【3】旅の目的

「よく、無事だったな」


 ルーグは意味ありげに眉根を寄せ、じっと燃えるたき火の炎を見つめた。


「二日前に王都の『大神殿』で事件が起きたのは知っている。神殿が柱を残して天井も壁もすべて崩れ落ちたそうだな。けれど私はちょうど南部の神殿の方へ使いに出ていて、あの事件には巻き込まれなかった。ハイ・プリースト神官長=リセル」


 リセルは弾かれたように顔を上げ、激しく頭を振った。


「わたしを知っていたのか。でもその呼称でわたしを呼ぶな。わたしはなんてなりたくないんだ。わたしは使のリセルだ!」


「じゃ、なぜ君は王都を抜け出し、たった一人で『神の山』に向かっているんだ? 物騒な幽鬼どもに命を狙われながら」

「そ、それは」


 ルーグが白い手袋をはめた右手を伸ばし、リセルの青白い頬にそっと触れた。


「何のつもりだ。人の顔をじろじろみて」


 リセルはルーグの手を振り払おうとしたが、その青灰色の瞳に見つめられているせいか、何故か身動きできない。

 全く心当たりがないのだが、同じような目をした人を知っているような気がした。

 まさか。

 脳裏に過ったその思いを一蹴すると、ルーグがリセルの瞳を覗き込みながら、密やかに口を開いた。


をした『ふるき神』を知っているか? 私は『彼奴きゃつ』を知っている。その名を言うのは今はやめておこう。何故、太陽神アルヴィーズの命で封じられていた『彼奴』が現世に現れ、王都の『大神殿』を破壊したのかわからないが、君は彼奴に『呪い』を受けたんだろう? その身に宿る強大な力を封じ込めるために」


「ルーグ……あんたは、どうしてそれを……つっ!」


 リセルは今度こそルーグの手を振り払い、顔を覆った。

 ルーグの言葉のせいか、僅か二日前に起きたおぞましい出来事が脳裏に蘇ってきた。



 ◇◇◇



 まるで悪夢でも見ているようだった。

 王都の純白の大理石の神殿は一瞬でがれきの山と化し、その下敷きとなった多くの神官達の血で地面は真っ赤に彩られた。

 勿論、神殿を警護していた『神殿騎士団』の団員達も巻き込まれ犠牲となった。

 リセルは天井が崩れ落ちた祭壇の前で呆然と立ち尽くしていた。


 リセルが無傷だったのは大神官アーチビショップを務める母リスティスが、力を行使して祭壇近くにいた王やその側近、そして自分の跡継ぎであるリセルを神殿の崩壊から守ったからである。


 けれど母の魔法の力はそれで大半が失われた。

 十五年の長きに渡って大神官アーチビショップを務めた母の魔力は枯渇しつつあった。

 よって彼女は優れた魔力を持つリセルを自分の後継者として指名し、リセルはその資質を証明するため、国王や他の神官たちの前で、実際にエルウエストディアス国の守護神・アルヴィーズを喚び出す『召喚の儀』を神殿で行っていたのだ。




 ◆◆◆



「……わたしが、悪かったんだ」


 リセルは膝を抱えて肩を丸めた。


「わたしが、『あいつ』をんでしまったから」

「リセル」


 リセルは再び肩に置かれたルーグの手を鋭く振り払った。


「そう。わたしはアルヴィーズをべなかった。代わりに、アルヴィーズ自身が自分の中にある『悪』の心を嫌い、地中深く封じた『半神』を喚んでしまった。エルウエストディアスの民なら子供でも知っている、あの有名な神話に出てくる『半神』だ。神殿はわたしが召喚した『あいつ』のせいで崩れ落ちた。母さんも陛下もご無事かどうか全くわからない。母さんが残る力で、わたしだけを王都の外まで飛ばしてくれたから。


だから、わたしは『あいつ』を再び封じ込めなくちゃならない。『あいつ』は自分と同じ呪われし姿を与えることで、神を喚ぶわたしの『力』を封じこめたけど、わたしはそれを解く方法を知っている」


「なるほど。『神の山』の神殿に行き、太陽神アルヴィーズに『彼奴きゃつ』にかけられた呪いを解いてもらうんだな」

「ああ」


 リセルは迷いのない真直ぐな瞳でルーグを見据えた。


「じゃ、神官を守る『神殿騎士』として、私も同行させてもらおうかな」

「へっ?」


 ルーグは涼やかな目元を細めながら、腰に帯びている銀の剣に手をかけた。


「君は大魔法使いなのかもしれないが、今はただの子供だよ。それに受けた呪いのせいで、ほとんど魔法が使えないはずだ。どうやって『彼奴』の下僕たちを退ける?」


「いいよ放っといて。あんたも旅の途中でしょ」


 リセルはルーグの黒いマントを頭から被った。太陽神アルヴィーズに地上で会える場所は、「神の御座ござ」と呼ばれる山のふもとにある神殿だ。あと一日あればたどり着ける。


「リセル」


 ルーグが呼びかけてきたがリセルは無視した。


(うるさい。こっちは早く寝て体力を回復しなければならないんだ。あんたみたいな大人の男じゃないから、とにかく体力がないんだ)


「そうだな。しばらく寝た方がいいな。見張りは私がやるから安心してくれ」


(そうですか。それはとってもありがたい)


 リセルは両目をつぶった。このまま眠ろうと思ったが、彼のマントを被ったままささやいた。


「ルーグ」

「何だい?」

「助けてくれて……ありがとう」


 ふっと神殿騎士は笑い声を漏らした。


「おやすみ」

「……」


 リセルは返事をしなかった。いやできなかった。

 忍び寄る睡魔にとうとう捕まって、夢をも見ない眠りに落ちてしまったから。

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