幕間:婚約破棄

 レムリス子爵家嫡男であるルークレイグは後ろ指をさされる立場にあった。実家のレムリス侯爵家の爵位が突然二段階降格されたかと思ったら、領内の要所を王家に取り上げられてしまったのだ。

 不思議な事にレムリス家はその決定に一切の異議を申し立てることはしなかったのだ。それが貴族達に“レムリス家はそれだけの処罰を受けるだけのことをした”という印象を与えたのだ。

 

 それによりルークレイグの周囲の取り巻きの連中もあっという間に散っていき、孤立していった。

 今まで侯爵家の権力、権威を利用して家格の劣るもの達を見下し、尊厳を踏みにじってきた。今現在ルークレイグが尊厳を踏みにじられる扱いを周囲の者達に受け続けているという状況である。


(くそ!! なぜ私がこのような扱いを受けなければならない!!)


 ルークレイグが現在尊厳を踏みにじられるような扱いを受けているのは自分がやって来た事に対する報いを受けているに過ぎない。だがルークレイグにはそれがどうしても納得出来ないのだ。

 自分の行いを反省し、今までの事を謝罪していけばひょっとしたら十数年後には事態は好転するのかもしれないがそのような高潔な思考回路をルークレイグは持ち得なかったのだ。


 そして、ルークレイグの元に来客があった。現在ルークレイグは王都にある貴族専用の学校に通っているが、客は王都にあるレムリス家の屋敷にやってきたのである。


 ルークレイグが屋敷の客室に赴くとそこには一人の少女と背後に二人の侍女が控えているのが目に入った。

 ルークレイグの姿を見た少女は立ち上げると開口一番にルークレイグに告げる。


「ルークレイグ様、あなたとの婚約は破棄させていただきます」


 少女がルークレイグに言い放った。その声には一切の配慮、親愛の情などを排除したものである。

 少女の名は“エルザ=ラムル=ハークライド”といいハークライド伯爵家の令嬢である。


「エ、エルザ……何故?」


 ルークレイグは震える声でエルザに問いかける。その事に対してエルザは冷たい視線をルークレイグに向けて言う。


「簡単な事です。私達の婚約はわがハークライド伯爵家の利益のための言わば政略結婚でした。私はレムリス侯爵家の嫡男と婚約を結んだのです。レムリス子爵・・家などと婚姻を結ぶわけございませんよ」

「な、何を言っているんだ!! お前はこの私と婚約していたのだ。確かにレムリス家は子爵家となったが私自身は何も変わっていないのだぞ!!」


 ルークレイグの反論にエルザは冷たい雰囲気を崩すことは一切無かった。その事にルークレイグの動揺は強まるばかりである。

 元々、エルザはルークレイグに対して一切反論する事無く唯々諾々と従ってきた。そのためルークレイグはエルザに対して高圧的に接していたのだ。


「ええ、あなたは本当に何も変わっておりませんわ。私を見下し利用しようとする小賢しい魂胆が見えますよ」

「な」

「勘違いしているようですから伝えておきますね。私はあなたに恋慕の感情など持ち合わせておりません。むしろ家格が上であるという事で私を見下していたあなたに対して嫌悪感しか持っておりませんのよ」


 エルザの言葉にルークレイグはゴクリと喉をならした。エルザの言葉を否定する根拠を彼は持たなかったのだ。


「それにレムリス家が子爵家に降格されたのは国王陛下直々のご沙汰らしいではありませんか。一体何をなさったら爵位の降格などされるのですか?」


 エルザの問いかけにルークレイグはぐっと詰まる。ルークレイグは当然ながら理由を知っているがそれを正直に話すことは出来ない。


「どうされたのです? 答えないのですか? それとも……答えられないのですか?」


 エルザの声には隠しきれないルークレイグへの嫌悪感が溢れている。


「答えないのはやはり相当な事をレムリス家は行ったという事ですね。私達はレムリス家と共に沈むつもりはございませんので縁切りさせていただきたいというのは当然の主張と思われますよね?」

「エルザ、聞いてくれ」

「婚約は破棄したと伝えましたよね? 婚約者でもない者から名を呼ばれる筋合いはございませんわ」

「エルザ!!」

「良かったではないですか。嫌な婚約者から縁を切ってもらえたおかげで自由に女性に言い寄ることが出来ますよ」


 エルザの言葉にルークレイグは顔を青くする。その様子を見てエルザのルークレイグへの視線はさらに温度を下げた。ルークレイグはある子爵令嬢に懸想しており事あるごとに迫っていたのだ。


「私が何も知らないと思っているのですか? あまりハークライドを舐めない方がよろしいですわよ? ああ、そうそうその子爵家令嬢のエミリア様ですが、領地に婚約者がいらっしゃるという話ですよ。それはもう大変仲睦まじくて私本当に羨ましいほどでした」


 エルザの言葉にルークレイグは顔を青くする。


「エミリア様はあなた様から言い寄られて非常に迷惑をしていると私に涙ながらに訴えて参りました。侯爵家のあなたの誘いをきっぱりと断れば実家にどのような不利益が生じるかわからないと」


 エルザの言葉にルークレイグは反論出来ない。何か言い訳しなければならないと思ってはいるのだが咄嗟に言い訳が浮かばなかったのだ。


「まぁ、でもレムリス家が没落してくれたのでエミリア様もこれで心安らかに婚約者様と愛を育むことが出来ますね。私もあなたのような方と家庭を築かなくて済んでほっとしております」


 エルザはそう言うと立ち上がりそのまま踵を返し歩き出した。そこに二人の侍女が付き従う。二人の侍女のルークレイグに向ける視線は汚物よりも不快なものに向けるものである。


「待て!! 待ってくれエルザ!! 私は君を心から愛しているんだ!!」


 ルークレイグの呼び止めにエルザは振り返ることなく立ち止まった。


(あんな事を言ったがエルザはやはり私の事を愛しているのだ。ハークライドとのつながりを保てれば私はまだのし上がることが出来る)


 ルークレイグの脳内ではエルザが嬉しそうな表情を浮かべて自分の胸に跳び込んでくるという光景を思い浮かべていた。つい先程エルザから絶縁状を叩きつけられていたにも関わらずこの思考回路は驚嘆すべきものである。


「ルークレイグ……あなたごとき子爵家の者が伯爵家の私の名を気安く呼ぶなと言った意味がまだ分からないのですか?」


 エルザは振り返る事無く言う。その声色から凄まじいばかりの嫌悪感が溢れているのがルークレイグにも理解できた。

 そして何よりエルザはルークレイグを呼び捨てで呼んだのである。


「身分をわきまえなさい」


 エルザはそう言うとそのまま室内を出て行った。ルークレイグはそれをもはや止める事も出来ずにそのまま項垂れる。


(何と言うことだ……これからレムリス家はどうなってしまうのだ)


 ルークレイグの心に苦すぎる感情が満ちていった。


(これもすべてはヴェルティオーネのせいだ。このままではすまさんぞ……)


 ルークレイグは怒りの矛先をヴェルに定めるのであった。

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