第17話

「歌詠みの会をやります」


 貫行は、なるべくやる気な声で宣言した。

 しかし、慣れないことをするべきではないし、できたものではない。口から出てきた声は、いつもどおりのそっけないものだった。

 研究室内の聴衆諸君は、いっそうそっけない様子で、貫行の発言を聞いていた。

 そして、約一名、千秋だけが頬杖をついたまま反応した。

「はぁ」

「歌詠みの会をやります」

「え? 何で2回言ったんだい?」

「いや、聞こえていないのかと思って」

 貫行が述べると、千秋は肩を竦めた。

「聞こえてはいるさ。ただ、やる気という言葉からはほど遠い君が、突然やる気満々な発言をするから、みんな戸惑っているんだよ」

 千秋はそうだろう。

 しかし、半ば事情を知っている泉美は別の理由で目をぱちくりさせているのだろうし、白妙に至ってはこちらを見てすらいないから、本当に聞いていないのかもしれない。

 そして、もう一人、事情を知る平野先生は、静かに状況を見守っていた。

 まぁ、今でこそ澄ました顔をしている平野先生であるが、一日前に貫行が尋ねたときには、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。

『何か親睦を深める企画をしたい』

 貫行もわるかった。

 自分のこれまでの行動から鑑みれば、たしかに奇行、ありえない言動であった。

 貫行も自覚している。

 柄にもないことをやっている。けれども、口から出た災い。軽率な発言の末の結果なのだから仕方がない。

 貫行は確かに泉美に言った。

『相談になら乗る』

 と。

 その発言は、後輩に自分のことをよく見せようという見栄であったわけだが、完全に裏目に出た。まさか本当に相談されると思っていなかった。

 泉美は、退部したくないと言った。

 それは、この百人一首研究会に思い入れがあるとか、そんなポジティブな理由ではない。そりゃそうだ。入部して二週間程度。思い入れが生まれるほどの活動をしていない。

 泉美がやめたくない理由は一つ、今更他の部活に転部してやっていけるか不安だというネガティブ極まりない理由だ。

 橘泉美は、中学で吹奏楽部に所属していた。その際に、泉美は相当がんばっていたらしい。全国大会に出場しようと、努力したのだろう。しかし、彼女は、何かしらの失敗を犯した。部員同士の揉め事か何か。詳細はわからないが、相当もめたに違いない。

 その結果、泉美は部活というものに苦手意識をもってしまった。趣味は音楽といえることから、この学校でも吹奏楽部に入りたかったのかもしれない。けれども入部したのは、百人一首研究会。

 それも平野先生に誘われたから、という消極的なもの。

 自分から入部することすらできないほどにトラウマは根深いものだったわけだ。そのトラウマホルダーである泉美が、また退部して、新しい部に転部するのは、嫌で仕方がないだろう。

 やめたくない、と泉美が切実に思うのも道理である。

 ただ、と貫行は思う。

 なら、この学校じゃないだろ、と。

 藤原学園は、県内でも珍しい入部が必須の学校である。部活にトラウマをもっているのであれば、もっと別の学校を選ぶべきだったのでは?

 そこまで考えていなかったのか、それとも、学力に合わせた結果、ここしかなかったのか。何よりも、地元からできるだけ離れたところに行きたかった、というのが有力であるが。

 さて、泉美の真摯な訴えを受けて、貫行は、悩んだ末に言わざるを得なかった。

『研究会の雰囲気がよくなるように、僕も協力するよ』

 少し格好つけてしまったことは認めよう。

 だが、事前に相談にのると言った手前、こういう対応しかできなかった。

 何度も言うが、口は災いのもと。

 軽はずみなことを言うべきではない、と貫行が悩んだのはほんの数刻で、すぐにどう実行するかを考えていた。

 言ってしまったものは仕方がないのだから、さっさと実行して終わらせてしまおうと、貫行は気持ちを切り替えた。

 ただ、研究会の雰囲気の改善って、どうすりゃいいんだろ。

 そんなノウハウを、貫行がもっているはずもない。

 というわけで、貫行は、平野先生を訪れたわけで、先生は驚いたわけで、事情を話したわけで、その結果が、歌詠みの会だったわけだ。

 貫行は思う。


 これ、正解か?


 最近、平野先生の評価が鰻登りだったから、彼の判断に盲目的に従ったのだけれども、これは間違いだったのではないかと、貫行は後悔し始めていた。

 鰻登りというより、鯉登りくらいだったかもしれない。

 貫行は謎の思考を展開させてみたものの、聴衆の温度に変わりはない。

「そうだね。千秋の疑問は二つ。一つは、歌詠みの会とは何か、もう一つは、なぜ急にそんなことをしなくてはならないか」

 茶化しているようにも思えるが、千秋は、きれいに論点を整理してくれた。

「そうだね。二つ目の質問から先に答えると、この前の一件の後始末かな」

 貫行が述べると、泉美は身を竦め、千秋はふふと笑い、白妙はむすっと眉間に皺を寄せた。

「まぁ、当事者には自覚があると思うけれども、前回の一件のおかげで、研究会の雰囲気は、今、最悪といっていい」

「最悪というのはいただけないな。いつと比較しているんだい?」

 千秋の茶々を、貫行は無視した。

「誰がわるいと言うつもりはないけれども、当事者の自覚があるのであれば、みんなには、この親睦会に協力してほしいかな」

「「「……」」」

 聴衆は、気まずそうな顔で沈黙した。

 あれ? 今、親睦会の話をしているはずなのに、何でこんなお通夜みたいな雰囲気なのかな?

「……紀本先輩、オブラートって言葉知ってますか?」

「言ったろ、泉美ちゃん。貫行くんは変人だから」

 泉美と千秋は、呆れた顔を見せた。

「……何で、私がそんなことを」

 一方で、白妙は不服そうに、貫行を睨みつけた。

「私はこの研究会の活動に協力する気なんてない。歌詠みか、すちゃらかか何だか知らないけれども、そんなの勝手にやってくれってかんじなんですけど」

 この女は、こう言うだろう。

 だが、白妙が参加しなければ、この親睦会にほとんど意味などない。

 それに。

「いや、白妙には」

「呼び捨てにしないでください」

「……白妙さんには、選択肢はないでしょ」

「……どういうことですか?」

 嫌そうにしながらも、白妙は応じた。

「だって、君は賭けに負けただろ」

「なっ!」

 白妙は、ガタッと身を乗り出した。

「それとこれとは関係ない!」

「いや、関係あるでしょ。負けたら何でも言うこと聞くって言っていたじゃないか」

「そんなこと言ってない! あれは、そこのくそ教師との約束で、次のかるた大会に出るってことだけだから!」

 あれ、そうだっけ?

 まぁ、いいや。

「ふーん。勝負に負けた上に、研究会の空気をわるくしておいて、君は、何の後始末もせずに平気なわけだ」

「それは! それは、私には関係、ない、というか」

「だから、関係あるでしょ。だって、君が元凶なんだから」

「な、ななな! ちがっ! いや、違うとは言い切れないけれど……」

 だんだんと自信を失くしていく白妙を見て、貫行は、よし、と頷く。

「別に償えと言うつもりはない。これから、行楽にいこうというんだから、そんな嫌々いっても意味ないしね。楽しまないと」

「「「……」」」

 そこで再び静寂が訪れる。

「それって、千秋達を強制参加させておきながら、親睦会を楽しめって言っているんだよね」

「紀本先輩、それは、さすがに……」

「……こわい」

 白妙までも、ドン引きしているんだけど、何で?

「いや、こわいことは言ってないよ。要約すると、親睦会をするんだから、楽しもうって言っているだけなんだから」

「なんていうか、自覚がないところがいちばん怖いんですけど」

「わかる。わかるよ。泉美ちゃん」

「……こわい」

 あれ? 何だか既に仲良くなってない? 

 親睦会、必要なくない?

 ていうか、泉美は味方してくれないとだめじゃない?

 まぁ、ここまで進めてしまったのだから、今更、なかったことにするわけにもいかないが。

 せっかく珍しく能動的に動いているのに、うまくいかないものだな、と貫行はいささか気落ちしつつも、まぁ、慣れていないからだよな、とすぐに気を取り直した。

「じゃ、一つ目の質問に答えよう」

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