第11話
「ああ、いただきます。……もとい、エロース」
俺は照れくさいとは思いながらも、この世界流の食事の挨拶を告げた。郷に入っては郷に従えというやつだ。そして、早速、盛り付けた料理に手を付ける。
「おお、美味い!」
美味いぞ。本当に美味い。俺は思わず美味いと叫んだ。
「お口に合うようで何よりだわ」
「たくさん食べてくださいね、タイヨウさん」
アナスタシアとイリスは微笑ましそうに口許をほころばせる。
「ああ、ありがとう!」
俺は元気よく頷き、食事を再開した。アナスタシアとイリスも食事を始める。
「いやあ、本当に美味いな」
俺はぱくぱくと飯を食う。先ほどから美味いしか言っていないが、食レポばりの感想なんて俺には無理なので、ご愛敬だ。すると――、
(ねえ、タイヨウ。そっちのシチューも早く食べてよ)
と、ルゥの声が俺の脳裏に響いた。
(ん? なんで?)
(霊魂化してタイヨウの中にいると、味覚を共有することができるの)
(つまり、俺が食べたものの味をそのまま味わうことができるってこと?)
(そうよ。ね、早く早く! 五千年ぶりの食事なんだから)
ルゥは待ちきれずに俺をそそのかす。
(……ああ、任せろ)
俺は二つ返事でルゥの指示に応じる。五千年ぶりの食事となれば、たかが一食抜いた程度の俺では比較になるはずもない。
そうして、ルゥのご要望通り、俺はシチューを口に含んだ。直後――、
(美味しい!)
という、ルゥの嬉しそうな声が響く。
(ああ、美味いな。でも、こうするともっと美味いんじゃないか?)
俺はパンをちぎると、スプーンに乗せてシチューに浸す。パン生地にシチューがじわりと染みこみ食べ頃になると、素早く口に入れた。うん、美味い!
(美味しい! タイヨウ、これ美味しいよ! ねえ、もっとこれ食べて、これ!)
姿は見えないけど、たぶん今のルゥはきらきらと目を輝かせているはずだ。
(任せろ)
俺も腹は減っているので、食べろというオーダーは望むところである。しばらくは夢中になって食事を続けた。
アナスタシアやイリスは目を丸くして俺の食べっぷりを眺めているが、食事に集中できるように気を遣ってくれているのか、喋りかけてくることはしない。
(そういや、なんで俺はこの世界の人間と言葉が通じるんだ。みんな日本語を喋っているわけではないよな?)
俺は口に物を含みながら、心の中でルゥに語りかけた。
(ニホンゴ、何それ? でも、世界が違うのに言葉が通じているのは、
(へえ、そんなのもあるのか。部屋の明かりも神術がどうとか言っていたけど、ずいぶんと便利なんだな。
(
(……生命エネルギーなら、どうして男は
男にだって生命エネルギーはあると思うんだけど。
(それは人類を創造した時にあの性悪女神から加護を与えられたのが、人類の女性だけだからよ。性悪女神が生み出した
(じゃあ、俺もエロースの加護を与えられているのか?)
(ええ。この世界の男は既にいなくなった男神タルタロスの加護を受けているけど、別の世界の男であるタイヨウはこの世界の枠から外れた存在だからね。タイヨウを別の世界から呼び出して契約する時に、あいつの加護が与えられたんでしょ)
と、ルゥは男の俺が
(……ってことは、女神エロースはまだ生きている、のか?)
俺は目をみはってルゥに訊く。
(ええ。でも、この地上には暮らしていないわ。あいつは天空界と呼ばれるところからは出られないから、地上界に現れることはできないの)
(ふーん……)
(あんな性悪女神のことはいいじゃない。せっかくのご飯が不味くなっちゃう)
ルゥは棘のある声で言った。
(なあ、ルゥってずいぶんとその女神のことを嫌っているよな?
(だって性悪なんだもん)
(いや、だもんって……)
まるで拗ねている子供みたいだけど、何があったのだろうか。ただ、あまり詳しく訊くと怒らせそうなので訊かない。
(そうか。ま、そういうことなら深くは訊かないよ)
(……そう)
と、ルゥは素っ気なく応じる。
俺は小さく溜息をつくと、焼きウインナーを口に含んだ。うん、美味いな。気がつけば皿の上もだいぶ綺麗になっている。すると、アナスタシアとイリスにじっと見つめられていることに気づいた。
「ん、どうかしたのか?」
俺は二人の顔を見つめ返す。というより、気がつけば食堂中の女の子達から視線を向けられていた。流石は殿方だとか、やっぱり殿方は違うとか、素敵な食べっぷりがどうのこうのとざわめいている。少しルゥとの会話と食事に夢中になりすぎていたようだ。
「いえ、貴方の食欲があまりにもすごいものだったから」
と、アナスタシアはぱちくりと目を瞬いて言った。
「色んな表情を浮かべていましたけど、何か考え事ですか?」
イリスはこてりと小首を傾げる。
「ああ、いや、俺の
俺は気まずさを笑って誤魔化し、二人に応じた。
「昨日も教えた通りだけど、契約者は感覚で自分の
と、アナスタシアは今日の予定を語る。
「あー、そっか。実は剣ならもう出すことはできるというか、できないというか」
俺は言葉を濁した。ピンチの時は力を貸してくれるという約束をしてもらったが、そうでない時はその限りでない。いったいどう説明すればいいものか……。
「あら、でしたらぜひ手合わせをして、貴方の腕前を確認したいところね」
アナスタシアは不敵な笑みを浮かべ、俺を見つめてきた。すると、ルゥの不満そうな言葉が響く。
(ちょっとタイヨウ、剣を出せるなんて、黙っておけばいいのよ)
(いや、剣にはなれるんだから、いつまでも教えないでおくってのも駄目だろ)
(むー)
たぶん、今のルゥは唇を尖らせているのだろう。と、そこで――、
「団長、でしたらぜひ、私にタイヨウ様のお相手を!」
「あっ、ずるいわよ! 私だって!」
「私も! 戦う時の鋭いタイヨウ様に見つめてもらいたいです!」
「私だって、昨日の身体の疼きを忘れられないんです!」
近くで聞き耳を立てていた女の子達が、俺の訓練相手として立候補する。
「ちょっと、貴方達……」
アナスタシアは、というより、俺達は急に騒ぎ出した女の子達に面食らう。
「タイヨウ様、こっちを見てくださーい!」
「ははは、どうも」
俺は苦笑いを浮かべて女の子達に手を振る。
「タイヨウ様、タイヨウ様。タイヨウ様のお相手、私じゃ駄目ですか?」
中には俺の席に押し寄せてくる積極的な子も現れて、ギュッと手を握りしめてくる。他の子達も俺のところへ駆け寄ってきて、瞬く間に歯止めはきかなくなってしまった。すると、アナスタシアがぷるぷると身体を震わせ始める。
(あ、これはまずい流れだ)
まだ短い付き合いだが、この後のアナスタシアがどうなるのか予想がついた。
「いい加減になさい、貴方達! 何度言えばわかるのですか!?」
と、アナスタシアは案の定、女の子達を一喝する。とはいえ――、
「で、でも、団長だって昨日は身体がキュンキュンってなりましたよね?」
今回は女の子達も引き下がりたくはないのか、アナスタシアに反論した。
「なっ……、な、何を言っているのですか!? はしたない!」
アナスタシアは顔を真っ赤にして、女の子達に抗議する。
「ま、まあまあ、アナスタシア。俺なんかでよければ、みんなと手合わせをしてみるからさ。そんなに怒らないでくれよ」
と、俺はアナスタシアをたしなめようとする。だが、逆効果だったようだ。
「何を的外れなことを、私は規律の話をしているのです。そもそもタイヨウさんが律儀に相手をするから、この子達が調子に乗るのです。確かに昨日の、昨日の……」
アナスタシアは俺のことを叱りながら昨日の出来事を思い出したのか、顔を赤くしてしまう。うん、すまない。強力な魅了スキルがあるなんて、俺も知らなかったんだ。
「ははは……」
「その……へらへら笑わないで、しゃきっとしてください!」
アナスタシアは気恥ずかしさを隠すように叫んだ。
「りょ、了解」
俺は引け気味に返事をする。
「では、訓練よ。貴方の最初の手合わせ相手は私が務めます」
と、アナスタシアは決然と言った。
「ええー!?」
女の子達は不服そうな顔をするが、アナスタシアにじろりと睨まれると、サッと視線を逸らしてしまう。かくして、俺はアナスタシアと模擬戦を行うことになってしまった。
◇ ◇ ◇
その日の午前中、俺は王城に隣接する闘技場を訪れ、広大なフィールドの中央でアナスタシアと対峙していた。観客席には数多くの聖騎士団員が押し寄せ、これから行われる俺とアナスタシアの手合わせが始まるのを心待ちにしている。
「……貴方、自分の
アナスタシアは鋭い眼差しで俺に問いかけてきた。そう、今の俺はケラウノスとして実剣化したルゥではなく、無位の
無位の武具は女神エロースが創造した光位以上の
「どうしてって、見ての通りさ。この剣で手合わせをするんだ」
俺は無位の剣を掲げて見せながら、アナスタシアに応じた。
「貴方、食堂で契約した
アナスタシアの声色は冷たい。
「俺の
例の魅了スキルが発動したら、また大騒ぎになりかねないぞと、言外に伝える。ギャラリーの女の子もこれだけいるし。
「もちろん。ですが、視線を合わせなければいいだけのこと。私が望むのは真の力を発揮した貴方との手合わせよ」
むっ……。アナスタシアって勝負になると、人が変わるのかもしれない。なんというか戦士としての凄みみたいなのが空気越しにひしひしと伝わってくる。
でも、いくら手合わせとはいえ、俺はルゥに戦ってもらうつもりはない。窮地になれば手を貸してくれるという話ではあるが、今がその窮地だとは思えないからだ。
「……なら、なおさら無位の剣を装備した俺と戦ってほしいな」
俺は肩をすくめて、アナスタシアの鋭い眼差しを受け止めた。
「なぜ?」
アナスタシアは怪訝そうに首を傾げる。
「昨日、執務室で話した時に教えたろ? 俺の固有
「ええ、覚えているわ。昨日、橋の上でのタイヨウさんの戦いを見て、実際にこの目で確認もしたもの。だからこそ、
と、アナスタシアは熱心にルゥを装備した俺との対戦を望んできた。
「でも、それは俺の真の力じゃない。剣の力だ。違うか?」
俺は積極的に戦う意思がないルゥを都合よく道具扱いしたくない。ルゥが戦いたくないという理由はよく理解できたから。人格のある女の子が、道具としての役目を終えて一時的に用済みになったからって、五千年も封印されていたんだ。そんなの拗ねて当たり前だろ。俺はルゥの意思を尊重したい。
それに、これは俺の戦いであって、ルゥの戦いではない。ここで安易にルゥに戦ってくれないかと頼めば、それはルゥを道具扱いすることと同義だ。そんなの男として最低に恥ずかしいじゃないか。ルゥの力で勝ってもズルしているみたいだしな。すると――、
(……タイヨウ)
何を思ったのか、心の中でルゥが俺の名を口にした。
「…………なるほど。何をふざけた真似をしているのかと思いましたが、そういうことならば共感はできます。貴方との戦いを望んでいるようで、私は貴方の
アナスタシアはたっぷり思案すると、嘆息して肩の力を抜く。
「いや、そんなことはないさ。そっちが即戦力を欲しているっていう事情もわかってはいるから。でも……」
なんというか、俺はつまるところ、ルゥが戦っても構わないと思わない限り
でも、いつまでも剣を実体化できないままでいるっていうのはたぶん不自然だ。アナスタシアの話だと普通はそう時間をかけずに契約した
で、どうするべきか。俺は考えた。
「契約者は感覚で自分の
「? ……ええ」
アナスタシアは不思議そうに頷く。
「固有
「何がですか?」
「あいにくと俺の
少しばかり中二病を拗らせすぎた説明だが、これなら嘘は言っていない。戦いたがっていなくて引きこもっていると説明するのは本人の名誉のために止めておいた。
(ちょ、タイヨウ、何を言っているのよ!?)
ルゥはギョッとしたのか、慌てて語りかけてきた。
(ピンチ以外で戦わないって言ったのはルゥだろ?)
(……そうだけど。これで戦いに負けたらどれだけ格好悪いか、理解している?)
(だよなあ。でも、それならそれで仕方がないさ。これは俺の戦いなんだから)
そう、ルゥの戦いではない。だから、ルゥが戦う必要はない。
(頑固すぎ。ばっかみたい……)
否定できないけど、ひどいな。ルゥのためなのに。
「…………不思議ね。本来なら侮辱と受け取る発言なのかもしれないけど、不思議と憤りは覚えないわ。むしろ面白いと思っている私がいる」
アナスタシアはたっぷり呆けていたが、しばらくすると不敵な笑みを浮かべて俺を見つめてきた。そして――、
「いいでしょう。私もお飾りで世界各地に散らばる聖騎士団の総団長を務めているわけではないわ。天位の
引きこもりなルゥに出てきてもらうと宣言した。
「いや、それは、どうだろう……」
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