第50-A話 朱鷺

 よくわからないけど目が覚めた。

 カーテン越しに朝焼けの綺麗な光が部屋の中を照らしていた。


「私、いつの間に寝ちゃって・・・?昨日、事務所から帰ってきて、それで・・・?」


 まだ眠たい。視界がぼやけている。


「ふぁぁ・・・もう一眠りしますかね・・・」


 そう、布団の中でモゾモゾと動いた時に違和感が。布団の布の感触を肌に直に感じる。

 腕を布団から出すと、生活の中では一日一時間も見ない肌色のそれだった。


「あれぇ・・・?」


 薄く開けていただけの目を擦って、もう一度確認する。

 やはり見えるのは、素肌。布団の中の自分の体をぺたぺた触っても、服の気配はない。代わりに自分の皮膚に直接の感触。


 寝起きのせいか、頭がよく回らないが普段とは違うことを察知する。

 体を起こしてみると、天井に向いていた視界がスライドして見慣れた部屋の一部。しかし、綺麗な状態を保とうと努力していた床が散らかっていることに気が付いた。


 いつも着ている、朱色のフリフリが付いた白い長袖。フリフリと同じ色のスカート。その上に、もっと濃い朱色のタイツ。


 脱ぎ捨てられたように散乱するそれらの下に、思わず目を見開いてしまうようなものがあった。茶色を基調とした、独特なラインと目玉のような赤丸がついたフードが特徴のパーカー。いつも、愛する彼女が着ていたものだ。


 ぎくり、として視界を下ろす。


 安らかに寝息を立てている彼女。いつものフードは被っておらず、綺麗な青緑の髪が確認出来る。

 昨晩、自分が何をしたのかは覚えていない。しかし、目の前の光景に恐れていた事態が起こってしまったのではないかと想像をする。


 恐る恐る、布団をめくる。手が震えて上手く出来ない。いつの間にかかいた冷や汗が頬を伝う。心臓がドクドクと早く鳴る。



 めくった布団の下にいた、愛する人は。



 一糸まとわぬ姿で。



 綺麗な白い肌に、ところどころ残っている赤色の痕。



 何が起きたか、想像するのは容易だった。

 布団が手から滑り落ちる。嘘だ嘘だ、という声が頭に響いても、素肌に感じる濡れたシーツの感触がその逃避さえ許さない。

 次々と昨日の様子が思い出される。

 彼女の唾液の味、肌の触り心地、淫らな喘ぎ声。そして、無抵抗の彼女の体を貪るように味わい、愛と快楽に溺れる自分自身。


 気がついたら私は家を飛び出して、頬を濡らしていた。





 無意識というのはよくわからない。

 いつの間にか私は服を着ていたし、いつの間にか薄暗い部屋にいる。目の前には見た事のないフレンズも。


「おーい、返事しろってー」


 グレーの髪の彼女が目の前で手を振りながら呼びかけてきた。咄嗟に返事をしたが、変な声が出た。


「やっと気がついた、どうしたんだお前?」


「あの・・・すみません、ここはどこでしょう?」


「何処って・・・大丈夫か?ここはカラオケボックスの一室、お前が入ったんだろ?ひょっとして私のことも覚えてない?」


 言われてみれば、薄暗い部屋と煌々と光るモニター、卓上のマイクには見覚えがあった。会話の内容から、彼女と面識があるようだが全く誰だかわからない。


「・・・ごめんなさい、さっぱり・・・」


「まじか・・・私はアライグマ、事情あってお前、トキの生き方とかもろもろ教えて欲しいんだが・・・いいか?泣き跡酷いし、なんかあった?」


 話を聞いて意識をはっきりさせると、今朝何があったかを思い出してまた涙を流す。


「おいおい本当に大丈夫かよ・・・?ほら、適当なの予約したからお得意の歌でも歌えよ」


 強引にマイクを握らされる。


「ほら、歌って発散だ!辛い事があったなら、楽しいことで吹き飛ばせ!」


 聞き覚えのあるイントロが流れる。偶然にも、私が歌ってあげた中でもツチノコのお気に入りの曲だった。


 目からどんどん溢れ出てくるそれをよそに、思いっきりマイクに向かって叫ぶ。

 音痴だと言われる私だが、今日のは特段酷かった。


 そうやって、一曲歌い終える頃には泣きすぎで目が開けられなかった。


「ごめんなさい、今日はちょっと生き方なんて・・・あれ?」


 一緒に居たはず彼女の姿は無かった。

 代わりに、テーブルの上に置かれた千円札。


「出て行っちゃいましたか・・・でもその方が迷惑もかからないし・・・うっ、うえぇ」


 目が痛い。でも、心の痛さの方が上なのかひたすら涙が止まらない。


「ごめんなさい・・・ごめんなさいツチノコぉ・・・」


 謝罪の言葉。カラオケ用の防音ルームから外に聞こえることは無かった。





 歌うなんて気分なわけが無く、泣いて泣いて、終了十分前の電話がかかってきてすぐに出てきてしまった。

 もう枯れてしまったのか、涙は出てこない。それでも罪悪感は増すばかりで、心をギュッと締め付ける。


 そうやってふらふら飛んで、たまたま辿り着いた図書館。意味もなく足を踏み入れた。


「おや、トキ?ツチノコはどうし・・・ど、どうしたのですか!?」


「どうしたのであるか教授、珍しく声を張って・・・おやトキ、よく来たのであ・・・る?」


 私達には馴染みの深いフレンズ、コノハ教授とミミ准教授。顔を合わせるなり驚かれてしまった。


「いえ、たまたま通りかかったから寄っただけです・・・こんにちは」


 二人とも驚いた顔を戻さない。それはそうだろう、いつもツチノコと一緒だった私が泣き跡のひどい顔で元気なく訪れたのだから。意味もなく立ち寄ったが心配をかけてしまったのなら申し訳なく思う。


「何があったのです?話してみるのです」

「我々が手を貸せば解決する問題かもしれないのである、もちろん無理にとは言わないであるが・・・」


「いいんです、私の問題ですから・・・」


「お前の問題だからってお前だけで解決しようなんて愚考なのです」

「我々フレンズは動物がヒトの体を持ったもの、そしてヒトは助け合って生活するのである。郷に入れば郷に従え、である。」


 そう言ってくれるが、話す気にはなれない。内容が内容というのもそうだし、話してしまう気力すらないというのもある。


「ありがとうございます・・・でも」


「質問するのである、ツチノコはどうしたのであるか?」

「この間のバレンタインではあんな調子だったのではないですか、やはりその絡みなのですか?」


 私の言葉を遮るように投げかけられる「ツチノコ」の言葉。その四文字がぱっくり開いた私の心の穴を抉る。


「ツチノコ・・・グスッ、ツチノコぉ・・・」


 思わず、床に膝をついて泣いてしまう。枯れたと思った涙もまだまだ溢れてくる。


(教授、これは・・・)


(ええ、真っ白な髪と関係があるでしょうね。おそらく、シてしまったのですよ)


 泣いている方に集中して、特別気にもとめなかったが前に会った時には後ろ髪が黒く染まっていたはずのトキは、真っ黒どころか元通りの真っ白になっていた。

 二人は目にしていないので知らないが、昨日には真っ黒だったトキの髪は、「解消された」ことによって黒が抜けたのだった。もともと繁殖期なんて訪れないフレンズの体、謎は多いし元動物とは違う点もあるだろう。


「大体察したのです、それで何故逃げてきてしまったのですか?」

「お前達はちゃんと愛し合っていたように見えたのである、ここで罪悪感を持って出てきてしまってはツチノコにとっても置いてかれた方が悲しむのである」


「だって・・・私ツチノコのことたくさん傷つけて・・・ひどいことして・・・もう、その場に居られなくて・・・」


「責任を感じているのは仕方ないですが・・・それなら一刻も早く家に戻るのです、ツチノコだって嬉しかったと思うですよ?」

「愛し合う二人なのです、彼女だって嫌だと言わなかったのであればそれは嬉しいのサインだと思うのである」


 そう言葉をかけても、トキはひたすら泣いたまま。崩れ落ちた姿勢のままえんえん声を上げている。


「もう!面倒なのです、ホラ、行くですよ!」


 教授がガッシリとトキの脇に手回して左半身を支え立ち上がらせる。横から准教授も加わり、トキの右半身を同じように支える。


「な、なにをするんですか・・・?」


「びーびー泣いてないで、ツチノコに顔合わせるのです!」

「連行なのである、大人しくするのである」


 会話しながら外まで押し出され、青空が見える。そして、勢いよく教授と准教授が飛び立つ。

 向かうはトキとツチノコの家。





 ピンポーン・・・


 インターホンを鳴らしても誰も出る気配はない。


「鍵は?」


「持ってないです、飛び出して来ちゃったので・・・」


「外から見てもだれもいないようであるな・・・」


 飛んで、外から窓を除いてもツチノコの姿はなくインターホンを鳴らしても出てこない。つまりは、家にいないようだ。


「ほらぁ、ツチノコ私のこと嫌いになっちゃったんですよ・・・私ひどいことしたから・・・こんなつもり無かったのに・・・」


「そんなはず・・・「ありがとうございました」


 教授の言葉は遮られる。


「もう、いいんです。私がツチノコを傷つけたのは事実で、ツチノコに出ていかれちゃったんですから。あはは、私ったら、恋して、付き合わせて、傷つけるなんて最低ですね。そんなならフレンズになんてならない方が幸せでしたよ、神様はいじわるです・・・」


「っ、そんなこと!」


「もういいんですってば!」


 トキの言葉を否定しようとする准教授に、珍しく声を荒らげるトキ。


「私は最低で!それで終わりなんです!帰ってください、もうほっといてください!」


 ビリビリと空気が震える。気圧されて、言葉をかけようにも出てこない。


 そうやって動けないでいるうちにトキは飛び立って、見えなくなってしまった。


「教授・・・どうするであるか?」


「・・・どうにもできないのです。仮に二人を引き合わせたとして、我々のような第三者が解決しようなんて無理なのです・・・」


「我々が二人をこの道に進めたなら、この問題も我々のせいになるのであるか・・・?」


「・・・」


 沈黙。





 サラサラと川の水の流れる音のみが聞こえている。


「好き、嫌い、好き、嫌い・・・」


 勢いで二人に酷いこと言って、逃げてきてしまった。また、こうやって私は人を傷つけては遠ざかる。最低だ、という自己嫌悪が頭をぐるぐるする中、無心で花びらをむしる。

 土手を歩いていてたまたま見つけたこの花。花束から落ちてしまったのか、一本だけになっていたので拾って今は手の内。一枚ずつになった花びらが風にさらわれて遠くに飛んでいく。


「好き、嫌い、好き、嫌い・・・」


 花占い。花びらを「好き」「嫌い」で交互に口に出しながらむしり、最後の一枚の時口にしたのが自分の想い人の自分に対する気持ち、というやつだ。


「好き・・・きら・・・」


 気が付けば最後の一枚。「嫌い」を口にしながらそれを引っ張りそうになる。

 認めたくない。というのが正直なところだ。

 もう、嫌われてしまっただろうとは思っても、心のどこかでそうじゃないことを祈っている。いや、どちらかと言えばその祈りの方が大きい。

 しかし、目の前の残り一枚の花びらはそれを強く否定するように風になびいていた。


「いやですよそんなの・・・」


 今は「好き」で止まっている。このまま川に流すなり、土に埋めるなりしてそのままでストップさせてしまいたい。


「はぁ・・・わかってますよ、ダメなのは私です」


 そう口にした時、急に強い風が吹く。

 目を瞑って、唸る風に耐える。落ち着いたのを肌で感じ、目を開ける。そして、口から小さく漏らす。


「あっ・・・」


 今の風に乗って、最後の花びらは飛んでいってしまった。


「嫌い・・・ですよね」


 残った茎を側に置いて、流れ続ける川を見る。

 フラフラしているうちに時間が経ったのか、空はオレンジがかっていた。


「もう、ツチノコにも会えないんですかね・・・」


 正直、家に帰ろうとは思えなかった。誰かとも会いたくない、パトロールの仲間にも教授達にもナウにも。ツチノコにだって、もし会えてもどうしたらいいのかわからない。


「このまま消えてなくなりたい、です」


 涙はまだ残っているらしかった。

 泣きすぎたせいか、もう目も頬も痛い。

 それでも、涙は止まらなかった。

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