第16話


 ――勝負の世界


 ぴんとこなかったのは、貫行には縁遠い世界だったからだろう。

 縁遠いというよりも、倦厭している世界。

 泉美にはわるいが、貫行も実のところ、千秋と同意見。

 勝ち負けなど、怒るほどこだわるものじゃない。

 それも、プロとして生計を立てているならばまだしも、学校の部活程度で、いったい何をそんなに熱くなっているのだと、貫行は冷めた気持ちだった。

 勝って得られるのは、相手よりも上だという優越感。

 それは、相手を基準にしなければ、自分の立ち位置を決められないということだ。

 つまるところ、勝負好きは、アイデンティティの希薄な奴が多い。自分の存在を自分で決められないから、誰かを基準に測りたがる。

 自己の確立していない子供には多い傾向だが、高校生にもなれば、ぼんやりながらも自分で自分を測れるようになるものだ。けれども、中にはいつまで経っても、他者を基準とする者がいる。

 そういう子は、いずれ勝負すること自体がアイデンティティとなり、異常な執着へとつながっていく。

 まぁ、受け売りだけど。

 受け売りで、しかも、理論をすべて理解しているわけではないが、貫行の理解の骨組みになっているのは間違いなかった。

 だから、貫行は勝負事を好まない。

 むしろ、倦厭している。

 それはタバコやアルコールを毛嫌っているのに似ている。実際にやったことはないが、事前に聞きかじった知識によって、害や中毒性、それから、その無意味さを認識させられている。

 同じように、勝った時の優越感や達成感、努力の充実感などの効能については、うさんくさくて信用ならない。

 だが、目の前の少女は、その効能を信奉しているらしい。

「私も、中学のときは、けっこう、その、部活をがんばっていた方なので、白妙さんの気持ちがわかるんです」

「へぇ、どんな部活に入っていたの?」

「……それは、その、吹奏楽部に」

「へぇ」

 コメントは控えた。

 細切れに出された情報がつながり始めたからだ。

 聞く気はない。言わなくてもいい。そう言いつつも、話題が話題なだけに、コミュニケーションをとっている内に察せられる。

 泉美のトラウマの正体が。

 そもそも、泉美の方に、その意思があったことも起因しているだろう。決して貫行に話したいと思っているわけではないだろうが、深層のどこかで、誰かとトラウマを共有して楽になりたいという意思があるのではないだろうか。

 だが、一方で、貫行には受け取る意思がない。

 わかりやすく散りばめられた泉美からのメッセージカードをトントンと揃えて、ゴムでくくって、心の押し入れの奥にしまいこんだ。

「そういえば、音楽鑑賞が趣味とか言っていたよね」 

「え、えぇ」

 あからさまに、泉美は目を泳がした。

「私が所属していた吹奏楽部は、けっこうまじめに活動していて、毎年、県内の上位を狙って、一生懸命に練習していました。そんなときに、まったく部外者に、そんなに意味ないって言われたら、きっと、絶対、おこ……」

 そこで、泉美は口ごもる。

 その仕草を含めて、さらにメッセージカードを送り込んでくるわけだが、貫行は、器用に分類してしまい込む。

「なるほど、言いたいことはわかった。確かに、そういう考えもあるんだろうね。けれども、やっぱり、君が泣きわめくことじゃない」

「うっ!」

「白妙が君と同じ思考をしていたとしても、怒るべきは白妙であって、そこに感情移入して、勝手に大声出して、あの場を引っ掻き回したことを、僕はいいことだと思わないね」

「うっ! うぅっ!」

 泉美は胸を抑えて、顔を顰めた。

「……先輩、優しいフリして、急所をえぐってきますね」

「そう?」

 至極まともなことを告げたつもりだったのだが。

「別に君を責めるつもりはないよ。ただ僕が言いたいのは、今日のことは、もちろん当事者のあいつらがいちばんわるいけれども、とりあえず、君も謝っておきなってこと」

 謝罪で何かが解決するわけではない。

 しかし、失態を水に流すための儀式としては、なかなか有用だ。

 泉美は、何か言いかけたが、しばらくして、

「……はい」

 と首肯した。

「ごめんね。何か説教くさくなっちゃって」

 ただ、本音である。

 こんな面倒なことをやりたくはないが、今日のいざこざを引きずって、次回からぎすぎすした空気の中で活動をするのは御免こうむる。

 結果として、今、面倒事を片付けておくのが吉と判断したわけだが。

 面倒なものは、面倒だ。

「いえ、言っていることは、ごもっともですし」

 泉美はしおらしく応じたが、

「ただ」

 と続ける。


「私は、もう、百人一首研究会をやめようと思います」


「あ、そう」

 泉美は、あまりに深刻そうに告げたわけだけれども、貫行は淡々と応じた。その反応が意外だったらしく、泉美は気まずそうにそっぽを向いた。

「あの、興味ない、ですか?」

「ん? いや、意外でないだけど?」

「そ、そうですか」

 たしかに興味もないけれども、それよりも、想像の範疇の反応だった、というだけだ。あんな失態をしでかしたわけだし、やめたいと考えても不思議でないだろう。

「白妙にも言ったんだけれども、部活動なんだからやめたいんだったら、やめればいい。もちろん相談にならば乗るよ。研究会の雰囲気をよくしてほしいとか、活動内容を変えてほしいとか。でも、君の判断に口を出すつもりはない」

 貫行は淡々と述べたつもりだったが、泉美はびくりと震えた。

 少しきつい言い方になってしまっただろうか。

 だが、このままだと、泉美の泣き言を延々と聞かされる。

 貫行に、退部のことを告げたということは、そういうことだろう。おそらく、貫行に判断を委ねた。いや、委ねたというのは、いささか傲慢が過ぎるか。

 止めてほしかったというのが正しいか。貫行に何かしらの理由をつけて、退部を止めてほしかった。決断自体は既に終わっていて、貫行に引き止めてもらう、という茶番を欲していた。

 そんな茶番に付き合わされるのは、御免こうむる。

 ゆえに、突き放した。

 たしかに、平野先生に、泉美のおもりを頼まれたが、そこまで付き合う義理はない。

 貫行としては、話はこれで終わりのつもりだった。

「そう、ですね」

 泉美は振り絞るような声を出す。

 声のトーンは、また振り出しに戻ってしまったわけだが、もういいだろう。今の彼女の情緒は、曇天。いつ雨が降るかなんてわかりようもない。

 気づけば、また雨。

 その雨に気づかないフリをして、貫行は立ち上がり、切り上げの口上を述べようとした。

「そろそろ――」

「私は!」

 しかし、雨音は無視するには大きすぎた。

「ごめんなさい。私は」

 仕方なく、貫行は雨音に耳を傾ける。あまり聞きたくはない音。耳の際にまとわりつくような、心の内側を針でちくちくと突き刺すような、柔和な赤子の鼓動のような、生暖かい不連続なビート。

 それでも、その雨を振り切って走り逃げるほど冷たくなれず、貫行は、ただただ立ち尽くして、風に揺れて強くなっていく雨音を聞いていた。

 風は告げた。

「――やめたくないです」

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