第14話
「くだらない、くだらないと言うものだから、白妙ちゃんが如何に高尚なことをやっているのかと思っていたけれど、勝った負けたのゲームじゃないか。千秋から見れば、こちらの方がよっぽどくだらないね。何の生産性もない、ごくごく矮小な個々の自己満足。そんなものよりも、古来の歌の意味を考察していた方が、まだ有意義だと千秋は思う。あぁ、曲芸としてはなかなか興味深かったかな」
千秋は、しゃべり終えると満足そうに胸を張った。
そして、当然のように静寂が訪れる。
誰もが言葉の意味を理解するのに苦労しているようだった。
いや、理解することを拒んでいるのだろう。仮に理解してしまったら、これから起きるであろう論争に気づいてしまう。
目の前で放たれた弾丸に目を覆ってしまうような反射的行動。
そのくらいのインパクトが、千秋の言葉にはあった。
「は? 今、何て言ったの?」
白妙の声は、存外穏やかであった。
けれども、それは嵐の前の静けさというか、噴火の前の落ち着きであって、白妙の声にはそんな不穏な震えが混じっていた。
そんな不穏を気にするわけもなく、千秋は再度口を開く。
「おや、頭に血が登っていて、理解できなかったかい? さほど難しいことを言ったつもりもないから、一度、頭を冷やすべきだね。それでも理解できなかったら、もう少し国語を勉強した方がいい」
既に臨界点にあるのに、千秋はわざわざ刺激する。
刺激されれば、その後の変化は容易に予想される。
そして、その予想に反することなく、白妙の怒気はあっという間に噴火した。
「ふざけんな!」
端的に表現された怒りは、言葉というよりも思念の塊となって、鈍器のように地面を打った。
「あんたに何がわかんのよ!」
ごもっともだと、貫行は身を竦める。
人様のことに口を挟むべきではない。仮にそう思ったとしても、胸の内に収めておけばいいものを、何故、そんな喧嘩腰でぶっ込んだのか。
「わからないね。白妙ちゃんが、いったい何をそんなに熱くなっているのか。高々、模擬戦で負けただけじゃないか。そんなに熱くなることもないし、落ち込むこともないじゃないか」
「黙れ!」
半ば、自分もそう思っていただけに、貫行は、自らのことのように怒声を受け止めた。
「わからないんなら、黙っておけよ! 私は真剣にやってんだ。模擬戦で負けただけ? 勝負に模擬戦も本戦もない!」
まくしたてる白妙は、目を真っ赤にしながらも怒らせた。
まるで、猫の威嚇のように畳に爪を立てる。
「勝つか負けるか! 死ぬか生きるかなのよ!」
それは言い過ぎだと思う、と思ったけれど、貫行はもちろん黙っておく。
「いや、それは言い過ぎでしょ」
まぁ、千秋という女はお構いなしだ。
「うっさい!」
だよね。
「それくらい真剣にやってんの! それをあんたなんかにとやかく言われたくない! 勝負の世界で生きたことのないあんたなんかに!」
白妙の真剣さはよく伝わってきた。
けれども、貫行にはどうしても共感できない。
それは、千秋も同様なのだろう。
自分の中にないのだ。
勝負の世界で生きたことがない、とは、その通りのことで、ゆえに、貫行達には理解できない。
だからこそ、すれ違う。
両者の価値観が異なるがゆえに、永遠に交わらない平行線の論争。
この不毛な口喧嘩を、さすがに危険と感じて、平野先生が止めに入った。
「おい、その辺にしておけ」
平野先生の介入に貫行はほっとしたのだけれども、それは早とちりであった。介入が遅かったのだ。既に場の温度は沸点を超えており、ちょっとやそっとでは安定しない。
「え? 千秋は当たり前のことしか言っていないのに?」
千秋の無自覚が、引き金となった。
白妙が立ち上がり、千秋に詰め寄ったのだ。
あわてて、辻先生が白妙の方をひっつかんだ。
千秋の方は反応できておらず、きょとんとしていたが、平野先生にぐいと後ろに引かれる。
「あんたなんかにぃ!」
吠える白妙を傍目に見ながら、貫行はどうすべきかと戸惑っていた。
白妙を止める方にまわるべきか? 辻先生だけでは、いささか心もとない。
いや、ここは教師に任せた方がいいか?
現状は、貫行の揉め事解決能力を大幅に超えているため、むやみに口や手を出さない方がいいような気がする。
でも、いたたまれない貫行は、結果としておろおろとしていた。
そのとき、だ。
「やめてぇ!!」
もはや悲鳴にも似た叫びが、騒動を止めた。
まるで時間を止められたかのように、誰もが動けなくなっていた。
本人だけが、一人、静止した刻の狭間で、自らが発した声の残響に唇を震わし、赤い目尻に涙をいっぱいに溜め込んで、その小さな肩を揺らしている。
「やめて、ください」
泉美は、涙声で繰り返した。
「喧嘩はやめてください」
言葉と一緒に流れ出てしまった涙を止めるために、泉美は両手で顔を覆った。隠したことで、安堵したのか、それとも、単純に心の堤防が決壊したのかはわからないが、泉美はついに声をあげて泣き出した。
「もう、嫌だ。こんなの」
絞り出したような泉美の声は、そのまま虚空に消えていく。
未だ、誰も動けないままに、貫行は、泣きじゃくる少女を、ただ眺めていた。
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