#12 二人のなれそめ
その昔、俺が人間だったころ、俺はフリードリヒという名前だった。
ヨーロッパの都市部からは離れた、山間に住んでいた。
近くに人はあまりいない。隣人を訪ねようと思えば、しばし歩き続けなければならなかった。
俺は病気がちの妹とともに暮らしていた。親は両方とも既に亡くなっていた。
医者のもとに行こうと思えば山を一つか二つ、越える必要があったが、幸い俺は山に生えた植物から薬を作る心得があった。だから妹が寝込んでも、あまり心配する必要はなかった。
生活が狂ったのは、親が亡くなって、9年目だった。
「すみませーん、誰かいませんか」
黒髪に特異な目の色をした女が、俺たちの家にやってきた。もう少し人のいるところへ行こうと思えば、時間がかかる。迷ってしまったのだというその女を、泊めることにした。
だが、その女は一日泊まるどころの騒ぎではなかった。俺たちの家に、居候し始めた。
俺の妹は寛容だったが、のうのうと暮らしているその女が俺にはイライラして仕方なかった。
やがてその女は俺が一晩泊めてしまったことに付け込んで、俺をしつこく誘惑し始めた。
夜中にも息が苦しくなるという妹の隣で寝ていた俺のベッドに、悠々と入ってくるような女だった。
そのたびに俺はその女を蹴落とし、相手にしない事を貫き通した。
その女が転がり込んできて、3年が経って、事件が起こった。かねがね俺の妹を婚約者だと勘違いしていたのか、その女が妹を殺そうとした。あわててその女を妹から引きはがすと、「じゃああんたには私のダーリンになってもらおっか」と言って、俺を気絶させた。
目を覚ますと、辺りは暗く、どんよりとした雲が空一面を覆っていた。
「ならば、あんたが死ねば問題ない」
俺は一度死んだ。死因はペルセフォネによる撲殺だ。
動けないよう俺は縛られていた。どこへ行くのだろう、という不安もあったが、それよりも一人で置いてきてしまった妹の方が気がかりだった。
「残してきたのか、俺の妹を」
「関係ないわ。あんたは私の夫になるって決まってるの。私がそう決めたの」
「妹を……どうしたと聞いているだろうが!?」
「聞きたい?置き去りよ」
「置き去り……!」
「あんたと一緒に殺しても良かったんだけどさ」
その女はそうだ、とつぶやいて、
「実はね、私、死神なの」
そう言った。
「し、死神……?」
「いい? 死を司る神。名前はペルセフォネ。ペルセフォネ・アイリス。よろしく、ダーリン」
俺にはその笑顔は、地獄絵図だった。
俺はここ―――冥界に連行された。
「自分のしたことを、分かっているのか!」
「死神の仕事です」
「死神の仕事はそんなものではない! それは下衆のやることだ!」
「下衆……?」
「誰もお前のようなことをしろとは教えていない」
「……ア、アレク先生よ! アレク先生が私に」
「死霊が現世で暴れることのないよう、早急に霊や肉体を回収するのが死神の務めだ。そう教えたはずだが」
「え……!」
「死刑でも、文句は言えんな」
「しかも夫を手に入れるために現世の人間を殺すとは、出来の悪い死神もいたものだな」
ペルセフォネは、俺を殺した罪で裁判にかけられ、俺の目の前で監獄に入れられた。
「私のやったことは間違ってるの?」
「……。」
「ねえ。答えてよ。フリードリヒ」
「俺の気持ちが分かるか? 俺がいないとすぐにでも死んでしまうかもしれない、俺の唯一の家族を置き去りにしてきてしまった、この気持ちが」
「分かる訳、ないでしょうが」
「……!!」
「分からない。私は死神だから。ただ夫が欲しかっただけなのに」
「そんな悪魔は放っておけばよろしい」
「主死神様……!」
「あなたは?」
「私はこの冥界の長だと、思ってもらえばいい」
「わ……私が悪魔!?」
「お前は死神の名に背き、あろうことか人を殺した。死神に敵対する存在、悪魔として、お前は死刑となる」
「そんな……!」
「フリードリヒ殿には、蘇生措置を受けて頂く。迷惑をかけてしまい、すまなかった」
「妹は……どうしているんですか」
「あなたがここに来てから、まだ1日や2日しか経っていない。あなたの妹殿が病弱であるとはいえ、大丈夫だろう」
「そうですか、ありがとうございます」
ここで、俺は一度生き返った。
けれど、間にあってはいなかった。
俺のいなかった間に、妹は発作を起こして、すでに冷たくなっていた。
「嘘だろ……!」
俺がいなかったせいで、妹は死んだ。俺が殺されたせいで。あの死神とかいうやつが現れたせいで。いや、俺があの死神の殴打をよけられていれば―――。
「―――私のお願いを、聞いて」
ふとそんな声がした。その時俺は、理性で自分を制御できなかった。
他の人には見えないはずのその死神を、何度も、何度も、殴りつけていた。その死神は始めは避けていたが、俺は構わずやみくもに殴り続けた。やがて避けきれずに当たって、当たり続けて、額から血を流していた。それでも俺はその死神を殴った。
「私に、―――大事な人を亡くした気持ちを、理解させて」
「黙れ………………!!」
「黙らない」
「うるさい、うるさい、うるさい…………!」
俺が振り下ろした棒を、やがてあの女は片手で受け止めた。
「黙らないよ。私、死刑になる前に、現世に罪滅ぼしをしようと思ってきたんだから」
「どれだけ偽善者ぶったって、俺の妹を、殺した罪は消えないだろうが!」
「消えたよ」
「貴様……!」
何を言うかと思えば。確かにこの女死神は俺を殺し、妹を放置して死なせたのだ。
「私は確かに君を殺した。けど、主死神様が蘇生させたから」
「それでも、俺は殺された」
「そんなの、誰が証明できるの?」
「……!」
「ただのどこにでもある幽体離脱で済まされるよ、そんなの。それより私は、」
誰にも最期を看取ってもらえなかった妹の方を見た。
「あの娘(こ)を殺した罪がある」
「お前に何が出来るんだよ」
「生き返らせる」
「......?」
「正確には生き返らないけど、表面上は生き返ったように見えるはず。本来は憑いてから、人間の自我を殺すんだけど、今回は私が、私の自我を殺す。……それでやっと、見合ってると思ったから」
そこまで言うと、その死神はフッ、と消えた。そして次の瞬間、死んだ妹が目を覚ました。
「ヘレン…」
「……お兄ちゃん?」
声も、顔も、体も、すべて妹だった。ただ一つ、目があの死神のと同じ色だったことを除いて。
その死神が憑いたことによって、病弱でなくなった妹とともに、俺は旅をした。
それまで妹の看病に自分の人生を賭けようとして、家から出なかった俺が、久々に外の世界を見た。
俺も妹も、一度死んだという事実を忘れてしまうほど、よく満喫した、そう思う。
* * *
「こーら、ハデス、珍しく世間話?」
「お前の降参記念日の話だ」
「よりによって!? 私の若いころの話?」
「お前が俺を殺した話だ」
「何てこと話してくれてんのお!」
「......それで、妹が先に死に、ペルセフォネが冥界に戻り、俺も後を追いかけたというわけだ」
「そのまま成仏はしなかったんですか」
「する前に再びペルセフォネに引きずり込まれた」
「えげつないことしてますね、つくづく」
「見損なったでしょ、シェド」
「いや、昔から、変わらないな、と」
「昔からちっとも変わっていないそうだ、よかったなペルセフォネ」
「ち……ちっともは余計よ、ちっともは!」
「その暴走気味の性格は、400年たっても変わらなかったな」
「現世換算だとそのくらいかもね」
「現世換算?」
「あれ、知らないのシェド? 冥界(こっち)と現世(あっち)では、時の流れ方が違うのよ」
「えっ」
「こっちでいくら経ってても、向こうではそんなに経ってない…というか、なんで知らないのよ」
「そんなの気にしてるヒマなかったし」
「まったくシェドは…」
ふとシェドの目の前で、バランスを崩しペルセフォネが倒れた。
「おい、大丈夫かペルセフォネ」
「大丈夫。ちょっと体力、使いすぎちゃった。小さな身体に戻してくる」
そう言って自分の部屋に戻ろうとしたペルセフォネは、すでに千鳥足だった。
「俺が運んでやる、シェド、お前は待っていろ」
「俺は、ペルさんの代わりに料理作ります」
「ダメだ」
「何でですか」
「お前の手を煩わせるわけにはいかない」
「手伝いたいです」
「......変わった奴だな」
「自分でやりたいって言ってるんならいいんじゃないかしら、ハデスさん」
いかにも清楚、といった別の女の人がやってきて、そう言った。
「シャンネ......」
「ね、シェドくん」
「ええ、まあ。……誰ですか」
「十聖士のシャンネよ。シャンネ・スノーウィ―・アフロディテ。よろしく」
「よろしく......お願いします」
「あと、仕上げ待ちの料理が多いから、お願いね。ちょっとやりにくいかもしれないけど」
「分かりました」
* * *
ハデスはペルセフォネを抱え、ペルセフォネの自室まで向かっていた。
「抜けられるか」
「大丈夫。それぐらいの体力は残してる」
「学習したな。昔は体力を使いきって八方塞がりのこともよくあったが」
「私を過小評価しすぎじゃない?」
「そんなことはない。......しっかりつかまっていろよ。段差だ」
「うん。……ハデスの背中、あったかい」
ふと、ハデスが黙った。
ゆっくり目を開けて、ハデスの方を見た。
口元が少し、ほころんでいた。
「……しゃべるとまた、体力使うぞ」
「そんなことぐらいで体力、使わないよ」
「長い廊下だぞ」
「あとでエミーとウラナ、呼び戻して。料理ももうすぐ、出来るから」
「お前はどうするんだ」
「部屋にいる。小さいのに戻しても、きついかもしれない」
「歓迎会、休むのか」
「仕事しとくから」
「仕事?最近渡したか、仕事なんて」
「自分の仕事だから」
「......着いたぞ。移れ」
「よいしょ、っと」
昔から何度も聞いてきた音がする。瓶についた栓を抜いた時のような、それでいてそれには似ていないような、中途半端に高い音だ。
「もう面倒だから『じゃ』って付けなくていい?」
「やっぱりわざとだったのか」
「気づいてたんだ、さすがハデス」
そう言いながら、ペルセフォネは左から3つ目の棚に近づき、右から2列目の上から4番目の戸を開けた。そこには金庫があり、「1111」を押して、扉を開けた。
「実はさっきの話のオチ自体は冗談だけど」
2つ、何かを取りだしてきた。
「言ったことは本当でさ。本当に下着買ったときとかのレシート、ファイリングしてあるの」
「早めに捨てないと、俺以外の人に見られたらどうするんだ」
「そうだね、捨てちゃおう」
それと、ともう片方の手を出す。
「これが、私の仕事」
折りたたんであった紙を開いた。
「……もう、書かないといけないのか」
「うん。さすがにこの仕事は終わらせないと」
「……分かった。頑張れよ、大丈夫か?」
「これをしてる分には大丈夫。じゃあね」
ハデスは部屋の外に出た。
「クルーヴ」
『……パパ?』
「すまん、戻ってきてくれ。ペルセフォネが倒れた」
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