第47話 初めての我慢

 がまん【我慢】

 感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。忍耐は美徳やで(現代社会の闇)



 カタカタカタカタカタカタカタ・・・タンッ!


 すっかり、パソコンの扱いにも慣れた。アルトさんが外出するスケジュールをバッチリ把握しているため、私、フェネックはこうして堂々とパソコンを使う時間を確保できる。


「うーん、この川を渡れば建物も少なくなってその向こうに山岳地帯・・・山に一晩隠れられたら、状況整理しながら逃げられるんだけどなぁ」


 Gooqleマップとかなんとかで、理想の逃走経路を練る。しかし、問題が・・・


「私の脚でここまで来れるかな・・・?」


 一番の問題点はそこだ。私は移動が絶望的に遅い。目撃情報を絶つため、バスなどの使用は控えなければならない。そうなるとどうしても難しいのだ。


「・・・でも鳥のフレンズさんに頼むわけにもいかないし、トキさんは・・・ダメだ、連絡つかない」


 頼りに出来ればいいが、彼女は電話すらない。手紙は送れるが、応答が遅いのが問題だ。そもそも、返事が返ってきたのをアルトさんに見られてしまう危険性が大いにある。


「かくまってもらうのは・・・ダメだ、交友関係があるって調べられたらトキさんツチノコさんの家も調べられる」


 他に頼れる友人なんていない。


「やっぱり、私一人でなんとかしなくちゃ」


 そう言って、検索履歴などを完全に消去しパソコンをシャットダウンする。たまたま目に入ったカレンダー。


「・・・あと一週間強」





「暑い!」


 ツチノコが急に声を上げる。二月なのに桜が咲く温度、まだじわじわと上がっている。


「地上ってこんなに暑くなるのか・・・」


「春、ですよ?夏はもっと暑いですからね?」


「私生きていけるのか・・・?」


 二人は今日も今日とてパトロール。花見をしている人も多く、面倒事が起こりやすい陽気だそうだ。


「外にいるだけで汗だくだよ・・・帰りに風呂入ろうぜ」


「そうですね、さっぱりしたいです」(汗だく・・・/// )


 二人とも、片方に持ち上げられて空を飛ぶという都合上ずっと密着したままだ。今までは冬だから「温かい」で済んだが、これからは「熱い」になる。





 そんなこんなで夕暮れ時。

 パトロールを一通り終え、事務所に一旦戻る。


「ただいま戻りました」「暑い・・・」


「お疲れさま、今日もアツいですね?」


 いつものようにロバに迎えられ、今日の報告をする。いつも通りの「異常ナシ」だが。


「今日も平和でした」

「不審人物も特別居ないしなー」


「ま、帰ってゆっくり休んでね?」


 そう言ってロバがニコリと笑って手を振る。お疲れさまです、と頭を下げ、二人は回れ右をする。


(ゆっくり・・・ね?)


 パチパチとトキにウインクを送るロバ。上手いことツチノコには感づかれず、トキの目には入ったようだ。証拠に、少し考え込んでから顔を赤くさせている。その後、駆け足でツチノコに追いついて外に出ていった。


「はーっ、ピット器官使うのは疲れるな・・・風呂行こうぜ風呂」


「はい・・・」 (ロバ先輩ってば・・・)


「・・・どした?」


「いえいえ!行きましょう行きましょう!」


「・・・?」





 そんなこんなで銭湯に来た。いつも通り顔パスで入場し、脱衣所まで来る。


「この服なかなか暑いんだよなぁ・・・」


 そう言ってツチノコは前のチャックを開けてパーカーを脱ぐ。嫌でも目の前にいるトキの目に入る。


「・・・ツチノコはなんでそんな攻めた格好なんですか?ホラ、そのパーカーの下、下着だけじゃないですか。それでパーカーに隠れちゃう超短いズボンとか、私だったら恥ずかしくて着れませんよ・・・」


「え?なんでって・・・記憶があるうちからこうだぞ?あ、脱皮はするけど」


「脱皮!?」


 少し上の虚空を見あげて当然のように話すツチノコだったが、トキは驚きを隠せない。鳥類は脱皮しない。というかヒトは脱皮しない。


「普通に脱皮するぞ?」


「ええ・・・どんな感じですか?」


「どんな感じって・・・そりゃ説明しにくいけど。まぁ、いつかまたするだろうしその時見ればわかるぞ」


 そう言いながら、次々と服を脱ぐツチノコ。

 どんどん露出が増えてく様子を、トキは直視せずに目をそらす。


(ダメ・・・見たら多分我慢出来なくなっちゃう・・・見たらダメ・・・)


 ちらり。


 まぁ、愛する人の裸が目の前だと言うのに見ないでいれる筈もなく。トキはツチノコの一糸まとわぬその姿を視界に入れる。そもそも、これから一緒に風呂だと言うのに見ないでそうするほうが難しい。


「っ・・・」


「?トキも早く脱げよ?」


「あっはい、そうですね、あはははは」


(・・・どうした?)





 そうやって二人とも裸になり、浴場へ。

 いつも通りに体を洗う。そして、ここに二人で来てから恒例の・・・


「トキ、背中洗うぞ?ついでに頭も」


 洗いっこ。


 ・・・読者諸君、今何を想像した?やましいこと想像したそこの君、第6話を読み返してきなさい。健全な洗いっこしてるから。


「お、お願いします」


 ツチノコの指がトキの背中に触れる。妙な緊張から、それだけでびくっと肩を震わす。

 ヌルリとした石鹸の感触と、彼女の指、手のひらのするする動く感覚。


(なんか、いつも通りなのにえっちな気分になっちゃいます)


 一方ツチノコ。手を動かしながら、トキの後ろ姿・・・正確には、その後ろ髪を見て考えを巡らせていた。


(もう後ろ半分は真っ黒か・・・前から見たらそうでもないけど、後からだと綺麗に黒いな。やっぱり、繁殖期とやらが進んでるのか?)


 ぼーっとしながら彼女の背中を綺麗にしていく。


(そういえば教授が「えっちなことをするのが解決に」とか言ってたな?でも、やっぱりそのえっちなことって・・・)


 ツチノコはこの間訪ねてきたフェネックとした話を思い出す。まだトキと恋人という関係では無かった頃、「キスとかはしないのか」と質問され、その時に色んなことを教えられた。俗に言う、エッチな奴だ。最初は軽い物から、徐々に重くなるフェネックの話。思い出すだけで恥ずかしくなる。





 半端な時間で他に誰もいない浴場。二人とも喋らないので、静かに時間が過ぎる。


「あの・・・ツチノコ、あんまりその辺は・・・恥ずかしい、です・・・」


「へ?」


 ツチノコが意識を目の前のトキに戻すと、手はいつの間にか背中から下の方に落ちてきていて、丁度腰の少し下あたり。真横から見ると少し膨らんだ場所、脚の付け根より少し上。

 直接的に言えば、尻である。

 色々なことを考えている内に、ツチノコはいつの間にかそこに手を当てていた。


「わ、悪い、ぼーっとしてて!違う、そういうアレじゃない!」


「いや、私は平気ですけど。やっぱり、ちょっと恥ずかしいなって」


 トキは後ろのツチノコの方を振り向きながらクスッと笑う。その笑顔にツチノコは胸が鳴るのを感じ、トキは同じように前を向く。


 ふっ、とトキの顔から笑顔が消えた。

「私は平気」そう言ったトキだったが全くの嘘である。本当はといえば、ドキドキしてたまらない。

 それはそうだ、のだ。


「髪も洗うぞ」


 ツチノコはそう言ってわしゃわしゃとトキの髪の毛を洗う。いつも通り羽の付け根も丁寧に、凝りがほぐれるように揉みながら。

 ふと、ツチノコはあることに気がつく。トキの息が荒い。胸を手で抑えて苦しそうにしている。


「トキ?大丈夫か?」


 聞こえているのかもよくわからないが、小さく頷いたので伝わっているのだろう。心配ではあるが、そのまま続行する。


 やがて髪も洗い終え、泡を流す。

 トキはもう平気なようで、今度は交代してツチノコがトキに背中を向ける。

 しかし、なかなか背中に感触を感じない。


(どうしよう、これで触っちゃったらもう戻れない気がします。勢いで何かしちゃいそうで)


 トキがツチノコの背中を洗えないのはそういった理由からだ。本人も少しずつ自覚する繁殖期の症状。でもトキはそれが何故なのかを知らない、しかしツチノコを不意に襲いそうになるのがわかる。


「トキー?」


「ぅあ、はい!今やります!」


「いや、別にいいけど」


 慌てて彼女の柔らかい背中に触れる。その感触を感じ取った瞬間、頭の中の理性が崩壊していくのをトキは感じた。


(ツチノコ・・・ツチノコ大好き・・・だめ、我慢しなきゃ、ここお風呂場だし他の人来るかもしれないし第一そんな無理矢理には!でも、ダメ、体が勝手に・・・!)


 脳内で色んなものがぐるぐるしている。ツチノコに対する好き、抑えるべき欲望、抑えようとする僅かな理性。反対に解放しようとするエゴ。


 後ろから抱きしめて、押し倒そうとする寸前のこと。左手に強い痛みを感じ、思考がふと冷静になる。


「・・・どうした?」


「いや、なんでもないです。お気になさらず」


 トキは自分の手を確認する。左手に、深い引っかき傷のようなものが出来ていて、右手はそこに添えられている。どうやら、無意識に自分で傷を付けて欲を抑え込んだようだ。


(ありがとうございます、トキ)


 抑えてくれた自分に心の中で礼を言って、その後はいつも通りにツチノコの背中と髪を洗って湯船に浸かり、外に出た。





「いやぁ、さっぱりしたな」


「そうですね、やっぱりお風呂はいいです」


 もう暗くなった空の下で風を感じる。まだ水分を多く含んだ肌を冷やす。


「さて、帰るか?」


「はい・・・って、あれ?」


「どうした?」


 ツチノコが尋ねると、トキはスッと道の先を指す。一件、屋台が出ていた。そこにはいつぞやに見た甘酒の文字。


「あれは・・・」


「ええ、大晦日の時の甘酒屋さんですよね?行ってみましょう」


 トキが歩き出すのに続いて、ツチノコも斜め後ろをついていく。

 たどり着いたその屋台は、やはり例の甘酒屋だった。


「いらっしゃい・・・って、あんたら年末の時の」


「やっぱり、お久しぶりです!年末以外でも甘酒売ってるんですね?」


「おうよ、年末からひな祭りが終わるまでは営業中だぜ。こりゃ副業だが」


 もじゃもじゃの髪、垂れ目、無精髭。相変わらずの雰囲気だ。同じように、どこか優しさを感じる部分も同じだった。


「今日も買ってくかい?暑いから冷たいのも売ってるぜ」


「じゃあせっかくなので。冷たいの二つ」


「おうよ、どっちだ?」


 男が前回と同じようにアルコール入とアルコールほぼゼロを指さす。前回は違いがよくわからずにアルコール入を買ってしまい、トキが酔ってしまった。そこで、今回はツチノコが声を張る。


「入ってない方!」


「そうなのか?ま、それでも値段は変わりゃしないからな。ほい、毎度あり」


 代金と二つの白い液体が入った瓶を交換する。


「ではまたいつか!」「な。」


 そう言って屋台を去る。トキとツチノコ。


「またな・・・へっ、新しい常連さんになるかな?」


 ニヤリと残された男が笑みを浮かべる。そうしていた時、不意に携帯が鳴った。


「なんだよ・・・せっかくいい気分だったのに」


 ポケットから取り出した仕事用の携帯電話。うるさく鳴っているそれを耳元に当てて、電話に出る。


「俺だ・・・なに?まぁた事件かよ。物騒な世の中だな、超特殊とはいえ動物園で情けない。わかってら、今行く」


 そう言って携帯をポケットに戻し、男は屋台の貴重品を近くに停めてあった車に積み込み走り出した。

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