第30話 竜姫⑧

 アディルは「孤陰こえいの構え」のままローゴンへ斬り込む。アディルの斬り込みに対し、ローゴンは余裕の表情を崩すこと無く迎えうつ。広げた両腕の構えからローゴンはアディルに向かって攻撃を繰り出す。

 高速で放たれたローゴンの攻撃をアディルは紙一重で躱すとそのまま「孤陰の構え」から斬撃を繰り出した。放たれた斬撃は逆袈裟ぎゃくけさであり、左脇腹から右肩へと抜ける斬り上げの斬撃だ。


 ボフン!!


 アディルの斬撃がローゴンの左脇腹に触れた瞬間にローゴンの体が霧に変化する。ニヤリとローゴンの嗤いがアディルの視界に入るが、アディルはまったく気にした様子はない。むしろ想定内という感じであった。

 想定していたという事は当然対処できるということだ。アディルは斬り上げた途中でカタナから手を離したのだ。

 アディルの手から離れたカタナは天高く飛んでいく。確かにカタナは飛んでいったのだがアディルの両腕はそのままローゴンの体のあった位置で止まっている。


土剋水どこくすい!!」


 アディルは止めた右手から土気どきを放出すると、ローゴンの霧となった体の部分が周囲に飛び散る。


「がはぁぁぁ!!」


 アディルの思わぬ一撃を受けたローゴンは苦痛の声を瞬間的に発する。これはローゴンにとってまったくの想定外であった。霧となった自分の身には物理的攻撃は一切効かないはずなのに凄まじい衝撃を受けたのだ。

 アディルは土気を放出した瞬間に、残った左手を既にアディルは懐に入れており、そこから数枚のを取り出すとローゴンの頭部に放った。放たれた数枚の符はそのままローゴンの頭部に絡みつくとそのままローゴンの頭部は地面に落ちる。


「ぐ……」


 地面に落ちた頭部に目をやること無くアディルは腰にある鞘の内側にある文様に触れると鞘に新たなカタナが現れる。

 アディルは新たに現れたカタナを抜き放つ。抜き放たれたカタナの刀身は黒くただのカタナでない事は明らかだ。


「せりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 アディルは黒いカタナをローゴンの獣となった下半身に振り下ろした。アディルの上段斬りは獣の頭部を両断した。


「ぎゃぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!」


 アディルが獣の頭部を両断した瞬間に符に覆われたローゴンの絶叫が響く。どうやら切り離された状況であっても痛覚が繋がっているらしい。そしてそれは悪手中の悪手である。すなわちアディルにローゴンは決定的な弱味を握られた事を意味するのだ。


「な、なぜ、霧になれない!!」


 符に覆われたローゴンの頭部は困惑した声を出している。頭部を霧に変える事が出来れば苦痛を感じることもなくなり、そのまま霧から元に戻れば文字通り再生する事も出来るのだ。


「ああ、お前の頭部を覆っている符がお前の能力を封じているんだ」

「な、なんだと……そんな事が……」

「お前は霧になれる能力を過信しすぎた」


 アディルの冷たい言葉にローゴンは沈黙する。


「大体お前、俺がお前を斬ると言ったときに不思議に思わなかったのか?」

「……」

「お前の霧になれる能力を目の当たりにしてすぐにお前を斬るという言葉、普通に考えればお前の霧になる能力に対して対策があった事になるだろ」

「……」


 アディルの言葉にローゴンは言葉を発する事が出来ない。アディルの指摘は自分の迂闊さを指摘するものであり、ローゴンはそれに反論することが出来なかった。


「さて……細かい事をお前に説明してやるつもりは一切無い。俺はお前と違って臆病だからな油断などしないんだ」

「く……」


 アディルは地面に落ちたローゴンの首を持ち上げると目の前に掲げる。符の隙間から非好意的な感情に満ちたアディルの視線を受ける。


「さて、どうする? 先程言ったように生殺与奪はすでに俺が握っている。お前はそれを無視してなお戦うか?」

「く……」

「降参しろ、竜姫とこの村から手を引けば命だけは助けてやる」

「ちょっと……アディル正気?」


 アディルの言葉に難色を示したのはヴェル達三人である。確かにアディルがローゴンの生殺与奪を握っているのは間違いないのだが、アディルの提案は一種の賭である事は間違いない。吸血鬼ヴァンパイアはプライドが高くこの屈辱を忘れることは決してしないだろう。そしてアマテラスを狙うのでは無くこの村の人々を復讐の対象にする可能性も高いのだ。


「ああ、一度ぐらいは信じても良いと思う」


 アディルの言葉にローゴンは驚きの感情のこもった視線をアディルに向ける。アディルの意図を図りかねているようだ。


「あ、ああ……私は竜姫とこの村から手を引く」


 ローゴンの言葉を聞いたアディルは即座に頭部を覆っていた符を剥がした。剥がされた符は青白い炎を発するとそのまま灰となった。すべての符が灰になった瞬間にローゴンの頭部は霧に変化した。それと同時に斬り伏せられていた獣となった下半身も霧に変化すると、アディルから三メートル程離れた所で霧は一つにまとまるとローゴンの姿に戻った。 元の姿の戻ったローゴンはニヤリとした表情をアディルに向ける。その顔はアディルへの嘲りと敵愾心に満ちていた。


「バカめが私がなぜ人間のような下等生物との約束を守るなどと本気で思ったのか」


 ローゴンの言葉にヴェル達は身構えるがアディルはまったく気にした様子もない。それどころか余裕の表情を浮かべながら口元に嗤いを浮かべている。それがローゴンには気にかかった。


「お前は本当にバカなのだな」

「なんだと!?」


 アディルの言葉にローゴンはやや狼狽えた声を発する。


「さっき俺は霧となったお前にダメージを与えたよな?」

「……」

「そしてお前の霧になる能力を封じ込めた。その俺がお前が裏切るという事を想定していなかったとでも思っているのか?」

「……まさか」

「そう、そのまさかだよ。すでに手は打っているんだよ」

「な、何をした?」


 アディルの返答にローゴンは狼狽する。


「分からないのか?」


 アディルがそう言った瞬間にローゴンの体から数本の刃が突き出てきた。


「が……は……」


 ローゴンは口から大量の血を吐き出した。その瞬間にアディルはローゴンとの間合いをほぼ一瞬で詰めると手にした黒い刀身のカタナでローゴンの心臓を刺し貫いた。


「ぐ……」

「助かる機会を自ら蹴ったんだからこの結果は当然だよな。愚かさの報いを受けただけだ。あの世で反省しろ」

「ま、待て……」


 ローゴンは心臓を貫いたカタナを両手で押さえるがすでに押さえ込むだけの力は残っていなかった。


「じゃあな」


 アディルはそのままカタナを斬り上げるとローゴンの頭部を顎から真っ二つに両断する。アディルのカタナという支えを失いローゴンは膝から崩れ落ちた。崩れ落ちたローゴンの体は生命力を急速に失うとサラサラとした塵となり消滅していく。

 アディルはローゴンの体が完全に消滅したのを確認するとカタナを鞘に納めるのであった。

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