第5話

   第二章 気がつくと、戦闘中に女の子達が喘ぎだした件




 アナスタシア達が空の彼方へ消えた直後。


「……あの、タイヨウ様、少し失礼してもよろしいですか?」


 イリスが俺との距離を詰め、切羽詰まった表情で声をかけてきた。


「え? おう……」


 よくわからないが、気迫に押されて頷く。すると――、


「で、では、失礼します」


 俺はいとも簡単にお姫様だっこをされてしまった。


「え、ええええ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。だって、男性に免疫がないというイリスが、こんな大胆な真似をしてくるなんて……。


(こ、この構図は!? 男としてどうなんだ? ってか、胸が当たっているし、顔が近いし、柔らかいし、温かいし、すっげー良い匂いがするし!)


 俺はちょこんとイリスの腕に収まりながら、悶絶しそうな衝動に襲われた。


「ご、ごめんなさい、私の説明不足で。その、私がタイヨウ様を抱えて、お城までお連れします。その方が早いので」


 イリスはぎくしゃくと行動の意図を説明してくれる。その顔つきからは緊張しているのが見て取れるし、身体が硬くなっているのもわかる。

 ああ、そういうことか。やっぱり男の俺と密着することには抵抗があるのだ。でも、今は緊急事態だから仕方がなくて……。


「……わかった。じゃあ、頼む、イリスさん」


 俺は雑念を振り払ってお願いした。が――、


「は、はい」


 ふにゃ。安全に飛行するためなのか、ギュッと抱きしめられる。


(や、柔らかい。って、駄目だ、駄目だ。無心になれ、俺!)


 これはマシュマロだ、マシュマロ。マシュマロだと思え……。そう言い聞かせて、必死に心を落ち着けようとした。すると――、


「い、行きます。飛翔の聖靴タラリア


 ふわりと、宙に浮くような感覚を覚える。だが、すぐにガクンと、重力に引っ張られるような感覚が押し寄せた。空を飛んではいない。


「っ!?」


 突然、イリスが飛び上がるのをキャンセルして、その場に留まったのだ。


「……どうしたんだ? って、なんだ!?」


 俺は意味がわからず尋ねる。だが、すぐにこの場に留まった理由を察した。上空でドゥンという衝撃音が鳴り響いたのだ。

 何か黒い影が都市の上空にいて、都市を覆う光の膜に衝突している。かと思えば、黒い影は光の膜をすり抜けて、一直線に俺達が立つ橋へ突っ込んできた。

 そして、黒い影は俺らの背後の階段にすとんと舞い降りる。


「な、なんだ、こいつ、女? 味方か?」


 俺はまじまじと黒い影を見つめた。目の前に立つ黒い影は人型のシルエットをしており、鋭く、禍々しいデザインの槍を手にしている。

 しかし、人間といえるのかどうかは少し自信がない。

 肉体的な特徴から女性であることはわかるのだが、無機質な黒い闇の膜みたいなものが全身を覆っていて、顔すらまともに判別することができないのだ。だが――、


「変、異種!? っ、タイヨウ様、私の後ろへ、離れすぎないよう退避してください!」


 目の前の女性らしき影は敵だと判明した。


「っ、あ、ああ!」


 俺は地面に下ろされると、情けないと思いながらも指示に従って駆け出した。一方、イリスは腰の鞘に差した剣を抜き放ち、黒い影に向かって走りだす。

 すると、黒い影も突進し始めた。直後――、


「は、速い!?」


 目にも止まらぬ速さで二人は交差し、互いの武器をぶつけ合う。軽い衝撃波がほとばしった。イリスは黒い影の速度に驚愕したのか、大きく目を見開いている。俺は戦闘が気になって、背後を振り返りながら走っていた。


「………………」


 黒い影は何も言葉を発せず、手にした槍を強引に振り払う。


「きゃっ」


 イリスは堪らず後ろへ押し返されてしまった。


「大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です、っ!」


 俺が立ち止まって叫ぶと、イリスはしっかりとした声で返事をして、剣を構え直す。そこへ黒い影が再び突進してきて、近距離戦闘を仕掛けた。


「な、なんつう戦いだ……」


 目にも止まらぬ速度で攻防が繰り広げられる。身体を捻って、軽やかにステップを踏んで、互いに相手の攻撃を対処し合っていた。

 俺はその場に立ち尽くすことしかできない。剣とか槍の扱いに関して完全に素人だが、傍から見て両者の実力は均衡しているように見える。だが――、


「顕現して! 難攻不落の天盾イリオス!」


 このタイミングで、イリスは何か詠唱のような言葉を口にした。すると、イリスの左腕に美しい意匠の盾が現れる。


「お、おお!」


 と、俺は感動して声を上げた。なんだ、あの盾は? アレがイリスの神話聖装アポカリプシスなのか? いや、剣もか?


「行きます!」


 イリスは剣と盾を構えると、再び黒い影の槍使いに戦闘を仕掛けた。黒い影も槍を振るって応戦しようと試みる。

 しかし、イリスが黒い影に向けて盾を構えると、光の壁が生まれ、黒い影に向けて勢いよく射出される。黒い影は光の壁に弾き飛ばされて、後ろへ吹き飛んでいった。


「っ、すげえ!」


 光の壁はしばらく進んで消えてしまったが、生身の人間がぶつかれば無事では済まない威力だったと思う。まるで車にでも衝突したような感じだった。だが、黒い影は地面を転がると、すぐに立ち上がってしまう。

 マジかよ、今、軽く十メートル以上は吹き飛んでいたんだぞ。

 でも、ダメージはあるようだ。少しふらついているように見える。

 黒い影は何を思ったのか、槍の穂先を地面に突き刺した。すると、穂先から黒い影が伸びて地面を浸食していく。そこから、同じく人型シルエットの黒い影が無数に現れた。


「仲間を呼び出したのか!?」


 俺は地面から続々と黒い影の戦士が出てくる光景を目の当たりにして、背筋が凍りそうになった。一体でもイリスに匹敵するくらいの強さがあったのに……。


「大丈夫、最初に現れた敵が異常に強いだけで、今、出てきているのは通常体です」


 イリスは十メートルくらい後方で戦いを見守っていた俺の傍まで下がってくると、新たに出現した軍勢を見据えながら声をかけてきた。


「そう、なのか?」


 確かに、言われてみれば、最初に現れた槍使いの黒い影と、後から続々と現れている黒い影の軍勢はだいぶ身なりが違う。全身が黒い闇に覆われているからフォルムの見分けが付きにくいが、最初に現れた槍使いの方がそれっぽく身なりが整っている。一方、他の黒い影は剣と盾を手にしているが、身を纏う衣類のような闇のフォルムはかなりシンプルだった。いうならば、槍使いが将軍で、他の剣士がただの一般兵といったところか。


「タイヨウ様を守って、イリオス」


 イリスはそう言うと、俺に向けて盾をかざした。すると、俺の全身の肌を包み込むように、薄い光の壁が展開される。


「……これは?」

「タイヨウ様を守る盾です。他に伏兵がいるかもしれないので、今度はもう少しだけ後ろに下がって、じっとしていてください。私がなんとかしますから」

「あ、ああ……」


 やばい。俺よりもずっと小柄で、華奢な女の子なのに……。イリスが頼もしすぎて、イケメンすぎる。思わずその後ろ姿に見惚れてしまう。

 その直後、槍使いの黒い影が高らかに槍を掲げる。すると、剣と盾を手にした黒い影が一斉に俺達がいる方へ駆けだしてきた。


「私の後ろへは一歩も通しません!」


 イリスは一本道の橋の上で真っ向から敵を迎え撃つべく、勢いよく突進する。一瞬で距離を詰めると、先頭に立つ影の剣士の首を切り飛ばしてしまった。

 頭部と胴体を分断された顔のない剣士は、瞬く間に黒い霧となって消滅する。俺はその隙に指示通り後ろへ後退を開始した。だが――、


(このままで、いいのか? あんな大勢の怪物を相手に、か弱い女の子一人で戦わせて、男の俺は一人で安全な後方へ避難して……)


 この窮地で何もできない自分が無性に情けなく思えてくる。一方、イリスは果敢に敵の中に紛れ込み、攻撃をかいくぐりながら剣を振るっていた。


「はああ!」


 一体、二体、三体と、立て続けに影の剣士達を屠っていく。だが、剣士達の後方には例の槍使いが控えていて、未だに地面から増援の剣士達を呼び出し続けている。


(あいつ……!)


 もしかして槍使いの黒い影を倒さないと、無限に敵が現れるんじゃないだろうか? 限界はあるのかもしれないが、このままだときりがなさそうだ。

 あいつをなんとかしないと……。そんなことはイリスも承知なのだろうが、黒い影の軍勢がその行く手を阻んでいる。

 とはいえ、彼女ならば空を飛んでしまえば、いくらでもその輪を抜け出すことは可能なはずだ。なのに、イリスはその場に留まり、黒い影の軍勢と戦い続けている。


(もしかして、俺が、足手まといになっているのか? イリスさんが敵の親玉を狙おうとすれば、呼び出された奴らは俺を狙ってくるかもしれない。だから……っ!)


 俺はそのことに気づき、悔しくてギュッと拳を握りしめた。今、俺の身体はイリスが作ってくれた光の膜で守られているが、どの程度の耐久力があるのかはわからない。もしかすると、何度も攻撃を受けるとまずいのかもしれない。


(くそ、俺も戦えれば! せめて自分を守れるくらいに……)


 ほんの十数メートル先では、イリスが立ち塞がって道を塞ぎ、一人で影の剣士達と死闘を繰り広げている。対する俺は女の子に戦わせて、守ってもらって、挙げ句、足手まといになって、自分一人で安全な場所にいて……。

 本当にこれでいいのか? 自分があの中に身を投じる事を想像すると怖くて、身体が強張って仕方がないが、こんなのは情けなさすぎる。


(なんとか、なんとかならないのか!? 辺りには伏兵がいるかもって言っていたけど、多少は危険でも城へ逃げるか? それか剣か、武器になりそうなものでもあれば……)


 俺は思わず周囲を見回した。加勢しようにも、持っているのは学生鞄だけ。武装した軍勢に突っ込むのは自殺行為だ。けど――、


(剣……、そうだ、あの剣! 俺がこの世界に来た時に握っていたあの剣だ。あれはどこに行ったんだ!?)


 俺はふと、この世界に来て最初に握っていた剣のことを思い出した。

 無い物ねだりをしていても仕方がないが、このままではじり貧だ。俺がどうすべきか葛藤している間にも、状況は刻々と悪化していた。槍使いが地面に生み出している闇から、今度は翼の生えた影の剣士が何体も出現しているのだ。


「っ、なんだ、アレは……?」


 翼を生やした影の剣士達は生まれるや否や、空へと舞い上がる。


「っ、いけない! 飛翔の聖靴タラリア!」


 イリスは翼を生やした敵の出現に気づき、慌てて上空へ飛翔した。

 翼を生やした影の剣士達の狙いは明らかに俺であり、バラバラのルートを飛んで接近してくる。しかし、イリスは翼を生やした影の剣士達を遙かに上回る速度で飛翔し、各個撃破を開始した。一体だけ、俺の近くまで飛んでくるが――、


「させません! ……大丈夫ですか、タイヨウ様?」


 イリスはその一体に追いついて、俺の目の前に降り立った影の剣士を斬り伏せた。


「あ、ああ……。って――」


 俺はその光景に圧倒されて頷いた。だが、奥に控えていたはずの親玉、槍使いの黒い影が忽然と姿を消していることに気づくと、ハッとして視線を動かす。槍使いの黒い影は橋の脇を飛翔し、イリスの身体を突き刺そうと突進していた。刹那――、


「危ない!」


 俺は気がつけば、走り出していた。そのままイリスに向かって飛び込み、華奢な身体を抱きかかえて前方に勢いよく倒れ込む。

 直後、黒い影が振るう槍の穂先が、虚空を貫いた。


「きゃ!?」


 と、イリスは可愛らしい悲鳴を上げる。俺は彼女が地面にぶつからないよう、ギュッとその身体を抱きしめた。そして、抱きかかえたまま激しく地面を転がる。ただ、イリスが作ってくれた光の壁のおかげなのか、衝撃はあるが、身体は少しも痛くない。


「ぐっ、大丈夫か、イリス!?」


 俺は無我夢中で彼女の頭を自分の胸元に抱き寄せ、顔を近づけて声をかけた。少し遅れて、つい呼び捨てで呼んでしまったことに気づく。


「あ、あの、タイヨウ様?」


 イリスは何が起きているのかまだわかっていないのか、突然俺に抱きつかれてあたふたと身体を縮こまらせている。本当に小柄だ。こんな華奢な身体で、あんな激しい戦いをしていたというのか。よく知りもしない俺なんかを守るために……。


「ごめん、怪我はないか? 急いで立つんだ」


 俺はそう言って、慌てて起き上がろうとする。まだ戦闘は終わっていないのだ。すぐそこには敵の槍使いが立っているはずである。


「は、はい。だ、大丈夫です!」


 イリスは顔を真っ赤にしつつも、素早く起き上がろうとした。

 だが、案の定、すぐ傍には槍使いの黒い影が潜んでいて、今まさに俺とイリスをまとめて突き刺そうと槍を構えていた。

 イリスの位置からだとちょうど死角で、彼女はそのことに気づいていない。


(まずいっ!)


 俺は咄嗟に自分の身体を盾にしようと、黒い影に向かってバランスを崩しながら前のめりに駆けだした。今の俺はイリスに作ってもらった光の壁に全身を覆われている。けど、槍を持ったこいつは強そうだし、もしかしたら貫かれて死ぬのかもしれない。

 でも、今度は俺が彼女を守る番なんだ。守ってくれた恩を返す番なんだ。このまま足手まといになってイリスに死なれるくらいなら、自分が死んだ方がずっとマシだ。

 親父もお袋もとっくに死んでいる。居候させてもらっている叔母とその家族は俺のことを煙たがっているし、俺が死んでも悲しむ奴は地球にいないと思う。

 なら、ここで死んでもいいか。こんなに可愛くて良い子を守って死ぬことができるのなら、きっと悔いはない。俺は素直にそう思えた。

 だけど、その時――、


「っ!?」


 俺の手元に、この世界に来た時に握っていた剣が現れたんだ。


(剣!?)


 瞬間、俺の思考は一気にクリアーになっていく。この感じ、この世界に来た時に没入したトランス状態とまったく同じだ。

 視野が広がっていく。感覚が鋭くなっていく。時間の流れが急にゆっくりと流れ始めていく。そんな錯覚を抱いた。これは断じて、死に際の走馬灯なんかじゃない。

 すぐ目の前に、槍を手にした黒い人型の女性シルエットがいる。身体と剣をどのように動かせば、影の槍使いに対処できるのか、手に取るようにわかる。だから――、


「はあああ!」


 俺は剣を振るっていた。黒い影が操る槍は俺の胴体を捉えることはなく、代わりに俺の剣と衝突した。鈍い金属音が鳴り響く。


「タイ、ヨウ様、その剣……」


 イリスは目を丸くして、俺の背中と手にした剣を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る