第3話

 何故なぜあんな事が起こったのか、何のために人々はあんなことをしたのか、何故なぜ彼等かれらは殺されなければならなかったのか、少年には何も分からなかった。


 走って逃げている途中、何度も転んで、必死で起き上がって走って走って逃げた、追っ手は、来なかった。彼の前にいる黒魔女は、あの崖で初めて対面したとき、顔や手やドレス全てが血にまみれていた。ふと、少年の脳裏に黒魔女の発した言葉がぎる。


『私と共にくるか?それとも追っ手に殺されるか?』


 そして、彼は泥まみれでり傷や切り傷だらけの自分の格好かっこうを見ながら、止まらない涙を袖でぬぐいつつ黒魔女に問うた。


「…追っ手など、いなかったのですか…?」


巡回中じゅんかいちゅうの者から報告が上がってきてな、あの場にいた者どもは皆殺しにした」


 首がない死体の山をいくつも作った黒魔女、彼女は影から闇へ、闇から更に深い闇へ移動することも一つの能力として持っている。月も出ていない夜に空気が揺らめけば、それだけで、どこで何が起こっているかなど察知さっちできるし、一瞬でその場に移動できる。


 使い魔からの報告があるまで行動しなかったのは、彼女が近々ちかぢか参加する予定の集まりで、この出来事を酒のさかなにでもしようと考えたのと、この少年を持ち帰って来れた時のために大鍋でスープを作っていたからだ。彼女自身は人間同士の争いに今のところ興味などない、今回特別だったのは、いま目の前で涙する少年の存在形態そんざいけいたいにある。


 黒魔女は、彼がこの世界に生まれ落ちたその時から、この少年のすえていた。だから彼の両親に、街から信用できる者だけを連れて離れる事を直接伝えるために足を運んだこともあった。


「どの世界ページにも、裏切り者が出れば、誰かにとっての全てが崩れ去る事態じたいを招くことはある」


「…世界ページ?裏切り?」


 少年は、全く訳がわからない様子で、流れる涙もそのままに黒魔女と視線を合わせる。彼女は白く細い指先で、少年に向けて繊細で美しい蒼白い魔法陣を描くと、それを少年に向けて吹きかけた。傷が消え、泥だらけだった真っ白なシルクのブラウスと、千切れかけていたサスペンダーやハーフパンツ、靴や靴下も新品同様の姿に戻っていく。


「どんな生き物でも、大体は同じだ、多数の中に現れる異端の者を時に排除しようとする。今回は、たまたまそれがお前達だった。自分に尻尾があることを不思議に思った事はあるだろう?」


 少年は頷く、彼には尾骶骨びていこつの付け根あたりから長く白い二本の尻尾が生えていた。黒魔女の指が、少年の耳に触れる。


「それにこの耳、獣のようだろう?お前は獣人じゅうじんさ、純血ではない人間同士の間に生まれ落ちることが、たまにある」


 少年の耳から指を離した黒魔女は、木製のテーブルに肩肘をつくと、ティーカップに温かそうな赤い液体をそそぐ。それを口へと運びながら、微睡まどろむような表情を浮かべて、優しく澄んだ声で物語を読むように言葉をつむぐ。


「捨てられる事もある、だがお前は違った。少なからず嬉しい気持ちがあった、だから守ってやりたい気持ちもあった。結果、お前を楽にはしてやれなかったがな…」


 下流貴族であった彼の両親は、我が子が獣人であることを理由に捨てることも、殺すこともなかった、守ろうとした。


 街から離れた場所にある、この黒魔女が使っていた屋敷に移り住み、比較的慎ましく暮らしていた。彼にとっても、両親や使用人たちにとっても、穏やかな日々が続いていたのだ。たった一人、魔獣に友人を殺された過去を持つメイドが、密かに街の人間へと伝えていくまでは。


 残念そうな語り口調とは裏腹に、彼女の口許くちもとたのしそうにニタリと弧を描いている。少年は、自身にとって非常に残酷な話の内容をゆっくりと飲み込みながらも、黒魔女の表情に魅入っていた。




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