第2話
俺はふと、祭壇の下で状況を見守っていたイリスという女の子を見つめてみた。
「……ふぇ?」
イリスは俺と視線が合うと一瞬、きょとんと無垢な顔になる。だが――、
「っ!? ひっ、ぁ、ふぁ、あうっ……」
今度は途端に顔を赤くし、カクンと力を失った。そのままきゅっと目を瞑って、控えめで可愛らしい嬌声を漏らす。これは――。
「っ……」
たぶん間違いない。俺と視線が合うと、この場にいる女の子達は途端に身体が疼いてえっちに喘ぎだす。どんな童貞の妄想だよと思うかもしれないが、現に俺に見つめられたイリスはだらしない声をなんとか抑えようとしている。
「や、やっ……、めっ、あぅ、っ、あっ!」
今日、何度目になるかわからないが、俺はごくりとつばを呑んだ。健気に身体の疼きに耐えるイリスはとんでもなく可愛い。だが、あまり見つめるわけにはいかない。
「はっ、はぁ、はっ、ふぅ、はっ……」
幸い視線さえ外してしまえば、直に身体の疼きは収まっていくらしい。イリスは少しずつ呼吸を安定させ始めたし、アナスタシアもそうこうしている間に持ち直したようだ。
「……えっと、アナスタシアさん?」
俺は極めて冷静に、誰とも視線を合わせないように注意して、アナスタシアに声をかける。いったい何がどうしてこうなっているのかはまったく理解できていないが、だからこそ対話を試みる必要があるだろう。
「な、何ですか!?」
アナスタシアはあからさまに警戒した様子で、視線を合わせず俺に応じた。
「安心してくれ。敵意はない。俺は今の状況をよく理解できていないんだけど、何が起きているのか、よかったら教えてくれないかな? ……って、あれ、剣が?」
俺が話を切り出そうとすると、知らぬ間に手にしていた剣が何の前触れもなくフッと姿を消してしまう。そして、ほぼ同時に、俺の思考回路にも変化が起きた。
つい今の今まで、俺は自分で自覚できるくらいに冷静で頭が冴えているという一種のトランス状態にあったのだが、その感覚が急に途切れてしまったのだ。
「…………あれ?」
俺は不意を突かれ、目を瞬く。その一方で、アナスタシアも俺が握っていた剣が消えたことに気づいたようだ。
アナスタシアは恐る恐る顔を上げると、って、あ、おい! まずい! また視線が合ってしまった。……って、あれ?
「……
アナスタシアはふうっと深く息をついて胸をなで下ろす。先ほどまでのようにえっちな喘ぎ声を漏らすことはない。
(俺の勘違いだったのか……? いや、アナスタシアの口ぶりだと、俺が握っていた剣が消えたことが関係しているのか?)
俺は瞬時にそう推察した。
一方、祭壇の前ではイリスがふらふらと立ち上がっている。また、その他大勢の女の子達はうっとりとした顔で俺のことを見つめていた。
「貴方、本当に何者なの? 殿方が
アナスタシアはイリスを立たせてやると、ジロリと俺を睨んで問いかけた。ただ、後半は頬が紅潮して声が上ずったので、迫力は半減している。
ともあれ、とんでもないカオスな時間が終わり、ようやく話を進める好機だ。アポカリプシスやら五千年という単語が気になるし、破廉恥な事態とやらに言及するのも野暮ってもんだ。俺はとりあえず質問に答えることにした。
「俺は普通の男子高校生、だと思うんだけど……」
それ以外の何だというのか。知っているのなら俺の方が教えてほしい。
「……状況を正確に理解できていないのはお互い様、のようね」
「まあ、そういうことになる……のかな? だから、できれば話をしたいなと」
と、俺はアナスタシアを始めこの場にいる女の子達の顔色を窺いながら語る。とりあえず話は通じる相手だと思う。アナスタシアは少し警戒しているようだが、他の女の子達はきらきらと目を輝かせて俺のことを見つめているし、敵意はないはずだ。
と、思いきや――、
「っ、きゃあああああ!」
アナスタシアとイリスを除く女の子達が突然、甲高い声を上げ始めた。
「な、なんだ?」
相変わらず目はきらきらと輝いているし、喜んでいる、のか?
「殿方、やっぱり殿方よ!」
「お若いわね、十代かしら? 背が高いわ! たくましいわ!」
「私、殿方なんて数年ぶりに見ました! ずっとここの勤務だったから!」
「素敵、素敵だわ。こんなに心がときめくだなんて、これは運命なのですわ!」
「でも、でも、どうして、どうして殿方が呼び出されたの!?」
「そんなことより、歓迎しませんと、歓迎しませんと!」
などと、女の子達は完全に浮き足立っていて、俺を見て大騒ぎしている。かと思えば、一人の女の子が小走りで階段を駆け上り、俺に近づいてきた。すると――、
「あ、ずるいわよ!」
「私も!」
他の女の子達も、一斉に俺に迫ってくる。
「ちょ、ちょっと、ちょっと!?」
あまりの勢いに、俺は思わず面食らってしまった。
「あ、貴方達、お待ちなさい!」
アナスタシアは慌てて女の子達を呼び止めようとする。
しかし、女の子達はすっかり興奮していて、きゃあきゃあと騒ぐものだから、アナスタシアの声はかき消されてしまう。
気がつけば、俺は祭壇の上であっという間に女の子達に囲まれてしまった。
「わああ、身体が硬いですわ!」「わっ、お胸がないのね」「本当、引き締まってらっしゃるわ」「線は細いけど、思ったよりも筋肉質なのね」「素敵!」
などと、女の子達は無遠慮に俺の身体を触ってくる。
というより、近い、近いぞ。
密着してるじゃん! 柔らかい何かが当たっているんですけど!? 年齢イコール彼女いない歴の男子高校生には色々と耐え難い女子との距離なんですけど、これは!?
ただでさえとんでもなく可愛い子しかいないんだし、勘弁してくれ。俺の理性がもたないから! 俺は理性を振り絞って、心を無にしようとした。だが――、
「殿方って、良い匂いがする!」
女の子達は俺の全身に顔を近づけて、すんすんと鼻を動かしている。やばい、吐息が当たってくすぐったい! それに、それはこっちの台詞だと思うんだ。
(すっげえ良い匂いがする!)
なんというか、女の子の甘い香りだ。ほのかな香水の香りもして、頭がくらくらしそうになる。俺は本当にどこへ来てしまったというのだろうか? 楽園か? 桃源郷か?
「はは……」
俺は身動きが取れず、引きつった笑みを浮かべた。すると――、
「皆さん、いい加減になさい! 落ち着きなさい!」
女の子達の輪の外から、アナスタシアの怒声が響く。
「きゃ!」
女の子達はびくりと身体を震わせ、アナスタシアを見やる。
「お退きなさい! 聖騎士団の総団長であるこの私が、代表でその方と話をしているのですから!」
アナスタシアは俺に群がる女の子を押しのけ、俺に近づいてきた。俺を囲んでいた女の子達は慌ててアナスタシアに道を譲る。が――、
「あっ、きゃっ!?」
足でも引っかかったのか、アナスタシアは可愛らしい悲鳴を上げて転びそうになる。
「おっと」
俺はとっさに前へ踏み出て、倒れ込んできたアナスタシアを抱き止めてやった。むにゅりと、豊満なアナスタシアの胸が、俺の上腹部らへんで押し潰れる。
(や、柔らけー!)
それに、温かい。こ、これが、女の子の身体なのか……。俺はごくりと息を呑んだ。
「…………」
アナスタシアは完全に面食らっていて、俺の腕の中でぱちくりと瞬きをしている。完全な静寂がほんの数瞬、辺りに下りる。だが――、
「ど、どうですか、総団長。殿方に抱かれた気分は?」
おい、妙な言い方をするなよ。とある女の子が強い好奇心を覗かせて尋ねた。他の女の子達も興味津々なのか、食い入るように俺に抱かれたアナスタシアを見つめている。
「っ、お、お黙りなさい! し、失礼、ヒイラギさん! あ、いえ、タイヨウさん? そ、そう呼んで、構わなくて!?」
アナスタシアは慌てて女の子達を叱責しつつ、赤面して俺から離れた。ひどく混乱しているのが見て取れる。
「あ、ああ、太陽が名前だ。名前呼びで構わないぞ。アナスタシアさん」
俺はドギマギと、仰々しく頷いた。やばい、ドキドキが止まらない。
「で、では、タイヨウさん。う、うちの団員がお騒がせして、わ、私もお騒がせして、申し訳ありませんでした」
アナスタシアはそそくさと頭を下げた。
「い、いや、気にしないでいいよ。むしろ……」
俺は気が動転するのを必死に堪え、できるだけ愛想良く笑って応じてみせる。「むしろ役得だ」と、言おうとしたが、そういう冗談が通じる相手かはわからないので、その言葉は呑み込んでおく。
「むしろ?」
アナスタシアは不思議そうに小首を傾げた。
「……いや、何でもないよ」
俺はアナスタシアの胸の柔らかさを思いだし、ぎこちなく誤魔化す。
「ところで、タイヨウさん、出身はどちらなのかしら? あまり見かけない髪の色と顔立ちをしているけど」
アナスタシアは気持ちを切り替えたのか、ふむと唸り、話を進めてきた。
「……俺は、日本育ちの日本人だよ」
「ニホン?」
うーん、この反応、もしかしなくともアナスタシアは日本を知らないのか? だが、その割には日本語が通じているので、よくわからない。
「えっと、そういう君はどこの出身なのかな? というより、ここはどこ?」
うん。とりあえず、質問するのが一番手っ取り早いだろう。
「……私はブリアレオス皇国の出身です。そして、ここは聖騎士、パルテノスに選ばれた世界中の乙女達が集う場所、浮遊都市アルカディアです」
聞き覚えのない固有名詞ばかりだ。
「へえ、富裕、都市……?」
金持ちばかりが暮らしているんだろうか? 確かに、ここにいる女の子達はみんな男慣れしていなさそうな雰囲気だし、気品が……。
と、思ったが、つい先ほどまでとろけきっていた彼女達の姿が思い浮かんだ。目の前にいるアナスタシアだって……。俺はまじまじとアナスタシアの顔を見つめる。
うん、とろけきっていた時はともかく、普通にしていればすごく気品があると思う。というより、至近距離で改めて見ると、アナスタシアって本当に非の打ち所がないくらいに顔が整っているな。
それに……、って、あれ? アナスタシアって、さっき自分の苗字をブリアレオスって言っていなかったか? ということは、ブリアレオス皇国の皇族とか王族とかか?
「何ですか?」
アナスタシアは少しだけ身を引いて、俺のことをじっと見つめてきた。まだ少し警戒されているようだ。まあ、無理もないか。
「いや、いったい何が起きてどうして俺がここにいるのか、アナスタシアさん達が知っているのなら聞きたいなって」
話が派生してしまいそうな情報が多すぎる中、俺は根本的な疑問を口にした。そこをスタート地点にしないと、色々と話がかみ合いそうにないと思ったからだ。
「まずは場所を改めませんか? 近くに我々の居城がありますから、そこへ。移動しながら説明もしましょう」
アナスタシアは周りの女の子達を見回し、溜息交じりに提案する。
「……ああ、それには賛成だ」
俺は室内中の女の子達からきらきらと視線を寄せられていることに気づくと、引きつった笑みを浮かべて頷いた。部屋の中には総勢百人は下らない人数の女の子がいるが、同年代の異性からこれほど注目されるのは初めての経験だ。
女子にあまり免疫がない俺には居心地が悪すぎる。普通に喋るだけなら緊張はしないんだけどな。
「では、こちらへ。貴方も一緒にいらっしゃい、イリス」
アナスタシアは背後を振り返ると、やや離れた場所に立っている水色セミロングの女の子、イリスに声をかけた。
「え、私も!?」
イリスはびくりと身体を震わせる。
「当然でしょう。貴方は総副団長。つまりは総団長補佐、私の副官なのですから」
アナスタシアはきっぱりと断言した。
「う、うん……」
イリスはこくりと頷き、恐る恐る俺を見る。
「はは、よろしく」
俺は軽く手を振って挨拶をした。だが――、
「っ……!」
イリスは怯えた様子で、俺から視線を逸らしてしまう。
うっ、可愛い子に怯えられるのって、結構ショックだな。
「申し訳ございません。あの子は少し人見知りなのです。殿方と接したこともほとんどないので、怯えているのでしょう。名をイリス・トロイアといいます」
アナスタシアはやれやれと溜息をつくと、イリスが怯えている理由を語る。
(確かに、ここにいる子達の中でも、彼女は特に男慣れしていなさそうだな)
俺はイリスを見て得心した。アナスタシアは毅然としていて誰が相手でも臆すことなく対話ができそうな風格がある。
だが、イリスにはそれがない。いかにも気弱な女の子っていう雰囲気があって、なんというか守ってあげたいと思わせる女子特有のオーラがある。
まあ、身体つきでいえば、アナスタシアの方が出るところが出ていて、女性らしいんだけど……。あ、でも決してイリスが魅力的じゃないというわけじゃないぞ。
「では、行きましょうか」
アナスタシアは凜とした声で俺の案内を開始しようとした。すると――、
「だ、団長! 私達もご一緒して、その殿方とお話をしてよろしいですか!?」
と、周りに群がる女の子達が叫ぶ。
「駄目よ。貴方達は後ろから付いてきなさい。近づいて話しかけることは禁じます」
アナスタシアはにこっと笑みを浮かべると、惚れ惚れするような声で拒否した。
「そんなあ!」「ずるいですよ!」「私達も殿方とお話をしたいです!」
などと、女の子達はこぞってアナスタシアに訴える。
「お黙りなさい」
アナスタシアはにべもなく一蹴した。
「っ、はーい!」
女の子達はそれだけで大人しく頷いてしまう。
うん、アナスタシアって、怒らせると怖いのかもしれない。とはいえ、そのおかげですんなりと移動を開始することができた。
「イリスはタイヨウさんの隣に立って、後ろの子達が忍び寄ってこないか見張っていなさい。では、今度こそ行きましょう」
アナスタシアはてきぱきと指示を出すと、俺の左隣に立って出発を促す。
「し、失礼します、タイヨウ、様」
イリスはアナスタシアの指示に従い、恐る恐る俺の右隣へ来る。
「いや、こちらこそ」
と、イリスを怖がらせないようぎこちなく笑みを浮かべて返事をすると、いよいよ祭壇がある部屋の外へと出ることになった。
「ああ、殿方よ、殿方!」「ええ、殿方がこんなに近くにいるなんて……!」
などと、すっかり興奮し感動している大勢の女の子の傍を通って祭壇の階段を下り、祭壇から向かって正面、長方形の室内の奥にある出入り口から退室する。と――、
(おー、眩しいな……。って、え?)
太陽光が視界を覆い、一瞬、目を細める。が、すぐに光に慣れると、今度は大自然が視界に映った。すごい、絶景だ。俺は思わず目を瞬く。
ここ、もしかしなくとも、かなり標高が高い場所なんじゃないだろうか。それこそ山の上とか、塔の上とか。けど――、
(…………ん?)
なんか、妙な違和感があるんだよな。景色が動いている気がするというか……。
(まさかな。それより……)
目の錯覚だろうと考え、俺は出てきたばかりの建物に向き直った。たぶん神殿なのだと思うが、これがまた大自然に負けないくらいに立派な造りをしている。
(なんか、世界史の教科書で見た古代ギリシアの神殿に似ているな。確かパルテノン神殿だったか?)
なんと説明すればいいのだろうか。神殿には俺が先ほどまでいた祭壇のある石造りの部屋しか存在しないのだが、屋根と天井を支えるように、無数の円柱が建物の周りに並び立っているのだ。
「どうやら高台からの絶景と神殿の芸術的な造りに圧倒されているようね。召喚によってこの神殿にやってきた子は皆、貴方と同じような反応をするのよ」
アナスタシアはふふんと得意げに語る。召喚という言葉は少し気になったが――、
「……ああ、すごいな。こんな景色、初めて見た」
俺は改めて大自然に向き直ると、素直に感想を口にした。そして、もっとよく景色を見晴らすために、前へと歩きだす。アナスタシアとイリスも一緒に付いてくる。
「こりゃまたすごい……」
俺はぼそりと呟く。アナスタシアが言っていたように、どうやらこの神殿はかなりの高台に建っているらしい。
高台の下には歴史を感じさせる洋風のシックな街並みが広がっていた。また、高台の崖には斜面をぐるりと囲むようにらせん状の階段が伸びていて、中腹部まで下りたところにとんでもなく長い橋があり、巨大なお城へと続いている。
(確定だな。ここは日本じゃない。絶対に)
そして、たぶん地球でもない。自分でも馬鹿げていると思うが、俺は異世界にでも来てしまったのだ……と思った。しかし、その一方で「これは夢なのでは?」と、思っている自分もいる。実は最近、平凡な主人公が異世界に召喚されるライトノベルを読んで胸を熱くしたばかりだ。だから、勇者になって異世界に召喚されたいと妄想する俺の潜在意識が、もしかしたら夢として具現化したという可能性もないでもない。
「……なあ、これは夢なのか?」
両隣に立つアナスタシアとイリスに尋ねた。
「あら、これは紛れもない現実よ」
アナスタシアはおかしそうに答える。
「そうか、そうだよな……っ!?」
苦笑交じりに頷いた俺だったが、視界に映る景色をまじまじと凝視した。
(…………景色が、動いてやがる)
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