第二夜 情報屋の奇特な趣味の巻!
前回のあらすじ。
またも西萩昇汰を取り逃がした舩江と川越。西萩昇汰に西萩縁という名の協力者がいることを知った二人は、西萩縁の情報を掴むべく、とある情報屋を頼ることにしたのだった!
その道路の最奥のビルには天下のアニメイトの看板が掲げられていた。午後十時過ぎだというのにネオンが光り、店頭には「BL専門店」「コスプレ用品」「同人誌買い取ります」といったのぼりが立っている。
ここは某都某場所に ある腐女子ロード。その名の通り腐女子の多く集まるこの街に、場違いな二人は足を踏み入れていた。
「なんか……異様な場所ですね」
川越刑事は先を歩く舩江警部の後ろに隠れるようにして、おどおどと周囲を見回す。腐女子ばかりのこの街で、スーツ姿の成人男性二人は非常に浮いていた。道行く腐女子たちの視線と小さな歓声に晒されながら、舩江は川越を振り返ろうともせずに言った。
「気にするな川越。目を合わせたら魂を抜かれるぞ」
「ええっ!?」
「冗談だ。気にするな」
なぁんだ、冗談ですかぁ。舩江さんでも冗談とか言うんですね、などと川越は呑気なことを言っていたが、舩江の言ったことはあながち間違いでもなかった。
腐女子たちからかすかに聞こえてくるのは「スーツだ……」「腐男子?」「いや、お仕事?」「わんこだ……」「デキてる?」といった不穏な単語ばかりだ。舩江は眉をきゅっと寄せると、目的地へと続く路地へと入っていった。
大通りから一本入ったその路地には「情報屋」とだけ書かれた派手な看板が立っていた。ピンクのごてごてとした看板に電飾が巻き付けられたそれは、一見すると怪しい風俗案内所のもののようにも見える。
その見た目に舩江は一瞬うっと躊躇った後、情報屋の中に足を踏み入れた。
「あっ、舩江警部! お久しぶり――でもないですね! この前ぶりです!」
メガネに黒コート姿で、ガラス張りのカウンターの向こうに座っていたのは一人の腐女子だった。
彼女の名前は島永明日香。舩江警部のよく使う情報屋だ。
「あっそちらの方ははじめましてですね! 私は島永明日香! 気軽に明日香って呼んでくださいね!」
「えっ、はいっ! よろしくお願いします、明日香さんっ!」
「ところでー、あなたって攻めですか? 受けですか?」
「へぇっ!?」
聞き慣れない単語を使われ、川越はたじろいでしまう。その隙に明日香はカウンターから身を乗り出して、マシンガントークを始めてしまった。
「あなたって見るからにわんこ系ですよね! わんこ受けも大いにありなんですが、やっぱりここはわんこ攻めを一押ししたいっ! はっ! ということはもしかして、舩江警部が受け!? まさかっ、新境地! てっきり舩江警部は攻めだと――」
「部下の川越だ。あんまりいじめるな、クソアマ」
「か、川越です!」
緊張した様子で川越は明日香に敬礼をする。それを片手で下ろさせながら、舩江は明日香を睨みつけた。
「クソアマ、情報がほしい」
「はいはい、今日は何の情報ですか? 西萩昇汰? それとも西萩昇汰? それともそれとも西萩昇汰?」
「今日は違う。……西萩縁という名前に聞き覚えはないか」
明日香は一瞬驚いた後に、急に真剣な顔になってずりおちたメガネを持ち上げた。
「……その名前をどこで?」
「この前の事件で本人が言っていた。『助けて縁くん』だそうだ」
声真似をしたつもりなのか、少しだけ声のトーンを上げて忌々しそうに舩江は言う。すると明日香は額に手を当ててため息を吐いた。
「あー、ついにあそこ出てきちゃったんですねえ。てっきりもう少し隠し玉にすると思ってたんですが」
これは一気に怪盗界の勢力図が変わりますよぉ。などと言い出す明日香に、川越はそーっと手を上げて尋ねた。
「あのぅ、西萩縁って何者なんですか? そんなすごい人なんですか?」
「すごいというかなんというか……一言で言うと面倒な方ですね」
「面倒? 敵に回すと面倒ということか?」
「それもあるんですが、とにかく性格が面倒で」
やれやれとでも言いたげな仕草をする明日香に、舩江と川越は顔を見合わせる。
面倒な性格。あの通信から聞こえた限りの印象では確かに面倒そうな奴だった気がする。
「ああでもお二人が聞きたいのはそこじゃないですよね。分かってますよ。西萩縁がどういった怪盗なのか。そうでしょう?」
「……ああ。知ってることを全部話せ、クソアマ」
「その前に報酬ですよぉ、キャッシュでお願いしますね!」
にっこり笑った明日香に舩江は舌打ちをしながらも、鞄に入れていた札束をガラスの下に空いた空間から明日香の側へと差し入れた。
「ひーふーみぃ……はい、確かに! それでは西萩縁の情報についてお話しますね!」
「今は簡潔に頼む。詳細は後日送ってくれ」
「かしこまりました! 西萩縁という人物はですね、簡潔に言えば西萩昇汰のブレインですね。西萩昇汰が実行部隊で、計画を立てるのが西萩縁という二人一組のチームで行動しているんです。……少なくとも今までは」
舩江は座っている明日香を見下ろして尋ねる。
「これからは違うということか?」
「でしょうね。今まで西萩縁は一部の限られた情報屋を除いて、存在すらも秘匿していたんです。だけどここであえて姿を現してきたということは――ここからは二人とも実行部隊になるかもしれませんね」
実行部隊が二人になる。それはつまり、あちらの戦略の幅が広がってしまうということだ。一人を囮にして、もう一人が盗みを働くということもあり得るかもしれない。考え込む舩江を見上げて、明日香は人差し指をピンと立てた。
「ここで一つ、耳寄りな情報があるんですけどね?」
「何だクソアマ」
「あっ、ここから先は別料金です!」
明るく言い放つ明日香に、舩江は再び舌打ちをして、鞄の中に手を入れた。
「……いくら払えばいい」
「やだなぁ、お金じゃないんですよ。私が欲しいのはネタですネタ」
明日香は嫌な笑みをにこーっと浮かべた。
「私、常々舩江警部をモデルにした同人誌出したいなあって思ってて。だから資料用にキスしてほしいんですよね!」
「は??」
舩江は一瞬固まった後、震える指でガラスの向こうの明日香を指さした。
「それは……お前とか?」
「まさか! 川越刑事とですよ!」
それまで蚊帳の外だった川越が飛び上がるようにして肩を震わせ、舩江はゆっくりと言われた意味を理解したのか、十数秒後に明日香を怒鳴りつけた。
「ふ、ふざけてるのかクソアマ!」
「ふざけてないですよぉ。そのために次は二人で来てくださいって言っておいたんじゃないですかあ」
にまにまと笑いながら眼鏡越しに明日香は二人を見比べる。
「ほらほら、キスするだけで西萩縁の耳より情報が手に入るんですよ? どうするんですか、舩江警部ー?」
「ふ、舩江さん、俺、情報のためならっ……!」
「俯くな赤面するな川越! 誰がするかキスなんて! 大体そういうのは恋人同士がするもんだろうが!」
「へぇー、舩江さんって見た目通り堅物なんですね!」
「うるさい、クソアマ! 黙ってろ!」
舩江はぜえぜえと肩で息をして、それから踵を返して、足音荒く店を出ていった。
「帰る!」
「そうですか、残念です……」
残された川越も明日香にぺこりと頭を下げて舩江を追いかけていった。明日香はそんな二人をひらひらと手を振って見送る。
「ではお気をつけてー」
*
日付が変わってからもう何時間も経った頃。もう明け方と言ってもいい時間帯に、明日香はとある路地へと足を運んでいた。
「あ、明日香来た来た、お疲れ様ー」
どこか間抜けにも聞こえる声が物陰からして、明日香はそこへと駆け寄っていく。
「あ、西萩さん、こんばんは! 遅い時間にありがとうございます!」
「こちらこそ。今日は売ってくれる情報があるんだって?」
「はい! 実は件の舩江警部なんですがね、今日私の情報屋にやってきて、西萩さんたちの情報を買っていきました! これから西萩さんたちが二人で実行部隊になることを想定された作戦が取られることになると思います!」
「ふーん、そうなんだ」
大して興味なさそうに、だけど目の奥には楽しそうな光を宿して西萩昇汰は言う。そんな西萩昇汰の肩に顎を置いて後ろから覗きこんでくる人物がいた。
「へぇ、あのお兄さん、君のところの情報買ってるんだ」
「あ、こんばんは、西萩さん! 今日はあなたもいらしてたんですね!」
西萩と呼ばれた二人目の男――西萩縁はむっと顔をしかめた。
「情報屋ちゃんさあ、そうやって僕たち両方を『西萩さん』って呼ぶの止めない? 紛らわしいんだけど」
「えっ、じゃあ『昇汰さん』と『縁さん』って呼びましょうか?」
「は? 何それ気持ち悪い。もっと別のにしてくれない?」
明日香は笑顔を固めて「面倒くさい人だなあ」という内心を悟られないようにした。
「ちょっと縁くん、明日香困ってるじゃん。ごめんね、明日香。今まで通りの呼び方でいいから」
「えー、ちょっとぐらい考えてみてよ。面白いじゃん。ね、昇汰くん? 昇汰くんだって紛らわしいって思ってるよね?」
「そりゃあちょっとは思ってるけどさぁ」
「よ、呼び方ですかぁ……」
明日香は二人の視線を受けながらうーんと考えて、おそるおそる提案した。
「西萩A、西萩Bとか?」
「何それ、村人Aじゃないんだからさあ」
「それよりは西萩一号、西萩二号の方がよくない? 僕が一号ね」
「ちょっと! なんで昇汰くんが一号なのさ! 僕が一号に決まってるでしょ!」
明けかけた空の下でやんややんやと喧嘩が始まってしまう。明日香はしばらくそれを「ケンカップルだ……」とか思いながら見ていたが、このままでは誰かに見つかってしまうと気付いて、二人の間に割って入った。
「ま、まあまあお二人とも。ここはフルネームで呼んでいくということで。ね、ね?」
二人を交互に見ると、ダブル西萩は少し納得いってなさそうな顔で首肯した。
「まあ……」
「それなら……」
どことなく険悪なムードになってしまった二人をとりなすように、明日香は話題を変えることにした。
「それより、お二人に耳よりな情報があるんですけど!」
「耳寄りな情報?」
「はい! ネタをくれたらお教えします。具体的にはお二人でキッスなど……」
「うん、いいよ。はい縁くん」
「は? んぐっ……!」
西萩昇汰はすぐ後ろに立っていた西萩縁の胸倉を掴むと、西萩縁が制止する暇もないほど素早く彼の唇を奪った。
「はわー! なんて潔い!」
「ん? これでいいんでしょ?」
「ちょ……っと昇汰くん何すんのさ!!」
胸倉を掴まれたままだった西萩縁が、西萩昇汰の手を振り払って距離を取る。そして唇を袖でごしごしと拭いながら、昇汰を睨みつけた。
「なんで? だってキスするだけで、情報貰えるんだよ? お金要らないんだよ? だったら縁くんだってキスするんじゃない?」
西萩縁は意外とケチなのだ。
「そ……れはそうかもしれないけど! 一言あってもいいでしょ! あーびっくりした!」
「そっか、ごめんね」
「ごめんって思ってないよね!?」
「それで明日香、耳よりな情報って?」
食いかかってくる西萩縁を無視して、西萩昇汰は明日香に尋ねる。明日香は二人に胸を張って答えた。
「さっきも言った通り今日は舩江警部にも情報を売ったんですけどね――お二人の見た目がそっくりだって情報は売れなかったので舩江警部は知りません!」
その情報に二人は顔を見合わせると、同じ顔でにまーっと笑いあった。
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