第4話 宣戦布告②

 一時間ほど馬車に揺られレムリス侯爵邸に到着する。侯爵の別荘は落ち着いた雰囲気の屋敷であるがその広大さは相当なものだ。少なくともアディルの実家なら十は軽く入るような広さである。ちなみにアディルの実家が特段狭いというわけでは決して無い。一般的な平民の家よりも僅かばかり大きいぐらいである。


「へぇ~でっかい屋敷だな」

「まぁね。落ち着いた雰囲気だけどここに住んでいる連中は例外なく性根の腐った連中だけどね」

「まぁ、気に入らないという理由だけでお前を苛めるだけでなく、殺そうとする連中だからな」

「ええ、我慢してやっていたのに殺そうとまでするんだからもう容赦はしないわ」


 アディルとヴェルはヒソヒソと話すのではなく相当大きな声で話している。御者に聞こえても構わないし、むしろ聞かせるつもりの声量なのだ。


(色々と鬱積が溜まってたところに今回の騎士達の暴挙にヴェルはキレちゃったんだろうな)


 アディルはヴェルの行動をそう分析している。これまでどこまで虐げられていても受け流していたのだろうが、長年鬱積が溜まっており今回の騎士達の事で我慢の限界を超えたのだ。人間、我慢の限界を超えると思い切った行動に出るものでありヴェルの行動もその延長線上にあるものだ。


 すると馬車が別荘の敷地内に入り玄関先に止まる。外から御者が二人に声をかけてくる。


「あ、あの着きました……」


 御者の声は非常にオドオドとしている。今まで蔑んでいた娘が羊の皮を被った虎である事に気付いてしまった以上、先程までのような態度を取ることは絶対に出来ない。


「それじゃあ、さっそく宣戦布告してきましょう」


 ヴェルはニヤリと嗤うと勢いよく馬車の扉を開ける。


 ガン!!


 勢いよく扉を開けた際に御者の顔面に扉がぶち当たった。少しでも心証を回復しようと扉を開けようとした故に起こった事故であった。


「邪魔よ」


 顔面を押さえて呻いている御者にヴェルは冷たく言い放つと地面に降り立つ。続いてアディルが地面に降り立つがヴェル同様に顔を押さえて蹲る御者を心配するような事はしない。

 ヴェルはずんずんと別荘の玄関に向かって歩いて行く。庭掃除などを行っていた庭師や侍女達が呆気にとられて視線を送っている。


 ガチャ!!


 ヴェルは躊躇無く玄関の扉を開けて中に入っていく。アディルもヴェルの後ろについてそのまま別荘に入ると別荘と言うには豪華な調度品がアディルの目に飛び込んでくる。中に入った二人の前に執事服に身を包んだ三十半ばの男性が慌てて駆けてくる。その表情にはヴェルに対して隠しきれない蔑みの感情が含まれている事をアディルは察した。後に続く侍女達も意地の悪そうな表情を浮かべてヴェルの元に駆けてきている。


(ああ、こりゃ嫌になるわ)


 アディルはこの時、ヴェルが今までどのような扱いを受けてきたかを完全に理解したと言って良かった。ここまで非好意的な視線の中で生きてきたのだから、侯爵家の者達に情じょうを一切持たないのも頷けるというものだ。


「お嬢様、随分と早いお帰りで所でそちらの小汚い少年は何です…がぁ!!」


 嫌みたらしく口を開いたその執事の顔面にヴェルの右拳が叩き込まれ、執事は数メートルの距離を飛び床に転がった。ヴェルの拳は魔力で強化されておりその威力は凄まじかったのだ。執事の顔面はかるく陥没していた。


「きゃああああああああ」

「お嬢様、何をなさるのです!!」

「誰か、エリック様が!!」


 いきなりヴェルが執事を殴り飛ばしたことで侍女達が一斉に悲鳴を上げ非難の目をヴェルに向ける。そうそうたる非難の目がヴェルに向けられるがヴェルは逆に怒鳴りつけた。


「黙りなさい!! この外道共が!! 私を殺そうとしたくせに!!」


 ヴェルの怒りに燃えた怒鳴り声に騒いでいた侍女達は驚きの表情を浮かべる。その様子を見てアディルは侯爵家の使用人達全員が騎士達の行動に感知してなかった事を察するが同情はしない。


「お嬢様、殺そうなど、いくらなんでも酷すぎます!!」


 一人の年若い侍女が困惑しながら抗議の声を上げる。ヴェルはその抗議を真っ向から粉砕するために声を発する。


「黙れ、外道の分際で被害者のフリをするな!!」


 ヴェルのあまりの剣幕に年若い侍女は首をすくめて黙る。ヴェルの声には数の有利さを粉砕する圧倒的な熱量があった。このようなヴェルの姿を見るのは使用人達にとってはじめての経験なのだろう。今までのヴェルはどのように蔑みの言葉を投げ掛けられてもじっと我慢していたのだ。使用人達は反撃は無いと言う事で家族に冷遇されていたヴェルに嫌がらせを行っていたのだ。

 しかし、それは終わりを告げた。羊の皮を被っていたヴェルはその皮を脱ぎ捨てると猛然と牙をむいたのだ。備えをしていなかった使用人達はまともにその牙を受ける事になったのである。


「騎士六人に私を殺させるようにしていたのだろうけど残念だったわね。お前達のような外道共にあっさりとやられる程、マヌケじゃ無いのよ」

「……え、殺す……何をおっしゃら」

「黙りなさい!! お前達もその仲間のくせに白々しくとぼけるな!!」


 侍女の反論の途中でヴェルがその言葉を封じる。ついでに殺気も放っており侍女達はガタガタと体を震わせ始める。


(う~ん、ヴェルの独壇場だな。今までは我慢してあげていたのにそれを弱いと判断してた愚かさが一気に吹き出たな)


 アディルにしてみればヴェルは一目で甘く見てはいけない相手だと判断したのだが、一般的にはどうやらそうではなかったらしい。これはアディルが鋭いのか、ヴェルの擬態が上手いのか、判断が分かれるところであろう。


「私の護衛としていた騎士達は私を森の中で殺そうと襲ってきたわよ。もちろん殺そうとするだけでなく私を陵辱しようとしたわ。この屋敷の連中全員が一枚噛んでいるのは間違いないわ。そんなお前達を外道と呼ぶのは当たり前の事よ!!」


 ヴェルのまくし立てるような言葉に使用人達は困惑を深めていく。これほどの敵意、殺意を向けられる経験は使用人達は初めてなのだろう。顔色は加速度的に青くなっていく。


「マリーザ、反論出来るならしてみなさい!!」


 突如指を突きつけられ動揺したマリーザという二十代半ばの侍女はとっさに否定の言葉を口にすることが出来なかった。ヴェルはそこですぐさま言葉を続ける。


「ほら反論出来ない。この屋敷の連中がいかに外道か証明されたようね」


 ヴェルの論法にアディルは心の中で感歎する。マリーザとかいう侍女が咄嗟に反論出来なかったのは、まさか自分が突然舞台に上げられるとは思っていなかった混乱故である。もちろん、ヴェルはその事に気付いておりマリーザを舞台に上げることでこの場の支配を強化したのだ。


(……ヴェルは俺に実力を見せようとしてるわけか)


 アディルはそう推測する。ヴェルの戦闘力は先程でかなり理解していたが、交渉術などの点でも能力を見せようとして相棒のアディルにみせようとしいるのだ。


(となると、俺も戦闘だけじゃ無いと言う事を見せないといけないわけだな)


 アディルはそう結論づけると話に割って入る事にした。


「ヴェル、こんな外道共にこれ以上時間を割いても仕方が無い。さっさとこの不愉快な空間から出ることにしよう。準備をしてきてくれ」

「そうね。こんな外道共に時間を割くのは時間の無駄ね」


 ヴェルはそう言うと一階のエントランスを出て自分の部屋に向かおうとした時に、一人の男の声が響いた。


「何の騒ぎだ?」


 アディルが視線をそちらに移すと四十代半ばの男性と同年代の女性、ヴェルと同年代の少年と少女がいた。

 使用人達は一斉に新しく現れた者達に一礼する。


「これはこれはレムリス侯とその家族の皆様方、ご機嫌麗しゅうございます。私が生きていて驚かれているご様子ですね」


 ヴェルは現れた四人に慇懃無礼な挨拶を行う。含まれる嫌悪感、敵意は覆われた慇懃な態度ではとても隠し通せるものではない。もちろんヴェルがそのような態度をとったのは嫌味からである。


(これからが本番だな……)


 アディルは侯爵家ご一行が登場したことにより、宣戦布告の本番であることを察するのであった。

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