第50-B話 槌の子
目が覚めてすぐ、異変に気づいた。
起きたばかりでぼやける視界でも、彼女が居ないことは明らかだった。胸から下を隠すために体に密着させている湿った布団。部屋の中を隅々まで探し歩く私にズルズルと付いてくる。
「トキ・・・どこいったんだよ?」
リビング。洗面所。トイレ。その途中の廊下。
狭い家の中をぐるぐると回っても、愛する彼女の姿はない。
「隠れてないで出てこいよ・・・?寂しいだろ?」
返事はない。何があったのかよくわからない。
昨晩、私とトキは一線を越えた。
唇を重ね、舌を絡め、互いの身体を撫でて舐めて。その先も。
トキは少し暴走気味だったが、ちゃんと意識はあった。形だけじゃなく、ちゃんと愛し合った。
なのに、その際に脱ぎ捨てたはずの衣服が私の分しかない。彼女のひらひらとした可愛らしいそれはない。そして、それを着るはずの本人すらいない。
「おい・・・返事しろよ・・・」
懇願するようにひとりぼっちの部屋で呟く。知っていたことだが、その音が反響するだけで他には何も聞こえてこない。
状況を把握しきれないまま、漠然と「トキがいない」という事実を突きつけられる。
居るはずもないのに、クローゼットを開いて中を見る。洞窟から持ってきたバケツや二胡をはじめ、色んなものが入っている。ふと、懐かしいものが目に入った。
「これ・・・」
二つ並んで置いてあるそれをつまみあげる。手のひらの四分の一ぐらい大きさ。片方は白い、シンプルな百合の花の飾りが付いたヘアゴム。トキの分だ。もうひとつはオレンジ色で、トキの物に比べて花弁が外側に反った鬼百合のブローチ。私の分。
私が地上に出てきて数日経った日に、デパートで購入したものだ。パトロールは仕事だからオシャレは要らないと、つけない事の多くなってしまったものだ。
「さがさなきゃ・・・」
自然と口から漏れた。
ポケットに二つとも突っ込んで、家の鍵を手にする。
トキが置き手紙もしないで一人で出ているなんておかしい、何かあったのかもしれない。もしくは、彼女から出ていってしまったか・・・。いずれにせよ、探さないわけにはいかない。
戸締りだけはしっかりとして、もしなんでもなかった時のために置き手紙。
「十二時には帰ります・・・っと」
トキが普通に帰ってくれば、この手紙を目にするから問題無いだろう。八時半を指す時計を見ながら、そう考える。
戸締りをもう一度確認し直して、私は下駄を履いた。
最初に向かったのはナウの家。インターホンを一回、二回。ガチャ、と音がして扉が開く。
「おはよー、どしたの?なにも二回鳴らさなくても・・・」
出てきたナウは、そこまで用意していたようにペラペラと話す。が、私だけということに気がついたのだろう、「おや?」という顔をしている。
「ツチノコちゃん一人?トキちゃんは?」
「・・・わからない。朝起きたら居なかった。ここにも・・・?」
「来てない・・・ね。それで、トキちゃん探しに?」
頷いてみせる。ナウも驚いたような表情だが、冷静に応えてくれる。
「わかった、僕も探すよ。そうだな・・・二時頃にここにまた集合で。一旦家にも戻ってみて?ただのお散歩だったりするかもしれないし」
「ありがとう、二時だな?心当たりのあるところ全部回ってみる」
「OK、私も色んなところ探したり声掛けしたりするよ」
頼んだ、と言い残してその場を後にする。正直、飛べない私と飛べるトキでは移動能力に差がありすぎるので見つけられるか心配ではあるが、人手が増えれば頼もしい。やはりここを先に回っておいて良かった。
そんなことを考えながら、次に向かうのはパトロール事務所。緊急で呼ばれたりしたのかもしれないと思ってだ。
「おーい、ちょっと待ってよ」
・・・と、歩いていると見知らぬフレンズに呼び止められる。丸っこい耳に、薄いグレーと濃いグレーのグラデーションがかかった髪。青の服。ニコニコと語りかけてくる。
「レアで希少価値がありきっと楽しい人生を歩んでんだろう?」
・・・なんだこいつ。どうして私はこうもクセの強い奴に絡まれるのか。とりあえず、問いに答えてやる。なにを夢見ているのか知らないが、答えられることはキッチリと答えてやる。
「希少であるというアイデンティティと引き換えに、友達も仲間も社会交流も・・・この世界の何もかもを失うんだ。これが幸せだと思うか?」
明らかにガッカリとした顔をする彼女。
「お前、めっちゃ暗いな・・・全然幸せそうじゃない」
耳もどんどん垂れてくる。さっきまでのニコニコ顔はどこに行ってしまったのか。
「その通り、私は幸せを求め地上に出てきたんだ」
「そ、そうか」
「でも、地上もいいことばっかじゃないな。悪いヒトも居るみたいだし、社会のルールで生活するのも楽じゃない・・・」
・・・あれ?不思議なことに、この話をするとトキの顔が浮かぶ。そして、そこから色んな彼女がどんどんと。ナウに向かって頬を膨らますトキ。顔を赤くして目を合わせようとしないトキ。歌ってる時の幸せそうなトキ。・・・昨日の、私を押し倒して息を荒くするトキ。
トキ。彼女の存在が頭の中をぐるぐる回る。そのトキが居ない、もう会えないのかもしれない。そう実感した時に、液体が頬を伝う感触があった。
「でもさ・・・こんな暗い私でも構ってくれる奴がいてさ?幸せにしてくれる奴がいてさぁ・・・?そいつが居なかったらって思うとさ・・・私はこの社会にもみくちゃにされてもう心折れてたかもな・・・」
涙が止まらず、落ち着いて呼吸しようにも上手くいかない。目の前の彼女が困惑してしまっている、でもそんな視線はお構い無しに私は泣きじゃくった。
「お、おい大丈夫かよ?」
心配される。私はパーカーの袖で涙を拭きながら、深呼吸をし、心を落ち着かせる。そして、相手に向き合う。さっき、「幸せ」がどうこう言っていたはず。私なりの答えを出して、それをそのまま口にしてみる。
「教えてやる。もし楽しい人生・・・幸せな人生を歩みたいなら。自分の全てを預けられるような、パートナーを探すんだ。一緒にいるとすごく楽しい、幸せなような、そんなやつ」
すべて、経験から話した。私におけるパートナーとは、もちろんトキのことだ。やっぱり、私はトキがいないとダメらしい。最初にベストフレンドと言ってくれた彼女、今ではフレンドを通り越して恋人だ。女同士でなんておかしいかもしれないが、それでも私はトキが好きだ。
「おう・・・ありがとう、悪かったな急に話しかけて」
そう、彼女は回れ右してとぼとぼと歩き始める。
「あ、言い忘れてた。私はアライグマ、以後お見知りおきを・・・なんつって」
そういって、彼女は近くの建物の中に姿を消した。
自分の気持ちを再確認した今、いち早くトキを見つけなくては。
そして、「愛してる」と言ってやる。
事務所。
「おはようノコッチ、今日休みじゃなかったっけ?」
ガラスの扉を開けると、ロバに声をかけられる。
「トキ・・・居ないか?」
「居ませんけど、どうしたんですか急に。いつもあんなにラブラブなのに」
少しからかったような笑みを浮かべるロバに、真剣に返事をする。何があったのか、状況説明だ。
事情を知ったロバは、ニヤニヤした顔を急変させて仕事中にも見せないようなキッとした表情になる。
「わかりました、パトロール側でも見かけたら連絡するように伝えておきます。幸い、今日はエジプトガンもカグヤも出てるので発見率は高いかな・・・?」
「ありがとう、インカムは繋いでおくから見つけたら連絡してくれ。じゃ、私は別のところを探す」
そう言って扉を出ようとした時。
「待って・・・これ!」
少し遠くのロバから何か、銀色の物を投げられる。
驚きながらも反射的に掴むと、彼女がいつも携帯しているらしい手錠と、その鍵だった。
「これは・・・?」
「トキちゃんとの繋がり、大事にしてくださいね?それはあげます、どう使ってもいいですけど」
「・・・ありがとう、有難く受け取っとくぞ・・・じゃあな」
改めて別れを告げ、扉の外へ。
私は貰った手錠を自身の左手だけにはめる。きっと、ロバもこうするように渡してくれたのだろう。
「よし、次は家それで図書館だな」
結果、家には戻ってない。図書館にはトキどころか教授達すら居なかった。
「ここまで来るのに結構かかったのに・・・くそっ」
図書館は都市部から離れた、森林エリアにあるので徒歩では大変だった。と言っても、慣れないパーク巡回バスでなんとかしたのだが。
「・・・そろそろナウと合流しなきゃな。行くか」
空っぽの図書館を後に、またバスに乗り込んだ。
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