第5話 宣戦布告③

 “私が生きていて驚いた”というヴェルの言葉に侯爵一家はそれぞれの反応をしめす。“まずい”という反応を示したのは侯爵の正妻であるイザベラだ。困惑の表情を浮かべたのは侯爵であるエメトスと息子のルークレイグ、娘のフレデリカだ。それぞれさすがは貴族というべきか表情に表れたのは一瞬と称してもおかしくない時間であったが、アディルとヴェルはそれを見過ごすような事はしない。


(あいつが今回の黒幕という事か)


「ヴェルティオーネ……お前は何を言っているのだ?」


 侯爵であるエメトスが毅然とした態度でヴェルに尋ねる。それをヴェルは真っ向から粉砕すべく動き出す。もはやヴェルにとってレムリス侯爵家の者達は敵でしか無いという位置づけなので容赦などするつもりは一切無い。


「レムリス侯こそ何を惚とぼけておられるのです? 私は先程、あなたの部下達に襲われましたよ。しかも私を陵辱し、その後に殺させようという外道極まる最低の方法でね。そんな命令を出すあなたがいまさら善人ぶるのは止めなさい」


 ヴェルの声は氷点の遥か下の温度だ。だが付き合いのほとんどないはずのアディルはその奥底にあるマグマ以上の怒りの熱量を察している。


「な、ヴェルティオーネ!! 貴様父上に何と言うことを!!」

「ひ、酷いわ。お姉様、お父様にそんな酷い事をいうなんて!!」


 そこに異母兄のルークレイグ、異母妹のフレデリカがヴェルに向かって抗議の声をあげる。だがヴェルはギロリという効果音をつけたかのような敵意ある視線を二人に向ける。その凄まじいとしか称することの出来ない視線を受けて二人は口を紡ぐ。


「私がいつあなた達に話しかけたのです? 私が話しかけたのはレムリス侯です。あなた達如きが口を差し挟むのは止めなさい。不愉快です」


 ヴェルの言葉に二人はゴクリと喉を鳴らした。いや、二人さけでなくこの場にいるアディルを除く全員がヴェルの怒りに身を震わせている。


「レムリス侯、この際ですからはっきり言っておきますけどね。私をこのレムリス家に迎えて恩義を与えたと思っているのならとんだ見当違いです。誰がこんな意地の悪い連中しかいない家に引き取られて有り難く思うと思っているのですか? 私はこのレムリス侯爵家の関係者全員が大嫌いです。それこそあなた達を家族だと思った事は一度もありませんよ。何を勘違いしているのですか?」

「な……」


 ヴェルの痛烈な言葉にエメトスは反論することは出来ない。反論が来ない段階でヴェルは一気にたたみかけるように言葉を発する。


「レムリス侯は私が使用人に蔑まれている事を知っているはずです。にも関わらずあなたは何も手を打たない」

「……」

「侯爵夫人は私を妾の子だと言って事あるごとに折檻しましたね? そして今回は侯爵と組んで私を陵辱させ殺させようとまでする下劣な行為を行いました」

「な……」

「御嫡男も私をいじめ抜いてくれました。自分が気に入らないことがあると殴る蹴るは当たり前でしたね?」

「……」

「令嬢も私が大切にしていたお母様の形見を侍女に命令して勝手に捨てさせましたね。それを見てニヤニヤ嗤っていたあの時のあなたの顔は心と同じく酷く醜かったですよ」

「……」


 ヴェルの糾弾にレムリス侯爵家の面々は沈黙する。本来であれば反論を試みるのだが、ヴェルから放たれる敵意、嫌悪感そして何よりも含まれる気迫が反論を許さなかったのだ。


(これって、後々かなり屈辱だろうな。自分達が見下して来たヴェルの気迫に屈したなんて貴族には耐えがたい屈辱だろうな)


 アディルは心の中でそう思う。ヴェルの糾弾は論理に基づいて論破するというものではなく勢い、気迫により反論を封じるどころか粉砕してしまうことだろう。また貴族は一般的に面子を非常に重要視する。ヴェルの糾弾は侯爵家の面子を叩きつぶすものであったのだ。


「さて、私はこのような品性下劣な侯爵家の一員と思われるのは非常に屈辱ですので、縁を切りたいと思ってその旨を言いに来たのです。レムリス侯、私は本日この時をもってレムリス侯爵家と縁を切ります。良かったですね」

「な……」

「あ、もちろん。あなた達のような品性が著しく劣った一族は私に様々な嫌がらせを行うことでしょうね。ありもしない罪をでっち上げるのは当然想定しています。そこで私の方もあなた方、“侯爵家の醜聞”を広めるつもりです」


 ヴェルの“侯爵家の醜聞”という言葉に侯爵家の面々は顔を強張らせる。アディルはちらりと使用人達を見ると同様に顔を強張らせていた。


「レムリス侯、あなたには政敵と呼べる相手であるエジンベル伯、ガムリス侯がいますね」

「そ、それがどうした?」


 ヴェルの言葉にエメトスはかろうじて声を出す。


「簡単な事です。今回、妾の子である私を陵辱し、殺そうとしたという事実をエジンベル伯、ガムリス侯の耳に入れるつもりです」

「貴様ごときのいう事など誰も信じるわけがなかろう!!」


 エメトスは顔を引きつらせながら反論する。


「何を言っているのです? 信じる信じないの話じゃないんですよ。エジンベル伯、ガムリス侯はあなたを追い落とすために噂を最大限に利用してくれるという事です」


 ヴェルの言葉を聞いてエメトスは顔を引きつらせる。妾の子であってもヴェルはレムリス侯爵家の一員であるのは事実であり、しかも見目麗しいと言う事で政略結婚の駒として利用しようとしていたのだ。そのためにしっかりとヴェルの宣伝を行っていたのだ。


「そ、そんな、ヴェルティオーネ!!あなたはレムリス家をどこまで辱めれば気が済むのです!!」


 そこに侯爵夫人であるイザベラがたまりかねたように叫ぶ。しかし、レムリス侯爵家に宣戦布告をしにきたヴェルにとって想定内の反応であり心に一切の揺らぎもおきない。


「全部あなたが私を殺そうと騎士達に命じたのが原因です。自分の愚かさを棚に上げて被害者を装うなどこれ以上愚かな事はありませんね」

「う、嘘よ!! 大体あなたを殺そうとしたなんて私が命じたという証拠はどこにあるの!?」

「騎士達がベラベラと話しましたよ。私が死ぬからもう大丈夫と思って口が軽かったんでしょうね。口同様に頭が軽くて助かりましたよ」


 ヴェルの言葉にイザベルの顔が凍る。そして、アディルに視線を移して同意を求めるための問いかけを行う。


「ちなみに私を助けてくれたそちらの方もその事を聞いていますよ」


 ヴェルの言葉にアディルに視線が集まる。視線が集まったアディルはニヤリと嗤ってヴェルの一手に便乗することにする。


「そうだな。騎士達は確かにヴェルを殺す理由をベラベラと喋っていたな。俺が助けに入った時も“聞かれた以上はお前も生かしておくわけにはいかん”とかいいながら襲いかかってきた」


 アディルの言葉に侯爵家の面々はイザベラに視線を送る。もちろん、騎士達はイザベラの名前を出したりはしなかったし、アディルに至っては騎士達にいきなり斬りかかったのためろくに言葉も交わしていないのだが、その辺の事を正直に伝える意味は無い。


「いや~本当にレムリス侯爵家というのは娘をわざわざ陵辱させて殺害するという事を平気で行う貴族という事が実によくわかった」


 アディルは淡々と言葉を紡いでいく。失礼極まりない言い方であるが、アディルもレムリス侯爵家に喧嘩を売りに来ているので、その意味では当然の行動であった。


「貴様は何者だ!! 下賤な輩が我がレムリス侯爵家を侮辱するか!!」


 ここで嫡男のルークレイグがアディルに吠える。アディルはジロリとルークレイグを睨みつけるとルークレイグは口を閉じる。


「ああ、侮辱するに決まっているだろう。お前達がやった事を聞いた人がお前達に敬意を持つと思っているのならお前は狂ってるぞ」

「な……」

「俺はヴェルと手を組んでいる。言わば相棒だ。相棒とお前達のどちらに味方するか一々説明せねばわからんか?」


 怒りの余り口をパクパクとしているルークレイグを無視してアディルはエメトスを睨みつける。


「これから俺とヴェルは行動を共にする。お前は家の名誉を守ろうとすればどのような行動をとるべきか理解しているだろう? 俺達がいつお前の政敵に今回の醜聞を伝える事になるかわからんぞ。その事をきちんと理解しておけ」


 アディルの言葉にエメトスは沈黙する。本来十五~六の平民の少年にこのような無礼な言葉を投げかけられて怒り出さないはずはないのだが、アディルの放つ雰囲気に気圧されていたのだ。


「話は終わりだな。ヴェル、さっさと準備をしてくれ」

「そうね。レムリス侯とそのご家族のみなさん私は先程伝えたようにここを出て行きますからせいぜい頑張ってくださいね」

「アディル、ちょっと待っててね荷物を取ってくるわ」

「ああ」


 ヴェルはそう言うとそのままレムリス侯一家、使用人達を無視して歩き出す。向かう先はヴェルの私室だ。


 五分程してヴェルは再び姿を現す。その姿は今までの令嬢然としたドレスでは無く、黒いシャツに薄紫のフレアスカート、革製のベルトにマントを羽織っている。腰には通常のものよりも短い剣を差している。


「お待たせ」

「おう」


 ヴェルはアディルに向けそう言うと侯爵家一家、使用人達にもはや一瞥もくれることなく歩き出した。アディルも歩き出すとヴェルの隣に並んで歩き出した。扉を開けてレムリス侯爵家を出て行く様子を全員が呆然と眺めていた。




 *  *  *


「イザベラ一体どういうことだ!!」

「そうです。騎士達をつかって殺そうとするなど!!」

「お母様、どうして」


 アディルとヴェルが侯爵家を後にしてからしばらく呆然としていた侯爵家の面々が呪縛が解けたかのように侯爵夫人であるイザベラに詰め寄った。


「何言ってるのよ!! あなた達だってあの娘がいなくなれば良いと常日頃から言っていたじゃない!! ルーク!! あなただってあの娘に殴る蹴るをしていたでしょう!! フレデリカだって似たような事をしていたじゃない!!」


 イザベラの指摘にルークレイグ、フレデリカは気まずそうな表情を浮かべる。自分の行動を顧みればイザベラを責める事は出来ない事に思い至ったのだ。


「それにあなただってあの娘に一切救いの手を差し伸べなかったじゃ無い!!」


 続いてイザベラはエメトスを糾弾する。エメトスも痛いところを突かれたという表情を浮かべる。その様子を見たイザベラはすかさずたたみ込む。この辺りの判断はイザベラは的確であった。


「何もかも悪いのはあの娘よ!! 下賤なあの女の娘がこのレムリス侯爵家に徒なす事など許される事では無いわ!! あの娘は私だけが憎いわけじゃない!! 私達全員があの娘の復讐対象よ!!」


 イザベラの言葉に全員の顔が強張る。明らかにイザベラの論法は自己保身以外の何ものでもないのだがそれを押し通すことが出来たのはやはりヴェルの放つ気迫に気圧されたという屈辱と恐怖が根本にあったからだろう。


「そ、そうだな……確かに今回の事が世に知られればレムリス侯爵家にとって大きな痛手となることだろう」

「そうよ!! 悪いのはすべてあの娘よ!!」

「何とかせねばならんな」

「ええ……」


 イザベラに誘導されたエメトスはイザベラが悪いのでは無くヴェルが悪いという風になっていた。


「あの小僧もわが侯爵家の名誉を傷つける事をほのめかした……」

「生かして置くわけにはいきません」

「そうだな……」


 エメトスとイザベラの結論は二人を生かしておく事は出来ないというものである。そしてそれはアディルが最も望んでいた結論である事を二人は当然ながら知らない。


 侯爵家はアディルとヴェルの掌の上で見事に踊る事になるのである。

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