移動⑤

 ヴェルの冷たい言葉に男達は氷水を背中に流し込まれたような戦慄が走った。この男達は戦う術を持っているとは言っても所詮は貴族令嬢であり戦闘の専門家である自分達にとって取るに足らない程度であると思っていた。


「所詮はレムリスに飼われた犬よね。主がゲスだから犬の品位も悪いわ」


 ヴェルの言葉に男達は顔を引きつらせた。


「おのれ!!」


 激高した男の一人が剣を抜き放つと一歩を踏み出した瞬間にヴェルの薙刀が一閃され、男の両脛を斬り裂かれた男が地面に転がった。


「はぁぁぁぁぁ!? どうして!? いつ斬られた!?」


 男はヴェルの薙刀の間合いにいたというのにあっさりと両膝を斬り裂かれた事に対して混乱しており苦痛に呻きながら地面を転がっている。

 絶叫を放つ男の声に周囲の男達は状況が理解できずに立ちすくんでいる。明らかに戦闘は始まっているというのに男達にはヴェルがどのような方法で仲間の足を斬りつけたかこの段階においても理解することが出来ていないのだ。


 灰色の猟犬グレイハウンドはさすがにミスリルクラスのハンターであり自失の時間は男達よりも短い、ムルグがオグラスに視線を一瞬だけ向けたるとオグラスは即座に動く。元々不意討ちが失敗した場合には女性陣の一人を人質にとり戦闘を有利に進めようとしていたのだ。


「てめぇら!! この女の血が見たくなけりゃ武器を捨てろ!!」


 オグラスはエリスの背後に回り込むと左腕を後ろから首に回して右手の剣をエリスの首元に突きつけた。


 オグラスのこの光景を見てムルグ、ネイス、男達に勝利の気配を身近に感じたのだろう。顔を思い切り歪めてアディル達に口々に汚い言葉を叩きつける。


「おら、さっさと武器を捨てねぇか!!」

「あの女がどうなっても良いのか!?」


 ムルグとネイスのあまりの変貌にアディル達はため息をつく。アディルのムルグ達を見る目にはまったく恐れも憤りもない。ただ無様な相手に向ける心の底から軽蔑する感情だけが含まれている。それをムルグ達は察してしまう。ミスリルクラスにまで昇ったハンターとしての察知する能力がアディルの視線に含まれた侮辱の意思を察してしまったのはあれらにとって不幸であっただろう。


「なんだ、その目は!! さっさと武器を捨てろと言っているだろう!!」


 ムルグはアディルを恫喝するがアディルは相変わらずまったく侮蔑の視線を送り続ける。


「ぎゃあああああああああ!!」


 そこに新たな絶叫が発せられた。絶叫を放ったのはエリスを人質に取ったオグラスからである。オグラスの右腕があらぬ方向に複雑に曲がっておりオグラスの腕がぐしゃぐしゃになっているのは確実である。

 エリスの体から黒い二本の腕が現れオグラスの右腕を掴んでいるところを見るとオグラスの右腕を潰したのはその腕である事は間違いない。


「いつまで触ってんのよ!!」


 エリスはそう叫ぶとエリスの背中から一体の羽を生やした人型の何かが現れる。その何かはオグラスを容赦なく引き離すと体を持ち上げるとそのまま地面に叩きつけた。


「がぁ!!」


 流石に意識を失っていたわけではないのでオグラスは何とか受け身を取ることに成功するが地面に叩きつけられた衝撃の全てを無くすことが出来たわけではない。痛みに呻いている所に容赦なく拳を叩きつける。拳が入ったのはオグラスの胸部であり“ゴギリ”という胸骨の砕ける音がアディル達の耳にまで届いた。


「ムルグさん。今弁解する必要はないよ。お前達を痛めつけた後にじっくりと聞いてやるからな」


 アディルがムルグとネイスに言い放った所で“待った”がかかる。待ったをかけたのはエスティルとアリスであった。


 エスティルとアリスはそれぞれ自分の愛用の武器をすでに抜き放っている。エスティルは魔剣ヴォルディス、アリスは竜剣ヴェルレムと籠手ヴィグレムである。


「アディル……そいつらは私達でやるわ」


 エスティルの言葉にアディルは頷く。二人はそう言うとニヤリと嗤う。その笑顔は誰もが見惚れるような美しいものであったのだが、向けられた男達は自分達が食われる側の存在であると感じたのかも知れない。


「じゃあ、私はこっちね」


 ヴェルはそう言うと薙刀を一閃する。


「が……」


 男の一人が左肩からバッサリと斬られると理解が及ばないという表情を浮かべながら倒れ込む。


「ひ……」


 最後の一人となった男は背を向けて走り出した。いや、正確に言えば走り出そうとした。三歩目を踏み出す前にヴェルが再び薙刀を一閃すると背中を切りつけられた男はそのまま倒れ込んだ。


「二人とも邪魔は入らないから、存分にやっちゃって!!」


 ヴェルの明るい声にエスティルとアリスも顔を綻ばせる。対称的にムルグとネイスは厳しい表情を浮かべていた。つい先程まで彼らは楽にアマテラスを蹂躙する予定であったのに今は完全に追い込まれているという状況である。アディル、ヴェル、エリスの三人の戦闘力の凄まじさを目の当たりにすれば自分達が追い込まれているのは数の上だけでもなく質の面においても後れを取っているのは明らかである。


「さぁて舐めた真似をしてくれたあんた達を許すつもりはないから降伏を受け入れるつもりはないわ」


 アリスの容赦ない宣言にムルグとネイスは覚悟を決めたように武器を構えると二人に向かって襲いかかった。いや、正確に言えば襲いかからされたと言う方が正しいのかも知れない。

 

「私がムルグをやるから、アリスはネイスをお願い」

「了解!!」


 エスティルの提案にアリスが快諾するとそのまま襲いかかるムルグとネイスに向かって斬り込んでいく。


「舐めるなぁ!!」


 ネイスは怒りの咆哮を上げると向かってくるアリスに大盾を構える。そしてそれこそがエスティルとアリスの狙いだった。ネイスが大盾をアリスに向けた瞬間に無防備な脇腹がエスティルに晒されている。


(まぁ……こんなものよね)


 エスティルは皮肉気に嗤うとネイスの懐に一瞬で潜り込むと魔剣ヴォルディスを振るった。エスティルの斬撃はネイスの脇腹を斬り裂くと鮮血が舞う。一拍後れて痛みを感じたのだろうネイスの表情に苦痛を浮かべるとその場に倒れ込んだ。


(さすがエスティル♪)


 アリスは倒れ込んだネイスの頭を踏みつけるとムルグに向かって駆け出す。ムルグはエスティルとアリスのこの行動に対処する事は出来なかった。エスティルに狙いを定めていたムルグにしてみればエスティルに意識を向けていたためにアリスの行動を察知するのが一瞬遅れてしまったのだ。しかし、アリスの踏み込みの速度はその一瞬の後れで勝負を決してしまう程の速度であった。

 アリスはムルグを左肩から袈裟斬りにすると肩口から血を撒き散らしながらムルグは倒れ込んだ。


 戦いは一方的にアディル達“アマテラス”の勝利で終わったのであった。

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