第3話
(…………景色が、動いてやがる)
そう、よく見ると高台から見晴らせる都市の外で、その下には大地が広がっていて、景色が移り変わっているのが見えるのだ。先ほど景色が動いていると思ったのは、錯覚ではなかった。俺が今立っているこの大地は、いや、この都市は空を飛んでいる。
「はは、浮遊都市アルカディア。そうか、空を飛ぶから浮遊都市なのか、ははは」
金持ちが暮らす富裕都市だと思っていたなんて、恥ずかしくて言えないな。なんだかおかしくて、俺は一人で勝手に笑い出してしまう。
(いよいよ確定だな。ここは地球ですらない、絶対に)
どうやら俺は自分が想像していた以上にファンタジーな世界に迷い込んでしまったらしい。そう確信すると、なんだか無性にワクワク感が混み上がってきた。
仮にこれが夢だとしても、この先いったいどうなるのかを知りたい。
「……どうしたのですか?」
アナスタシアはきょとんと首を傾げて尋ねてくる。
「いや、この景色を眺めていたら自分がいかにちっぽけなのかわかったというか、今の自分が置かれた状況も少しは理解できたからさ。これが夢じゃないってんなら開き直るしかないし、夢なら夢で楽しむしかない。そう思ったんだ」
「……呆れるほど前向きなのね、貴方」
俺が今の心情を吐露すると、アナスタシアはぱちぱちと瞬きをして言う。イリスも珍しいものでも発見したような顔で、俺を見つめていた。
「よく言われる。呑気だとか、順応性が高すぎるってな」
だって、人間、あれこれ考えることでストレスが溜まるからな。なら、考えないようにすればいい。俺の処世術だ。ゆえに、一考して自分の力ではどうにもできそうにない状況だとわかった時点で、俺は無駄に思考しすぎるのを放棄していた。
それに、この世界に紛れ込んでからというもの、会う子会う子みんなが可愛くて、ちょっぴりえっちな姿まで見ることまでできて、色々と役得続きだし。
「そういう在り方は嫌いじゃないわ。貴方という人がどんな人間なのか、少しだけわかった気がする」
アナスタシアはくすりと笑って、俺を持ち上げてくれる。さっきのあられもない姿を思い出していたって伝えたら、怒られるんだろうな。でも、初めてアナスタシアの素の笑顔を見られた気がする。少しは警戒心も解いてくれただろうか。
「そいつは光栄かな。……で、俺のことを少しは理解してもらえたところで、次は君達のこととか、この都市のこととか、どうして俺がこの場にいるのかを教えてほしい。もちろん俺から話せることは何でも話すけど、俺はこのアルカディアって都市のことは何もわからないし、自分に起きている出来事の因果関係を何も理解できていないんだ」
俺は好奇心から話を切り出す。アナスタシアはあまりにも俺が何も知らないからか、一瞬、目を見開く。だが――、
「……いいわ。では、移動を再開しがてら、ここがどこなのか、私達が何者なのか、貴方が置かれた状況も、簡潔に説明するとしましょうか」
アナスタシアは俺の無知さを今は捨て置き、高台の下へ続く崖際の階段へ歩きだす。俺とイリスもすぐに歩きだし、距離を置いて背後に群がる女の子達も移動を再開した。
「まず、ここは我ら聖騎士団の拠点、浮遊都市アルカディアよ。聖騎士団とは世界を救うべく結成されたどこの国にも所属しない独立した騎士団のこと」
アナスタシアは移動を再開して階段を下り始めると、早速、説明を開始する。なお、崖を加工して作られた階段は横幅が広いので、アナスタシア、俺、イリスの三人が一列に並んで歩いてもスペースにはだいぶ余裕がある。
「世界を、救う?」
ずいぶんと大仰な設立目的じゃないか。
「貴方、本当に何も知らないのね。もしかして、
アナスタシアは学生服を着た俺の姿をじっと見つめてきた。呆れ半分、うさんくささ半分といったところか。
「……何も知らないのは当然というか、信じてもらえるかはわからないけど、俺はこの世界の人間じゃないんだ、たぶん」
隠していても余計に不審がられそうなので、俺は正直に打ち明けた。
「……この世界の人間では、ない? つまり、この地上界の人間ではないと?」
アナスタシアとイリスは大きく目を見開き、驚きを露わにする。
「ああ。地球って世界にある日本という国から俺は来た。その反応だと、二人とも別の世界から誰かを召喚するつもりなんてなかったように見えるんだけど……」
ファンタジーもので召喚といえば、よその世界から誰かを召喚するのが定番なのに。
「……ええ。別の世界から
「天空界と暗黒界? そんな世界は知らないけど……」
天国と地獄みたいなもんだろうか?
「そう、ですか。演技をしているようには見えないけれど……」
アナスタシアは半信半疑の眼差しで俺を見つめてくる。
「何か証拠でもあればいいんだけど……。ああ、これは俺がいた世界で通っていた学校の学生服だ。鞄の中には俺がいた世界の道具が色々と入っている。ほら、俺が通っていた学校の教科書だ。あ、あとスマートフォンもあるな」
俺はがさごそと学生鞄を漁って、まずは世界史の教科書を見せてやった。スマートフォンはバイト中で電源を切ったままだったから、ボタンを押して電源を入れる。
「見たことのない文字ね……。イリス、読める?」
「ううん。私も読めない。それにしても、すごく上質な紙……」
アナスタシアは興味深そうに教科書を眺めると、イリスに問いかけた。イリスは静かにかぶりを振ると、教科書の紙質に着目する。
「本当、文字も手書きじゃないのね……」
アナスタシアは恐る恐る教科書のページに手を触れた。二人とも好奇心から俺が手にした教科書を覗きこもうとしているからか、だいぶ密着度が上がる。
ちょっと左右に動けば腕と腕が触れあうくらいの距離だ。女の子特有の甘い香りって、なんだか緊張するんだよなあ。どうしても意識してしまう。
「ははは、証拠としては弱いかもしれないけど、俺の世界の技術で作られた本なんだ。あと、これもな」
俺はそう言って、電源の入ったスマートフォンの画面を二人に見せた。
「……光りましたね。何か文字が書かれていますが 何なのですか、これは?」
アナスタシアとイリスは起動したばかりの画面をまじまじと見つめてきた。二人とも無意識なのか、密着度はさらに高まる。
「スマートフォンっていって、調べ物をしたり、遠隔地に住む人間と連絡を取れる便利な道具なんだ。けど、この世界だと使えないみたいだな」
案の定、電波は圏外だ。あと、表示されている時刻も俺がバイト帰りで帰宅していた時間帯、すなわち夜だった。今この場所ではお日様が昇っているというのに……。
「どうしてこの世界だと使えないのですか?」
アナスタシアは不思議そうに尋ねると、イリスと一緒に左右の至近距離から俺の顔を見上げてきた。すると、ここでようやく俺との距離感が近すぎることに気づいたらしい。
「いや、電波がないから……」
「そ、そうなの」
二人ともきょとんとした顔をしていたが、すぐに頬を赤らめる。距離感を強く意識したのか、アナスタシアとイリスはそそくさと俺から適切な距離を置いた。正直なところ少しホッとしたけど、ちょっと残念な気もする。
「はは。それで、どうかな? 俺がこの世界の人間じゃないってことは信じてくれた?」
余計な電池を消費しないようにスマートフォンの電源を切ると、俺はアナスタシアに問いかけた。アナスタシアはこほんと咳払いをすると、こう答える。
「正直、胡散臭くはあるけど、やっぱり嘘を言っているようには見えないわね。この世界を取り巻く常識に関してもあまりにも無知すぎるみたいだし……」
よし、とりあえずは信じてもらえたようだ。
「無知すぎるというより、無知なんだ」
きっぱりと断言する。
「そんなに自信を持って言われても……」
「まあ、見栄を張っても意味ないしな。だから、アナスタシアさん達にとって常識的なことでも、色々と教えてくれると助かる」
「……ええ、わかりました」
俺が肩をすくめて自分の無知さ加減を照れるようにはにかむと、アナスタシアとイリスは少しおかしそうに笑って頷いてくれた。
「そうそう、前代未聞といえば、男がアポカリプシスとやらの契約者として召喚されるのがこの五千年間で前代未聞だって、あの祭壇で言っていたよな?」
「ええ、
ようやく
「俺、思いっきり男だけど……」
「そうね。本当、前代未聞続きよ。別の世界の人間が
と、アナスタシアは悩ましそうに嘆息する。でも、俺にとってはもっと前代未聞なことが別にあった。
「えっ、この都市って、もしかして男は暮らしていないのか?」
確かに会う子会う子みんな女の子ばかりだとは思ったけど……。俺は階段から見晴らせる都市の街並みを見下ろして尋ねた。
「そうよ、この都市の現在の人口は三万人。非戦闘員も含めた数ではありますが、そのすべてが未婚の女性です。殿方はただの一人も暮らしてはいません。一部の区画を除いて、本来なら都市への立ち入りすら認められていません」
「三、万……人、全員が、未婚の女性?」
今日、俺が遭遇した出来事の中で、最もファンタジーな事実じゃないだろうか。それだけの数の人間が都市で暮らしていて、男は俺一人……だと!?
女性だけの禁断の領域を穢しているようで、不覚にもドキドキしてきた。
「今の貴方が置かれている状況がどれだけイレギュラーなのか、少しは理解していただけたかしら? だから、団を代表する私としても貴方をどう扱うべきか、現在進行形で悩んでいるというわけ。現れるなりよくわからない破廉恥な能力に開花して、誇りある団員達にあんな……、あんな、醜態まで晒させたわけだし」
俺が言葉を失っていると、アナスタシアが語りかけてくる。神殿の中でのハプニングを思い出したのか、真っ白な頬は赤く染まっていた。
「うーん、やっぱり神殿の中でみんなの様子がおかしかったのって、俺のせいなのか?」
「十中八九、そうね。
「そうか……。それは、なんというか、申し訳ない」
不可抗力とはいえ、まったく男慣れしていない箱入り娘達の、それはもうきわどい姿を堪能しまくってしまったのだ。あんな姿を異性に見せたことなんてこれまでの人生でなかったことだろう。もしかしたらショックだって受けているかもしれない。俺は真面目にそう思って、背後を振り返った。すると、後続の女の子達と視線が合う。
「きゃあああ!」「殿方と、殿方と、視線が合ったわ!」「私と合ったのよ!」「わ、私だって合ったもん!」「ねえねえ、私達のこと、何か話しているのかな?」
などと、女の子達はそれはもう嬉しそうに、きゃあきゃあとざわめきだした。
あっ、うん、大丈夫そうだな!
「あ、あの子達……、もう! 別に、貴方を責めるつもりはないわ。その様子だと薄々と能力に気づいていたみたいだけど、祭壇では悪用しなかったようだし」
アナスタシアは女の子達の賑やかな反応に呆れると、ちょっとだけぶっきらぼうに言った。その眼差しはジト目で、俺の前で散々喘いでしまった事実をなかったことにはできないようだ。まあ、無理もない。
「はは、調子に乗らなくてよかったよ」
いくらでも悪用できそうな能力だもんな。
「乗っていたら今頃は痴漢として捕まえていたところね」
「お、おう」
本当に調子に乗らなくてよかった……。これ以上、アナスタシア達が神殿で晒した痴態については触れない方がよさそうだな。
「しかし、なんで俺は呼び出されたんだ? あの神殿で待ち構えていたってことは、アナスタシアさん達が俺を召喚したんだろ?」
俺はさっさと話題を変えて、気になった質問を口にした。
「
「そう、なのか。別に
前半で語られた
「……この世界で生きる女性なら事前に覚悟はできているし、
アナスタシアが顔を曇らせ、申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「いやいや、話を聞く限り、完全に想定外な事故みたいなもんだろ。お互いに被害者みたいなもんだし、アナスタシアさん達を責めても仕方がないさ。頭を上げてくれよ」
と、俺は慌ててアナスタシアを制止する。
実際に誰が召喚されるのかは事前にわからない上、別の世界で暮らす人間が、しかも男が召喚される事態も今までになかったのだから、本当に想定外の事態が起きているんだなって、俺でもわかる。
「でも、貴方はそれでいいの?」
アナスタシアはぱちぱちと瞬きをすると、恐る恐る俺の顔色を窺ってくる。
「まあ、慌てたって仕方がないからな。どうするかはこれから考えるさ」
俺は苦笑し、ひょいと肩をすくめた。
「……イレギュラーな事態が続く中で、召喚されたのが貴方のような人格者で本当によかったわ。ありがとう」
アナスタシアはとても好ましいものでも目にしたように、口許をほころばせる。
「はは、こっちも不可抗力とはいえ色々とお騒がせしている立場だしな。女性の花園に男が現れたってのに、邪険にしないでくれて、助かってるよ。ありがとう」
清らかな乙女しか暮らすことができない人口三万人の浮遊都市に、女性しか扱うことができない
おまけに女の子をエッチな気分にさせてしまういかがわしい能力、いうならば魅了スキルに開花して、散々喘がせて……。たぶん人生でほとんと男と接してこなかった超絶可愛い女の子達のあられもない姿をばっちり脳裏に焼き付けてしまったのだ。
仕方がないとはいえ、女性の敵だと疎まれてもおかしくはない状況だと思う。でも、そんなことはなくて、むしろ歓迎ムードで、なんというか肩身が狭いようで、不思議と居心地の良さも感じていた。すると、ここでちょうど階段を下り終える。残すはお城へと続く長い橋を渡るだけなんだけど――、
「ふう、それにしても高所で空気が薄いせいか、歩いて喋るだけで疲れるな」
俺は橋の前でいったん立ち止まり、呼吸を整えることにした。
しかし、アナスタシアやイリス、後ろから下りてくる他の女の子達はみんな涼しい顔をしている。マジか。もしかして俺が一番、体力がないんじゃないのか?
「……あの、大丈夫ですか?」
イリスは俺の右隣から、心配して声をかけてくれる。
大人しそうというか、男性慣れしていないらしいし、緊張しているようだからあまりこちらから声はかけなかったんだけど、少しは慣れてくれたんだろうか。
それに、こうして心配してくれるあたり、優しい子なんだろう。こういう子に心配してもらえると、男としてはちょっと嬉しい。
「ああ、余裕さ。ちょっと空気が薄い場所で動くのに慣れていないだけで。そうだ、
俺はイリスを怯えさせないようはにかんで平静を装うと、新たに話題を振った。
だが、ここで突然、都市中に警鐘が鳴り響く。
「って、うお、何だ!?」
俺は警鐘音に反応して、思わず周囲を見回す。
「……どうやら、その
と、アナスタシアは険しい顔で教えてくれた。
「シアちゃん! みんなを連れて現場へ行って! 私はタイヨウ様を!」
イリスは今までとは打って変わって、ハキハキとした声で申し出た。気弱な子だと思っていたけど、緊急時にはこんな表情になるのか。流石は総副団長である。
「ええ。では、都市の指揮とタイヨウさんのことはイリスに任せます。
アナスタシアは即座に決断を下すと、階段を強く蹴った。すると、どういうわけか、重力を無視し、そのまま一気に上空へと飛翔していく。
「って、ええ!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を出して、唖然とアナスタシアを見上げた。
「貴方達、付いていらっしゃい」
アナスタシアは後ろを歩いていた女の子達に頭上から指示を出す。すると――、
「はい、
女の子達が何か呪文を叫び、その背中に光の翼が生えた。
「なっ!?」
俺はまたしても唖然と口を開けてしまうが、そうこうしている間に女の子達は背中の翼を羽ばたかせ、アナスタシアと一緒にぐんぐんと上昇していく。
「すげえ……」
橋の前にイリスと二人で残された俺は、呆然と呟いた。
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