツーマンで素振りの仕方を教えてもらったし、効率はさらに上がるはずだ。

 九九四、九九五。俺は淡々と素振りの数をカウントしていく。明日はいよいよ聖騎士パルテノスになった俺の初任務だし、気合いも入るというものだ。九九七、九九八、九九九……。


「一〇〇〇っ! ふぅー!」


 俺はきっちり千回の素振りをこなすと、最後に大きく深呼吸をした。


「いい汗かいたな。……部屋に戻って風呂に入って寝るか」


 明日は浮遊都市アルカディアの外へ出て任務だしな。ハードワークは禁物だ。すると――、


「……ねえ、タイヨウ」


 誰もいないはずの後方数メートルの位置から、女の子の声が聞こえる。


「うぉっ!? って、ルゥか」


 俺はびくりと身体を震わせたが、すぐに声の主がルゥであることに気づいた。


「驚かせてごめんなさい」


 ルゥは歩いて俺に近づいてくる。


「い、いや、別にいいけど、いたのか」


 俺は月明かりに照らされたルゥの顔をじっと見つめた。普段は心の中で語りかけてくるだけで、俺がこの世界に迷い込んだあの日、寝室でたたき起こされて衝撃的な出会いを果たしたあの時以降は、一度も姿を現さなかったのに……。どういう風の吹き回しだ?


「な、なにじっと見てるのよ」


 と、ルゥは上ずった声で言う。


「いや、どうして人の姿になってるのかなと」

「別に……。少し、太陽の顔を見て話をしてみたかったから」


 ルゥはそっぽを向き、ツンとした声でそんなことを言う。ああ、やっぱりものすごく可愛いな。俺はルゥの横顔に思わずドキッとしてしまった。


「お、おう。そうか。だんまりだったから、てっきり眠りについているものかと」


 胸の高鳴りを悟られぬよう、素っ気なく語る。


「起きているわよ。昨日の夜に一人で自主練していたこともお見通しね」


 ルゥはふふんと笑った。


「マ、マジか。起きているなら声をかけてくれりゃいいのに」


 俺、変な独り言とか言っていなかったよな?


「タイヨウが本性を出して聖騎士パルテノスの女の子に夜這いをかけるんじゃないかと思って、密かに観察していたのよ。でも、昨日も今日も夜な夜な自主練習。流石に飽きちゃったから、話し相手になってもらおうと思ったの」


 いやいや、夜這いなんてしたら、聖騎士団を追い出されるだろうが。


「そっか。でも、何の話をするんだ? 今日はなんだかずいぶんと口数が少なかったじゃないか。俺が語りかけても気のない返事ばかりで」


 俺はちらりとルゥの顔色を窺う。確か訓練の最中からだったか? 昨日、アナスタシアと手合わせをした時はあんなにご機嫌だったのに。


「……なんかタイヨウ、ずいぶんと頑張っているみたいだから、どういう心境なのかなと思って」


 と、ルゥは話を切り出してくる。


「どういう心境って……、いや、別に普通だけど?」


 俺はいまいちルゥの意図が読めず、首を傾げた。


「でも、浮遊都市アルカディアでの生活は楽しいんでしょ?」

「ああ、まあな」


 正直なところ、日本に暮らしていた頃よりも強い充実感があると思う。


「それはやっぱり、可愛い女の子達に囲まれて、ちやほやされているから?」

「……男の欲望も関わるところを、またずいぶんとストレートに訊いてくるな」

「べ、別にいいでしょ。どうなのよ?」


 どうやらルゥは俺が返事を濁すことをよしとしないようだ。ただ、ルゥになら訊かれても特に嫌な気はしなかった。

 実際、今の俺は人口三万人の未婚の女性しかいない都市で男がただ一人という状況に置かれている。しかも、どの子もあり得ないくらいに可愛い。男ならウハウハして然るべき状況でもあると思う。ルゥが気になったのも当然だろう。でも、でもなあ……。


「んー、別にちやほやされているからってのはあまり関係ないかな。チヤホヤしてくれていることに関しては、魅了スキルの影響も大きいんだろうし」


 俺はじっくりと考えて、苦笑交じりに語った。別に格好つけようと取り繕ったわけではなく、本心からの発言である。


「じゃあ、どうして今の生活が楽しいの? どうして今の状況で頑張ろうと思えるの?」

 と、ルゥは純粋な子供のように尋ねてくる。

「……俺、ガキの頃に両親を亡くして、叔母の家で面倒な存在として扱われてきたんだ」


 俺は気がつけば、自らの過去の境遇を語っていた。この話をすることで、ルゥに対して答えを示せると思ったから。


「そう、なんだ……」


 ルゥは訊いちゃいけないことを訊いたと思ったのか、気まずそうに視線を逸らして俯いた。俺はルゥが気にしないでいいよう、話を続ける。


「叔母には感謝しているんだ。自分達の家に他人が転がり込んできたら、普通は少なからず面倒くさそうな顔をするもんだと思うから。それでも面倒を見てくれるって、すごいことだだろ? でも、だからかな。俺は人の顔色に敏感な方だと思う。自分と他人できっちりと分けて、他人の領域には踏み込まないように生きてきたというか……」


 ここら辺は上手く言葉で語れないな。けど――。


「だから、嬉しかったんだ。浮遊都市アルカディアのみんなが俺のことを盛大に歓迎してくれたことがさ。女性しか暮らすことができないこの大都市で、男の俺なんて完全に異物なのに、俺が空気を読んで遠慮した方がいいかなと思う場面でも、みんなの方からぐいぐい近づいてきてくれる。それって、俺にとってはなんというか、すっごく衝撃的なことだったんだ」


 語っていてすっごく小っ恥ずかしいけど、なぜだか俺はそれでも口を動かし続けた。


「そしたらさ、俺にはもう、不思議とここに暮らしているみんなが他人には思えなくなっていた。だから、なんというか、家族、というか……」


 まだここに来て二日しか経っていないし、名前だって碌に知らない子もいるし、家族って言っていいのかはわからないけど……、それに似た存在だと思っている。すごく小っ恥ずかしいけどな。


「……家族。そっか。タイヨウは家族と呼べる相手に、それくらい大切に思える存在に飢えていたんだね。だから、ここの女の子達みんなに感謝している。それなんじゃない、タイヨウが頑張る理由って。他人のためなら頑張れないけど、家族のためなら頑張れる。そういうこと、でしょ?」


 ルゥはぼそりと俺の心情を補足してくれた。


「……ああ、そう、なのかもしれないな」


 いや、違う。照れくさくて誤魔化したけど、そうなんだ。きっと――。


「じゃあ、やっぱり聖騎士パルテノスの女の子達の存在なんじゃない。タイヨウが頑張る理由って」


 ルゥは少し寂しそうに笑う。


「……違う」


 俺はぼそっと否定した。


「あー、はいはい、照れなくていいから」

「いや、今からもっと照れることを言うし……」

「へえ……、何?」


 ルゥは微かに目をみはる。


「ルゥだっているからだろ」


 と、俺は小さく深呼吸をして言った。


「……はい?」


 ルゥはきょとんとした顔になる。


「俺が頑張る理由だよ。ルゥのことだって、俺は他人だと思っていないからな」


 たぶん、浮遊都市アルカディアのみんなの影響だと思う。俺はルゥという女の子のことをもっと知りたいんだ。だから、踏み込んでみた。

 だって、ルゥは絶対に悪い子じゃないと思うから。

 世界を救う気はないなんて言っているけど、なら、どうして俺の前に現れたんだ? どうして俺に力を貸してくれているんだ?

 素直じゃないだけで、すごく優しい子だからだろ。ルゥがいなかったら、俺、初日にスパルトイが襲ってきた時に橋の上で死んでいたんだぜ?


「……………………」


 ルゥは途端に頬を紅潮させて俯いてしまう。長い無言が下りた。って、あれ? なんかこれ、告白しているみたいじゃないか?


「…………」


 やばい。俺まで顔が赤くなった気がする。心臓がドキドキしてきた。で、でも、後悔なんかしていない。


「……は、はあ? なに面と向かって恥ずかしいことを言っちゃっているのよ!」


 ルゥはしばしの間を置くと、上ずった声で、小っ恥ずかしそうに叫んだ。


「い、いやいや、ルゥから振ってきた話題だろうが。今言わないでいつ言うんだよ」

「そ、そうかもだけど、少しくらい理不尽に思わないの? こんなひねくれた私といて、楽しいの? この世界の都合で一方的に呼び出されて、不満に思ったりはしないの?」

「はあ? そんなの、思うわけないだろ。そんなこと考えていたのか?」


 俺がまっすぐ見つめると、ルゥは一度だけ視線を逸らしてから――。


「べ、別に。少し申し訳なく思っているだけよ。私はケラウノスのことをタイヨウに黙ってもらっているから、アナスタシアやイリスに嘘をつくみたいなことになっちゃっているし。タイヨウ、あの子達のことを大切に思い始めているみたいだし、このままだと板挟みになりそうだなって……」


 と、ルゥは俺の顔色を窺う。その考察は実に鋭い。でも――、


「それは……、ルゥのことも、アナスタシアやイリスのことも、どっちも大切だから、板挟みなんて望むところだ。任せろ」


 どんと、胸を張って答えた。


「……どエム?」


 ルゥは変態を見るような目で見つめてくる。失礼な奴だ。


「違うわ!」


 全力で否定する。すると――、


「……ふ、ふふ、ふふふ。ねえ、タイヨウ。あんたって馬鹿ね」


 ルゥは何がおかしいのか、くすくすとおかしそうに笑い出した。

本当、失礼な奴だなあ……。でも、嫌な気はしなかった。


「そう、かもな」


 くすりと笑った。否定はできないから。

 実際、馬鹿なくらいがちょうどいいと思って、俺は生きている。頭よくスマートにっていうのは、たぶん無理だ。実際、ルゥに言ったら絶対に無理って言われるだろう。


「でも、すごくまっすぐで、良い奴よ。すごく嫌な奴な私が言うんだから、間違いない」


 どういう風の吹き回しだ?


「……ありがとう。でも、ルゥは嫌な奴じゃないよ。なんだかんだ俺のことを助けてくれているじゃないか。だから、ありがとう、ルゥ」


 照れくさいけど、この言葉はきちんと伝えておきたかった。

 ルゥは小さく目をみはると――、

「……そう? じゃあ、あんたの発言を真に受けて、いいと思うことをするわ。今はちょっと気分も良いことだしね。明日、魔物キメラが出て危なくなったら力を貸してあげる」


 と、上機嫌にうそぶく。


「え……?」


 俺は聞き間違えと思って、首を傾げた。


「任務、頑張りなさいよ。そういうこと」


 二回目は同じ台詞を言ってくれない。でも、ルゥは月明かりの下で振り返ると、惚れ惚れするほど可愛らしい笑みを刻んでくれた。




   間章 黒い影




 一方、太陽が闘技場でルゥと二人きりで話している頃。翌日、太陽達が調査に訪れることになっている廃都でのことだ。

 かつては豪邸だったとある廃家屋で、女性型の黒い人影が一人で潜んでいた。その人影の正体は三日前、浮遊都市の橋の上でイリスと太陽を襲った槍使いである。


(くそっ、思い出すだけでも忌々しい……)


 女性型の黒い人影は思う。考えているのは、男でありながら神話聖装アポカリプシスを操り、自分のことを撤退に追い込んだ太陽のことだ。


(……あの時の身体の疼き。アレはかつて神騎士ゼウスだったあの女と対峙した時に感じた疼きに酷似している。だが、あの男が握っていた剣は私が知っているケラウノスとは違った。刀身を確認することすら憚られるあの輝きがなかった。いったいどういうことだ?)


 人型の黒い影は太陽と対峙した時に見た剣の刀身を思い出して思案する。太陽が握っていたあの剣は忌々しき神剣ケラウノスなのか、それとも別の神話聖装アポカリプシスなのか。どうして男が本来、女にしか扱えない神話聖装アポカリプシスを使用していたというのか、と。


(突き止めなければならない。あの男が何者なのか……)


 人型の黒い影はそう考え、ギリッと拳を握りしめると――、


(明日、いよいよ明日だ。連中はここへ向かってくる。戦力は集結させた。もしあの男が握っていた剣が神剣ケラウノスであるのならば……、いや、そうでなくとも浮遊都市アルカディアに今いる聖騎士団もろともこの地で必ず殺す。近い将来、至高なる我が父テュポーンと母エキドナが復活するにあたって、障害となる要素は我々の手で排除する必要がある)


 決意を固め、暗闇の中で朝が訪れるのを待ちわびた。

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