第48話 初めてのバレンタイン
バレンタインデー【Valentine day】
聖人バレンタインの祝日。2月14日。古代ローマの異教の祭りと結びついて、愛の告白や贈り物をする習慣がある。
「・・・こんなものですかね?」
トキは朝早く、まだ誰も寝静まっているような時間帯にキッチンに立っていた。目の前にはアルミのボウル。透明な液体がその中で揺れ、ほかほかと湯気を立てる。その中でぷかぷか浮くのはもうひとつのアルミの容器。その中身は溶けかけた茶色の塊。
「よし、続けましょう」
容器の中に溶けた甘い香りを漂わせる茶色の物体を他の粉と混ぜ合わせる。あらかじめ用意した牛乳やら卵やらも投入して、泡立て器でかき混ぜる。
「これを型に流してっと」
金属製の型に注いで、アパートのロビーまで持ってくる。共用の電子レンジで温め、中で先程かき混ぜてとろとろだったそれが膨らむのを見届ける。
チンッ。
それを持ち帰る。冷蔵庫で冷やすのだが、その前に常温にするためしばらくキッチンに置いておく。
「よろこんでくれますかね?」
まだ太陽も昇ってない時間帯なので、ツチノコは寝ている。薄暗い部屋の中ですやすや寝息を立てているのを見て、トキはにっこりと微笑む。
「さて、この甘い匂いとかなんとかしとかなきゃですね」
ツチノコが目を覚ます前に、証拠は完全に消しておきたいとトキは奮闘する。換気扇は音が大きいのでそっと窓を開ける。
その時、ごそっ、とベッドの上で動く気配をトキは感じ取った。
「んにゃ・・・トキ・・・?」
「ど、どうしましたツチノコ?まだ朝早いですよ?」
起こしてしまったようなので彼女に近づく。まだ例の品はキッチンに置きっぱなしなので、トキはドキドキハラハラ、不安である。
「トキもおんなじだろ?ねないのか?」
「私はたまたま起きちゃって・・・ほら、今日もパトロールですから寝ましょう?」
「うん・・・」
ツチノコが寝そべる隣に添って横になるトキ。とろんとした目の彼女と目が合う。
「んむ・・・」
彼女は小さくそう漏らした。トキがキスをしたその時に。
なんとなく、ただの流れだった。流れでトキはキスをしてしまった。だがされたツチノコも不満そうな顔せず、まだ眠そうにして「おやすみ」と一言吐いて寝てしまった。
「おやすみなさい、ツチノコ」
まださっきの感触が唇に残っている。トキはなんだか嬉しくて、上機嫌にキッチンに戻る。冷やしていたものを冷蔵庫に入れて、匂いがある程度抜けたのを確認し窓も閉める。そしてまた先程のようにツチノコの隣に寝そべる。
さっき眠ったというのが嘘のように深く彼女は眠っていた。そんな彼女を見て、つい抱きしめてしまう。それでも起きる気配は無く、安らかな寝顔がトキの顔に近づく。
どくん。
またいつかのような感覚。桜の下でも数日前の銭湯でも味わった果てしない欲。
ガリッ、とまたトキは手の甲を傷付ける。その痛みで現実の冷静な思考に引き戻される。
「おやすみなさい」
そう言って、目を閉じた。
「今日はパトロールじゃなくてデパート行ってくれない?」
朝。パークパトロール事務所でロバにそう告げられるトキとツチノコ。
「え、どうしてですか?」
「ホラ、今日の日付。イベントがあるらしくて、念の為ね?パークパトロールに警備依頼は来てないんだけど、厄介事が起きやすそうな場所をあらかじめ重点的にした方がいいじゃない?元々事件を事前防ぐのがパークパトロールの仕事だから」
ロバかいつになく真面目な表情で説明をする。いつもは後輩をからかったりしているのでイメージに薄いが、ロバかも真面目にオペレーターとして仕事をしている。どちらかと言うと、その辺の指示はトップのライオンよりも上な部分すらある。
そして、今日の日付と言ってロバが指した日めくりカレンダーには二月十四日の文字。
「なるほど」
「じゃあ、今日はそっちに行けばいいんだな?了解した」
「ま、デートだと思って行ってきたら?ただし気は抜かずに。会話も筒抜けだし」
「っ!///・・・行ってきます」「行ってくる」
「うん、頑張ってくださいね?」
「とは言っても・・・」
「なんだ、イベントまだまだ先じゃないか」
デパートに言われた通り来たはいいが、例のイベントのポスターには開始午後一時から。今はまだ午前十時前である。
「ガールズカップルですか?どうぞ!」
不意に店員さんに声をかけられる。半ば強引に、小さな袋をツチノコが渡される。透明な袋と、一粒のチョコレート。ツチノコはポケットにそれを突っ込んだ。
「楽しんでくださいねー!」
そう言って、店員さんはどこかに駆けていってしまった。それを見送って、トキがにやりと笑う。
「じゃあ、せっかくですからツチノコ?」
「ん?」
「でぇと・・・しません?」
今こんな関係になっても、やはり顔を赤らめるトキ。時間差でツチノコも少し顔を染める。
「・・・もちろん。でも、その前に・・・」
トキの耳元で囁くツチノコ。そして、頬の方に手を伸ばす。
プツン。
「あ゛っ、やられた」
「・・・どうしました?ロバ先輩」
「聞いてくださいよエジプトガン、トキノコったらまたインカム切ってるんですよ、新人の立場でよくやりますね」
パトロール事務所ではロバが愚痴っていた。急にツチノコとトキのインカムからの信号が途絶えたのだ。たまたま居合わせたエジプトガンがその餌食になる。
「全くあの二人は業務中だという自覚をもう少し持って欲しいものです、仲良しはいい事ですけども少し真面目にですね・・・」
くどくどとその愚痴は続く。もちろん悪いのはトキノコで正しいのはロバだがエジプトガンは初めての後輩をがばってあげたくもなる。が、彼女自身立場は下なのでどうこう言えない。ので、話題を若干逸らす。
「ロバ先輩、溜まってるんですか?」
「これだからバカップルは・・・へ?今なんか言いました?」
「ロバ先輩、ひょっとしてしてトキノコに嫉妬してるんじゃないですか?その・・・色々」
「・・・」
「・・・」
沈黙。頭の回るロバが珍しくきょとんとしている。呑み込むのに時間がかかっているようだ。
そして、カアッと顔を赤くして早口で喋り出す。
「ち、ちが、そんなんじゃなくて!別に最近ツンちゃんもピーチパンサーも構ってくれないから寂しいとかそんなのでもなくてですね!でもやはりそうなると女の子としては溜まってくるものもあってですね・・・って!何言わせてるんですか!」
「全部勝手に喋りましたよ先輩」
「う、うるさい!それ以上言うとどうなるか知りませんから!」
そう言って漫画のように手錠を指でくるくると回すロバ。スカートが若干めくれている。
「先輩、はしたないですよ」
「うっ!?・・・エジプトガンもなかなか鋭くなりましたね」
赤い顔のままスカートを直しながらロバがそう言う。
「まぁ、トキノコも大目に見てあげましょうよ。きっとデキタテで浮かれてるんです」
「そうですね、ほっといてあげますか」
「では私もパトロールに・・・」
「はい、お願いします」
扉から外に出て、バタンと閉める。
自慢の羽でバサッと飛び立ち、一言つぶやく。
「恋愛か・・・私にはよくわからんな」
「・・・なぜここに?」
「良い百合が見つかるかと」
「ええ、バレンタインであるからな」
デパートでウィンドウショッピングを楽しんでいるトキノコの前に、白と茶色の二人のフレンズ。コノハ教授とミミ准教授にばったりと出会ってしまった。
「私たちはダメですからね」
「なんでなのであるか・・・あ、なるほど」
「フム、良い傾向なのです、頑張るのですよ」
トキが二人とやり取りをしている間、ツチノコかひしっとトキの腕に抱きついている。
「ま、今日はお前らのことは勘弁してやるのです」
「ええ、そうしてください。プライベートなので・・・んっ!?」
トキが別れを告げて回れ右をしようとした時、ツチノコが急に頬にキスをする。トキも訳が分からないまま、強引に手を引かれ逃げるように二人から離れてしまう。それでも、トキは嬉しかった。やがて、角を曲がって二人から見えなくなる。
「・・・やりますね」
「完全にやられたであるな」
取り残された二人は、なんとも言えぬ高揚感とここまでトキを(そっち方面に)育てた苦労の報われた感慨深さにしばらく何も出来なくなる。
「どうしたのですか?」
「いえ、はぐれたら大変であるから」
ぎゅっと、コノハの手を握るミミ。少し顔を背けている。
「全く、ミミ准教授は心配性なのです」
その後、二人はそのまま一日を過ごした。
一方トキノコ。二人ともぜえぜえはあはあと息を切らして、近くのベンチに座り込む。
「ツチノコってば、急に走るから・・・」
「いや、悪い、恥ずかしくて・・・でも見せつけてやろうと思って」
「ふふ、ツチノコは可愛いですね?」
「そうか?トキの方がよっぽど・・・」
お互い、言葉が詰まる。自然と口から出た言葉だったが、言ってからその恥ずかしさを実感する。
「・・・ふふふ」 「・・・ははは」
でもなんだかおかしくなって、二人で声を上げて笑った。ふっ、とそれがやんで、空を見上げる。
「ツチノコ、私今幸せですよ」
「・・・私もだ、トキ」
そこで会話が切れる。しかし、二人とも笑っていた。
初めて出会った、次の日。雨の中出ていこうとするツチノコを引き止めたトキは、一緒に肉まんを買いに行く。その時約束した、ツチノコを幸せにするということ。それなら、トキも一緒に幸せになること。
今、達成した。
「なぁ、これからもずっと一緒だよな?」
「ええ、私はツチノコのこと嫌いになったりしませんよ?」
「はは、嬉しいな。さ、もうお昼にもなるぞ?なんか食べるか」
「ええ、お昼にしますか。それでお仕事です」
すくっと立ち上がり、手を繋ぐ。いつだったかに来たフードコート、いつだったかのラーメン屋でいつだったこのように醤油ラーメンと激辛味噌ラーメンを頼む。
「美味いな」
「ですね」
運ばれてきたそれを食べながら、静かに会話する。
「「ごちそうさまでした」」
食べ終わって、席を立つ。
そして、また手を繋ぐ。
「こんな日が続くって、幸せですね」
綺麗な白い髪の彼女が、にっこりと笑う。黒い後ろ髪を揺らしながら。
「そうだな」
ツチノコも、それに応える。手をより強く握って、仕事に向かった。
「「ただいまー」」
仕事を終えて、家に帰ってきた。特別何もなく、今日も平和に幸せに一日を過ごした。
「ねえツチノコ、今日が何の日か分かってます?」
「え?バレンタインだろ?結局何するのか知らないけど」
「えへへ、好きな人にチョコ上げる日なんですよ。実は用意しました」
顔をほころばせて、トキが小さな備え付け冷蔵庫を開ける。中には朝作ったチョコケーキ。トキがナウと暮らしていた頃に身につけた菓子作りの技術を存分に生かして作られたものだ。
「お、おお!?ありがとう!・・・でも、悪いそんなの知らないで私何にも・・・」
「いいんですよ、さ、是非食べてください!自信作です!」
「え、トキが作ったのか?いつの間に・・・」
「朝早くですよ、起こしてしまってごめんなさい」
「ああ、あの時・・・じゃ、お言葉に甘えていただきます」
トキから手渡されたそれを、ツチノコははむはむと食べる。そして、部屋に響く「ピシン」という音。もう一度。また一度。だんだん、間隔が短くなる。
「ツチノコ、そんなに美味しいですか?良かったです」
音の正体は、ツチノコが振った尻尾が床にぶつかる音。彼女が尻尾を振るのは、きまって嬉しい時だ。
「すっごい美味い!ほんとにお返しできないのが残念・・・あ、そういえば」
ツチノコはガサゴソとポケットを探る。出てきたのは一粒のチョコレート。デパートで貰ったものだ。
「こんなので悪いが、お返し。受け取ってくれるか?」
「・・・もちろん!」
トキはそれを手で受け取り、袋から出して口に入れてみせる。とても甘くて、美味しいチョコレートだった。
「・・・どうだ?」
「ええ、美味しいですよ」
そうやって、お互いのプレゼントを食べ終える。
「「本当に、幸せ」」
二人の言葉が重なる。
「なぁ、キスしないか?」
「うふふ、ツチノコったら積極的・・・♪もちろん、私はいいですよ?何回でも」
そう言って、二人で唇も重ねる。
今日は、甘くて幸せなチョコレートの味がした。
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