君に訊ねる
第15話
すべてが思うままというわけにはいかない。
というよりも、おおよそのことは、たいてい思うままにはいかないものだ。
だからこそ、自らの努力でどうにかなる範囲のことくらいは、思うままにしたいというのが、貫行の信条であった。
たとえば、放課後の部活などは、その一つだ。
自分のやりたいことをやって、やりたくないことはやらない。
貫行は、これまで、そのように生きてきた。
「う、う、うぅ」
だから、この状況、ぐずる泉美を前にして、ただそれを眺めているしかないというこの状況は、貫行にとって信条から外れるものだった。
バーガーショップの一角に、貫行と泉美はテーブルを挟んで向かい合うように座っていた。
向かい合ってこそいるが、目が合うことはない。
なぜなら、泉美は俯いて、ハンバーガーにご執心だからである。
研究室を出てから、ずっとぐずりっぱなしだったが、少しは回復してきたのだろうか。
『紀本、橘を頼む』
平野先生の無責任な言葉が思い起こされる。
研究室で二人が喧嘩をおっぱじめて、一人が泣いて、一人の先生があわあわと焦ったところで、もう一人の先生が一人の生徒に指示をしたわけだが。
当然、貫行は言う。
『何で僕が?』
たしかに、泉美を連れ出すべきだと、貫行も思う。
しかし、適任ではない。
平野先生ならばわかりそうなものだが、貫行に泣いた女子の相手などむりだ。
どう接していいのかわからないし、そもそも関わりたくない。
どちらかといえば、関わりたくない、のバイアスが大きい。
できれば、この騒動をほっぽりだして、帰ってしまいたいと貫行は半ば本気で考えていた。
そこに釘を刺すように飛んできたのが、平野先生の指示である。
目の前の騒動以上に、そちらの方に、貫行は困惑した。
『他にいないだろ。俺達はこいつらを落ち着かせるから、泉美はおまえに任せる。今日はもう、そのまま帰っていい』
そんなこと言われても、と貫行は頬をかいたが、場が異常なだけに、さすがに断ることもできず、今ここに至る。
だからって、お店に入ることもなかったなぁ。
貫行は、いささか後悔していた。
研究室を出てから、すぐに涙こそ止まったものの、泉美はずっとぐずっていた。
そこで、貫行は元気づけてやろうと考えた。
その結果、
『ハンバーガー奢ってやるから、元気出せよ』
と至極安直な提案をしたわけだが、泉美はこくりと頷いた。
どうやら腹ペコだったようである。
店に着くなり、ぐずりながらも、三段重ねのチーズハンバーガーをセットで注文した。泉美の目の前には、どでかいハンバーガーが鎮座している。その小さい口で、どうやって食べるのか、と貫行はいささか興味がわいた。
貫行の期待をよそに、泉美は普通にハンバーガーを手に取り、ちまちまと齧っていった。向日葵の種をかじるハムスターを連想したことは、とりあえず黙っておく。
「で、落ち着いたか」
貫行の問に、泉美は、眼だけ向けて頷いた。
「そりゃ、よかった」
ハンバーガー代は無駄でなかったようだ。
「取り乱して、すいませんでした」
泉美は呟くように言った。
「そんなつもりはなかったんですけれど」
そんなつもりとは、あんなヒステリまがいの衝動的行動のことだろうか。たしかに、意図しての動作とは思えなかったが。
累積した感情が噴火したような、そんな印象を貫行は受けた。
しかし、と貫行は思う。
累積するほどの付き合いは、まだない。たったあれだけのやりとりでストレスを感じ、噴火させてしまうほどのキャパだとすれば、なかなか狭量と言わざるをえない。だが、泉美に関しては、そのようなアブノーマルな性格とは思えなかった。
とすると、今回の騒動とは別に、彼女の心に累積した淀みが存在していたのだろう。研究室での噴火は、そこにちょうど積み重なってしまった、不運な事例。
ハンバーガーを食べて、少し落ち着いたようだが、まだぐずっているのは臨界点を行ったり来たりしているから。
累積された淀みというのはなかなか拭えない。
それは、俗にトラウマと呼ばれるものであり、シャツに着いたコーヒーのシミくらいに、まったくといっていいほど拭えないものだ。
だからこそ、と貫行は、先手を打った。
「むりに話さなくていいよ。いろいろあるだろうし」
会って間もない女子の、そんな底の見ないくらい深そうな暗黒面に触れるのは御免こうむる。
泣き止んでくれたのならば、貫行の仕事は終わりだ。
そろそろお暇したい。
「紀本先輩って、意外と優しいんですね」
しかし、貫行の言動は、まったく別の方向に捉えられた。
「紀本先輩はおかしな人だって、千秋先輩が言っていたから」
あいつには言われたくない。
貫行は、ストローを口にくわえて、オレンジジュースを啜った。
「おかしな人でもないけど、特別優しいわけでもないよ。突然、女の子が泣き出したら、誰でもこうするだろ」
「う、すいません」
おっと、問い詰めてしまった。
泉美は、いつの間にか、ハンバーガーを平らげて、コーラを飲んでいた。
「私、だめなんです。あぁいうの」
「あぁいうの?」
「あぁいう、大声出したり、罵り合ったりするの」
「好きな人なんていないと思うけどね」
まぁ、厭わない人がいることは確かだが。
貫行は若干二名の顔を思い浮かべる。
「喧嘩しても、何にも解決なんてしないのに」
「そういう君も、最初の頃、千秋と喧嘩してなかったかい?」
「あ! あれは、違います! あれは、ただ、訂正しただけです!」
どこが違うのかわからないが、泉美が違うというのであれば、違うのだろう。
貫行は黙って聞き過ごそうとしていたが、泉美自信が矛盾に耐えられなかったらしく、頭を抱えだした。
「あぁぁぁぁっ! 私はまた同じことを、うぅ……」
どうやら、その辺りがトラウマスイッチらしい。
せっかく落ち着いてきたというのに、泉美はまたぐずりだした。
まるで地雷原を歩くかのようだ。
ちょっとした言動で、泉美のトラウマスイッチを踏んでしまう。
面倒だ、と思いつつも放っておけず、貫行はフォローを開始した。
「まぁ、僕が言うのもなんだけど、あれは気にしなくていいんじゃないかな。途中から見ただけだけど、千秋のせいだと思うし」
「そ、それは、そうですけど」
「千秋はわるい奴じゃないと思うんだけど、なんというか、人を苛立たせる才能に溢れているからな」
「そうっなんですよ! あの人、別に嫌いなわけじゃないんですけど、なんていうか、しゃべっていると、イライラ、イライラって。いえ、本当に嫌いなわけではなくて、話してみると、ただもの知りなだけなんですけど」
鬱憤が溜まっていたらしく、泉美は流暢に語った。
ただもの知りなだけ、というのは、かなり険のある表現だと思うけれども。
これでは、千秋への陰口会になってしまうので、一応と、貫行は彼女のフォローを試みた。
「たしかに、千秋は苛立たせ大魔王だけれども、苛立つ方にも責任があると思うよ。もっと聞き流す力を養わないと」
特に千秋の言うことなどは、半分くらいに聞いておけばよいと思う。
ちなみに 貫行は、10分の1くらいしか聞いていない。
「今日のも、白妙が気にしすぎなんだ。あんなの、どっちでもいい話なのに」
「いえ、それは違います」
何気ない貫行のフォローに対して、泉美はきっぱりと反論した。
「あれは、怒っても仕方がありません」
「そうかな?」
「そうです。あれは、千秋先輩がわるいです」
泉美はコーラを両手でテーブルにおいた。
「勝負の世界にいる人に、勝ち負けなんてどうでもいいなんて、そんなこと言っちゃだめなんです」
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