第3話



 ナツヲは喜んでいた。

 私と共に桜を見に行った時も。私が彼を魔なるモノたちから救った時も。私か彼の望みを叶え村に雨を降らせた時も。彼はこうやって喜び、その感情を私と共有してくれた。

 彼から伝えられる「喜び」からなる幸福感に包まれながら、私はナツヲにもっと笑ってもらいたいと望むようになっていた。

 だから私は、その喜びを得るために。そして、村人たちの手でナツヲが殺されないように、ナツヲの望みを際限なく叶え続けた。

 そうしているうちに何時しかナツヲは村の中で「神に言葉を届ける『神童』だ」ともてはやされはじめ、彼が神たる私へ言葉を届けるための社は新しく建て替えられ、『神童』なるナツヲも家族と共にそこに住まうようになった。

 同じ屋根の下で共に暮らし始めた私たちは、同じ時間を共有し続けた。そう、ナツヲが成人となった時も、祝言を上げた時も、初めて命の営みを学んだ時も、私は片時も離れず彼の傍に寄り添い、共に喜びを分かち合ったのだ。

 喜びだけではなく、苦しみや悲しみを共有しあう日もあったけれど、それは間違いなく「幸せな日々」だった。

 けれどその幸せな日々は長くは続かず、ナツヲは自らのこの顔を見る前に思い病を患い、その命を命の輪の巡りへと還さんとしていた。

 死相の出ている顔で、横たわる若いナツヲ。その隣に居るのは彼の身重の嫁と、未だ生きる彼の両親たち。そして私もまた彼らにならうようにして、ナツヲの傍に居た。

 身体を動かすだけの体力がもう無いのだろう。視線を私の方に向けたナツヲと目が合う。

「ナツヲ?」

 何か私に伝えたいことが在るのだろうかと思い、私はナツヲの枕元へと移動する。そうすれば、彼は自身の骨ばんでしまっている手を持ち上げ、私の頬にその手を添えた。

 ――慰めなくては。

 ――泣いているイーヴァを、慰めなくては。

 私の頬に触れる、ナツヲの冷たい手からその思いが伝わってくる。

 寂れた社の中で、一人うずくまる幼体の私。その頬には涙のように流れる雨水が、伝っている。

 これは、私とナツヲが初めて出会った時の情景。そしておそらく、今の私もまた彼にとっては泣いている表情に見えたのだろう。

 ――もっと、イーヴァと一緒に居たかった、な。

 消え入りそうな心の声でそう呟き、瞼を閉じるナツヲ。その声に「私もだ、ナツヲ」と返そうとした瞬間、ナツヲの心の声が止まった。

「……ナツヲ?」

 ナツヲの身体から、ナツヲの心が消えてゆく。ナツヲから、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも。すべて消えていってしまう。

「……コレが、死というものなのか」

 彼の身体に寄り添う。私を視認することのできない彼の家族たちはむせび泣いている。

 だが、私の問いかけに答えてくれるヒトは居ない。私に触れて、私の心に直接「悲しみ」を教えてくれるヒトは居ない。

 ただひたすら、私の中を「焦り」が渦巻く。

 ナツヲは私が掲げる信条でもある命の巡りの輪へと還っていっただけだ。死は恐れるべきものではない。死は魂を巡らせ、新たに此処へと還ってくるために必要な手順。だから死は救いであり、恐れるべき事柄ではない。

 だが、残された私はどうだ。ただひたすら人々の命の巡りを傍観することしかできない、命の輪の巡りに決して混じることのできない、残され続けるだけの私は孤独ではないか。

 徐々に冷えてゆくナツヲの身体に縋りつき、涙を零すナツヲの嫁の姿が――腹に、ナツヲの子を宿している女の姿が、不意に目に入る。そして、ナツヲが最後に抱いた望みが、「もっとお前と一緒に居たかった」の言葉が、私の中で反響する。

 ナツヲは望んでいる。私ともっと一緒に居ることを。ほかでもないナツヲが望んでいるのだ。ならば私は彼の望みを、共として叶えるべきだろう。

「――ナツヲ、ナツヲ、ナツヲ、ナツヲ。お前がそう望むなら、……私はお前の望みを叶えよう。お前は私の、唯一の友なのだから」

 私は、ナツヲの嫁の腹に手を伸ばす。未だ自我のない胎児に、ナツヲの魂を結ぶために。

 たとえその腹の子が一度死に、そこへお前をねじ込むようなことになろうとも、お前はきっと私と共に在れることを喜んでくれるだろう。

 だから私は、お前の子を殺して、お前をこの世に繋ぎ留めよう。



 ナツヲの嫁から生まれた子供は、私が望んだ通り「ナツヲ」であった。

 それも故意に彼を此処に繋ぎ留めたせいだろう。幼いながらにも彼には記憶が在ったようで、私を見るや否やその表情をぱっと明るくし、私に、再度会えたことによる「喜び」を伝えてきてくれた。

 そんな前世の記憶とも呼べるものをもって生まれた彼が十分に言葉を話すようになった頃、ナツヲは自らを「ナツヲ」だと周囲に名乗り以前までの自分しか知らないような物事をピタリと言い当て始めた。

 最初の頃こそナツヲの嫁や親の入れ知恵だろうと村人たちに馬鹿にされていたが、ナツヲの発言が徐々に信憑身を増し、なおかつこの社でまつられているイーヴァ・ニーヴァたる私へ言葉を届けるようになってからは、その揶揄は綺麗になくなった。むしろ村人たちはナツヲを以前までの「ナツヲ」だと認め、「新たなる神童」だと持ち上げはじめた。

 そして、「輪廻転生」を心情にも掲げる繋ぐ神としての私の力をその身を以て体現せしめたナツヲの名は、瞬く間に村の外へと広まり、私の神としての認知もそれに乗じて上昇した。

 そんな「神童」たるナツヲの噂を聞きつけ、村の外から相談事にも似た「願い事」をしにやって来る者は多かった。その中には栄華を極めんとする富豪も少なからずおり、その相談に応じることにより、ナツヲは多大なる褒賞を得た。

 けれどその褒賞をナツヲ自身が使うことはあまりなく、そのほとんどを村の為に使った。そのことにより私を、ひいては神童たるナツヲを信仰する村の者たちの暮らしはよりよくなり、彼らが抱く私たち二人への信仰心もさらに強固な物へと変わっていった。

 村人たちの生活がより良くなることによって、以前までのように供物の不作で苦しむようなことは無くなり、口減らしの為に老いた父母を山へと捨てなくてもよくなった。そしてその豊かとも呼べる暮らしを得た彼ら――ナツヲを含めた村人たちは「それ以上」のものを得なければ、「喜び」を感じられないようにもなって来ていた。

 季節の花々が美しく咲き乱れようとも、彼らは喜びを感じない。

 食べ物に困らない生活が続いていることに、彼らは喜びを感じない。

 もっと強烈で、鮮烈な、刺激が無ければ彼らは喜びを感じ得ない。

 だから私は、ナツヲの口にする望みが徐々に方向性の違う物になっていたと気づいていても、ためらうことなく彼の望みを叶え続けた。


「イーヴァ、俺の立場をもっと盤石なものにするために、権力のある者と俺の縁を結べ」

「――お前がそう、望むなら」


「イーヴァ、俺と領主の娘の縁を結べ。そうすれば俺がこの一帯で一番偉くなれる」

「――お前がそう、望むなら」


「イーヴァ、領主とその周りの親族が邪魔だ、此処からいなくなるような縁を結べ」

「――お前がそう、望むなら」


 ナツヲが喜ぶのなら。ナツヲが喜びを感じ、私にその喜びの感情を共有させてくれるのなら。私はいくらでもお前の望みを叶え続けよう。

 お前が嬉しいと、私もまた、「嬉しい」のだから。

 そして私は、ナツヲの喜び。ひいては私の「喜び」の為に、幾度となくナツヲを転生させた。

 だが無理な転生を繰り返したせいかナツヲの魂は摩耗しはじめ、彼の持つ寿命も徐々に短くなり、今ではもう、成人の儀を迎えるのもままならない程にすり減ってしまっていた。加えて、その長い年月のうちに何処かがほころびて、欠けてしまったのだろう。ナツヲの精神はすっかり、ヒト成らざるモノの思考へと移り変わってしまっているようでもあった。

 それ故に、私を逃がしたくないという意思が芽生えたのだろう。ナツヲは私の足に鈴をつけ、社の最奥に格子で囲った座敷牢を創り、護符や鍵を幾重にもつけて私をソコに閉じ込めた。

 ナツヲにしか私は見えないというのに。

 私にはナツヲしかいないというのに。

 私は、ナツヲだけが居れば良いというのに。

 ナツヲが私の為だけに創ってくれた囲いの中で寝そべりながら、ずっとナツヲの事を考えるばかりの私。そんな中において私は、「けれども最近の彼は私に「喜び」を共有してはくれないから――そろそろ、潮時なのかもしれないな」という考えに至り始めていた。

 それに魂も摩耗し、もうナツヲの魂をきちんとした形で転生させることも難しい。ならばもういっそ、記憶も魂も新たにして、彼を真っ当な形で生まれ変わらせた方が――ナツヲも喜ぶだろうし、私もまたナツヲから新鮮な「喜び」を得られるだろう。

 考えがそう至り、それ以上の結論も出ないと判断した私はすぐさまそれを実行すべく、ナツヲが私の為に作ってくれた囲いを擦り抜け、ナツヲの元へと移動した。

 護符も、鍵も、所詮ヒトが創りだしたヒトのための拘束具でしかない。そんなもので、数多の信仰心を得ている神たる私が縛れるわけがないのだ。

 列島内における都にある大きな屋敷にも似た大きな建造物となったこの社の中を移動し、私はナツヲの寝所に入り込む。そうすれば、窪んだ目元に、頬もすっかりと痩せこけているナツヲが横たわっていた。

 もはや今のナツヲの身体は骨と皮だけだと言っても差し障りのない衰えた身体だ。それでも先日精通はしたようであり、それを知った信者たちがこぞって彼の種を得、新たなる「神童」の親になろうと躍起になっているらしい。

 おそらく私が此処へ来る前にも誰かの相手をさせられていたに違いない。ぐったりとした様子で臥せっているナツヲを見下ろす私に、彼が「イーヴァ、一体なんのようだ」と問いかけてきた。

 だが私はその彼の問いかけに答えることなく、彼の胸に私の武具である杭を打ち込んだ。

「さようなら、私の友」

「え……?」

 一体何をするんだ。

 どうしてこんなことをするんだ。

 そんな疑問ばかりのナツヲの声が、杭を伝って私へ届く。

「今のお前はもう、私に「喜び」の感情を与えてくれないから不要なのだ。私はお前と「喜び」を分かち合いたい。私はお前に「喜んで」ほしい。けれど今のお前は喜んでくれない。だから、はじめからお前をやり直すのだ」

「やりなお、す……」

「そう、私の事も、今までのお前もすべて忘れて、新たなるヒトの子としてお前はやり直すのだ。そうすればお前は、まっさらな心で、私に喜びを与えてくれるだろう?」

 私は決して自殺も、他殺も生贄も推奨はしない。けれど、ナツヲ、お前に限ってはその括りを出るのだ。否、私を見て、私と会話をして、私に喜びを与えてくれるナツヲだけは、その括りから出なければならないのだ。

「だからナツヲ。今までの自らを忘れよ。共に歩んだ私を忘れよ。さすればお前は再び喜びを知ることが出来るだろう」

 そんな私の発言に、ナツヲが言葉を返すことは無い。ナツヲに打ち込まれた杭から伝わるべき彼の思いも、どうしてだか届いてこない。

 嗚呼、それでもきっとお前は喜んでくれているだろう? 新たなる生に、新たなる魂に、新たなる記憶に、新たなる喜び。それらをお前は再び得ることが出来るのだから。

 だから、さよなら。私の友よ。



 ナツヲが私の手によって命の巡りの輪へ完全に還った後、ナツヲの子と呼ばれるべき者たちが「ナツヲ」として転生してくることはなかった。しかも何故ナツヲが転生してこないのかを知らない信者たちは、ナツヲの母となるべき女たちが悪いのだと、彼女たちを皆殺しにし、ナツヲの代わりを、ひいてはナツヲが気付いた富と名声を求めて何代も当主を代替えさせ始めた。

 それ故にこの社と私への信仰はすぐに崩壊した。

 今まで一人でこの社の主として座っていたナツヲが居なくなってしまうのだから、そうなることは私も予測はしていた。だが、ナツヲからの「喜び」さえ得られさえしていれば、もはや神としての立場などどうだって良かった私にとっては、信仰の有無などどうでも良い出来事だった。

 母体たる女たちが殺されれば殺されるほど。当主たちの首が変われば変わるほど。徐々に信仰は薄れ、妬みや憎悪、恨みが募り、穢れてゆく。

 そしてついに、私は誰一人として居ない穢れた社の中に取り残されることになった。

 屋根も壁も、時が進むにつれて朽ち果て、元の廃れた社の姿へ近付いてゆく。けれど、それに対して私は何の感慨も抱くことは無く、むしろナツヲが私の為だけに創ってくれた鍵や護符の着いた格子部屋で寝ころび、ナツヲの再誕を待った。

 この社はナツヲとの思い出の場所であり、この部屋の鍵や護符はナツヲとの繋がり。そして、この社から噴き出る神気があれば、私はいくらでもナツヲの再誕を待ってやることが出来る。だから私は此処でお前の再誕を待ち続けよう。

 信仰が無くとも、祈りが無くとも、願いが無くとも、望みが無くとも。未来にお前が居るのなら、私はいくらでもお前を待つことが出来るのだから。

 ナツヲと私の間に繋がる強固な縁の糸こそ見えはしない。けれど私たちは再び出会うだろう。その時まで、私は眠る。何者にも脅かされることの無いように。何者にも見つかりはしないように。深く、深く眠ろう。

 衰えた身体となったナツヲに打ち込んだ杭を抱きしめ、私はゆっくりと瞼を下ろす。

 嗚呼ナツヲ。私はお前に、早く会いたい――



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最近同居しはじめた自称【神】が×××な件について!【番外:過去話】 威剣朔也 @iturugi398

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