2018年02月17日午後1時42分 想像のダブルトウーループ

宮国 克行(みやくに かつゆき)

第1話 4分半、きみとぼくの物語

〝日本の皆さん、ついに王者の登場です〟

 中継しているアナウンサーの声は、押さえてはいるが、興奮でどこかうわずっていた。

「始まったわ。見に行こう」

 隣で声がした。こちらの声も楽しげでうわずっている。声の主を見ようと首を回したが、すでに早足で僕のそばから離れていた。

 ――楽しいって背中にも現れるんだな

 急いで食堂に向かう女子社員の制服の背中は、雄弁にその想いを物語っていた。

 僕もつられて同じ方向へ歩いて行く。

 中継しているアナウンサーの声が聞こえてくるくらいの距離であるから、二十歩ほどでテレビのある社員食堂に入った。

 低く荘厳な音楽が大音量で聞こえてきた。どこか東洋的な音だ。高い笛の音が効果的に使われている。

 天井から固定されたアームで吊されているテレビは、氷上に佇むひとりの人物を写しだしていた。

 白を基調にした水干のような衣装。下は黒のパンツだ。

 テレビを取り囲むように二重三重の人垣ができていた。みな、上を向き、その人物を注視していた。誰も彼も無言であった。

 テレビの中も静寂、見ている側も静かであった。

 笛の音が高く響いた。拝むようなポーズから円を描くように彼が動く。くるりくるりと軽やかに回りながら移動して、リンクを大きく使っていく。時折、ドンと太鼓の音が鳴る。それに合わせて、手を大きく上げて調子をとる。手を広げる。彼がスピードを上げる。細かなステップ。

「あっ」

 誰かの声が小さく漏れた。

 飛んだ。

 一瞬のようで、永遠のような瞬間。

 白く光る竜巻のようであった。

 見事に着地。

 後ろ足をあげ両手を大きく広げて、後ろに流れて滑っていく。

 静と動、そのコントラストが見事であった。

 黄色い声援と拍手が着氷とともにいっせいに鳴り響く。しかし、数秒で幻のように氷上に吸い込まれるように消えていく。

 旋律が早くなる。

 彼の足がステップを刻んでいく。

 会場から手拍子が加わる。

 それに合わせるかのように大きく素早く動いていく。

 スピードを維持したまま、数秒、体を捻って後ろ向きのまま滑っていく。

 緊張の度合いがテレビを見ている側にも伝わってくる。

 飛んだ。

 二度だ。

「おお」

 テレビを見ている観衆から感嘆の声が上がった。続いて拍手。

 見事に飛んで、着氷した。

 僕も思わず詰めていた息を吐き出した。知らぬ間に緊張していたようだ。

 ふと、内ポケットが振動していることに気がついた。

 スマホを取り出すと、アポの時間が差し迫っていることに気がついた。

 最後まで見ることを断念して、早足で食堂を出る。自分の部署に戻り、ホワイトボードに外出のマグネットを貼り付け、行き先を書く。

 廊下に出てエレベーターへと向かう。

 心なしか、いつもよりも人が少ない気がする。

 特徴的な太鼓の音と旋律が聞こえてきた。同時に「すごい」との感嘆の声。通りすがりにチラリと給湯室を覗くと、女子社員がスマホを片手に同僚と画面を覗いている。

 苦笑しつつも、今、彼はどのような演技をしているのかと気になった。

 腕時計を見る。

 午後1時43分

 エレベーターホールで、扉が開くのを待つ。扉が開いて乗った。倉庫があるホールで止まり、降りる。

 さすがにここまでは、スマホ片手に立っている人はいないみたいであった。静まりかえったホールを過ぎ、倉庫の扉を開けて、目当ての品物を抱える。腕時計を見る。午後1時44分だ。

 エレベーターホールに戻るとすぐにエレベーターの扉が開いた。乗り込んで1階のボタンを押す。動き始めて、すぐに階下で止まり、背広を着た男と女子社員が何やら話しながら乗り込んだ。おもむろに、男のほうがスマホを取り出すと画面を操作して、氷上の彼を映し出した。

 「危なっ」

 背広の男がいった。エレベーターの中だから、音は出ていないが、それでも小さな画面から、氷上の彼が転倒しそうになったのをなんとか堪えたのがわかった。そこから、左足を折りたたんで、回転する。上半身や両腕をつけて変化を付けていく。動くたびに変化していく。万華鏡を見ているようだ。

 頭上から特徴的な鐘の音が鳴った。どうやら1階についてしまったようだ。無理やり画面から視線を外して、エレベーターから降りる。

 ホールから出ると、広めのエントランスに出る。複数の企業のテナントが入っているためホールはかなり広い。広い割には、閑散としている。企業だけしか入っていないビルなので、いつも通りといえばそうなのだが、やはり、氷上で舞っている彼の力もあるのではないかと思ってしまう。地下の駐車場へ向かう専用のエレベーターへと歩みを進める。このビルは、直通で地下の駐車場へは行けない変な造りになっている。エントランスを横切り、向かう時、飲み物を買おうと思い立った。すぐ外に自販機がある。進路を変えて、出入り口の大きな自動ドアを出る。

 外の雑多な臭いが混じった空気と車が行き交う音。そして、僕の視界に人だかりが目に入った。

 道路を隔てて、さらに奧へいったところだ。駅前の大型ビジョンを見上げる人々がいた。皆、心配そうな顔と笑顔が入り交じっている。氷上の演技を見ていることは容易に想像出来た。

 時計を見ると、1時45分と40秒。

 自販機に向かい、缶コーヒーを買う。

 一口飲む。

 大型ビジョンは、角度の問題でこちらからは見えないが、人々の表情はよく見える。老若男女、様々な人達がいる。祈るように手を組んで見ている人も数人いる。

 今、彼は、どのように舞っているのだろうか。

 一瞬だけ現れる美しい竜巻のようなジャンプ。

 着氷してからの堂々たる羽を広げたような体勢。

 その静と動のコントラスト。

 ゆったりと時には小刻みに踏むステップ。

 万華鏡を見ているようなスピン。

 会場からの拍手と歓声。

 陳腐な言葉だが、彼は、様々な人の思いを背負って舞っているのだろう。

 ふと、歓声が聞こえた。

 物思いにふけっていた僕は、そちらを眺める。先ほどの大型ビジョンを見ている人達から歓声と拍手が沸き起こっていた。

 どうやら、無事に終わったみたいだ。

 僕は、その場を離れた。



 地下駐車場は、しんと静まりかえっていた。独特な空気感と冷たさ。まこと地下というイメージにふさわしい。

 並んでいる車を横目に営業車へと向かう。

 ふと、飛んだ。

 小さくだ。

 大きく飛ぶのは恥ずかしい。

「ダブルトウーループ」

 呟いてみた。

 しかし、その技がどんな風なのかもよくわからない。聞いたことある言葉を言ってみただけ。

 想像の中だけは、綺麗にダブルトウーループなるものを飛んでいた。イメージは、さっき見た氷上の彼のジャンプだ。

 彼は、日本中の、いや、世界中のファンの想いを背負って飛んだのだろう。

「僕だって飛んだよ」

 ひとり呟いた。大切な人の顔が幾人か浮かんだ。

 エンジンを回す。

 カーラジオから、彼の金メダル確定のニュースが流れた。


                             了

 

 

 

 

  



 

 

 



 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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2018年02月17日午後1時42分 想像のダブルトウーループ 宮国 克行(みやくに かつゆき) @tokinao-asumi

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