第2話

 黒魔女は少年の手をとり、空いた手の指先で空中に蒼白い光を放つ魔法陣を描いた。彼女の、ぽってりとした赤い唇が、決して大きくはない声量で言葉をつむいだ。


「魔獣召喚」


 蒼く燃え上がる炎と共に現れたのは、やたらとデカい黒豹のような獣だった。宙をただよっていた黒魔女の長すぎる髪が、魔獣に乗るための踏み台の形になり、戸惑う少年の手を引いて軽やかにまたがった彼女は、ポンッと軽く獣の前脚まえあしの付け根を蹴った。


「ひとまず私の小屋へ帰る、ヘッドドレスが血塗ちまみれになってしまったからな」


 一言目が音になる前に疾走し始めた黒い魔獣、それを気にすることなく話す彼女のモフモフとした黒髪に包まれ、少年と黒魔女は、あっという間に小屋に着いた。


「ご苦労だった」


 そう言って頭を撫でる黒魔女に一鳴きして、魔獣はかき消えた。少年は、また手を引かれるままに小屋のドアをくぐり、おそらくは彼女の生活の中心であろう部屋に通され、テーブル横まで誘導されて椅子に腰を下ろした。


 パチンッと指を鳴らす音と共に部屋全体が明るくなる、今まで黒魔女のかすかに温かい指先の温度を感じながら、誘導されるままに動いていた少年は、魔獣に乗ってからマトモに周りの状況が見えていなかった。ようやく現状を把握できる態勢たいせいになり、キョロキョロと部屋の中を見回す少年、黒魔女はキッチンらしき場所でうつわにスープのようなものをぐと、スプーンと一緒に彼に渡す。


「とりあえず食べていろ、その間に私はヘッドドレスを選ぶ」


 血塗れでフリル部分がベッタリとドレスラインにくっついていたハズの黒いドレスは、いつの間にかレース部分も含めて元の豪奢ごうしゃさを取り戻していた。彼女が少年にうつわを渡したその手は、流れるような動作で宙に一閃の蒼白い光を描くと、深紅のヘッドドレスがズラリと一列に現れ、鏡まで浮いている。


 少年が驚いた様子で見つめているのも構わず、黒魔女はヘッドドレスを髪に合わせては消し、合わせては消し、それを数度繰り返してから少年に視線を合わせた。まだスープを飲んでいないことに気づいてユラユラと視線を彷徨さまよわせる少年だったが、彼女は全く別のことを聞く。


「似合うか?」


 ヘッドドレスのことだった、妖艶で魅惑的、美しいとしか言いようのない造形の顔、華奢な身体に豊かな胸元、豪奢ごうしゃな黒いドレス、長い長い黒髪に負けない金細工がほどこされた深紅のヘッドドレス、少年はしっかりと一度、大きく頷いた。それを見て、黒魔女は満足そうに柔らかな笑みを浮かべると、やっと少年がスープを食べていないことに気づいた。


「なんだ、スープは嫌いか?」


 少年は慌てて首を横に振ると、急いでひとくちスープを飲んでピタリと動きを止めた、黒魔女は小首を傾げる。少年はさらにスープを口へ運び、早々はやばやうつわ一杯にあったものを飲み干し、彼女を見て言った。


「ご馳走様でした、とても美味しかったです、今まで食べたどんな食事よりも…」


 様々な出来事できごとが重なって、今に対処することで精一杯だった少年に、ようやく戻って来始めた感情と思考力、そして順を追って記憶がよみがえってくる。何の予兆もなく、離れた場所にある村々むらむらからやって来ただろう…武器を持ち屋敷を包囲した人々、殺されていく家族や使用人たち、命懸いのちがけで自分を逃がしてくれた執事長。彼の目から、ボロボロと涙が溢れ出た。黒魔女は、その様子を見つめていた。




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