第6話

「タイ、ヨウ様、その剣……」


 イリスは目を丸くして、俺の背中と手にした剣を見つめていた。


「っ!?」


 目の前に立つ黒い影の槍使いも驚愕したのか、小さく身を震わせる。と思いきや、すぐさま槍を構え直して、俺に向けて突きのラッシュを放ってきた。

 だが、俺の瞳はその一突き一突きの軌道を完全に見切っていて、必要最低限に剣を振るうことですべての軌道を逸らしてしまう。

 そうして、無数の金属音が鳴り響いた。

 直後、俺と黒い影の槍使いは真正面から互いに睨み合う。槍使いの顔は黒い闇の膜で覆われているが、たぶん視線が重なったはずだ。すると――、


「っ、あんっ!?」


 黒い影の槍使いはなまめかしい声を漏らして、びくんと身体を震わせた。豊満な胸がぷるんと揺れる。だが、人間には見えないので、まるで魅力は感じない。


(なんだ、こいつ?)


 俺は気味が悪くて、目の前の黒い影をまじまじと見据えた。すると、黒い影の槍使いは慌ててバックステップを踏んで、後ろへ後退していく。


「っ、させるか!」


 よくわからんが、俺はすかさず黒い影の槍使いを追いかける。だが、槍使いは後退しながら手にした槍を構えていて、穂先をこちらに向けてきた。次の瞬間、槍の穂先からレーザーのような暗黒の砲撃が射出される。その狙いは俺の斜め後ろに立つイリスだった。


「っ!?」


 イリスは自分が狙われていることに気づくと、すぐに盾を構えて暗黒の砲撃を防ごうとする。しかし、その必要はない。俺は暗黒の砲撃がイリスの盾と衝突するよりも先に、イリスの身体を真横から軽々と抱きかかえてしまった。


「へ? あ……」


 イリスはいつの間にか俺にお姫様だっこされていることに気づくと、目を点にする。そして、ちょこんと身体を縮こまらせた。


「大丈夫か、イリス?」


 俺はしっかりと視線を合わせて、至近距離からイリスの顔を覗き込む。


「タイヨウ、様? 瞳が、金色に、え? あっ、やっ……」


 イリスは俺の顔をぼうっと見上げていたが、すぐにびくりと身体を震わせる。


「どうした、イリス!?」


 俺は心配してイリスの身体を抱き寄せ、慌てて声をかけ直す。もしかして戦闘中に怪我でもしたのだろうか?


「っ、あっ、だめ、だめ、だめ、ですっ! あっ、あっ、あっ!?」


 イリスは突然、びくんびくんと身体を震わせて、えっちな嬌声を上げた。


「イ、イリス?」

「タイヨウ、様。見ちゃ、見ちゃ、駄目です、こんな私のこと。私、タイヨウ様に見つめられると、気持ち、よくて、私、こんなの、はあ、はあ、だめ……」


 イリスの吐息は荒く、肌が上気しているのがわかる。目はすっかりとろんとしていて、口もだらしなく開いていた。物欲しそうに身体をこすっている。


(これは、もしかして……)


 女の子を魅了させてしまう例の能力だ! 剣が現れたから、能力も発動したのか!?


(戦闘中でもお構いなしかよ、なんて使い勝手が悪い……。いや、でも、この能力はあの黒い影の女にも有効なのか? つまり、さっきの反応は……)


 俺はイリスを抱えたまま、黒い影の槍使いを視界に収める。が、視線が合っているかどうかまではわからない。顔も影に覆われてのっぺりとしているから、どこを見ているのかわかりにくいんだよな。

 とりあえず、現時点で感じている気配はないけど、十数メートルほど距離を置いたところでじっと立ち尽くしている。その背後には影の剣士達が控えていた。すると――、


「イリス総副団長っ!」


 この場での騒ぎに気づいたのか、聖騎士らしき女の子達がお城へと続く橋からぞろぞろと駆けつけてくる。


「スパルトイに……お、男? 男がどうしてここに!?」


 聖騎士の女の子達は俺にお姫様抱っこをされたイリスを発見すると、ギョッと顔色を変えた。そうだよな、この都市に男はいるはずないんだもんな……。

 駆けつけた聖騎士の女の子達はイリスを抱きかかえる俺をキッと睨みつけてきた。ちょうど女の子達の方を見ていたものだから、視線が合ってしまう。と――、


「き、貴様、何者だ、っ、あんっ!?」「やっ、ぁ!」「んああっ!」


 彼女達は嬌声を漏らし、身悶えてしまう。

 おい、今、戦闘中だよな!? シリアスな場面だよな!?


(なんかカオスになってきたぞ……って、危なっ!?)


 どうしたものかと思っていると、暗黒の砲撃が押し寄せてきた。敵の親玉、黒い影の槍使いが影の剣士達に紛れて放ったのだ。

 しかし、俺は身悶える女の子達を見据えたまま、的確に剣を振るった。焦る心とは裏腹に感覚は研ぎ澄まされていて、身体は冷静に動く。振るった剣から光の斬撃が射出されると、視界には映っていない暗黒の砲撃を、簡単になぎ払ってしまった。


「す、すごい……」


 イリスや聖騎士の女の子達はじっと俺のことを見つめている。


「……やってくれたな」


 俺は攻撃してきた影の槍使いに視線を向けた。


「っ……」


 槍使いは使役する影の剣士達の背後に隠れて、後ずさりをしている。


(後ろの女の子達とはまだ距離があるから大丈夫。さっきの様子だと、イリスはこの場に放置すると危ないか。とりあえず影の剣士達が邪魔だな)


 と、俺は瞬時に判断すると――、


「いくぞ、イリス、一気に片を付ける。俺にしっかりと掴まっているんだ」


 左腕でイリスを抱きかかえたまま、敵に戦闘を仕掛けることにした。つい先ほどまでイリスはなぜか腰抜けになっていたので、自力で歩けるとは思えない。敵はすぐそこにいるし、放置するのは危険だと思ったのだが――、


「はい、もう絶対に離しません……!」


 イリスはすごく幸せそうな顔で頷き、ギュウッと俺に身体を押し当ててきた。少し控えめだが柔らかなイリスの胸の感触が、服越しにダイレクトに伝わってくる。

 あれ、けっこう意識はしっかりしているのか? というより、男慣れしていない女の子のはずなのに、なんかすごく大胆になっていないか?

 イリスは急に喘ぎだした最初の頃よりは、随分と理性が窺える目つきをしていた。とはいえ、俺は既に剣士達へと迫っている。

 結果、俺はイリスを抱きかかえたまま戦うことにした。剣と盾を手にした人型の影達を薙ぎ払い、黒い影の槍使いに接近しようとする。

 だが、槍使いは急に飛び立って、猛スピードで上空へ飛翔し始めた。まさか、逃げるつもりなのか!?


飛翔の聖靴タラリア!」


 俺は気がつけばそう叫んで、地面を蹴っていた。理屈はわからないが、この言葉を唱えれば自由自在に空を飛べることがわかる。

 俺の身体はグンと加速して、上空へと舞い上がった。


「すごい! タイヨウ様、飛翔の聖靴タラリアを使えるんですね!」


 イリスはきらきらと目を輝かせて、俺を褒め称える。


「よくわからないんだけど、わかるんだ。って、まずい!」


 俺は頭上の槍使いを見据えて、目を鋭くした。槍使いは空中で振り返ると、槍の穂先にエネルギーを溜めて、橋の上に照準を合わせる。そこには、先ほど駆けつけた聖騎士パルテノスの女の子達が集っていた。


「私に任せてください。守って、イリオス!」


 イリスは空中で俺の左腕に抱き寄せられたまま、手にした盾を掲げる。直後、イリスの盾の前に巨大な光の壁が生まれた。

 ほぼ同時に、槍使いも槍の穂先から強力な闇の砲弾を射出する。しかし、イリスが生み出した光の壁は自在に宙を移動して、闇の砲弾を真正面から受け止めた。

 闇の砲弾は光の壁によって完全に防がれている。


「……すごいな、イリス」


 と、俺は感心してイリスを褒め称えた。


「今、なんだかすごく調子が良いんです! いつもより愛の力エロスが湧き出てきて、いつも以上にイリオスの力を引き出すことができて!」


 イリスは満面の笑みで、エロスが云々と語る。


「エ、エロスが湧き出る?」


 なんだ、それは?


愛の力エロス神話聖装アポカリプシスを操るエネルギーのことです!」

「へ、へえ……」


 要するに、いつもよりパワーアップしているということなんだろう。決して卑猥な意味が込められているわけではないと思う。ないと思いたい。

 何にせよ、この隙に黒い影の槍使いに追いつくことができる。俺はそう考えて、さらに上昇しようとした。だが――、


「タイヨウ様、橋の上のスパルトイ達が!」


 イリスが眼下を見下ろして、そう叫んだ。


「スパルトイ? っ、あの黒い剣士達のことか!」


 俺は不思議に思って橋の上に視線を向ける。

 剣を手にした黒い影達――スパルトイの軍勢は、橋の上で身悶える女の子達に向かって一斉に駆け出していた。女の子達はふらついた足で各々の武器を構えている。


「させるか!」


 俺は方向転換すると、急加速して橋へと一気に下降した。そして、スパルトイと女の子達の間にスッと着地する。女の子達は「きゃっ」とざわめきたった。が――、


(あいつ、この隙に逃げていきやがる……)


 敵の親玉、影の槍使いはぐんぐんと上昇していき、浮遊都市アルカディアから離れていく。俺はどんどん小さくなっていく槍使いの姿を睨んだ。しかし、すぐに気持ちを入れ替える。


「イリス、さっきの光の壁で後ろの女の子達を守ってくれるか?」

「はい、任せてください!」


 イリスはしっかりとした足取りで、盾を構えて女の子達の前に立つ。


「じゃあ、行ってくるよ」


 俺は両手で剣を握ると、スパルトイ達に突っ込んだ。

 剣が軽い。身体が軽い。一瞬で接敵すると、スパルトイ達を蹴散らし始める。どうやら身体能力がとんでもなく上がっているようだ。

 スパルトイ達の身体能力も並みの成人男性よりは遙かに上のはずだが、今の俺にとっては歩き始めた幼児みたいに遅い。

 一、二、三、四、五、六、七、八……と、数えるのも面倒くさくなるほどの速度で、俺はスパルトイ達を斬り伏せていく。倒した端から黒い霧になって霧散するから、生身の生物を相手にしている感じはしないし、屍に動きが制約されることもない。

 すると、いつの間にか上空にアナスタシアが戻ってきていて、橋の上で戦う俺の様子を唖然と見下ろしていた。そして、俺の背後に立つイリス達も、きらきらと目を輝かせて俺とスパルトイ達の戦いを眺めている。


「すごい、すごい! 圧倒的すぎます! イリス様、あの殿方はどなたなのですか!? どうして殿方が神話聖装アポカリプシスを!?」


 女の子達はきゃあきゃあと騒いで、イリスに俺のことを尋ねていた。


「あのお方はタイヨウ様。もしかしたら、タイヨウ様こそ私達が探し求めていた神騎士ゼウスなのかもしれません!」

 と、それはもう誇らしそうに語るイリス。


神騎士ゼウス! 殿方が神騎士ゼウス! それって、とっても素敵です!」


 女の子達はとても興奮していて、黄色い声を上げていた。一方――、


(……ゼウス?)


 聞き覚えのある単語の響きに、俺は戦いながらぴくりと反応する。ゼウスって、ギリシア神話に登場する最高神の名前か? そういや、うろ覚えだが、アルカディアって単語の響きにも一応は聞き覚えがあるんだよな。それに、アポカリプシスじゃないけど、アポカリプスという言葉を聞いたこともある。

 いずれもギリシア神話だったかはわからないし、単なる偶然だろうと思っていたが、ゼウスという超メジャーな名前まで登場すると少し気になった。

 しかし、俺がそんな疑問を抱いている間にも、スパルトイ達は押し寄せてくる。俺は疑問を頭の片隅に追いやると、敵を倒すことに集中した。とはいえ、あれこれ考えていても身体は何の迷いもなく動いていたので、大分数を減らしている。

 ちょうど最後の数体が突っ込んでくると、俺は一足飛びにスパルトイ達と距離を詰め、すれ違い様に全員の胴体を瞬く間に分断した。

 それから、念のために周囲を一瞥して敵が残っていないことを確認すると、剣の切っ先を地面へと下ろす。背後を振り返ると、都市の外に出ていたアナスタシア達がイリスと一緒にこちらを見つめていた。


「……速い。それに、なんて無駄のない動き。これも彼の神話聖装アポカリプシスの固有能力スキルなの? それとも、もともとの彼の技量?」


 と、アナスタシアはじっと俺を見つめ、口を動かしている。だが、視線が合うと――、


「っ、んぁっ……、あっ、くっ!」


 途端に疼きが押し寄せたようだ。慌てて俺から視線を逸らし、負けん気の強そうな顔で肉体の震えを押さえ込もうとしていた。


「大丈夫、シアちゃん?」


 イリスはスッとアナスタシアの身体を支えてやる。


「え、ええ。それより、この場で何があったのか、聞かせて頂戴」


 アナスタシアは呼吸を整えて応じた。

 一方、俺は剣を手にしたまま、アナスタシア達がいる場所へ歩み寄る。アナスタシアやイリスの周りにいる女の子達はじいっと俺のことを見つめているが、下手に視線を合わせるとまずいことになりそうなので、俺は明後日の方向を眺めた。すると――、


「……素敵!」「クールだわ!」「どうして殿方がここに!?」「誰なの!?」「タイヨウ様よ!」「あの殿方が私達の探し求めていた伝説の神騎士ゼウスって本当!?」


 女の子達は途端に騒がしくなる。大勢の異性から寄せられる好奇の視線が眩しすぎて、少し近寄りづらい。でも、そういうわけにもいかないか。


「はは……」


 俺は引きつった笑みを浮かべる。だが、その時のことだ。手にしていた剣がまたしても姿を消してしまい、俺は目が点になる。


(……現れたり消えたり、本当に謎だな。この剣のこともちゃんと訊こう)


 俺はそう思った。すると、アナスタシアがイリスを引き連れて近づいてくる。他の女の子達もこぞって近づいてこようとしたが、総団長に睨まれて自重したようだ。


「団の窮地をお救いくださり、ありがとうございました、タイヨウさん」


 と、アナスタシアは団を代表して礼を言う。


「いや、俺もイリスに守ってもらったから。お互い様だよ」

「えへへ、そんなことはないですよ」

 俺が視線を向けると、イリスは照れくさそうにはにかんだ。


「そんなことはあるさ。ところで、もう大丈夫なのか? 敵の襲撃は?」


 俺はさしあたって確認しておくべきことを尋ねる。


「ええ。近隣の都市国家ポリスに押し寄せていた魔物キメラは撃退したので、とりあえずは様子見といったところです。……それで、今のうちにもう少し貴方と話をしておきたいの。貴方が契約したであろう神話聖装アポカリプシスについて」


 と、アナスタシアは答え、真面目な顔で提案してきた。


「そいつはありがたい。俺も聞きたいことがあるしな」

「では、城の中へ。案内します」


 断る理由なんかない。そうして、俺は今度こそお城の中へと向かうことになった。

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