【22】壁画の調査

「神の山の神殿に何の御用ですか。旅の方」

「ええっ?」

 リセルは信じられない面持ちでアルディシスの顔を凝視した。

「ア、アルディシスさん。私です。二日前、ここを出立した……」

 金髪の巫女は白い法衣の袖をさばいて腕を組んだ。


「申し訳ありませんが、あなた、勘違いなさってない? 私の名前を何故知っているのかはわかりませんが、この二日、こちらに客人は来てませんし、私もあなたを存じ上げません」

「……」

 リセルは絶句しながら、これはどういうことか考えた。


『あの女の仕業よ』

 リセルは脳裏に響いたルーの声に思わず右手を胸に当てた。

『言ってたでしょ? あの女は私の存在を無視して、人々の記憶から私のことを消し去ったって。闇の世界に通じる穴もしっかりふさいだけど、壊れた王都の大神殿は直す事ができないから、地震で崩壊したことにしておくって』


「……」

「それで、こちらには何か御用ですか?」

 リセルは我に返った。

 初対面の時のように、どことなく冷たいアルディシスの態度に懐かしさを覚えながら。

「これは失礼いたしました。私の名はリセル・ルースフィア。「神の山」の神殿の壁画に興味があって訪ねたのです」

「……まあ……」


 アルディシスは明るい水色の瞳を見開いて、両手を胸の前で組んだ。そして感動に震えているのか、目をキラキラさせながらリセルを見つめた。

「嘘みたい。夢の通りだわ」

「夢?」

 アルディシスはリセルの手を掴んだ。


「とにかくお入りになって。日も暮れてきましたし。大したもてなしはできないけど、お茶でも煎れますわ」

「あ、アルディシスさん……」

 リセルはアルディシスに手を掴まれたまま、自分の用件を伝えようとした。

「あの……」

 前を歩くアルディシスが、肩で切りそろえた金色の髪を揺らしながら振り返った。


「『神々の系譜の間』に多分、あなたの探しているものがあると思うのだけれど」

 リセルはぎくりとして足を止めた。

「ど、どうしてそれを」

 アルディシスはじっとリセルの顔を覗き込んだ。


「アルヴィーズ様が昨晩私の夢に現れたの。リセルと名乗る人がいつか神殿を訪れたら、『神々の系譜の間』に案内するようにって。あなたは一枚の壁画を探しているはずだからって。本当に本当なの?」

 リセルは神の采配に舌を巻きながらうなずいた。アルヴィーズは地上の出来事をひょっとしたら逐一見ているのかもしれない。


「ああ、そうなんだ。どうしても見たい壁画があって……」

 アルディシスは困ったように眉間を寄せて、口元にほっそりとした手を当てた。

「神々の系譜の間には案内いたしますわ。でもね、リセルさん」

 リセルは急に口籠ったアルディシスの様子に訝しんだ。


「どうしたんですか? 何か、都合が悪い事でも?」

 アルディシスは慌てて首を横に振った。

「ごめんなさい。実は私もこの神殿の管理を任されたのが半年前で、神殿内部のことを全部知っているわけではないの。だから……」


 アルディシスはリセルの腕を取り、自分の隣に引っ張った。

「ここから通路が二股になっているのがわかります?」

「はい」

 リセルは岩を削って作られた通路を覗き込んだ。どちらも人一人が通れるぐらいの狭い幅しかなく、明かりは側面につけられた蝋燭のみが、弱々しい光を放っている。


「私が知っているのは、神々の系譜の間というのは、この「神の山」の神殿全体を示していて、そこに描かれている壁画は、歴史の古い順になっているということ」

「つまり?」

 リセルはぞっとしながらアルディシスに訊ねた。

 アルディシスは瞳を細め、同意を求めるかのように微笑した。


「左の道は地下へと通じてます。地下は三階まで。右の道はこの神殿の最上階まで続いてます。約十階まであるそうです」

「……ということは?」

 アルディシスは腰に両手を添えてむっとした。


「あなた、わざとそう言ってるの? 要は地下三階から地上十階まで壁画は描かれていて、その順番は歴史の古い順に並べられているって言ったの」

 リセルは肩に流れたセピア色の髪を払った。

「どの年代がどの階にあるかは?」

「ごめんなさい。自分で行って確認して下さる? 実はそれ、先代の巫女も調査していたんだけど、あまりにも膨大な数に挫折してしまって、ついに身体を壊して亡くなってしまいましたの」


 アルディシスは美しい顔を青ざめさせ、ひしと我が身を抱きしめた。


「私も神々の系譜や歴史には興味があって、ぜひ先代が成し遂げられなかったこの仕事をしたいと思って……それでここの管理を申し出たんですけど……はや挫折しそうですわ」

「ちなみに、調査はどこまで進んでます?」


 リセルはあてにしているわけではないが、一縷の望みを抱いてアルディシスに聞いた。リセルが見たい壁画はたった一枚だけ。人々に殆ど知られていない、かつて神から人となった唯一の存在である『エレディーン』の壁画。

 残念ながらリセルはエレディーンがいつの時代から存在したのか全く知らない。

 手がかりがあるとすれば、それはアルヴィーズが神界の戦を鎮めるために、己の弱い心を地上に封じた頃だろう。

 その年代を探れば、リセルが探す壁画がどこにあるのか、場所を絞れるかもしれない。


「ごめんなさい。今、やっと地下三階が終わった所なの。壁画の数は大小合わせて千五百枚。ちなみにこれ、先代が十年かけて調査したわ。目録は書物室の棚に収めてますけど、それを一通り目を通すだけでも多分三日ぐらいかかるんじゃないかしら」

「……」

「ねっ、大変でしょ?」

 半ばヤケといった表情でアルディシスが引きつった笑みを浮かべた。

 リセルも俯いたまま、両手で拳を作りながら唇を震わせた。


「ルーグの……嘘つき」


 アルディシスに聞いたらすぐ見られると、彼は気軽なことを言っていた。

 こんなに大変だとは思わなかった。

 リセルはもっと詳しい場所を何故ルーグに聞いておかなかったのか今更悔いた。


「ちなみに何の壁画をお探しですの? 有名どころなら『アルヴィーズの創造』とか、一度海底にエルウエストディアスの国土を沈めた『ノルンの魔風』とか、海神ストラーシアの悲恋で知られる『水晶の塔』の詩の一場面を描いたものとかなら、私もすぐにご案内ができるんですけれど」


 リセルは首を振った。

 エレディーンの存在は恐らく神殿の教典にも載っていない。ひょっとしたらほとんど口伝という形で、知る人ぞ知る神だったのかもしれない。

 リセルは三ヵ月前に『大神殿』に呼ばれた時から、それなりに神学の勉強を始めていた。リスティスの後を継ぐ以上知識は必要だし、魔法使いというせいで偏見の目でみる神官達に馬鹿にされたくなかったのである。


「ありがとう。アルディシスさん。壁画が見つかるまでしばらく滞在したいんですが、いいですか?」

 アルディシスの美しい顔が困惑に歪むのをリセルは見た。


「め、迷惑はかけませんし、それなりに仕事があれば手伝わせてもらいますし。壁画の調査とか調査とか……」

「あらリセルさん、私、あなたがここにいることを迷惑だなんて思いませんわ。むしろそうして下さったらすごく助かりますもの。ただね……」

「ただ……?」

「何年いるつもりかしらと思って」


 アルディシスは真顔でそう言った。


「は……はは。そうですね。希望としては一週間ぐらいで見つけたいなぁって……」 


 アルディシスの懸念を知ってリセルは再び引きつった笑みを浮かべた。

 そう。エレディーンの壁画を『いつ』見つけられるか。これによってここへの滞在期間は変わってくる。


「ちなみに私は、来年の春に王都に戻りますの。あと半年。その時までまだリセルさんがいらっしゃったら、ちゃんと次の方に引き継ぎいたしますわね。じゃ、私、夕課のおつとめをしなければならないので、一旦失礼いたしますわ。夕食のご用意ができたら鐘を六つ鳴らしますので、この二股の通路まで来て頂けます? それからお部屋にご案内いたしますわ」

「急にお邪魔したのに、ありがとうございます」

「構いませんわ。あなたの来訪はアルヴィーズ様の思し召しでしたし。すぐ壁画が見つかるといいですわね」


 リセルは自分の仕事をしに戻るアルディシスの小柄な背中を見送った。


「ふっ……こうなればここに骨を埋めるつもりで、壁画を探そうじゃないか。私には人が羨む程の長い永い時がある!」


 これもアルヴィーズの采配ならば、意地でも壁画を探してやる。

 妙な気合いを込めリセルは二股になった通路を睨み付けた。

 どっちから攻めようか。地下三階と地上十階。アルディシスは年代の古い順に壁画が並んでいると言っていた。つまり、地下の方が古いわけだ。ここは順当に歴史を追うべきだろう。リセルは左の下る通路に向かって歩き出した。

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