主催者探しゲーム

瑛志朗

狂っているのは誰?

 あなたには信頼できる相手は何人居ますか?

 親友でも恋人でも構いません。

 その相手を胸を張って親友だ、恋人だと言い切れますか?

 もしそんな方がいらっしゃるならば、とても幸福なことです。

 どうぞ、お相手のことをこれからも大切にし、良き関係を続けてください。

 けれど人間という生き物は、目に見える姿が全てでない人が大勢居ます。

 内弁慶なんて言葉があるように、家と外では別人のように態度が違う人も少なくはありません。

 職場と家。同じ態度で過ごせる人のほうが少ないだろう。と違いを"当たり前"と捉えていませんか。

 家族に見せる一面と恋人に見せる一面。同じと言えますか?

 そう、私達はどんなに慕う相手だろうとあくまでその人の一面しか見えていないのです。

 人間の表情は多面。

 それを"当たり前"と理解しつつも相手の意外な一面や本性を見せられた時、人は何故拒絶したり落胆するのか。

 あなたが相手に抱く印象を信じ決めつけ、"当たり前"を当て嵌められていないからではないですか?

 さあ、今一度、先程思い浮かべた信頼できる相手についてよく考えてみてください。

 お相手を真の意味で理解できていますか?

 本当にその人はあなたにとって親友ですか?恋人ですか?

 あなたの信頼に足る人物でしょうか。一方通行な解釈になっていませんか。

 少しでも不安に感じてしまった方も、そんな心配は不要だと胸を張れる方も。

 どちらもおかしくはありません。

 この問いに正解など無いのですから。

 ただの質問で、あなたが幸せであれば何も問題は無い。

 馬鹿げていると流そうが、友好関係を改めてみようと考えようが自由です。

 いつだって重要なのはあなたの信念です。どうかお忘れなきよう。


  思想は何者にも縛られない。

 どんなに身勝手でも凶悪でも、傲慢であろうと醜悪だろうとも制限など存在しない。

 もし自由を感じないのであれば、自分自身が閉ざしているだけ。

 環境や他者の責任にするのは間違いです。精神は己の気の持ちようである。

 あらゆる思想に罪も無ければ咎められるいわれも無い。

 誰であろうと等しく与えられる能力であり、人格を形成する要だ。

 存分に味わい、楽しんで頂きたい。

 肝心なのは、世相と自分の思想の違いを正しく理解することです。

 悪戯に自分の思想を振りかざし、押し付けることは犯罪になりかねない。

 想う自由は行動に伴わない。現実を正しく見定め、上手く生きてください。    

 抱く思想によってはさぞかし生きにくいのが現実とも言えますが。

 現実を受け入れ難く、限界を感じた者が罪を課せられ、自身の正義を振りかざしたりするのです。

 罪を良しとし己を解放して周囲に影響を与えて生きるのもひとつ。

 そっと心に留め、人の目には一生晒さず生を終えるのもひとつ。

 どちらを選ぶのもまた自由ですが、私は自身の思想の性質を正しく理解し、信念と現実共に上手く付き合うことをお勧めします。

 

  人間の精神は脆く儚い。だからこそ強くあろうとする者は美しく映る。

 外見、才能、身分。違いがあるからこそ良さは引き立つもの。けれど違いは優劣を生み出す。

 違いがあるからこそ誰しもが悩みを抱え込む。

 どんなに親しい間柄であろうとそこに例外はございません。

 今宵はそんな人間について興味深いパーティーをひとつご用意致しました。

 パーティーが催されるとある洋館の一室に集められたのは、五人の学生。    

 正義感が強く真面目で誠実な人望ある学級委員。

 小柄で愛らしい見た目、芯の通った落ち着きはどこか浮世離れを感じさせる少女。

 文武両道で器用な才能を持ち合わせた非凡な容貌の少年。

 裏表が無く、明るい振る舞いから周囲に慕われる活発な幼馴染。 

 品行方正、清潔感のある風貌や自然な仕草で人の好さと調和が取れた優等生。

 彼らは同じ学校に通う仲の良い同級生。そう、友達同士です。

 容姿、性格、能力、個性。各々がどこか突出したモノを持つ五人組に誰もが目を惹き羨んだ。

 キラキラと輝くあの輪の中に入れたら、高校生活をさぞかし謳歌できるだろう、と。

 しかし、実際は違うのです。

 周囲が知る彼らもまた、あくまで一面でしかないのです。

 どこまで互いを信頼している?そもそも本当に仲が良い?友に抱く感情は真に友情か?

 彼らも大事な友人のほんの一面しか知り得ていない。

 奥底に潜む自身の本心に気づいていないだけかもしれない。

 些細な疑念は大きな不安や恐怖へと変貌し友人や自分の信念をも蝕んでいきます。

 ―――さあ、楽しい"ゲーム"の始まりです。



   *



  目が覚めるとそこは見覚えのない場所だった。

 まず初めに映り込んだのは大きな洋風の暖炉だ。

 エアコンやガス暖房が主流となった日本では馴染みの無い器具だ。

 寝起きだからなのか少し肌寒さを感じたが、残念ながら暖炉に薪が無いので火は灯っておらず温もりは期待できそうにない。

 身体を起こすとソファーの軋む音が不気味に響く。

 床を見ると、ところどころ糸のほつれが、くすんだ赤い絨毯が敷かれている。どこかの居間だろうか。

 ぼんやりとした頭でそんな事を考えていたら見知った声に話しかけられる。

「気が付いた?」

「うん。ここはどこだろうか?」

 僕の様子が正常なのに一先ず安堵したのだろうか、同級生の彼女は少し笑顔を見せたが僕の問いですぐに顔が曇ってしまう。

「分からないの。私達も気が付いた時にはもうこの部屋に居て…」

 辺りを見回すと同じく同級生である男女三人が思い思いに部屋を探索していた。

 彼女の言葉通りならば彼らも同様に訳も分からずこの部屋に連れて来られたという事だ。

 最新の記憶を思い出そうと頭を必死に働かせる。

  今この部屋に居る僕を含めた五人の生徒は皆、同じ学校、クラスメイトであり友人と呼べる間柄だ。

 それぞれ所属する部活動も委員会も異なるが、試験が間近だったので珍しく五人揃って帰路につく流れになった。

 途中立ち寄った公園で試験についての不安や対策について話し合っていた。

 外で話し込む位ならばどこかで勉強会でもしようとそんな結論に至った。そこまでは明瞭に思い出せた。

 しかし、それがどうしてこの見覚えのない洋室に繋がるのかまるで見当がつかない。

 皆が不振がっている様子から招待されたとも、誰かの知っている場所でも無さそうだ。

 全員制服姿のままだが手荷物の類が一切見当たらない。

 恐らく全て取り上げられてしまったのだろう。

「あー!ここがどこだか全然わからない!」

 部屋中の窓の外を凝らして見て回っていた少女は両手を上げ、まさにお手上げ状態で大きな声を上げた。

 僕の位置からでも分かる、窓の外は建築物はおろか植物も天気さえも伺えない闇だ。

 夜にしても景色が判断できないなど暗すぎる。場所も時間も正確な判断ができない。

 蝋燭の灯りだけが頼りの心もとない光だけが明るさを提供してくれる。

 お化け屋敷でもなければ、遭難したわけでもない。この異常な空間が不安を煽る。

「駄目ね。窓も開かないし、暖炉の上も見たけど梯子も無ければ光も差し込んでない。どこからも出られない」

 小柄な少女が暖炉の暗闇から姿を現し冷静に断言する。

 華奢な彼女が進んで真っ暗な暖炉の中を確認するなど驚いた。

 トラブルが起きれば竦んでしまうタイプの人間だと思っていたが、認識を改めなくてはならない。

「となると、出入り口はここだけになる訳だけど…っ!ビクともしないな」

 この部屋唯一の扉を前に彼はため息をついた。

 最初は通常通り取っ手に手を掛け押しても引いても開かず、次は力任せに体当たりするがやはり開かない。

 男であり僕らの中で一番力のある彼が体当たりしても開かないのだ。力任せに開くのは無理だろう。

 誰もが騒ぎ立てるよりも前に現状の状況分析から行うあたり度胸がある。

「閉じ込められたってこと?」

 密室の現実を見せつけられ僕の身を案じてくれた少女の顔から血の気が引いて行く。

 彼女の言葉に全員が苛立ちや不安を露わにした。

 誰も否定も楽観視する事もできなかった。

 横に居る心の優しい彼女が最も精神にダメージを負ってしまったようだった。

 まさか集団誘拐か?けれど五人も誘拐する理由が見当もつかない。

 手間もかかれば、目立つし大掛かりになる。

 金目的ならば両親が医者である僕一人を連れて行けば十分だろうし、暴行目的ならば女子だけを狙えば済む。

 まだ学生の身分である僕らに怨恨の線は薄いだろう。それも五人全員が対象になる可能性は極めて低い。

 となると愉快犯なのだろうか。けれど、ただの悪戯にしては手が込み過ぎている。

 洋館の一室と思わしきこの場所に僕ら五人を閉じ込めた理由。…判断材料が足りない。

 この部屋には家具も殆どない。今僕が腰かけている二人掛けのソファに、床に敷かれた年季を感じさせる赤い絨毯。

 どちらも古びていて生活感はまるでなく、脱出の道具も手立ても無い。

 ただ時間が経つのを待つしかないのだろうか。


  静寂の間に扉の開く音が響き渡る。

 五人の注目が集まる中、開かなかった筈の扉から子供が入って来た。

 僕らの顔を見渡すと、子供はにこりと笑う。

「皆さん、ご機嫌よう」

 礼儀正しくお辞儀する少年に僕らは困惑を隠せない。

 こんな小学生位の子供が高校生五人の意識を失わせたうえに誘拐するなど不可能だ。

 それに子供の悪戯にしては度が過ぎている。主犯は他に居る

「ここはどこだい?僕らは帰りたいんだけど」

 犯罪紛いな遊びに付き合う余裕は無い。

 即座に質問をぶつける。

「パーティーは始まったばかりなので終わらないとここを出ることは叶いません」

 質問を投げかけられるのは想定済みだったのだろうか、子供は表情一つ崩さない。

「パーティー?」

「はい。皆さんはパーティーに招待されたお客様ですので、終わるまでは屋敷から出られませんよ」

 少年はパーティーと明言するが、招待される心当たりなど当然無く、パーティーと表現するに足る食事、音楽、

 楽しげな雰囲気などの彩りは何一つない。

 この部屋とは別の場所でパーティーが行われているとでも言うのか。

「悪いけど、僕らは正体の分からないパーティーに出席する意思はない。早くここから出して欲しい」

「せっかく催されたパーティーですのに、楽しまれては行かないんですか?」

「ああ。早く解放してくれ」

 演技でもしているのだろうか、僕らが警戒しきっている様子など解せずに残念な素振りをする。

 得体も知れない者が開く、見知らぬ場所でのパーティーなど楽しめる筈がない。

「仕方ありませんね。では、ゲームをしましょう」

 この少年には言葉の意味が正確に通じないのだろうか。

 僕の言い分の肝心な部分だけが流されている。

「君、ふざけるのも大概に…!」

「行成君。いいじゃない、子供のゲームくらい付き合ってあげようよ」

 冷静さを欠き、声を少し荒げると隣にいた少女が止めてくれる。

 僕が知性がある女性だと認める彼女は少しずつ落ち着きを取り戻しているようだった。

 しかし、子供と軽く捉えていいものなのか。

 既に出来上がっている、僕らよりも子供に会話の主導権を握られているこの状況を受け入れてしまうのは判断を誤っていないか。

 この異常な空気に馴染んでしまえば取り返しがつかない気がする。

 むしろ僕らはもう後戻りがきかない場所へ来てしまっているのだろうか。

 密室空間に閉じ込められた現実を目の当たりにした時よりもずっと恐ろしい感情が胸をざわつかせている。

 こんな子供一人、それも五対一だ。最悪力づくで簡単に形成は逆転できる。

 現実的に考えれば簡単に導き出せる結論だ。

 それなのに根拠のない不安が、目の前の子供に弱味を握られているかのような悍ましさを与えてくる。

「そのゲームをすればここから出してくれる?」

「ええ。皆さんが無事に"クリア"すればですが」

「いいわ、どんなゲームをすればいいの?」

「主催者探しゲームです」

 その名の通り、館内に居るこのふざけたパーティーの主催者を探し出せばいいのだろう。

 宝探しゲームみたいな物だ。この場に居る誰もがそう理解したに違いない。

 けれど子供の口から付け足された補足は単なる遊びを越えていた。


「皆さんの中に居る主催者を見つけ出し、殺してください」


 僕らは全員が声を失い、場が静まり返る。

 主催者を見つけ出した上に、その主催者を殺めろとこの子供は言った。

 しかも衝撃の事実も孕んでいた。

「皆さんって…まさか私達の中にパーティーの主催者が居るって言うの?」

「はい。僕は主催者の強い意思でこのパーティーをお手伝いしているだけであって、主催者ではありません。そしてこのパーティーは主催者の望みが果たされるまで終焉を迎えません。なので主催者の意志を無視してここを抜け出したいと仰るのでしたら皆さんの手で主催者の命を絶ってください」

 僕ら五人の中にこの犯罪を企てた首謀者が居るとこの子供は言っている。

 冗談に決まっている。僕らは友人同士だ。恨みなど無い。

 仮に本当にこの子供の言う通りだとしよう、何故主催者を殺す必要がある。

 首謀者が僕らの中に居るならば脱出する方法はもっと他にある筈だ。

「待ってくれ。君の言う通り主催者とやらが僕らの中に居るならば話し合いで解決できる、僕らは友人なのだから」

「さあ。僕には判断できかねます。ただあなたがそう考えようとも主催者はそれを受け入れたりはしませんよ」

「何故だ」

「主催者の望みは"皆殺し"だからですよ」

「な…!?」

 子供の妄言だとすぐに否定したかった。

 それなのに僕らは既にこの異常な空間に飲まれていた。

 誰もがその言葉を疑わず、誰が主催者なのかと恐れ始めているのだ。

 僕はその状況が何よりもショックだった。

 気心の知れた仲の良い友人達。そう思っていたのに。

 互いを信じ合えてさえいれば、『皆殺しにしたい』など狂気じみた欲望を持っている者はこの中に一人も居ない。

 そう全員で断言できた。

 彼らは全員を信頼しきれていなかったのだ。

 冷静さを保っていられさえすれば、これから先、脱出の方法を模索したり、ゲームのからくりを暴いてみせたり。もっと様々な考えに至れたかもしれない。

 しかしこのパーティーに巻き込まれてしまった僕らには最早正常な考えは降りてこなかった。



   *



  天使みたいに無邪気に微笑む子供の言葉に皆が声を飲み込んだ。

 私達をほぼ密室の部屋に閉じ込め、手荷物まで奪い、挙句犯人捜しをしろ。

 信じたくないのだけど、犯人が私達の中に居ると言うのだ。

 誘拐しておいてゲームをさせる。そのうえに皆殺しがしたいだなんて。

 このパーティーの主催者とやらは相当気が狂っている。

 そんな異常者が今自分の近くで皆と共にこの状況に恐怖する演技をしている。

 到底理解しがたい人物だ。

「"生きて帰りたい"そう望むのでしたら頑張ってゲームクリアを目指してくださいね」

 目の前のこの子供もまた異常だ。

 何故こんなゲームに協力しているのか。可笑しいとは思わないのか。正常な判断を持ち合わせていない。

 それとも容貌が子供に見えるだけで実は大人なのだろうか。

 少なくとも子供らしさは欠落している。

「遊び、なんだよな?そういう設定なんだろ?」

 まだこの状況を受け入れきれないのだろう、いつもの爽やかさが抜け落ちてしまったが平常を取り繕おうと必死な彼が問うた。

 けれど子供は彼の問いに答えはせず笑みを浮かべるだけだった。

 分かってる。これはゲームであり本当の命を懸けたものなのだ。

 こんな異常な状況に大きな混乱が生じないあたり私も異常者なのだろう。

「いわゆる僕はゲームマスターです。主催者も招待客である皆さんも公平な目でゲーム進行のお手伝いをさせて頂きます。さて、ただ主催者を見つけ出すというのは難しいと思うので、どうぞ先に進んでください。ヒントを差し上げます」

 自らをゲームマスターだと名乗った子供は先ほどやって来た扉を開き、奥へ進むよう促した。

「進む前に確認したい。このゲームのクリア条件は主催者を殺す事だと僕は思わない。あくまで主催者を見つけ出せればいいんだ。そして話し合おう。皆殺しと言う望みを失くさせ和解さえできればゲームクリアだ。主催者を見つけ出す手順は踏むんだ、殺さずともそれでクリアで構わないだろ?」

 行成の言葉に子供はにこりと笑った。

「実現できるのであればそれでも構いませんよ。主催者を答える解答権は三回、不正解にペナルティはありませんが、三回で正解できなければ大人しくパーティーを楽しんで行ってくださいね」

「必ず五人で生きてここを出よう」

 行成は確固たる強い意志を持ってそう言い切り奥へと進んで行った。

 彼はどこまでも真っすぐな人間なのだろう。

 後ろめたく思う反面、羨ましく思えた。私には決して出来ない生きた方だ。

 それでもこの狂ったゲームをクリアしてみせる、その意見には大いに賛同したい。

 どんな状況になろうが愛しい人だけは絶対に生かしてみせる、その決意だけは誰よりも固く負けない自信がある。


  通された扉の先はすぐに部屋で、より暗く周囲を見渡せない。

 全員が部屋を移動したと同時に扉の閉まる音が聞こえ、直ぐに部屋の中央がスポットライトに照らされる。

 眩しさに一瞬目が眩んだが目を凝らしてみると、光の下には小さなテーブルがひとつあった。

 他に家具の類は見当たらず先ほどの居間よりも殺風景なように思えた。

 先頭にいた行成が真っ先にテーブルに近づくいていくのに倣うよう私達もテーブルを囲んで集まった。

 テーブルの上には控えめな小花柄が描かれた封筒がひとつあった。

 そっと慎重に行成が封筒を手に取った。

 封がされていない包みから中の便せんを取り出し、開いてみるがそこには文字は一切書かれていなかった。

 この真っ新な便箋が主催者にまつわるヒントだとでもいうのだろうか。

 私達五人は顔を見合わせるが誰も封筒に心当たりが無いのだろう首を横に振ったり、傾げたりと各々パッとしないようだった。

 逃がさないようにと扉の前で佇む子供に視線をやるが、「それがヒントですよ」と微笑むだけだった。

「特別珍しい物でも無さそうだし…強いて言うなら女性が好みそうな見た目ってくらいか」

 便箋を手にした行成が凝らして見ながら懸命に考えているが、それは全員が同じだ。

 何か思い当たる節が無いかと記憶を遡る。

 そもそもインターネットや携帯電話が発達している現代で便箋を率先して使う若者は極めて稀であろう。

 私達五人も手紙のやりとりをしている話は聞かない。

 女子の間で簡易的な手紙のやり取りは目にするし自分も経験がない訳では無いが、それはメモ用紙やルーズリーフなどを使ったお手軽な物である。

 わざわざ便箋を用意してまですることなど殆どない。

「あ、もしかして…ちょっと見せて」

 推理や考え事の類を苦手とする翔子が初めて口を開いた。

 翔子は行成の手にしている封筒と便箋を覘き込んだ。

 子供が現れてから彼女は一言も言葉を発しておらず、持ち前の明るさが消え失せていたので一番心配していたのだが、彼女なりに必死に頑張っていたのだろう、ゲームをクリアしようと前向きな姿勢で安堵する。

「ねえ、これって前に流行ってた恋が叶うおまじないで使う便箋じゃない?」

「恋が叶うおまじない?」

「中学生の頃に女子の間で流行ってたヤツ!覚えてない?」

 女子である私達二人に懸命に訴える翔子。

 男子の二人はまるで分らないようであったが、私はぼんやりとだが記憶に引っかかった。

 たしか誰にも気づかれずに手紙を意中の相手に手渡し、尚且つその手紙が意中の相手以外に見られずに読了してもらえれば必ず恋が上手くいくという噂だった気がする。

 誰が広めたのやら、告白など直接かメールなど形に残らない物が主流の時代にわざわざラブレターなど書く人は話に聞かない。

 まあ、だからこそまじないみたいな効果が期待できると思えるのだろうか。

 当時好きな人など居なかったし、まじないや占いの類を信じていない私は色めき立つ女子の会話をどこか遠くに聞いていたように思う。

「ああ、流行ってたかも。花の数がどうとか…」

 私の隣に立つもう一人の少女も記憶の片隅に思い当たったようでぽつりと呟いた。

「そうそう!封筒に描かれてる花の数が自分と好きな相手の誕生月を足した数字分あると成功率が上がるの!意外とぴったりの数を探すのが大変なんだよねー」

「それにしても手紙で告白って今時純粋で可愛いよね」

「頑張ったなー店の梯子いっぱいして」

 現在の感想を述べる少女に対して実感の籠った反応を示す翔子。

「妙に詳しいな。実践したことあるのか?」

「ま、まさか!あるわけないでしょ!友達に付き合わされたの!」

 翔子の幼馴染である少年の当然の問いを必死に否定している姿に私は嘘を見抜けてしまった。

 彼女は確実にこのまじないを実行しようとした経験がある。

 まじないを信じるなど分かりやすく単純な彼女らしい。

 言動に乱暴な節がある翔子を男勝りだと称する人は多いが、私は彼女ほど健気で一途な人を知らない。

 それなのに気づかないなど本当に彼は鈍い男である。

 幼馴染であるあなたが一番近くに居て気づいてしかるべきなのに、私は時々彼を殴りたくなる。

「…花の数は11だな」

 三人が昔話に弾む中、話には混ざらず封筒の花の数を数えていた行成がぼそりと呟いた。

 11という数字に真っ先に反応したのは翔子だった。

 彼女の表情は強張り、みるみる青ざめていく。

 私はその意味を即座に理解した。

「待って、必ずしも今手元にある封筒がそのまじないの為の物だとは限らない。もっと視野を広げて考えてみよう」

 私の提案に三人は素直に同意してくれた。その様子に翔子は胸を撫で下ろす。

 なんと分かりやすい子なのだ。初めからまじないの話題など出さなければよかったのに。

 彼女は先を考える能力が低い。翔子なりのゲームクリアに尽力しようとした結果なのだろうけど。

  

  全員が黙って再び考え込み始める。

 残念な事にまじない以外の目ぼしい話題も上がらず、これでは永遠に主催者など見つけられないように思えた。

 ひとつ息をつくと彼が口を開いた。

「行成って誕生月いつだっけ?」

「11月」

「栞は?」

「5月だよ」

「ストップ、その話戻すの?」

「だって他に思いつかないなら、一度突き詰められる所まで考えるべきかと思ってさ」

 せっかく逸らせたと思った昔話を他ならぬ彼に蒸し返され翔子は明らかに焦っていた。

 何とか助け船を出してやりたい気もしたが、頼れる手掛かりが他に無いのも確かだ。

 私達の中に主催者が居ると言うならばこの封筒と便箋は必ず私達の中の誰かを示す物。

 皆の情報を明確にしたい気持ちもあるだろう。

「俺が4月で、紗雪が1月、翔子は8月だっけ?」

「……7月」

「悪い、夏休み中だってのは覚えてたんだけど」

 胸が鋭く痛んだ。

 自分の想いが周知されてしまうのではないかと恐れる不安よりも、大好きな人に自分の誕生日を覚えて

 もらえていない悲しさが彼女を襲っているのかと思うと辛かった。

 彼にとっては幼馴染の誕生日を覚えていなかったという軽い申し訳なさしかないのだろうが、それ以上に刃物で抉るような発言をしているのだ。

 本当に鈍感というものは罪が重く質が悪い。

 罰せられる事の無い罪は容赦なく人の気持ちを踏みにじる。

 泣きそうな翔子を慰めてやりたい気持ちになったが私にはその資格がない。

 彼女の名を呼びたい気持ちをぐっと堪える。

「いいよ。そりゃ彼女の誕生日のほうが大事だよね」

「悪かったよ、怒るなって」

「怒ってない」

「怒ってるだろ、誕生日一つでそんな拗ねるなよ」

「いいでしょ、私のことはほっといて話進めなってば!」

 とうとう声を荒げた翔子は怒っているのではなく、やり場のない感情を嘆いているように見えた。

「どうしたんだよ、急に。何でもハッキリ言うお前らしくないな。俺の気に食わない所があるなら言えばいいだろ?…俺はこんな時にお前と喧嘩したくないんだけど」

 駄目だ。彼は本当に翔子の想いを微塵も理解できていないのだ。

 そして彼は心から心配している。幼馴染である彼女と誠意を持って向き合おうとしている。

 優しさは罪だ。そんな言葉を物語でよく聞くが、私は本当にそう思う。

 時に麻薬の様に蝕み、どんな鋭利な刃物よりも斬りかかってくる。どんな凶器よりも恐ろしく精神を病ませる。

 翔子は黙り込んでしまい、場が静まり返ると行成が口を開いた。

「話を進める。拓哉と翔子の誕生月を足せば11だ。翔子。君本当はこの封筒に心当たりがあるんじゃないか?」

 容赦のない問だった。

 翔子の気持ちに気づき隠すつもりはない。

 行成も失礼は承知の上だろう。彼はそこまで馬鹿ではないし冷徹でもない。

 きっと私達からは言いづらいと察したのか。しかし翔子には今、行成が悪魔にでも見えるだろう。

「ない」

 奮い立たせた声で答える翔子だけど、行成を直視できてはいなかった。

「店を梯子してまで探したんだろう?」

「言ったでしょ!?それは友達の付き添い!付き合わされて大変だったの。だから覚えてただけ!」

「なら狼狽える必要は無い筈だ。どうして僕の目をしっかりと見て否定できない?それは封筒を探したのは実体験であり、探し求めていた本人だからだ」

「違う!行成が怖い顔してるから!」

「僕は真剣だからだ。正直に答えてほしい、僕はこのゲームを最悪の結末にしたくない」

「ゲームなんて関係ない!大体これは主催者探しをするゲームなんでしょ?過去の真偽を明らかにする意味ある?それとも私を疑ってる訳!?」

「疑っている。少なくても僕はこの場の全員を疑っている。そうでもしなければ主催者は見つけ出せない。けれど悪者扱いする為に疑っている訳ではない。最初に言った通り僕は五人全員で脱出したい。皆が大切な友人だからだ。誰一人見捨てたりしたくはない。だからこそ、まずはこの封筒と便箋の意味を正しく理解する必要がある。翔子、本当の君が知りたい」

 翔子は行成の説得に躊躇っている。けれどその迷いが全て物語っている。

 真っすぐ翔子から視線を逸らさない行成。彼はどこまでも正義感の塊だ。

「…たしかに同じ種類の封筒と便箋を自分用に買ったよ。だけど私はそれを使えてはいない」

 その通りだろう。もし使えていたならば幼馴染である彼にも心当たりがあるのが必然だ。

「私は犯人じゃない!こんなふざけたパーティー考えつかないし、誰かを殺したいなんて思ったこと無い!」

「本当に"無い"と言い切れるかい?」 

「…え?」

「君は隠せていると思っているかも知れないけど、翔子は時折羨ましそうに、そして随分と暗い瞳で彼女を見ている」

「何の話?」

「本来ならば僕はそっと胸に収めておくべきで、これは翔子自身が乗り来なければならない感情だろう。けれど、その感情がこのパーティーを引き起こしているのであれば見過ごせない」

「行成!!」

 彼が言わんとしよう事は分かった。

 そんなの言葉にしなくたって当の本人は分かり切っている。

 大切な彼女にどう思われようと構わない。そう割り切っている。

 だからこそ、今ここで皆の前で彼女を傷つけないで。

 臆病で純粋な弱い彼女を曝け出させないで。強がりで明るく優しい彼女で居させてあげて。

 普段出しはしない大きな声は叫びみたいに響いた。

 行成は私を一度見たが止まってはくれなかった。

「君は拓哉と交際している紗雪を心から祝福できていない。違うかい?」

 私は彼女の気持ちを知っていながら翔子の想い人と付き合っている。

 本当、友人として最低な人間だ。



   *



 私は答えられず唇を噛んでいた。

 痛い。

 はっきりと痛みを感じる程に噛んでいるのに、心の痛みには一向に勝らない。

 皆から浴びせられる視線がこんなにも辛く感じるなど想像したことも無かった。

 どうして。何で。私がこんな恥ずかしく惨めな思いをしなければならない。


  小学生の頃から幼馴染を慕い続け、恋が上手く行けばいいなと想いを馳せておまじないに頼ろうとした。

 中学生になろうと文才がない私は筆は取ったものの書けず仕舞いで終わった。

 それからだって少しでも気が惹ければいいと頼ったおまじないや女の子らしさを磨こうとした努力はいくつもある。

 どれも上手くはいかなかったけれど、それはいけないこと?

 誰だって恋をすればちょっぴり神様に縋ってみたり、柄にもない行動をしたりするでしょう?

 それなのに想った期間や頑張りの数なんて関係ない。

 人形のように愛らしい小柄な同学年の少女に中学生の彼は恋をした。

 私とは正反対。どんなに足掻いても成り得なかった可憐な女の子。

 彼の恋が上手く行かなければいい。素直に応援できる訳がなかった。

 それでも私は話しやすい気さくな幼馴染を演じ続けた。こっそりと失恋を願いながら。

 幾度と相談された悩みには全て真摯に答えたし支え続けた。

 だけど神様とやらは私に微笑んではくれなかった。

 同じ高校へと進学した幼馴染と可憐な少女は見事結ばれ、華やかな学校生活を送る。

 猛勉強して辛くも合格した筈の私は感情とは裏腹の笑顔を保つ地獄の日々の始まりだ。今度は相談に惚気まで追加された。

 二人の姿を見るだけでも苦痛なのに、話を聞かされる度に泣き喚きたくなるのを必死に堪えた。

 邪魔するような行動は起こしていない。心ですら羨ましいと妬ましいと思うのもいけないの?たったそれだけで私は殺人欲求のある犯人扱い?

 どちらにせよもう終わりだ。今までの関係は保てない。

 仮にここを出られようが、私は笑顔で生活できる自信は無い。

 逃げ出したい。この場からもこれからの人生からも。


「翔子」

「触らないで!」

 伸ばされた手を力いっぱい振り払う。

 優しくしないで。

 どうして悲しそうな顔するのよ。

 いっそ軽蔑してくれればいいのに。

「違うなら違うって言えばいいんだ。行成の勘違いだろ?封筒の花の数だって偶然だ。翔子は紗雪と友達だし、中学の頃から俺の事応援してくれた。それなのに嫌いだなんてことないよな」

 どこまで能天気なのだろうか。

 こんな無様な私を見て、まだ同情する?

 まさかと思うが未だに私の気持ちに気づいていない?

 悔しくて哀しくて虚しい。

 だからこそ今までこの関係が保てていたのかもしれない。

 いっそ幼馴染でなければこんなに苦しまなかっただろうか。

 どうすれば辛さを味あわず楽でいられた?どんなに考えたって分からない。

 もうどうとでもなればいい。

「本当昔から鈍感!ありえない!言葉にしないと分からないの!?皆はとっくに理解してる、私は拓哉が好きだって!」

「だってお前そんな事一言も…」

 八つ当たりで怒鳴っているのに拓哉は困惑している。

 そんなに私がアンタを好きだっていうのが信じられないの?

 どれだけ私は女として意識されてないのよ。

 今までしてきた努力、いや私の人生の大半を占めた彼に対する時間そのもの全てが馬鹿らしい。

「言える?恋愛対象として眼中にも無い。自分とは全く正反対の性格や身なりの子がタイプで、挙句好きな子ができたら恋の相談までされて。玉砕が決まってる告白なんて私にはできない!」

 仲の良い幼馴染という安定した関係が崩れてしまうかもしれない。

 それだけで私にとって告白はリスキーで怯んでいたのに、みるみると勝率は下がり、とうとう勝ち目がゼロ。

 悲しい結末が決まっている告白など臆病者の私には絶対出来ない。

 ならば家族みたいな幼馴染のままでいい、そう割り切った。

 心のどこかで紗雪と別れて、私に振り向いてはくれないだろうか。

 そんな奇跡みたいなことを考えたりもした。

 だけどそんな展開になろうとも拓哉は私を選んだりはしない。

 また女性らしい人に恋をするだろう。

 想像ですら楽観的な未来を描けなくて、恋心は隠し続けようと決めた。

 自分の想いに嘘をつき続けた罰なのだろうか。

 こんな惨めな告白をさせられているのは。

 ずっと我慢し続けた涙がぼろぼろと零れて来る。

 二人が隣で居る時。拓哉から紗雪の話をされる時。紗雪にしか見せない拓哉の一面を見てしまった時。

 泣きたい場面は数え切れないほどあった。全部、全部、全部。耐え続けたのに。

 限界だった。

「…ごめん」

「謝らないでよ!…もう放っておいて」

 力も入らず座り込んでしまう。

 現実を受け入れ切れず私は手で顔を覆い、皆を拒絶した。

 僅かに残っていた自尊心からか声を押し殺して泣き続けた。

 すると誰かが背中をそっと摩り、肩に手を置いた。

 手の大きさから男でないことは確かだった。

 拓哉でないならいい。彼の優しさはもう凶器にしかならない。

 もう多くを考える力を失った私は彼女の同情を受け入れていた。


「…これで満足?」

「どういう意味だい?」

「そのまんまの意味よ。翔子の気持ちをこんな形で暴露させて満足なのか?って聞いてるのよ」

「僕は自分の欲求を満たす為に翔子の気持ちを公にさせたわけではないよ。あくまで主催者を探す手掛かりを――」

「主催者を探す手掛かり?これで誰が犯人か目星はついたの?状況は最初と大差ないように思うけど。人の心を悪戯に吐かせただけじゃない!」

「声を荒げるなんて紗雪らしくないね」

「大切な友達を傷つけられて怒らない人が居る?」

「友達、ね。君は本当にそう思っているのかい?」

「当たり前よ!翔子は私にとって誰よりも大切な友人だわ!」

「では拓哉のことはどうだい?」

「拓哉も大切よ、付き合ってるんだから当然でしょ」

「今君は翔子を"誰よりも大切"だと称した。本来それは恋人である拓哉に対するものであるべき言葉だ。紗雪、本当は拓哉を愛してなどいないんじゃないか?」

 耳を疑った。

 私がどんなに願おうが手に入らない愛情を手にしながらあの子はそれを喜んでいない。

 それなのに拓哉の気持ちを独占している。

 もし事実ならば許せない。許してはならない。恩も忘れていいご身分だ。

 顔を上げて紗雪を見る。

 今自分がどんな酷い顔をしているかは分からない。

 恨みに満ちたものだろうか。それとも怒りに狂った表情。はたまた泣き崩れて情けない顔かもしれない。

 真っすぐと見つめれば紗雪はびくっと身体を震わせた。

 あーあ。可愛らしい。こういう反応が男は好きなのだろうな。

 でも今は体裁なんて気にならない。

 知りたいのは真実だ。

「紗雪…どうなの?」

 自分の物とは思えぬ程低く掠れた声が出た。

 行成に何と言われようが動揺しなかった紗雪が震えを抑えるみたいに自身の腕を抱きかかえるように身構えた。

 私に対する恩義か恐怖か。

 どちらだって構わない。絶対に逃がさない。

 偽りで拓哉の気持ちを独占させたりなんかしない。

「正直に答えて、紗雪!」

 声を張り上げれば紗雪の身体が跳ねた。

 そんな儚げな彼女を守りに入るべきか幼馴染である私を宥めるべきか。

 迷う拓哉にどこまでお人好しなのだろうと愛しさも湧くが、呆れも混じる。

 そこは素直に彼女を守りに行くべきだろう。本当に馬鹿だな。

 もはや拓哉に優しくされる資格なんて私にはないのだ。

 形振り構わず紗雪を睨む。

「私は…違うの」

 すると観念したのか紗雪は小声でぽそりと零した。

「違うって…何が違うんだよ」

 拓哉の顔が引き攣った。

 いかに鈍感な彼でも彼女の態度にある程度嫌な予測はたてられたのだろう。

 けれど理解を拒んでいるのかさっきまで必死に作っていた笑顔は消えていた。

「なあ、分かるように言ってくれよ!」

 それはもう説明を求めてなどいない。

 自分の予測を、彼女の真意を否定してほしいと懇願する叫びだった。

「私は、初めから拓哉のことを翔子の優しい幼馴染としてしか想ってない」

 ぽつりぽつりと小声ではあるが紗雪はハッキリと答えた。

「じゃあ、お前は気持ちも無いのに俺の告白を受けた訳?」

 乾いた声で問う拓哉は可哀そうで見ていられなかった。

「ごめんなさい」

「何で好きでもないなら断らなかったんだよ」

「ごめんなさい」

「可笑しいとは思ってたんだ…俺と二人きりになるの避けるし、気の無い返事が多かった。どうして嫌なら嫌って言ってくれなかったんだ…」

「…ごめんなさい」

 消え入りそうな声で幾度と呟く懺悔の単語はもはや言葉の効力が薄く聞こえた。

「俺と付き合って紗雪にメリットあった?それとも告白断ったら何かされると思った?」

「違う、私は…その…」

「ハッキリ言ってくれよ!俺他人の気持ちとか顔色とかそういうの察するの苦手なんだ!…ごめん、怒鳴ったりして…俺が気づいてあげられればよかった話だよな」

 好きな女の子に裏切られた。それでも決して一方的に責任は押し付けない。

 それともまだ好きだから?いっぱい謝って心を入れ替えればきっと拓哉は紗雪を許し受け入れる。

 そんなことになってしまっては堪らない。

 絶対にもう拓哉は渡さない。

「……最低」

 一際低い声を発した私に視線が一気に集まる。

 もう戻れない。このドロドロとした感情は溢れ出したら留まる事無く広がり続け私を支配した。

 上手く入らない力を奮い立たせ、立ち上がる。

 小柄な紗雪はとても小さく脆く見えた。

 愛らしい見た目で人の気持ちを踏み躙る女を私が懲らしめてやる。

 悲しみも怒りも満足にぶつけない拓哉の分も私がこの女を傷つける。

「知らなかった。紗雪がこんな人の気持ちを弄ぶような子だったなんて、見損なったよ」

「違うの翔子、私は…!」

「近寄らないで」

 近づく紗雪を汚らわしい物を見る目で見下す。

 見る見るうちに大きな瞳から雫は零れ出し、ぽたぽたと滴り落ちた。

 何よ、今まで涼しい顔で居たじゃない。

 私を必死に庇ったのも涙を見せたのも全部自分を良く見せる為の演出なんでしょう?

 いい子ぶって周囲を味方に付けて、やはりあの時救いの手など差し出したのが間違いだったんだ。

 今度は同情もしないし騙されない。

「泣いたら何でも許してもらえると思ってるの?いいわね、可愛い子は」

「私そんなつもりじゃ」

「本性隠して猫被ってるから中学の時いじめられてたんじゃないの?」

 とうとう紗雪は言葉を失った。

 彼女の触れられたくない過去。弱味を容赦なくついてやる。

 私こそ最低な人間だろう。

 逆上して他者を陥れようとするなどモラルに欠ける行いだ。

 自覚は確かに持てるのに、何故だろう制御してくれる見栄や理性は何処か行ってしまった。



   *



  運動も勉強も少し真面目に取り組めば大抵上手くこなせた。

 家族にも愛され、事故にも遭わないし、友人関係も波風立たずそれは平穏に過ごしてきた。

 人並の運にも恵まれ、上手く生きる術を自己流で統計し、その計算は失敗しなかったからだ。

 だけど、どんなに願おうと理解できないものがひとつあった。

 それが感情だった。

 人間ならば誰しもが備わっていて当然の心が俺には生まれてこないのだ。

 どんな愛情、友情、親愛を注がれようと喜びは感じられず、そうか自分は愛されているんだという解釈しか存在しなかった。

 幼少の時にはこの思考だったのだから、既に俺の心は普通とはかけ離れていたのだろう。

 将来の夢もなければ、何かを実現したいという強い願望も無い。

 スポーツの大会で優勝しようが、テストで一位になろうが感動も達成感も無かった。それはそこまでの過程を苦に思わなかったからだろう。

 記憶の限りで涙を流したことも無い。

 悲しさも怒りも悔しさもさほど芽生えないのだ。

 小学生でようやく気づいた。

 俺は普通ではない、変わっている子供だ。そして酷くつまらない人間なのだと。

  だから恋などという感情にも共感も興味も湧かなかった。

 何度か受けた告白も一度として心は動かなかったし、魅力的だと思わなかった。

 こんな男のどこに惹かれるのだろうか、まるで理解できない。

 生まれた時から近所に住み、長い時間を共に過ごした幼馴染は喜怒哀楽が明確でそれはもう見ているだけで楽しい少女だった。

 俺もこんな人間になれれば人生に楽しみや希望を見出せるのだろうか。

 人間らしさなんて物は全て彼女から模写したように思う。

 普通の人間が描く適度な好少年の行動を取れば問題は何一つ起こらないし、俺の異常性は浮き彫りにならなかった。


  味気の無い人生を送り続けた中学二年生の時。

 小柄で壊れ物みたいな同級生を見かけた。

 中学生らしからぬ落ち着いた物腰で凛とした強い瞳と長い黒髪が特徴的な女の子は一目で記憶に焼き付いた。

 次にその女の子を見かけた時は、女子の集団に囲まれている所だった。

 取り囲む彼女達は素行が悪く、良くない噂は他クラスにまで及んでいた。

 寄って集って一方的に言葉の暴力を浴びせる女子達は醜く愚かであった。

 女の子が言いがかりをつけられているのは容易に分かった。

 怯まない少女に女子たちの行動はエスカレートしていき、とうとう手が出た。

 それでも少女の凛とした佇まいは崩れなかったし、女子達に屈服する事も無かった。

 詳しい事情も知らないし面倒事に巻き込まれるのも御免だったが、見て見ぬふりは気分が良くはなかった。

 彼女達から見えない位置に隠れ、わざと大きめの声で先生が近くに居るであろう台詞を言えば女子の集団はそそくさと退散した。

 居なくなった所を見計らって様子を覗くと女の子は何食わぬ顔で埃を払うかのように制服を叩いたりスカーフを直していた。

 普通の人間は理不尽さに腹が立って怒るか、恐怖からか泣くかすると思っていたので意外だった。

 やがて視線が合うと俺はいけない物を見てしまった気がして反応に困った。

「…大丈夫?」

「余計な事しないほうがいい。あなたにまでとばっちりが来る」

 淡白に告げる女の子の瞳の力強さは失われておらず、挙句他人の心配をするなど強靭な精神の持ち主だ。

 外見に似合わない意志の強さに惹かれ、気が付けば校内で少女の姿を探すようになっていた。

 どうやら少女はクラスで孤立しており、誰かと行動を共にするどころか話し相手すらいないようだった。

 そんな同級生に自然と近づくにはどんな方法が無難であろうか。

 人間らしさを持ち合わせない俺は女の子と仲良くなる術を持ち合わせてはいなかった。

 それ以前に自ら友達を作ろうなどと思い立ったことが無い。分かる筈が無いのだ。

 友達となるにはどうしたらいいだろう。いや、友達でなくてもいい。

 少女と自然に話せる口実を築きたかっただけだった。名目は何だってよかった。

 だから友達の多い幼馴染に相談をした。いじめられている女の子を救うにはどうしたらいいかと。

 驚いたことに幼馴染は女子の間でも権力があったのか、一週間と経たずに見事いじめから女の子を救い出したうえ、友達にまでなっていた。

 俺は幼馴染の人の好さに感服した。ここまで俺は模写しきれないだろう。

 逆恨みなんかで女の子にも幼馴染にも手出しする者はおらず、完全に黙らせたのだ。

 どんな手段を使ったかまでは聞かなかったが、すっかり仲良くなった二人を見るのは心が麻痺した俺でも自然と良かったと感想が持てた。

 それからは共に過ごす時間が増えたものの少女を理解するのはとても難解だった。

 彼女は幼馴染と違い、大きなリアクションもしなければ口数も少ない。

 意志の固さの秘密が知りたい。彼女の感情を理解したい。次第にそんな興味が生まれた。

 自分にもこんな欲求が持てるのかと少し安堵した。

 どうしたらもっと彼女を知れるだろうか。普段通り幼馴染に問うと「それって、好きって事?」そんな質問を逆にされた。

 これが人に恋をするという事なのか?いまいち腑に落ちなかったが何だっていい。

 彼女という神秘的な人間を、隣にいる感情に愛された幼馴染を。

 よりよく理解すれば俺は人間らしさを手に出来る気がしたからだ。


  だけど、人間の気持ちとは複雑で難しい。

 仲の良い友人同士だと思っていた二人の少女からは殺伐とした空気が流れる。

 俺の知り得ない感情を持った人間と言う生き物は、感情だけでこうも人が変われるのか。

 明るく元気な幼馴染は幻だったのか?俺と同じ作り物の仮面でもして居たのか?

 かつて少女を同級生のいじめから救い出した英雄のする行動とは思えぬほど冷めていた。

 紗雪にとって唯一であり絶対の味方と信じていた翔子の急変した態度に瞳は弱弱しく揺れている。

「おい、いくら何でもそんなに言わなくても…」

「じゃあ何?拓哉はもう紗雪を許せたって言うの?違うよね。許せないよね、こんな女」

 冷徹で人の話に聞く耳を持たない翔子など知らない。

 俺の知る幼馴染と、今目の前に居る冷たい少女。どちらが本当の翔子なのだ。

「過去と俺達の交際は関係ないだろ。それに今はそんなことで揉めてる場合じゃない」

 健全な人間のとる行動。俺は何が正解か決めかね始めていた。

「俺も悪かったよ…紗雪の気持ちに気づいてやれなくて」

 紗雪に優しく語り掛ければ、止まらぬ涙を拭いながら首を横に振った。

 そんな可憐な少女の頭をそっと撫でてやる。これが人の良い男のする行動だろう。

「…何それ。やっぱり簡単に許しちゃうんだ。本当拓哉ってお人好しそんな所が――」

「大好き」

 翔子の言葉を遮る形で腕の中の紗雪が切なく囁いた。

 まさかここから反撃を始めようと言うのか?

 意を決したように紗雪は翔子を見据えた。

「翔子は拓哉が大好き。ううん、愛してる。勿論恋愛対象として」

「だから何だって言うのよ!?動揺させようとしたって無駄だから、私にもう怖い物なんて無い!」

「そうだよね、自分の叶わない片思いを晒される事より怖い物なんて愛する人が不幸になる以外何もない」

「そうよ!それなのに人の好きな人を好きでもないのに奪って、私はアンタだけは許さないから!」

「うん、分かってた。こうなる事もどこかで予想できてた。辛いよね、気持ちが通じないのは」

「よくペラペラと分かった風な口きくわね。自分がどれだけ酷い事してるか理解できてないでしょ!?」

 苛立ちからか翔子の声がどんどん荒くなっていく。

 欲が無ければ守る物も無い。

 そんな俺には悲しみも怒りも等しく湧いてこない。

 今傷つき嘆く二人の少女の心を真の意味で分かってやれない。

 自分に関わる話なのに、いつだって俺は傍観者にしかなれないのだ。

 二人の話が微妙に噛み合っていないが紗雪の反撃は終わりを見せない。

「私の想いは決して叶いやしない。だからせめてあなたの傍に居られればそれでよかった。そう思ってたのに…拓哉から告白なんてされるから魔が差してしまった。失恋すれば気持ちが変わるんじゃないかなって、だから告白を受けた」

「何、言ってるの…?」

 とうとう翔子が怯んだ。と言うよりも理解を拒絶した様に見えた。

 そう、これではまるで、紗雪の好きな相手というのは―――。

「誰にも自身の恋心を打ち明けず、意中の相手の幸せを願う反面悲しみに耐え悩み抜く翔子は強いのに儚くて美しい。いつも明るくて誰にでも態度を変えずはっきりと物言う真っすぐな翔子は憧れだった。でもいつしか憧れが好きに変わってしまったの。ねえ、私どこか変?同性を愛おしく思うのが可笑しい?」

「…やめてよ…」

「大好きよ、翔子」

「やめて!!私は…私はアンタなんか大嫌いよ!!」

 恋とは人を豹変させ感情を高ぶらせる。

 人には誰しも感情で人格すらも激変させる力があるようだ。

 そんな二人を目の当たりにしようとも不思議と不快も恐怖も抱かない。

 ただただ、謎が深まるばかりだった。

 人間は実に理解しがたい生き物なのだと。


「これで内に秘めていた気持ちは全部かい?」

 しんと静まり返った室内で黙って俺達のやり取りを見届けていた行成が感情に流される事なく言ってのけた。

 頭が良く、正義感もあり同年代からも大人からも信頼される男ではあるが、ここまで冷静だと恐ろしくもある。

 俺は傍観者に成り果て、もはや自分が当事者であることを忘れてしまいそうだった。

「これだけ感情を吐き切れば人を殺したいなど馬鹿げた考えには至らないだろう」

 そうだ、今は皆殺しの願望を持った誘拐犯を探し出すゲームの際中だ。

 あくまで俺達の中に居るであろう主催者と称された人物を見つけ出すまでこの悪夢みたいなパーティーは終わらない。

「私達三人の中に犯人が居るって行成は言いたいの?」

「いや、ただ可能性をひとつずつ潰していきたいだけだよ。僕は犯人の自供を望んでる。殺人欲求さえ収まれば名乗り出て来るだろ?」

 よくも友人の秘密を暴露させてまで犯人探しが徹底できるものだ。

 彼もどこか常人離れしている。

 けれど翔子も紗雪も俺も。誰も犯人だとは名乗り出ない。

 大体殺害だけが目的ならばわざわざ自分の弱味を曝け出すなど普通しない。

 そうは思ったが、そもそも普通の定義が俺はあやふやになってきていた。

「恋愛のもつれは殺人に発展しやすい。可能性として高いところからあぶり出しただけで、駄目なようだから次を考えるまでさ」

 怒りも恐れもしない。あくまで事務的な物言いに慈悲や情けという感情の欠如を感じた。

 行成の行動は全員で脱出することが最優先であとはどうでも良いのだろうか。

 彼を単純に秀才で優しい学級委員と解釈していた自分の判断を改めさせられた。 「…ねえ、少し休憩しない?皆いっぱい話して疲れたんじゃないかな」

 意を決して発言した栞は泣き崩れる翔子に寄り添い背を優しく摩る。

 彼女は軟禁され、他人の修羅場に巻き込まれた完全なる被害者だ。

 それでも尚文句ひとつ言わず友人の心配を優先できるとは心が広いものだ。

 たしかにこのまま話を続けても冷静な判断には至れないだろう。

 行成は間髪入れず続けたそうではあったが、その提案を受け入れた。

 一度落ち着きたい、そんな欲求もどこかにあったのだろう安堵したのも一瞬。紗雪が血相を変えて歩き出した。

 迷わずに翔子を慰める栞を突き飛ばした。

「翔子に近づかないで!」

「紗雪ちゃん、どうしたの?」

 栞は目を丸くさせていて何故紗雪が怒っているか思い当たらない。

 当然俺達も紗雪の怒りの矛が彼女に向けられるのか分からず困惑する。

「馴れ馴れしく名前を呼ばないで!」

「急にどうしたんだよ!落ち着けって!」

 紗雪の怒りは収まらないようで今にも殴りかかりそうだったので慌てて止めに入る。

 か細い紗雪の腕を掴み上げれば簡単に制止させられたが、高ぶった感情は止まらないようで俺の手を振り払おうともがき続ける。

「私何か紗雪ちゃんを怒らせる事しちゃったかな?」

「善人面して翔子に近づかないで!貴女だけは信用してないから!」

「そんな…私達、友達でしょう?」

「友達?よくそんなこと平然と言えるわね。そうやって表面上優しく取り繕って必要がなくなれば切り捨てるんでしょう、私の時と同じように!私は貴女とだけは協力できない!」

 紗雪の言葉に心底傷ついた様子の栞は泣き出しそうな顔をしている。

 すっかり平静さを失っている紗雪は彼女の純粋に悲しそうな態度に一層憎しみの籠った目つきになる。

 傍から見ればどう見ても紗雪が悪に見える。

 けれど、どうしてだろう。

 俺の知る限りの紗雪は根拠も無く人を責めたりもしないし、自分をいじめてきた相手にすら怒りをぶつけない人間だ。

 そんな紗雪が翔子に優しくしただけで友達を怒鳴りつけるのは違和感があった。

 肩を上下させて呼吸する紗雪の両肩にそっと手を置く。

「ちゃんとお前の話聞くから」

 紗雪にとって俺は利用する価値しかない男かはたまた邪魔者か。プラスに足り得る存在ではなかったかもしれない。

 それでもお前は今一人ではない、それが伝わればいい。

 感情が欠落している俺は本当の意味でこの場に居る誰の理解者にも味方にもなり得ない。

 けれど誰の敵でもないんだ。

 ならば向き合ってやろうではないか。皆の醜い欲望も隠している裏の顔も本心も。

 俺には持ち合わせていない人間の闇。それを知ればまた人間らしさに近づけるだろうか。



   *



  人間と言う生き物は生物学上、実に優れた生き物だ。

 言語を話し、物を産み出し、生活していく中で過ごしやすく快適を求めていく。

 ところが心なんてものがあるから脆く壊れやすい不完全な生き物でもある。

 疑心や背徳、劣等感なんかで簡単に視野は狭まり生きるのが辛くなる。

 それでも人間は向上心を忘れない。

 勉学もスポーツも医療もよりよく進化し続け完全を目指し続ける。

 誰もがより良い物に惹かれる。それが人間だ。

 私もそんな人間の一人に過ぎない。 


  冷静さを取り戻そうと紗雪ちゃんは大きく深呼吸すると敵意はそのままに視線で私を射貫きながら語り出した。

「私は確かに中学生の時にいじめを受けていたわ。でも私よりも前に女子達のいじめの標的だったのはこの子よ」

 人形みたいに整った顔立ちで落ち着きのある紗雪ちゃんが感情を剥き出しにして話す姿はとても新鮮だった。

 いじめを受けようと想いの叶わない片思いをしていようと平気な表情して耐え忍ぶあなたが今私に対して、確固たる意志と感情をぶつけてくる。なんと光栄な事だ。


  中学に入学して初めて紗雪ちゃんを見た時から彼女は変わらない。

 何者にも媚びず、凛と真っすぐ清く美しく生きている。

 ブレの無い彼女はどこか浮世離れしていた。

 そんな少女に同性は近寄りがたさを感じていたみたいだけど、私は強く惹かれた。

 こんな理想的な女の子は他に見たことが無い。一目で友達になろうと決めた。

 運よく同じクラスになり、案の定友達ができない紗雪ちゃんの隣は簡単に陣取れた。

 孤独な彼女は率先して声を掛けてくる私を物好きな子だと言ってのけた。

 世間の人間を物差しで測るなら私は普通。

 外見も成績も家庭環境も突出しているものは何一つない。

 平凡。そんな言葉は私の為にあると言っていい。

 何だっていい。私はありふれたあたりまえを捨てたいのだ。

  中学生になって意欲的に私は変わる努力を始めた。

 身なりに気遣い出すがその行動は年頃の子らしかったのか別段目立ったものにならなかった。

 どこにでも居る少しおしゃれな学生程度が限度だった。

 元が地味なパーツなのだ。整形でもしなければ革命的な違いは現れない。

  得意ではない勉強も熱心に向き合い、公立だったお陰か成果がすぐに表れ学年でも上位になれた。

 それでも世の中とは理不尽に出来ていて、サッカーの上手い少年がずっと首位に君臨し続けた。

 運動ができるならば勉強くらい譲ってくれてもいいのに。

 スポーツは苦手ではないが今からどれだけ頑張ろうがたかが知れていた。

 同性で一際目を引く元気な少女を眺めていると学年首位の少年と親しげに話していた。

 圧倒的な存在感を放つ人間というのは予め決まっているものなのだろうか。

 越えられない壁を目の当たりにして平凡な自分はたった一年の努力でめげてしまいそうだった。

  二年生になっても特別を諦めきれない私は学級委員になった。

 優等生。その称号が持てれば少なくても学生AやBなんかの脇役ではなく個性を持てるだろうか。

 そんな安直な発想からだった。

 けれど少しの色を持つ事すら皆同じが安心だと感じる思春期の女生徒達の機嫌を損ねた。

 私は誰に恨みを買うような事も目立つこともしていないのに。 

 紗雪ちゃんに執着していた私は中学でろくに友好関係を広めなかった。

 自分磨きに必死になって部活動にも所属せず、趣味もろく持たなかった私には話し相手は居ても友と呼べる人間は居なかった。

 生活態度と成績だけで先生からの評価は良かったが、普通にはそれすらも憎らしく映るのだろう。

 ろくに努力もしていないだけのくせに勝手に妬んでくる。

 噂など簡単に作り出せ、私はあっという間に悪環境に立たされる。

 ただの憂さ晴らし、体のいい標的になってしまった。

  私は誰に迷惑をかけただろうか。普通を脱しようとするのは悪なのか。

 持たざる者が薄っぺらい栄光を掴もうとするのも許されないのか。

 迫害されている事実よりもどんな努力も無駄だと神様から突きつけられたのかのような現実が辛かった。

 そんな私の様子にいち早く気づいたのは二年生でも同じクラスになった紗雪ちゃんだった。

 彼女は冷たく見えるが決して情が無いわけではないし観察眼もある。

 いじめに気づいた彼女は私を気に掛けてくれた。

 学校では行動を共にしていたが登下校は別ルート、放課後や休日に会う間柄でもない私達だったが、それでも紗雪ちゃんの中で心配をしてやってもいい相手にはなっていたようだ。

 彼女には平気だと言ったが、最早学校を通うどころか生きていく気力も失いかけていた。

 それだけ私が努力にかけた情熱は強かった。若い心はあっけなく折れてしまう。

  息をするのも憂鬱になっていたある日、事態は変わった。

 惰性的に登校するといじめの主犯格から爽やかな挨拶をされた。

 クラスメイトに挨拶されるなど久しく思え、教室を蔓延る異質な空気を即座に察した。

 クスクスと粘着質な気持ち悪い笑みが教室に広がる。それは弱者と決めつけた相手を見下す笑いだ。

 何度も浴びせられた胸を逆撫でるその表情が可憐な少女に向けられている。

 標的が変わった。

 けれど何故だ。私をいじめるのに飽きたから?

 しかしそれだけならば私に挨拶をする意味は無い。

 私にわざわざ挨拶した理由。そんな理由はただ一つ。

「紗雪はさ、一人がいいんだって。そっとしておいてやんなよ」

 お前もこちら側に回れ。その誘導だ。

 私の知らない所で紗雪ちゃんは彼女達の反感を買ったようだ。

 だから標的の変更か。常に誰かをいじめなくては気が済まないのだろうか。理解できない。

 こんなもの理想の友達ならばそんな誘いは断固拒否だ。

 女子の集団を横切り席で本を読む紗雪ちゃんの元へと歩いて行く。

 本を捲る手を止め、私を見上げる少女は今日も無表情で感情が読めない。

 どうしたら何事にも動じずに自我を保っていられるのだろう。

 一年半行動を共にしても分からずじまいだったな。

「今まで気づけなくてごめんね。もう傍に寄らないから」

 いつものおはようの挨拶ではない、別れの挨拶だ。

 こうして私は低俗な普通に紛れていく。

 紗雪ちゃんのことは大好きだし憧れている。叶うならば隣を歩く友達でありたかった。

 それでも私は変われる強さも変わらない強さも持てなかった。理想を追う事に疲れてしまった。

 人間は理想を目指し努力し進化を続ける。でもそれは一握りの人間だ。

 大衆は波風立てず理想を諦め、現実から目を背け、地獄だけは嫌だと避けて生きていく。

 これが持たざる者の生き方なのだ。


「私にいじめの標的がすり替わった後も何食わぬ顔で生活して、高校で翔子に近づき何事もなかったかのように私とも友達面をした。ずっと健気で頑張り屋な子だと思ってたのに…栞、私には貴女の気持ちが分からないよ」

 天才に馬鹿の考えが。金持ちに庶民の常識が。端整な者に不細工が味わう劣等感が。同じだ。秀でた者には劣る者の気持ちなど到底理解できない。そういう事なのだろう。

 何も難しくはない。私の気持ちなど至極明解だ。

 ―――欲しい。

 才能が。頭脳が。美貌が。名声が。並みより抜きん出た色褪せない輝きが。

 中学高校と五年間、同じ学校に通ったが常に彼女と行動を共にしたわけではない。

 それでも彼女から名前を呼ばれたのは初めてな気がした。モブの名前でも一応覚えていたんだ。

「昔の私がとった行動は悪かったと思ってる。でも仕方ないよ、誰かを犠牲にして人間は生きていく生き物だから。私は紗雪ちゃんのことを嫌いだったわけではない、だから高校でやり直そうと思ったのよ」

「嘘つき。悪いなんて微塵も感じてないでしょ、一度だって謝りもしなかったくせに」

「謝っても過去は変わらない。真実を知るのが全て正しいとも限らない。だけど紗雪ちゃんは嘘が嫌いみたいだから正直に教えてあげるね。翔子ちゃんがいじめからあなたを助けたのは正義感からでも同情からでも無く、打算的な行動だったんだよ」

 特殊な人間より優位に立つ方法。それは弱味を見つける事。

 これはどんな生き物も変わらない。誰にでもある、不完全な生物に必ず存在しうる。

 特に心など急所の宝庫だ。弱者が大きな力に対抗するにはこれを手中に収め、いかに利用するかにかかっている。

 恨みがある訳ではない。私はこの場に居る皆を心から尊敬し愛している。ただ同時に羨ましく憎たらしい。

 私が欲しいものを持っている。持たざる者は私だけだ。

「話をそらさないで!今は翔子の話はしてない!」

「あれ?知りたくない?大好きな翔子ちゃんの真実」

「翔子は私がいじめられていて可哀そうだったから助けてくれた。いじめる奴らが悪いって、いじめを見過ごせなかった優しい翔子は一人で頑張ったねって私を慰めてくれた!いじめてきた奴らも全員黙らせてくれた、文句があるなら堂々としろって!私の友達にもなってくれた!これが真実よ!」

「それは表面的な話で本当はね、」

「栞!!」

 ずっと黙り込んでいた翔子ちゃんは大きな声を上げて遮り懇願するような眼差しを向けた。

 今にも壊れそう。

 絶望とは無縁な底抜けの明るさを持ち合わせていた少女がもはや涙も忘れ自我すらも失いそうだ。

 ほんの少しの自己防衛心を奮い立たせている。 

「翔子…?」

「私はどちらでも構わないよ、だって二人とも大切な友達だもの」

 恋って素敵なんてよく聞くけれど。随分と悲惨なものだ。

 友情も簡単に崩れるし。結局のところ頼れるのは自分だけなのだ。

 眩しい位に輝いて見えた二人が実に情けない。けれど不思議と幻滅するよりも愛しさが増してくる。

 自分が優位に立っている優越感からか、それとも彼女達も所詮こちら側だったという安堵感からか。

 どちらだろう。とても心が満たされていく。


  翔子ちゃんはすっかり疲れ切った様子で逃げるように壁にもたれ掛り座り込んだ。

 そんな彼女を哀れに思ったのか、自分の真実を信じているのか紗雪ちゃんはこれ以上続きを催促はしなかった。

 幼馴染の拓哉君は翔子ちゃんに歩み寄り、彼女の目の前でしゃがみ視線を合わせる。

 誰もが慰みの言葉でもかけてやるのかと思っていた。

 しかし彼の口から発せられたのは過去の続きを語らせるものだった。

「翔子。お前、俺が紗雪を好きなのを知ってたから助けたんだろ?」

 彼の問いに翔子ちゃんは視線を逸らし反応を示さない。

「俺は紗雪が女子にいじめられているのを知ってた。けどクラスも違うし、友達でもない男が介入するのも余計に反感を買う。そうお前に一度相談したよな?だからお前は俺に代わって紗雪を助けてくれた、そうだろ?」

 ああ。残酷な事をする男だ。

 誰よりも真実を知られたくない相手、誰よりも綺麗な自分しか見せたくない想い人に過去を抉られる。ただでさえ精神を病んでいる彼女に追い打ちをかけるように問い質すなんて。

 実のところ同情なんてしておらず、彼も怒っていて確信的に攻めているのではないか?

 そんなふうに感じてしまう程、拓哉君の言葉は鋭利に聞こえてしまう。

「それを打算的って言うのは間違いだろ?こいつは優しさで行動しただけだ」

 真っすぐに私を捉えた彼の視線は責めるものではなく純粋に問うている。

 何が真実かを決めかねているものの幼馴染は守りたいのか。

 どこまでも真っ白な心だ。輝かしい純真は闇からの救いにならず容赦なく醜さを刺激する。

 心優しい少年が少女を庇う為にした発言は幼馴染の心に止めを刺した。

「止めてよ!どうして拓哉も紗雪も私を良い奴だって信じてるの!?違う!私は二人が思うような善人じゃない!」

 悲鳴みたいな叫びは心の終末を告げた。

 翔子ちゃんの良心が二人の美しい精神に耐えかねた。

 元は彼女もあちら側で困った子や弱者を放っておけない無垢な正義の持ち主だったのに。

 見返りを求め、自分の立場を守り、欲を満たす為に正義を繰り返す。それなのに一番肝心な想いは返っては来ない。

 たったひとつの想いを手にするべく続けていた善人としての振る舞いは少女の心を蝕んていく。

 自分の優しさには欲に塗れている。そんな罪悪感を覚えてしまった。

 "普通"はそんなもの気にしない。

 己が善意に見返りを求めてしまうなんて当たり前だからだ。

 優しくしたから優しくされたい。

 優しくされたから優しくしたい。

 それが当然の心理だと決め込んでいる。

 ところが一人に執着したあまり彼女は当たり前を悪だと錯覚し強く気にしてしまった。

 彼女が実に心優しい人である証拠でもあるが、綺麗すぎて逆に人間臭くない。

 僅かでも嫉妬で紗雪ちゃんに嫌がらせをしたり、思い通りにならず想いにも気づかない拓哉君を怒ったりするのが普通だ。

 自分の欲に忠実にならず耐え続ける翔子ちゃんもまた良い人で、普通ではない。

 それ以上に紗雪ちゃんと拓哉君が異常なのだけど。

 私が求める普通ではない人間とは皆異常者だ。

 真っすぐ過ぎる光は歪んだ己の醜態を浮き彫りにする。 

「私は紗雪のことなんて好意的に捉えた事は一度もない。初恋を成就させようとする拓哉が嫌だった。可愛らしい容姿に女の子らしい物腰、思わず守ってあげたくなるような可憐さ。自分には何一つ当てはまらない要素を全て持った女にあっさりと隣を奪われる。これを憎たらしく思わない訳ないじゃない!私はずっと、ずっと好きだったのに!」

 駄目だ。この子はもう輝けない。

 充分頑張ったよ。大丈夫、こちら側は楽だよ。

 何も考えず大きな流れに身を委ねればいい。

 蹲る翔子ちゃんの肩を抱き頭を撫でてやる。  

「私は知ってたよ。拓哉君、好きな女の子のタイプを問われた時ショートカットの子って答えてた。そうしたら翔子ちゃんはすぐに背中まであった綺麗な髪を切ったもの。なんていじらしい子なんだろうって今でも覚えてる」

 どんなに健気に努力しても報われない。

 翔子ちゃんの活発さやムードメーカーな所に憧れて遠くからずっと眺めていたから知っている。

 あなたは輝かしくて羨ましい反面、私に綺麗なだけでは生きていけないと教えてくれた。

「…拓哉は女の子らしい子が好きだって知ってた。だから柄にもなく頑張って髪を伸ばしてたのに、クラスの女子に問われた拓哉はショートの子が好きって答えた。私も馬鹿だ。そんなの本当の好みを隠す為の咄嗟の嘘なのに。中学生になって好みが変わったのかと単純に思ったりして母親に頼み込んで美容院に行ってさ。実際はどう?小柄で髪は長くて可憐な女を好きになった?自分の高い身長もガサツな性格も嫌って程憎んだ。それでも拓哉を好きな気持ちが変わる事なんて無かった。だから拓哉が都内で一番の進学校に行くなんて知った時は死に物狂いで勉強したし、いい子に見られようとしていじめられていた紗雪を助けたりもした。女子の中で拓哉の隣をずっとキープし続けた。でも私がどんなに足掻いたところで拓哉の気持ちが変わる事も無かった。何より辛いのは私の努力なんてこれっぽっちも伝わってなんかいなかった。どれだけ悲しくて空しかったか…」

 吐き出すようにぶちまけた翔子ちゃんは顔を上げることは無かった。

 どうして神様は人間を不完全に産み出したのだろう。これでは人間は傷つく為に生まれてくるみたいだ。

 純粋無垢な少女の心は一途な恋心によって淀み、自らを壊していき、とうとう粉々にしてしまった。


 

   *


 

  皆が胸中に想像以上の異質さを抱えている事は理解した。

 確かに俗に言う"普通"とはかけ離れている。

 傍から見ればこの四人は問題の無い高校生に見えるが、そんなものは表面上に過ぎないのだ。

 結局のところ人の本質など分からない。

 それは友達や恋人、家族だろうが変わりはしないだろう。

 だからこそ理解し分かり合おうとするのだから。

 "普通"などという定義は大多数の感覚であり、実に曖昧で確立されていない。

 国や環境、時代、集団で簡単に変わるのだ。

 彼らもまた、場所が違えば"普通"に成り得るだろう。

  今重要なのは個人の本質の話ではない。僕らが全員でこの場を脱出することだ。

 しかし誰からも殺意を感じない。

 彼らは各々大なり小なりの羨望や憎悪を抱いては居るが、全員を心底殺したいなど考えてはいないし、誰かに犯人の容疑を掛けたりはしない。

 根が善人なのがよく分かる。

 本当にこの中にパーティーの主催者なる人物が居るのか?

 それとも誰かは演技をしているのが事実なのか。

 けれど殺人欲求を抱えたままここまで互いの精神を削る必要性は?

 意図が理解できない。

  扉の前で綺麗な立ち姿のまま状況を見守る少年を見ると目が合う。

 このゲームマスターもまた異常だ。

 子供らしからぬ振る舞いに殺伐とした空気を物ともせず笑顔を絶やさない。

「どうですか?主催者はどなたか分かりましたか?」

 疲弊しきり黙り込んでいる空気の中で最初と変わらず闇に紛れて涼しげな笑顔を浮かべる子供は事務的に僕らへ問うてきた。

「分かっているように見えるか?」

「さあ。僕は超能力者ではないので、人の心まで正確に理解はできかねますね」

 あくまで子供は傍観を決め込んでいる。

 助け船を出すことはしないのだろう。

 どうしたらいい。最善の回答を導き出せない。

 駄目だ。思考を止めてはいけない。必ず答えがある筈だ。全員で抜け出す方法が。

 最悪のパターンは犯人、主催者が単独ではなく複数居る場合だ。

 しかし一方的な殺戮が行われていない現状、犯人が過半数を超えていることは無いだろう。

 そもそも半数を越える人数ならばもうゲームどころの話では無い。

 単純な数の暴力で勝ち目なんて端から無いのだから。

 可能性は一人か二人か。

 けれど皆殺しの範囲は?言葉通り自身以外を絶命させることが目的ならばやはり犯人は一人なのか。

 ゲームの参加者とは別に誘拐犯がいる可能性だって十分にある。

 公平なんて言っているが目の前の子供も犯罪に加担していることに変わりはない。

 もうひとり誘拐犯がいようが不思議でない。

 けれどこのゲームをクリアするしかここを脱出する術は僕らにはないのか。

  落ち着け。封筒と便箋の意味を正しく理解できていない場合もある。

 これが示す犯人は一体誰だ。宛名も文章も無い、真っ新な新品同様の手紙。

 いや、手紙と表現するのは間違いか。ヒントと言うからには僕らが共通して認識できる何かがあるのではないか。

 何を見落としている。

 全員で無事助かりたい思いが焦らせ、思考を鈍らせる。そんな自分自身に苛立ちが募る。

 誰もが納得し不平の無い結果を目指す。必要があれば話し合いや説得は苦にならない。

 満場一致。それを可能にするのが最善ではないか。

 難しいのなんて百も承知だ。誰一人同じ人間が居ないように思考がピタリと同じ人間も居やしないのだから。


  責任ある役職を任される以上、皆を導き守る義務がある。

 生徒となってから僕は常にその役を任された。僕は正しくあらねばならない。

 そんな僕の行動を意識が高く、真面目で利口だと大人も同級生も評する。

 しかし僕にとっては違うのだ。

 それを当たり前だと言われ、強制されて生きてきたのだから僕にとってそれは自然の摂理に等しいのだ。

 力の抜き方が分からない。

 僕はいつでも自分の出せる全力でぶつかる事しか知らない。

 誠意を持って取り組み、最たる良さを求めることが全てだからだ。

  秘めたる欲望や感情に僕は疎い。

 思えば自分は随分と真っすぐにしか生きてこなかった。

 他者との違いは個性だと受け入れたし、違いを羨んだり妬んだりもしなかった。

 自分の容姿も両親を見れば納得でき、嫌でもない。

 出来る努力は一通り行っている。その結果はきちんと出ており満足している。

 家庭も裕福に属し不便は何一つない。

 勉強の問題に躓くことはあろうとも自分について思い悩むことは無かったように思う。

 僕は随分と面白みのない人生を送っているのかもしれないな。


「皆さん黙り込んでしまって手詰まりといった所でしょうか」

 すると子供は中央まで真っすぐに歩み僕の隣に立つ。

 そして背に隠していた何かが確かな重い音を立てテーブルの上に置かれる。

 手から離れると鞘に収まった短剣が全貌を見せた。

 包丁よりも大きく、刀よりも短い。殺傷の能力は充分と言える代物だ。

 日常生活ではお目に掛かることの無い模様の入った西洋風の刃物の柄は照明の光に照らされ異様な空気を醸し出す。

 短剣が見えているのはテーブル付近で立っている僕と紗雪だけだ。僕らは凶器を凝視する。

 恐らくこれはヒントではない。ゲームマスターは展開のマンネリに痺れを切らしたのか?

 武器を用意した少年は尚も笑顔で続ける。

「使用方法は皆さんにお任せします。ゲームの趣旨通り主催者の殺害に利用しても良し。主催者が皆さんの殺戮に使用しても良し。あとはギブアップに使って頂いても構いませんよ」

「ギブアップ?出来るのかそんな事」

「はい。人生とは常に生きるか死ぬかです。ですから諦めたくなったら何時だって自ら終えて頂いていいんですよ」

 首を少し傾げてそれはもう天使の微笑みとでも例えられる程に愛らしく、残酷な笑みを湛える。

 この子供は悪魔なのだろうか。人の命を何だと思っている。

 命はそんな簡単に投げ捨てて良いものではない!

  少年の後頭部を鷲掴み、即座に乱暴にテーブルへと叩きつける。

 周囲から動揺の声が聞こえたが、子供の声は一切出てこない。

「行成!!」

 僕の一方的な攻撃に善意が働いたのだろう一番近くに居た紗雪は僕を制止させようと叫ぶが聞いてやる気は無い。

「遊びもここまでにしよう。全く笑えない。君は主催者を知っているんだろう?答えろ」

 テーブルに頭を抑えつけてはいるが、口は天板に当たっていない。喋れるはずだ。

 それなのに子供からは痛みを泣き喚く悲鳴も突然の暴力を抗議する怒声も聞こえてはこない。

 というより身動き一つしない。電源が切れた機械みたいに止まっている。気絶したか?

「―――っ!?」

 油断したのも束の間、子供の手は迷いなく頭を掴む僕の手首を掴む。

 それも力強く僕の力を遥かに凌駕しており子供の力とは到底思えなかった。

 激痛で手を離すと子供はすぐさますり抜け、掴み上げた僕の手首を捻り上げ、簡単に僕の態勢を崩した。

 圧倒的な力と素早い動きに僕は自分がどんな状態かを飲み込めなかった。

 痛みで頭が真っ白になるとはこういう事なのだろう。

「僕を排除したり思い通りにしようなどという考えはお勧めしかねますね。皆さんをまとめて相手にしても僕は勝てますよ。最初にお話しとくべきでしたね、僕としたことが大変失礼致しました」

 少年は尻餅をつく僕を見下ろしながら笑顔で警告と謝罪をすると手首を解放し、再び闇に紛れ扉の前に立つ。

 どうやら強引にこの部屋から脱出するのは不可能なようだ。

 握りつぶされそうだった手首は真っ赤な跡を着けている。

 あの小柄で細身な身体にどれだけの筋力が備わっているのか。

 同じ人間なのに不気味で得体の知れない生き物に見えてくる。

 やはりゲームに則り、主催者を見つけ出すしかないのか。

 

「翔子!」

 紗雪が悲鳴を上げて見つめる先には翔子が栞の喉元に短剣の刃を向けていた。

 翔子の手にある短剣は先ほどまでテーブルの上にあった物で鞘から抜かれている。

 しまった、奴の頭を叩きつけた衝撃で短剣が滑り飛んで行ったのか。

「正直に答えて。栞、あなたがこのふざけたパーティーの主催者?」

「違うよ。私は誰一人恨んでいない、皆大切な友達だもの」

 凶器を向けられているというのに嫌に落ち着いている栞は明瞭に答える。

「紗雪、あなたは?」

 冷静さを欠いている翔子は震えた手で柄を握り栞に刃先を向けたまま紗雪を睨みつける。

「違うわ。誰かを殺したいほど憎んだ事なんて無いもの。翔子、その短剣を降ろして。落ち着いて話し合いましょう?」

「うるさい!私に指図するな!…動かないで!」

 翔子を宥めようとしたのか、僅かに動き出した拓哉を彼女は威嚇した。

「拓哉は?もう私のことなんか嫌いでしょう?殺したい?」

「そんな訳ないだろ!お前を嫌いに思ったことなんてない!」

「嘘だ!だって…こんな最低で惨めで可愛くない女…幻滅したでしょ?関わりたくないと思ったでしょ!?」

「最低だろうと惨めだろうと関係ない。翔子は俺のたった一人の大切な幼馴染だ。勝手に自分で決めつけるな!」

「もう幼馴染の優しさなんていらない!私は、拓哉の一番になりたかった…それ以外なんだってよかった…!」

 翔子は怒鳴りながらも涙を流した。

 もう幼馴染同士で分かり合えることは無いのだろうか。

 すると拓哉は短剣を握る翔子の手を掴み、そのまま刃先を自分の胸部に向けるように動かした。

「何してるの、放して!」

「残念だけど俺は一生誰かを一番にできないと思う。俺さ、普通じゃないんだ。ごめん、俺には翔子が俺を大切に想ってくれる気持ちがまるで理解できない。だから翔子の好意を幸せだとも不快だとも思わない。同情も怒りも無い。翔子は俺に無いものを沢山持ってる。羨ましいし、できるなら大切にしたい。もしかしたら翔子の好意も嬉しいのかもしれない。きっと紗雪と付き合う前だったら翔子を受け入れていたかも。それくらい、俺は他人の気持ちに疎くて自我も無いんだ」

「じゃあどうして紗雪を好きだなんて言ったのよ!?」

「俺は感情を知りたかった。ずっと人間らしくありたいと願ってたんだよ。紗雪も翔子と同じだ。俺に無いものを多く持っている。だから多くを知ればもっと人間らしさを学べると考えたんだ。だから好きと言う気持ちを作りあげた。近づく為の単なる口実だよ」

「…何よ、それ…」

「どうだろう、余程俺のほうが最低な人間だ。翔子が慕ってくれた男は俺が作り上げた人当たりの良い少年の拓哉でしかない。幻滅しただろ?憎いなら殺してくれたって構わない。俺は漠然と生きてる空っぽな人間なんだ、生きている価値なんてない」

「…そんなこと、できるわけないじゃない…」

 高い音を立てて短剣が床へ落ちる。

 力なく短剣から手を離した翔子からはもはや狂気は消え失せていた。

 愛した男を憎しみから殺す。

 そんなサスペンスの筋書きのような行動を起こさなくてよかった。 

「生きている価値なんて無いのは私だ。いっそ私が死んじゃいたい」

 翔子がぽつりと零したその言葉から間もなく、ずぶりと鈍い音がした。

 誰もが一瞬で音の正体を理解できなかった。

 瞳を大きく見開いた翔子は恐る恐る視線を下へと向ける。

「なん、で…」

 自身の状態を受け入れ難いのか声が強張っている。

 そして倒れ込むと彼女の腹が見る見るうちに赤黒い染みが広がっていく様が晒される。

「いやああああああああああ!!」

 紗雪の悲鳴が部屋を劈く。

 躊躇も迷いも無く、栞は翔子の腹部へ短剣を突き刺したのだ。

 そんな少女の顔は穏やかで慈愛にすら満ちた笑みを翔子に送っている。 

「大丈夫、これで死ねるよ」

 激痛が襲っている筈の翔子だが、声も上げられずぼんやりと栞を見上げている。

「おい!救急車だ!早く!!」

「ゲームが終わるまでは外部との連絡は不可能です」

 僕は形振り構わず子供に詰め寄るも涼しい笑顔のまま拒否される。 

「人の命より優先される遊びなんて無い!早くしろ!」

「そもそもこのゲームは皆さんの命が掛かったゲームなのです。言ったでしょう?主催者は皆さんを皆殺しにするのが目的なのだと。今まさに遂行されてますよ」

 翔子の命も大切だが、栞を野放しにするのは間違いだと気づき振り返り睨むと彼女は両手をヒラヒラと動かした。

「そんなに怖い顔しなくても平気だよ。私は翔子ちゃんの願いを叶えたかっただけで他の皆を殺したいなんて思ってないから」

 これ以上の殺意が無い事を主張するように彼女は立ち上がり翔子から離れて、僕らから距離を取った。

「…いいよ、もう」

 駆け寄り翔子の刺し口を塞ごうとする紗雪に掠れた声で翔子は呟いた。

「何言ってるの!」

「もう、疲れちゃった……私さ、馬鹿だから…考えるのも頑張るのも…限界…」

「翔子はいつだって懸命に頑張って来たじゃない!ちょっと休めばまた頑張れる、だから生きて!」

「…自分の努力がさ、恋敵に一番伝わってるなんて…皮肉だよね…でもさ…ありがと」 

 視線を動かす力も無いのだろう、空を見つめる翔子の手を拓哉がそっと掬い上げた。

「どう?少しくらいは…悲しいとか思ってくれてる?」

「混乱してて気持ちが上手く整理できない。どうしたらいいか、どうしたいのか判断が上手くできないんだ。翔子…死ぬのか?」

「…私に聞く?…これだけ血が出てれば…死ぬでしょ…」

「そう、だよな…お前が居なくなるなんて想像できない、頭ん中真っ白なんだ…なあ翔子どうして欲しい?」

「本当拓哉は馬鹿だね…頭良いんだから自分で考えなよ」

 翔子はこの期に及んで笑って見せた。

「でも、そうやって相談してもらうの…嫌じゃなかったな…」

 拓哉の手に乗っていた翔子の手が滑り落ちた。

 そして翔子はぴくりとも動かなくなる。鼓動が止まってしまったんだ。

 もう彼女のとびきり明るい笑顔も声も未来には存在し得ない。全てが過去のものとなってしまった。

 いつも場を照らしてくれた彼女の笑みが今はただひたすらに哀しく映る。

 喉が使い物にならなくなりそうなくらい紗雪は泣き続けた。

 悲しみを押し殺しながらも慈しむように翔子の頭を撫でる拓哉の姿は人の心が分からないと言った人物には見えぬほど人間らしさに溢れていた。

 ―――止められなかった。

 大切な友人を一人、失ってしまった。





「もう充分だろ。このゲームの主催者は栞、それが答えだ」

 ハッキリと発したつもりの声は掠れていた。

 自分が思っている以上に肉体も精神も疲弊しているみたいだ。

 現に一人の尊い命が失われてしまったのだ、答えは出ているように思えた。

「残念ですが不正解です」

 ゲームマスターの変わらぬ明るいトーンに絶句した。

 こいつは僕らが苦しむ姿を見たいだけ、ただの愉快犯なのではないか。

「現時点でゲームクリアの条件が満たされていない、即ち翔子さんも主催者ではありません。さあ解答権は残り2回です」

「栞は一人殺した。どこが間違っているんだ!」

 もはやただの遊びや冗談では済ませれない。

 これは罪だ。この子供も栞もきちんと裁かれ、償わなくてはならない。

「主催者の望みは皆殺しであって自身の手で殺めたいと望んでいるとは限りません。他者が殺害していき目標を達成できれば満足と考えているやもしれませんよ?」

「じゃあ誰なんだ!紗雪か!拓哉か!こんな無意味な時間は早く終わらせろ!」

 これ以上の犠牲者を出す訳にいかない。しかし最善案が思い浮かばない。

 とにかく早くこの悪夢を終わらせたい。その一心で子供を怒鳴りつける。

 どんなに喚こうが現状は打破できない。

 自分でも理解していたが、まるで理性が機能しなかった。 

「サービスです。今のは解答としてカウントしないであげますよ。ただし次から当てずっぽうな答えをなさるようでしたら…問答無用で首が飛ぶと思ってくださいね」

 この悪魔なら比喩的な意味ではなく言葉の意味通り首を刎ねるだろう。

 変わらぬ子供の笑みに竦むと聞き取れない声が聞こえた。

 何かを呟いていたのは紗雪だった。

 翔子の傍らで震えていた彼女の身体がぴたりと止まったかと思うと立ち上がった。

 そしてゆっくりと栞へと歩み出した。

「殺してやる!」

 憎しみの籠った声は低く可愛らしい彼女からとは思えなかった。

 鬼のような形相をしている紗雪からは正気は失われていた。

 短剣を両手で掴み刃を栞に向けて走り出す。

 紗雪は怒り狂い、拓哉は呆然とし、栞は善行をしたと満足している。

 駄目だ、今正しい判断が出来るのは僕しかいない。僕が止めなければ。

 死の連鎖が起きてしまってはならない。

「どうして止めるのよ!?あいつは翔子を殺したのよ!?」

 僕が叫び止めるよりも前に拓哉が紗雪の両肩を掴み制止させた。

「栞を殺したって翔子は帰ってこない」

「だからって、こいつを許せって言うの!?」

「許せとは言わない。ただ紗雪まで人殺しになる必要はない」

「構わない!こいつが生きていることが許せないのよ!二人が私を許せないって言うならこいつを殺してから私も死ぬわよ!」

 途端、乾いた音がした。

 あの拓哉が少女に向かって手を上げるなど想定外で理解が遅れた。

 頬を叩かれた紗雪も俯いて固まっていた。

「簡単に死ぬって言うな!残った奴の気持ちも考えろ!」

 とても他者の気持ちが理解できない、自我が無いと言った人間の言葉とは思えなかった。

 僕が知る限り拓哉は大きな感情表現をしなかった。

 今思えばそれは彼が異常な自身から世間の批判を避けるべく作り上げた爽やかな優等生という仮面故であろうが、どうやら仮面にはもう頼らない。彼は空っぽな自分を脱したのだ。

「ごめん拓哉…でも、私には翔子の居ない世界なんて生きている価値が無いの…行成もごめん。全員で生きてここを出ようって言ってくれたのにね。私は最初から翔子を生かす事しか考えてなかった。だから、お願い…死なせて」

「止めろ!」

 刃先を自身に向き変えた紗雪の動きを封じようと手を伸ばした拓哉を栞が邪魔をした。

 その隙に紗雪は狙いを定める。

「紗雪!!」

 僕の声を無視して紗雪は躊躇いも無く胸元へと短剣を突き刺した。

 その姿は儚くも美しい。まるで一枚の絵画みたいだと見惚れたように時が止まった感覚だった。

 彼女の倒れ込む音で現実に引き戻される。 


「死ぬ時まで綺麗なんて狡いよね」

 横たわる紗雪の頬を栞は慈しむように撫でた。

「栞…お前、おかしいよ」 

「そう?私から言わせれば皆のほうが余程異常だよ。凡人がどんなに足掻いても手に入らない物を持っている。私はただの友達想いな一般生徒…よかったね、拓哉君。今の顔、とっても人間らしいよ」

 人間らしいと称された拓哉の表情は憎しみとも怒りともとれないが嘆き悲しんでいるとも言えない。

 でも無表情ではない。明確に感情の表れだ。これを何と呼ぶのが正解だろう。

「…私の大嫌いな表情かお、上から見下ろしてくる。お前とは違うって、線を引く感じ。想像もできないよね、この気持ち。見下ろされたことの無い人種には」

 そうか、哀れみだ。

「べつに俺は栞を見下ろしてるつもりはない」

「嘘。拓哉君はいつだって自分は周りとは違う。皆とは相容れない人間なのだと距離を置いていたでしょう」

「確かに俺は皆とは違う。感情が上手く理解できない、人として欠落している。だから俺は異常なんだ」

「それが思い上がりだって言うんだよ。拓哉君にもちゃんと感情があるよ。ただ理解を拒んでいただけだ。自分は違うと思い込んで、勝手に閉じこもってただけ」

「違う!俺は本当に――!」

「ほら大きな声を出して否定した。本当に感情が無いならもっと平静を保てる」

 栞は拓哉の頬を滑るように撫でる。 

「大丈夫。拓哉君は才能に愛された有能な…ちゃんとした人間だよ」

 どうしてだろうか。

 彼女の言動はもはや常軌を逸している。それなのに聖母みたいな笑みを湛えている。

 それとも狂気がある一線を越えると悟りでも開かれるとでも言うのか。

 栞もあの子供も、とても綺麗に笑うのだ。

「みんな羨ましい。私がどんなに努力しても手に入らない物を持っている。恋だの、悩みだのに捕らわれる必要ない。存分に自身の才能に磨きをかけ続け酔いしれればいいのに」

「弱味があるからこそ人間らしい。俺はそう思うけど」

「弱さなんていらないよ。苦しむだけじゃない。現に拓哉君はさして辛苦を味あわず生きて来れたでしょう?」

「それは…」

「素敵だよ。才能に恵まれたうえに感受性が乏しいなんて。大抵の人間が強いられる苦痛を最大限受けずに済むのだから」

 栞の言葉が麻薬みたいに拓哉の思考を毒していく。

 とうとう拓哉は何も言い返せなくなっていた。

「私が拓哉君ならもっと上手に生きるのにな…どうする?二人みたいに楽になる?手伝ってあげるよ」

 友達の為と銘打って快楽殺人をしているだけか。

 彼女の思い通りにさせてはいけない。止めに入ろうかと踏み出すが、拓哉は首を横に振った。

「楽になる道は選ばない。向き合うって決めたんだ、周りとも自分とも」

「そっか。強いね、拓哉君は。じゃあ幼馴染と恋人を死に追いやった私を憎くて殺す?」

「それもしない。残念だけど、絶望もしてなければ悲しみも怒りも危害を与えたくなるまで昂っていない。呆れるけど、まだそこまでの人間らしさは持ち合わせていないんだ」

 力なく笑う拓哉に穏やかに微笑んで答える栞。

 どうして笑い合える。君達はまるで分かり合えてなどいないじゃないか。

 もっと警戒しろ、恐れろ、嘆け。他者の死を正しく受け入れろ。

 日常とかけ離れた異質な空間で殺人が眼前で行われ、自身の生命も怪しいんだ。

 僕らは親しい間柄だったのではないか?

 友人の死がこんな軽く流されて良い筈がない無いというのに。

 狂ってる。

 正常ならばそんな判断にはならない。  

 この状況において怒りも悲しみもせず笑うだって?

 彼らの感覚は麻痺している。もはや人間のそれではない。

 ――――そうだ、間違っている。


「行成君、ゲームクリアをする大チャンス。私が主催者でないなら、あとは拓哉君と行成君だけ。そして残る解答権は二回。もうクリア待ったなしだよ?」

 尚も柔らかい微笑みだ。

 でも違う。君は笑う事で自分の異常性を包み隠していただけだった。

 清楚な姿は偽りだ。

 若者特有の騒がしさは無く、落ち着いた女性らしい君に惹かれたこともあったが、それは幻にしか過ぎなかった。

 そう、ゲームなんて始まる前から全員が手遅れだったのだ。

 一人残さず僕にとって大切な友人。だからこそ救済が必要だ。

 このパーティーはその為に催された、いわば制裁の場だったんだ。

 神様か悪魔か。機会を与えたのは誰かも分からないが、僕は友人達を正しい道へ還してやらなくてはならない。

「答える必要は無くなったよ」

 僕は寄り添うように倒れ込んでいる二人へと歩み寄る。

 翔子。君は誰よりも人間らしく周囲を引っ張る力があり親しみやすい人だった。

 君の傍に居れば自然と頬が緩んだ。誰をも笑顔に出来る魅力は眩しいくらいだ。

 冷静に判断する力と理性があれば、こんな被害者にはならなかっただろうに。

 いや、諦めの悪い彼女だ。結果は同じであったか。

 諦めないことは美学であり愚かな行為でもある。

 成功すれば美学と成り得るが、そんなものは少数だ。

 せめて叶わぬ恋を諦める勇気か自身を殺す忍耐があればな。

 紗雪。君は知能もあり理不尽に対しても気丈に振る舞える女性だった。

 愛想を振りまけば容姿と相乗してもっと楽な生き方ができたであろうに。

 評価を気にせず、媚びを売らない。冷たく見えるが友人想いで筋を通すところが友として好きだったよ。

 同性に恋したばかり、哀れな末路を辿ったものだ。情の厚さが彼女を破滅させてしまった。

 それでも彼女の芯の通った生き様は美しかった。

 敬意を払い、なるべく傷がつかないように胸元からそっと二人の血が着いた短剣を引き抜く。

 そして迷わずに振り上げる。 

 紗雪の胸元から引き抜いた短剣を一突き。

 男にしては力が弱い僕だが位置は間違えていない、一度で達成できただろう。 

「行成…どう、して」

「すまない、拓哉。君はもう手遅れなんだ」

 勢いよく短剣を引き抜く。

 同時に赤い血が飛び散り、僕を赤く染めた。

 顔に着いた液体からは温もりを感じる。

 ああ、同じ赤い血を通わせる人間なのに。

 どうしてこうも正常な判断が出来ない人に育ってしまったのだろうか。

「もう君らは死して更生させるしか道がないんだ、来世は正常な人間であることを祈っているよ」

 拓哉。僕よりも成績が良く、どんなスポーツもすぐ飲み込み主戦力になれる、人当たりも良く常に人に囲まれている。

 そんな万能な君と友で居られたことは素直に嬉しかった。

 器用な君だからこそ自分の悩みも上手く隠していたんだな。

 悩みを打ち明けてくれなかったことだけを恨むよ。もっと友として信頼して欲しかった。

 だけどもう力にはなってやれない。

 幼馴染を失おうと恋人を失おうと涙一つ流せず、狂った友と笑い合うなど君も同種である証拠だ。

 普通の世界に野放しにはできないんだ。許してくれ。

 もし怒りと言う感情が芽生えたならば僕に向けてくれ、僕は拍手してそれを歓迎しよう。

 膝をついて僕を見上げる拓哉はそれでも激怒はしなかった。

「…そっか…まあ…俺は生まれた時点で、間違ってたのかもな…行成が初めてだよ…ちゃんと俺という人間を、否定してくれたのは…」

 倒れ込み目を閉じた拓哉は何故だか満ち足りたような表情だった。

 なんて死に様だ。

 もっと生に執着してくれよ。

 どうして翔子も紗雪も拓哉も。

 皆、死を望み、すんなりと受け入れる。

 死の先には何もないんだ。生きたいと願ってくれ。

 これでは生の選択が地獄みたいではないか。

 人生は決して楽ではない。それでも確かな幸福もある。

 目の前の問題から逃げるな、生きて乗り越えろ。

 僕らには共に乗り越えてくれる友人がいるじゃないか。 

 どうして助けを求めない。皆自分で結論付ける。

 …それは僕も同じか。

 どんなに苦しくても答えが見つからなくても誰に頼ればいいかなんて分からない。

 誰が自分を救ってくれるかなど見当つかない。

 だからどんな辛い悩みも内に潜めてしまうのか。

  手から伝わる重みが存在を訴えてくる。僕も戻れない場所まで来てしまった。

 自己を捨て無へと逃げるのか、それとも息苦しい地獄を突き進むのか。

 こんな刃物が簡単に人へ死を与える。 

 死は絶対なる不幸だと思っていたのに。本当は幸せなのか?  

 ああ、何が正解だったんだろう。




「私は最初から行成君じゃないかなって思ってたよ」

 三人の命を奪った短剣を手にし血に塗れる男を目の前にしても、やはり栞は怯みもしない。

「皆に公平で居るのって疲れるじゃない?」

「僕はこれがありのままだ。栞や拓哉のように繕っていない。疲れたりはしないさ」

「すごい!私なんてありのままで居られたのは赤ん坊の頃だけじゃないかな。幼い頃から見栄張りだったもの」

 本心を曝け出している栞は活き活きとしていて、ずっと年相応らしい女子高生に見えた。

 こんな状況でなければ何一つ不自然な部分は無いのに。

「ゲームを終わらせないのかい?今君が答えればクリアされパーティーは終焉だ」

「うーん、どうしようかな。行成君相手なら足は私のほうが速いし逃げ切れる自信はある。けれど、その後は?証人を消す為に行成君は私を殺そうとするでしょう?常に命を狙われる生活なんて嫌だな」

 無邪気に言ってのける栞は壊れた人形にすら思えた。

 違う。僕が栞に対する理解を誤っていただけだ。

 彼女が良く見えていたばかりに本質を受け入れきれていないのだ。

「それでも生きたいだろ?もっと抗ったらどうだ」 

「正直言うと私は疲れちゃった。だってどんなに仮面を取り繕うが頑張ろうが私の理想には決して辿り着けないから」

「まだ分からないだろ?君はまだ十分に若い、可能性は幾らでも」

「分かるよ。格差は集団があれば必ず生まれる。私は一度たりとも一番になれなかった。何時でも自分より上に君臨する秀でた人間が居る。私の求める理想は完璧な人間。誰にも負けない、誰からも見下ろされない世界。ところが理想は程遠い。学力、芸術、運動、容姿、人望、地位。何一つ一番が無い私には一生掛かっても不可能。

結果が見えているのに生きるなんて馬鹿らしい」

 なんて強欲な人間だ。呆れて物が言えない。

 しかしそれが彼女の原動力になっていたのだから馬鹿には出来ない。

 もっと他の所に活かせれば。違う未来が待っているに違いないのに。

「それに友達が望むなら死んだって構わない。一思いにどうぞ」

 理想がここまで人をおかしくできるのか。恐怖すら覚える。

 誰よりも努力家な彼女を僕は知っている。

 だからこそ影ながらひたむきに多方面に頑張り続ける彼女を心底尊敬していた。

 強い心で弱さを隠し、苦手を克服し立ち向かっているのだと思っていた。

 けれど違った。

 彼女の理想に少しでも寄り添い、分かち合える友が居たならば。

 ここまで彼女を歪めてしまったりはしなかっただろうか。

「どうしたの?皆殺してゲームは行成君の勝ちだよ」

 一度決めた事に今更躊躇いが生じる。

 皆に死を与え正常さを取り戻させる。そう定義してこのゲームを終わらせると。

 だからこの凶器を手にした。

 なのに、一度たりとも迷いが生じない彼女に自分の選択には何一つ正解が無いと言われている気がして竦んでしまう。

 おかしいのは僕なのか。

「仕方ないな…はい、これで本当にあと一押し」

 栞は短剣を握る僕の手を優しく掬い上げ、短剣の剣先が自身の胸元に当たる位置へと導く。

 怖くないのか?死んでしまったら何もかも終わりなんだ。

 君が一言「死にたくない」そう言ってくれれば。そうすれば僕は迷わずに思い留まれる。

 頼むから「生きたい」と声を上げてくれ。

「バイバイ、行成君」

 僕の手を固定して自ら短剣へと飛び込む。

 本当に笑顔が得意な人だ。

 自分の理想は叶わないと嘆きながらも死に直面してさえも笑うのだから。

「栞!!」

 力が抜け崩れ落ちる栞を慌てて抱き支える。

「…ごめんね…本当は皆で生きたかったよね…嫌な思いさせたね…でも私はこの選択に、後悔はないの…」

 どうして君は人の本心を見抜くのが上手いんだ。

 もしかしたら彼女には皆の本質が見えていたのかもしれない。

 他者を分かってやれるなんて立派な才能じゃないか。

 彼女は自分の凡人さに思い悩んでいたようだが、悩む必要が無い。

 君のその才能は多くの人の弱さや悩みに寄り添え、良き理解者となりえ救えたかもしれない。

 友達として早く気づいてやるべきだったのだ。

 謝るくらいなら死を選ぶな。僕と、皆と共に生きようとしてくれれば良かったのに…!

 まだ温もりの残る少女を抱く僕の嗚咽だけが部屋に木霊した。

 





「ゲームクリア、おめでとうございます。行成様」

 もう一人の生存者が拍手をしながら僕の傍へとやって来た。

 祝福とも皮肉とも違う。まさに心にもない祝辞を言ってのける笑顔だ。

 よく殺人劇を目撃して尚も笑っていられる。

 人とは非なる精神に筋力。この子供は死の使いとでも呼べば良いのか。

「嬉しくない……僕は五人で生き残りたかった」

「それでもクリアに変わりありません」

「ゲームの前提が間違ってる。僕は皆殺しを望んでいない、主催者の条件を満たしていないじゃないか。実は主催者は居ませんでした、なんて言うなよ」

「言いません。確かに主催者は存在しましたよ」

「じゃあ誰だって言うんだ!答えろよ!!」

「行成様、あなたは充分に主催者でしたよ」

「だから僕は皆殺しなんて…」

「本当にそうですか?」

 子供の低い声に背筋が一瞬で凍る。

 間違いなく僕は皆で生き残りたいと願っていた。

 しかしゲーム中にそれ以外の発想が芽生えていた。それも言い逃れできない事実だ。

「皆を真の意味で救うには死を持って再生させるしかないと、そう考えませんでしたか?」

 自分はなんと思い上がった考えをしたものだ。

 他者の口から言葉にされて愚かさに初めて気づく。

 ただの人間が同じ人間に格差をつけるなど驕りだ。   

「あなたは僕が作り上げた主催者にゲームの際中で見事に成り得たのです」

 子供の言葉に僕は声を失った。

 だったら僕の最初の考えは間違ってなどいなかった。

 主催者、皆殺しを望む者などゲーム開始当初は居なかったのだ。 

 自分を信じ、皆を説得すべきだった。

「じゃあ…お前は最初に嘘を言っていたのか」

 答えの代わりに、にこりと微笑むと扉の前へと戻っていく。 

 こんな狂った状況を作り出す人間の言葉を全て正しい。そう信じていたことがそもそもの過ちであったのだ。

 自分の馬鹿さに心底情けなく怒りが湧いてくる。

「きちんとプレイヤーの皆さんに対して公平ではありましたよ。それにゲームクリアの手段は一つとは限らない。そう行成様自身もおっしゃっていたではありませんか。クリアと見なすにはいくつか条件はありましたが聞かれなかったので」

「だったら初めからそう明言しろよ!そうすれば…そうすれば皆死なずに済んだじゃないか!!」

「推理ゲームのクリア方法を初めから教えるゲームマスターが居るはずありません。僕は一度も五人全員での脱出が不可能とは言っていませんし、皆様の質疑には必ず答えました。プレイヤーの皆様の推理不足です。それに行動を選び取ったのは全て皆様自身、お忘れなきよう」

 今更何と言おうが皆が笑ってはくれない。

 分かってはいても僕は怒鳴るしかできなかった。

 人の命をゲームと称して無暗に弄び何の意味がある。

 後悔、絶望、悲痛、憤怒、呆然。様々な感情が蠢き呼吸さえも苦しい。

 栞の言ったように人間に感情なんて不要かもしれない。自我すらも保てなくなりそうになる。

「…こんな事して何が楽しいんだ…」

「さあ、楽しさは分かりかねます」

「お前――っ!!」

 力任せに子供の胸倉を掴み上げる。

 どんなに感情を子供にぶつけようが結果は変わりはしない。

 もう大切な友人達は還ってこないのだ。

 辺りを漂う血の臭いが呪いみたいに纏わりつく。

 自分の犯してしまった過ちに吐き気がし、嗚咽が止まらない。

「何で僕達だったんだ…こんなの誰だってよかったじゃないか」

「申し訳ないですが、僕も雇われた身なので。目的や嗜好までは分かりませんが…ひとつ言えるのは皆様で行われるゲームが大層面白くなると僕の契約者が判断したからでしょう」

 僕らの様子を見て楽しんでるふざけた奴が居るというのか。

 そいつに人の血は流れているか?人情はあるのか?

 面白いという気持ちがある以上、感情がある筈だ。

 この惨状を面白いと思えるなんて余程の異常者ではあるが。

「今宵のパーティーは他言無用です。お亡くなりになられた方は世間では行方不明扱いになります。行成様を犯罪者として通告することもありませんし、僕ら側が命を狙うこともありません。安心して日常にお戻りくださいね」

「口封じとかしないのか?」

 反射的にそう訊ねたが、そんなこと知って何になる。

 もう日常になど帰れない。心から笑えはしないのだから。

 何を言っているのか僕自身ですら僕が分からない。

「ご心配されずとも行成様の発言を信じる方は誰一人おりませんよ」

「…それもそうだな…僕は物証を持ち合わせていないし、他に証言してくれる人間も居ない。こんな狂ったパーティーの存在を信じるほうがどうかしている」

「改めまして。この度は見事ゲームクリアおめでとうございます。素晴らしいプレイングに感謝致します。お帰りはこちらです。またお待ちしておりますよ」

 子供がお辞儀をして開く扉の先は闇しか見えなかった。まるで今後の僕の人生を暗示しているみたいだ。

 僕は元通りになど生活できやしない。

 この罪を背負い、苦しみながら生きていくのか。

 それとも重さに耐えかねて死と言う楽な選択をしてしまうのだろうか。

 ゲームをする前の自分ならば必ずやこの子供と契約者とやらを白日の下に晒し、罪を裁いてみせようと決意するところだ。

 けれど今は何も考えられない。

 正しい判断ができなかった僕もまた異常者だ。

 自分だけが正常だと思い込んでいた事が恥ずかしい。

 天国で皆僕を笑っているかもしれない。いや、早く来いと手招きしているだろうか。

 ああ、短剣を置いて来てしまったな。

 もう少し待っててくれ。すぐにそちらへと向かうから。




   *



 

 いかがでしたか?

 妬み、恐怖、不安、憎悪。生き物であればどこにでも存在し生まれてきます。

 美しい友情の間でも例外はありません。親しくしている間柄でも油断はなりませんよ。

 気づかぬうちにあなたが他者の心を酷く踏みにじっているかもしれない。

 怒りや嫉妬、失望や劣等感は簡単に殺意へと変わります。

 疑心暗鬼になった人間は時に好意的な感情すらも一転させてしまう危うさも秘めています。

 あなたの気持ちも相手の気持ちもどちらも等しく大切です。

 心の清潔さを保つために互いの理解や気遣いを行いましょう。

 それでも負の感情は消え失せません。暗い心とも上手に向き合い、付き合ってください。

 一時の楽しさを共有できる人は簡単に増やせても、自身の弱さや醜さを分かち合える人は貴重です。

 どうかその尊さを忘れずに。

  これにて今宵のパーティーはお開きとなります。

 次にお目に掛かる時はあなたはゲームの遊戯者か観覧者か、はたまた主催者かもしれません。

 それでは、もうお会いしないことを心より願っております。


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主催者探しゲーム 瑛志朗 @sky_A46

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