【2】ひと時の休息

 少女は未だ闇の中にいた。

 何もない真っ暗の空間で細い体を縮こまらせ、ぎゅっと目をつむっていた。

 先程から目が痛い。

 闇の中にいるはずなのに、まるで太陽を直視しているかのような強烈なあかりを感じる。


「やめろ! もうやめて! わたしには明るすぎるんだ! その光は!」


 両手で目を塞ぎながら少女はひたすら叫んだ。

 足をばたつかせ、体全体で叫び続けた。

 すると、じゅっという音と共に、少女の目を苛んでいた強烈な灯が消えた。


「すまなかった。これでいいか?」


 少女は誰かが自分の額にかかった髪に触れるのを感じ、ゆっくりと目を開けた。

 そこには先程霧の蛇を一刀の元に切り捨てた黒髪の騎士が座っている。


 白い手袋をはめた右手には木製のカップらしきものが握られている。どうやらその中身をたき火にぶちまけて火を消したらしい。薪の他に何かを一緒に燃やしていたのか、香草のような、虫が嫌うようなつんとした香りが周囲に漂っている。

 青年は少女の側に腰を下ろしたまま、淡々とした口調で話しかけてきた。


「私も夜目はきくが、できたらもっと明るい所で君と話したい。魔物避けの香木はかないから、小さなたき火ならしてもいいかい?」


 少女は布団代わりにくるまれていた青年の黒いマントの裾を握りしめうなずいた。滑らかで気持ちいい手触り。そっと目元までマントを引き寄せる。


「火を焚いてみて。まぶしかったらすぐに言うから」

「わかった」


 青年は一度火を焚いた所とは別の所に乾いた木片を重ね合わせ、懐から火打石を取り出した。

 瞬く間にそれは小さな赤い炎を上げるたき火となった。


「大丈夫かい?」


 少女は目元まで引き上げていた黒いマントからそっと顔を出した。


「うん……大丈夫」

「そうか。よかった」


 青年は目を細め少女に向かって笑ってみせたが、その顔はいくばくか青ざめていた。


「気付くべきだった。お嬢ちゃんの目が『あかい』ってこと」

「こらぁ~! だ……誰が、お嬢ちゃんだってぇ!」


 少女はがばとマントを跳ね上げて身を起こした。猫のようにつり上がった紅い瞳をらんらんと光らせて、体中の毛を逆立てて青年を睨みつける。


「えっ。あ、いや。君はどうみても十三才ぐらいの可愛いお嬢ちゃんじゃないか。男の子じゃないのはわかってる」

「うっ!」


 少女はぐっと唇を噛みしめ、青年の顔を睨み付けていた。

 確かに自分はそれぐらいの幼い少女の姿をしている。未だに認めたくないほどよくわかっている。だが少女は別の事に気付いてみるみるその頬を赤くさせた。着ていた紺色のマントや同じ色のチュニックが何時の間にか脱がされている。少女は白い袖無しの上着のみを纏った姿で立っていた。


「かっ……勝手に、ぬが……脱がしやがったな!」


 けれど青年は涼やかな目元を細め、申し訳なさそうに肩をすくめた。


「それも悪かった。でも君があまりにも息苦しそうだったんでね」


 青年は立ち上がると、少女の足元に落ちた自分の黒いマントを拾い上げて、再び肩口を包み込んだ。


(あったかい……)


「座りなさい。喉が渇いていないか? 今お茶を作るから」


 青年は湖水のような透き通った青灰色の瞳をしていた。それを覗き込んだせいなのか、少女は自分の中の熱い怒りが鎮まっていくのを感じた。

 一見飄々ひょうひょうとした外見のくせに、何故かその言葉には逆らえないものがある。少女は言われた通り、再び腰を下ろした。


「あの」

「よし、できたぞ」


 必要最低限、少女から離れた所に作ったたき火で、青年は小さな鉄の鍋に水筒の水を入れて湯を湧かし、何やら淡い花の香りをたてる葉を砕いていた。


「アマランスの葉? ひょっとして」


 青年の黒いマントにくるまったまま、少女は手渡された木のカップを受け取った。


「ほう、良く知ってるね」


 青年は涼やかな目元を細め、感心したようにうなずいた。

 少女はそれにむっとしながら茶をすすった。

 お世辞にもおいしいとはいえない苦味が口一杯に広がる。

 けれど少女はそれが体を温めて、気力を回復させる薬効があるのを知っていた。


「当然。魔法に使う触媒しょくばいの一つだもの」

「ほう。それは知らなかった」

「知らなかったって……アマランスは『神の山』にしか生えていない稀少きしょう植物だ。王都の薬屋にだって滅多にその葉は入荷しないのに」


 少女は青年の顔を抉るように見つめた。


「助けてもらった事には礼をいう。けれど王都の神殿騎士が、こんな辺鄙へんぴな森で何の用だ?」


 黒髪の青年は困ったように眉間を寄せた。


「君、黙っていればとても可愛いなのに、その口の悪さはいかがなもんかな?」

「うわー! うわー! 『美少女』なんていうなー! 頼むから!」


 少女は白く輝く髪を振り乱して叫んだ。

 うっすらと目に涙まで浮かべて。

 青年はもっと困ったように唇を歪めた。


「わかったわかった。君は自分を『女の子』としてみたくないんだね?」


 少女は頭を抱えながら、激しくぶんぶんとうなずいた。


「そう! そうなんだ。だからわたしのことは『お嬢ちゃん』じゃなくて名前で呼んでくれ。頼む。わたしの名はリセルだ」


 黒髪の青年は困惑したまま、けれど了解したかのように微笑んだ。


「わかった。リセル。これでいいか?」

「ああ、結構だ」


 少女――リセルは安堵の表情を浮かべ、ようやく落ち着いたかのように肩の力を抜いた。それを半ば残念そうに見つめながら青年は口を開いた。


「じゃ、私も名乗っておこうか。私は神殿騎士のルヴォーグだ」

「る、るぼーぐ?」


 リセルは発音しにくそうに顔を歪めた。

 するとルヴォーグはやれやれと肩をすくめながらつぶやいた。


「どうも王都の人間に、南部出身の私の名前は発音が難しいみたいなんだよな。ああ、無理しなくていい。私の事は皆『ルーグ』と呼ぶから」

「でも……」

「ルーグと呼んで欲しい」

「……わかった」

「では、改めてよろしく。リセル」


 微笑んだルヴォーグの黒衣の上で、彼の所属を表す銀の剣の首飾りが揺れた。たき火の光を受けてきらりと星明りのように輝く。


「ルーグ。あんたは王都にある『大神殿』直属の神殿騎士だろう?」

「それが、何か?」


 小さな含みをもたせた声でルーグが答える。

 リセルはいつしか自分の体が震えている事に気付いた。それを抑えるために、お茶の入ったカップをぐっと強く握りしめた。

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