第40話 初めての泣き顔

 なきがお【泣き顔・泣顔】

 泣いている顔つき。いまにも泣きだしそうな顔つき。



 カラオケからの帰り道。ツチノコの提案で、フェネックのことに関して作戦会議をしようとナウの家を訪ねた。


「・・・出てこないですね?」


 が、出てこない。


「でも、自転車は留まってるよな。寝てるのか?」


「ナウさんはあんまりお昼寝とかするタイプじゃないんですが、たまにはそんなことも・・・」


 トキが何気なくドアノブを捻り、自分の方へ引っ張る。するとどうだろう、簡単に扉が開いてしまった。びっくりして、二人で顔を見合わせる。


「これ・・・おかしくないですか?」


「ああ、ナウはこんな無用心なことしないよな?」


「心配です、勝手ですけど上がらせてもらいましょう」


「やむを得ないな」


 二人で、あまり音を立てないように靴を脱ぎ廊下を歩く。ドアには鍵をかけておいた。


「リビングには・・・いない」


 いつも通されるリビングに行ってみても彼女の姿は無い。隣の部屋にも居ないし、もしやと思い防音ルームにも行ってみたが楽器が置いてあるのみ。


「二階ですかね?」


 トキも行ったことは無い、二階の部屋。入るのは少し躊躇われたがナウを心配し二人で階段の近くまで歩く。すると、階段の影の扉が開いているのがチラリと見えた。


「ここは・・・?」


「さぁ?入ってみるか?」


 登るつもりだった階段を横切り、扉の前に向かう。そして扉の方を見ると・・・


「ナウ!?」「な、ナウさん!?」


 開いていたのはトイレの扉だった。そして、便座に手をかけたまま倒れ込んでいるのは二人の担当飼育員、ナウである。


「ナウさん!大丈夫ですか!?意識は!?」


 トキが慌てて肩を揺すりながら声を掛ける。返事は無く、力なくトキに揺さぶられているだけだ。


「わ、私救急車呼んできます!ツチノコ見ててください!」


「わ、わかった!」


 ドタドタとトキがリビングへ駆けていく。残されたツチノコは、先程のトキと同じようにナウに声かけをする。



「起きろ!起きろってナウ!どうしたんだよ!?」



 ああ、目が覚めてしまった。僕は戸田井奈羽としてこの世にまだ存在しているだろうか?正直、もうこの世でやっていく自信はない、精神が崩壊しそうだ。ぼんやりとした視界にツチノコちゃんが見える。


「僕も幻覚見るレベルになったか・・・これは本格的に死が近いかな?」


「起きた!ナウ、大丈夫か?何本に見える!?」


 ツチノコちゃんが三本指をぐっと突き出してくる。幻覚だけじゃない、幻聴も来たか。このまま楽に逝かせてくれよ・・・と、目を再び閉じる。



「ちょ、ナウ目ぇ開けろ!寝るな!おい、おいって!」「ツチノコ、どうし・・・」「ト・・・ナウ・・・目覚し・・・」「・・・!」「・・・」



 次に目が覚めた時には、白い天井を見つめていた。身体をゆっくり起こすと、病院の一室、ベッドの上に寝かされていたことがわかる。腕からは透明な管がのびていて、点滴を打ち込まれているというのも理解出来た。どうやら他の患者はいないらしい。


「あ、ナウ!大丈夫か?」


 ドアがガラリと横に開き、ツチノコちゃんが顔を出す。下駄を履いているとは思えない軽い駆け足で近づいてきた。


「心配したんだぞ!食欲あるか?今トキが色々買いに行ってるが・・・」


 なんて返事したらいいんだっけ。そもそも病院に寝かされていたということくらいしか状況がわからない。とりあえず、質問には返す。


「食欲・・・ないかな。ごめんね、僕、何があったのか覚えてなくて・・・」


「そうか・・・朦朧とした感じだったからな。説明するよ・・・」


 ツチノコちゃんが枕元の椅子に腰掛け、話し出す。話をまとめると、こんな感じだろうか。


 三日前、トイレで倒れた僕をツチノコちゃんとトキちゃんの二人が偶然発見し、その後救急搬送。ずっと目が覚めず、二人でずっとそばに居てくれたそうだ。今はたまたまトキちゃんがいないけど。


「そっか・・・ありがとね。トキちゃんか・・・トキちゃん・・・ウッ」


 思い出した。全部、忘れていたかったことも。トキちゃんへの罪悪感、アルトへの怒り、三日前泣きながら目を閉じたその時も。急に吐き気がしてくる。念の為か、横にエチケット袋が置いてあったので迷わず口の前に持ってくる。


「がはっ、うぇ、おえええぇぇぇ・・・」


「な、ナウ!?大丈夫か?」


 ツチノコちゃんが横で心配してくれる。それとは関係無く、口から出るものは止まらない。いつの間にか、涙も一緒に流れ出ていた。


「ナウ・・・?」


 やっと止まった。口の中から胃にかけて、端から端まで余すことなく不快感を残して吐き気が弱くなる。口の周りをティッシュで拭き、隣に座る彼女に顔を合わせる。


「ヅヂノゴぢゃん・・・」


「そんな泣くほどキツいのか・・・悪い、力になれなくて」


 ツチノコちゃんが申し訳なさそうにする。僕はそれを否定し、言葉を返す。


「ごめん・・・この涙は違うんだよ・・・う、うああああ」


 泣くことを自覚するとより罪悪感に胸を締め付けられ、涙が溢れてくる。横のツチノコちゃんが困惑しているようだが、この際関係なしだ。


「なんでそんな泣いてるんだ?その・・・ストレスがうんぬんって聞いたから、相談なら乗るぞ?」


「だって・・・僕なんか飼育員するべきじゃないんだ・・・トキちゃんもツチノコちゃんも僕は不幸にするんだ・・・」


 そこから、流るようにツチノコちゃんに全てを話した。トキちゃんに感じている罪悪感、アルトへの憎しみも。


「僕がちゃんとしてれば、トキちゃんは酷い目に会わずに・・・」


「え?ど、どういう意味だ?不幸?」


 ツチノコちゃんがきょとんとする。きっと、僕の言うことがよくわかってないのだろう。


「そうだよ・・・僕がちゃんとしてればトキちゃんだって拉致もされなかった、きっとそのうちにツチノコちゃんにも迷惑をかける。僕なんか、二人の担当をする資格は無いんだ・・・」


 自分で言って涙がとまらない。泣き声のせいで声がどれくらいまともにツチノコちゃんに聞こえているかもわからないくらいだ。


「ナウ、ちょっと痛いぞ」


 涙でよく見えないが、ツチノコちゃんがそう言った。言葉の意味がよくわからず、尋ねようとした次の瞬間、両頬に衝撃を感じる。


「目、覚めたか?」


 ツチノコちゃんに両手で頬を叩かれ、そのままの姿勢でツチノコちゃんに聞かれる。


「目・・・?」


「そ、目だ。夢でも見てたんじゃないか?ナウ、言ってることが変だぞ。ナウらしくない」


「・・・無理だよ、僕なんてもう・・・」


「じゃ、次は本気で痛いぞ」


 そう言ってツチノコちゃんは、僕の頬に当てたままの手に力を込める。頭が固定され、彼女のすることをまじまじと見つめていると・・・頭を振り上げ、思い切り下ろす。その頭の行く先は、固定されて彼女の頭の真下にある僕の頭だ。


 ゴンッ。鈍い音が響く。


「いったぁ・・・ツチノコちゃん何すんだよ!」


「いてて・・・ほら、多少元気になったろ?」


 痛みで目に涙を浮かべた彼女がニコリと笑う。


「ほら、気がついてるか?ナウの顔、さっきよりずっと明るくなった。ナウの泣いてるところなんて初めて見たよ」


 言われてみれば、いつの間にか涙も止まっている。トキちゃんへの罪悪感が支配していた心が一部解放され、多少楽になる。


「ツチノコちゃん・・・それで頭突きを?」


「痛いけどな。ナウ、聞いていいか?本当に本心、心の底から私とトキのことを不幸にするって考えてるのか?そもそも、トキに手を下したのは最低な男共だ、ナウは関係ない」


「・・・それは本心だよ、このまま僕が担当じゃ君たちに申し訳ない。だって僕、担当なのにトキちゃんが危険な目にさらさらていたってこの間まで知らなかったし、悪い事があったってのを気がついてもあげられなかった」


 そこまで言うと、ツチノコちゃんが急に顔を怖くして話し出した。


「ナウ。トキを見たろ?正月の時だから・・・事件から一週間ちょいか。それで、あんな元気にしてるんだ。でも、あの話するとちょっと悲しい顔するんだよ、だから彼女としても嫌な事として覚えてる。でも、明るくしてる」


 ずいっと頭を僕の顔に近づける彼女。声色には怒りのようなものも含まれているように聞こえる。


「ナウはどうだ?そのまま嫌な事件をズルズル引っ張るのか?そんな担当だったら、確かに私達も不幸になるさ」


 そう言われて、僕の中で何かが弾ける。急に腹が立ってきて、点滴の管もお構い無しにベッドで立ち上がる。


「僕だってね!君たちを幸せにするのが仕事なんだ、そして本気で幸せになって欲しいと思ってるんだ!僕だってその手伝いをしたい!その資格が無いって突きつけられて、どんな悲しいかわかる!?」


 思い切り声を張り上げる。ツチノコは最初ビクッとしたが、その後はただただ無表情に聞いてくれた。そして、彼女も椅子から立ち上がる。


「じゃあ、幸せにしてくれよ。私達にはナウが必要なんだ、明るいナウが。これからも私の担当飼育員でいてくれよ?」


 ツチノコちゃんが手を差し出す。握手を求めてられている。でも、それを握り返す勇気が湧かない。そうしてしまえば、今までの罪悪感を捨ててしまうような気がする。それが、たまらなく怖い。


「・・・ダメだよ、その資格は無いって・・・」


 ぎゅむ。手を握られる。半強制的に。


「よし、これからもよろしく頼むぞ」


「・・・え?」


 ツチノコちゃんに無理矢理握られた手をみつめる。そうか。彼女は僕が踏ん切れないでいるから、手を握ってくれたんだ。うれしく思う。


「・・・わかったよ、こんな最低な僕でいいなら、これからも担当をさせてほしい・・・いいかな?」


「もちろん、改めてよろしくな?」


「うん、よろしく」


 立ち上がった状態から、さっきまでの寝た姿勢に戻してツチノコちゃんと話す。内容は別にどうでもない、ただの世間話だ。





「ただいま・・・って、ナウさん起きたんですか!?よかったぁ!」


 トキちゃんがやがて帰って来た。例の明るい笑顔でこっちに駆け寄る。手には大きな袋を抱えているが、別に問題ないようだ。


「おはよう、迷惑かけたね?ごめん、色々と・・・」


 トキちゃんはきょとんとした顔をしている。ツチノコちゃんの横の椅子を勧め、座らせたあとに一通り例の件について謝罪をした。トキちゃんは真剣に聞いてくれて、「別に大丈夫だ」と返事をしたあと、ちょっと付け加えた。


「私としては、ナウさんが歌とっても上手なの隠してたことの方がよっぽど怒ってますよ?」


「いや、隠してたわけじゃないんだけど・・・ふふふ」


 笑みがこぼれる。笑ったのなんて久しぶりだ、こんなに幸せなんて。


 その後は、トキちゃんがリンゴを剥いてくれたりツチノコちゃんが頭突きで出来たたんこぶの治療をしてくれたりした。夕方になって、二人の帰り際に声をかける。


「ツチノコちゃん、トキちゃん!愛してるよ!」


 振り返って聞いてくれた二人はニコリと笑う。トキちゃんが、ツチノコちゃんを置いてトトトと駆け寄ってくる。


 そして、耳元でこんな事を囁いた。


「ありがとうございます。でも、ツチノコは私のですからね?」


 そして、いそがしくツチノコちゃんの元にもどり、手を振りながら病室を出ていった。


「あはは、誰も取りやしないよ」


 なんだかんだ、二人は幸せそうだ。

 そして、今僕も幸せだ。

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