仲良しダブル西萩シリーズ
仲良しダブル西萩と金の無心
僕の趣味は熱帯魚の飼育だ。僕の自宅のリビングにあるその水槽には、ささやかではあるが鮮やかな熱帯魚たちが悠々と泳いでいる。僕は暇なときはそれを眺めているし、頻繁に水も替えてやって結構大事にしているつもりだ。
ところで、熱帯魚の水槽は意外と汚れが溜まりやすい。最低でも二か月に一度ぐらいは全て水を抜いて、底砂を洗ってやる必要がある。今日はそんなカレンダーにもわざわざ丸をつけた水槽を洗う日だった。
袖と裾をまくり、濡れてもいい服装になって、僕は半分水を抜いた水槽をシャワールームまで持っていった。熱帯魚たちを一匹残らず他に用意しておいたバケツに入れてやって、かなりぬめりが溜まってしまった底砂を水で洗い始める。
しゃがみこんでがしゃがしゃと音を立てて砂を洗うのは我ながらなんとも不格好なものだとは思うが、誰にも見られていないのだから別にいいだろう。誰かに見られたら、もう舌を噛み切って死ぬレベルで嫌だけど。まあ、そうなったら死ぬより先に殺すけどね。
鼻歌でも歌い出しそうな気分で砂を洗っていると、突然背後から小さな水音が聞こえてきた。嫌な予感がしてバッと後ろを振り向くと、洗面所の床にバケツから跳ねてしまった一匹の熱帯魚がぴくぴくと痙攣していた。
「あーもう! 外に出ないでよ!」
両手で潰さないようにそっと掬い上げてやって、水の中に戻してやる。熱帯魚は外に出たことなんか忘れてしまったような顔ですいすいと泳ぎ始めた。
「床が濡れちゃったじゃんー……まあ仕方ないけど」
水を拭くのはまたあとでいいだろう。どうせまだ手も濡れてるんだし。そう思って洗いかけの水槽に目を戻したその時、はるか遠くの玄関の方から大声が響いてきた。
「縁くんいる!?」
いるけどお前にここ教えた覚えはないんだけど。
聞き覚えのある声に極限まで顔をしかめ、返事をしなければ諦めて帰ってくれないかなあと思いながら水槽に手をかける。
「縁くーん! おーい!」
だんだんとこちらに近付いてくる足音に気付かないふりをしながら、僕はもう一度水槽に水を入れる。だけどそれが悪かったらしい。水音を聞きつけた昇汰くんはシャワールームの扉を音を立てて開けた。
「あ、いるじゃん! 返事してよー」
「……何しに来たの。帰ってくれる?」
我が物顔でずかずかと入ってきた昇汰くんからさりげなく熱帯魚たちを庇いながら、僕は昇汰くんを睨みつける。すると昇汰くんはにやーっと嫌な笑みを浮かべて僕を見た。
「あのね、お前にお願いがあるんだけど」
お願いがあるならお前とか言うな。
内心で突っ込みながらも、こいつのお願いとやらには少し興味が湧いていた。上手くいけば憎たらしいこいつに恩を売ることができるかもしれない。僕はそんな打算を込めて「何?」とだけ言ってやった。すると、昇汰くんは僕に両手を突き出してにっこり笑いかけてきた。
「縁くん、お金貸して!」
「は?」
「あ、間違えた。返す当てもないからお金ちょうだい!」
「はぁ??」
突然突拍子もないことを言い出した昇汰くんを威嚇するために睨みつけて――昇汰くんが一切怯む様子を見せないので諦めて僕は水槽の掃除に戻ることにした。正直こいつにこの姿を見られるのも腹立たしいが、放置して魚たちが不自由な思いをするよりはずっとマシだ。僕ってこの子たち相手に限っては仏のように優しいんだよね、実際。
「お金って……昇汰くんバイトしてなかったっけ」
わしゃわしゃと砂を洗いながら聞いてやると、昇汰くんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「してるよ?」
いつ見ても腹が立つ顔だ。なまじ認めたくはないが自分とそっくりな顔だけに苛立ちは倍増する。
「じゃあなんでお金ないの」
「パチンコと競馬ですっちゃった!」
「相変わらず昇汰くんは清々しいクズだね!」
「そんなに褒めないでよー」
満面の笑みで答え、頭を掻いて照れ始めた昇汰くんに、僕は「褒めてない」と言うのも馬鹿らしくなって、水槽の汚れた水を出して、新しい水を入れてカルキ抜きを投げ入れてやる。
そうだ、来てしまったものは仕方ない。こいつにも水槽の掃除を手伝わせよう。
「昇汰くん、ちょっとそっち持って」
「え?」
「だから水槽運ぶから手伝って」
半分だけとはいえ水を入れた水槽を運ぶのは骨なのだ。人手があるのなら使い潰すのが僕の信条なのだから、憎きこの男相手でもそれは適用される――はずだ。
昇汰くんは戸惑いながらも素直に水槽に手をかけて、僕たちは二人で一緒に水槽を運び始めた。
「落とさないでよ。落としたら今度こそ絶交してやるから」
「ええー、それは困るなあ。僕、縁くんのこと嫌いだけど数少ない友達だもん」
「は? 誰が誰の友達だって?」
「ああ、違った違った。縁くんは熱帯魚だけが友達だもんね」
「うるさい、それの何が悪いのさ」
忌々しい軽口を叩きながら僕たちはリビングまで水槽を運び終わる。
「せーのっ」
定位置の低い棚の上に水槽を持ち上げて乗せる。昇汰くんが雑な置き方をしたせいで、水槽の中の水は派手に揺れた。
「ていうか昇汰くん、僕じゃなくて彼女に頼めばよかったじゃない。いたんでしょ、金づる」
「んー、なんか最近別れちゃった」
「馬鹿なの?」
「えへへ」
照れるなうざい褒めてない。
飛び出かけた言葉をぐっと飲みこんで、僕はシャワールームに置き去りにされていたバケツを取りに戻っていった。
「他にバイト増やせばよかったじゃない」
「それが家賃の支払いが明後日で……」
「そういうのって頼めば一ヶ月ぐらい待ってくれるものなんじゃないの?」
「もう二か月滞納してて……」
「馬鹿なの? 本当に馬鹿でしょ?」
バケツを取って、リビングに戻り、カルキが溶けたのを確認した僕は水槽の中に魚たちを戻してやった。魚たちはぐったりした様子もなく、元気に泳ぎ始める。よしよし、やっぱりこいつらだけは本当に僕の言うとおりになってくれるから大好きだ。
「だからお願い! お金ちょうだいよ、縁くんー!」
「なんで僕がお前にあげなきゃいけないのさ。他を当たりなよ」
「どうせ使い切れないほどたくさん持ってるんでしょ!?」
「たとえそうだとしてもお前にだけはあげないね。それぐらいだったら慈善団体に寄付するよ」
「縁くんのケチ!」
「ケチだよはいはい」
水道で手を洗い、タオルで手を拭いている僕の周りに昇汰くんは鬱陶しくも纏わりついてくる。しがみついてきそうなほどのその勢いに、僕はうんざりしながらリビングに戻り、仕事用の椅子にどっかりと座った。ふかふかの椅子は僕の体重を優しく受け止めてくれる。ああもう、どうして休日なのにこんな奴の相手をしなきゃいけないのか。神様なんてクソ喰らえと普段は思ってるけど、今日に限っては神頼みもしたいし、叶わないのなら神を呪いたい気分だ。
僕は背中を丸めながらはぁーっと大きなため息をついて、じろっと昇汰くんを見上げた。
「……で?」
「へ?」
「お金欲しいんでしょ? だったら当然対価が必要だってことは分かるよね? 仮にも高校は出てるんだもんね?」
「だ、大学留年してないよ!? 単位も足りてるし!」
「そんなことは今聞いてない」
僕は顔を上げて背もたれに体を預けると、机の表面を指で叩いてやった。
「だから、対価だよ対価。お前に金と交換できるものがあるって言うの?」
「対価……」
昇汰くんは考え込み、すぐに顔を上げて机に手を置いて身を乗り出してきた。
「無理だよ縁くん! 僕、今一文無しだし、売れるものは全部売っちゃったんだもん!」
「彼女に貰ったブランドものの時計とかは?」
「全部今は質屋にあるよ! ていうか貰った直後に売った!」
「本当にクズだね。本っ当にクズだね」
二回言ってやると、流石に責められていることに気付いたのか、昇汰くんはぐっと言葉に詰まった。
「じゃあその……僕の体とか?」
「は? お前の体を欲しがる奴なんてどこにいるっていうのさ」
「僕もそう思う……」
泣きそうな顔で昇汰くんは肩を落とす。その様子に同情したわけではないが、僕はふとあるアイディアが頭の中に浮かんできた。
「じゃあこうしよう。僕が昇汰くんを雇う。昇汰くんがお仕事をしたら僕はお金を払う。これでどう?」
昇汰くんはパッと表情を明るくして、また僕に体を乗り出してきた。
「いいの!? 本当に!?」
「いいよ、僕と昇汰くんの仲じゃないか」
「やったー! 縁くん大好き!」
「うわ、気色悪い。嘘でもそんなこと言わないでよ」
「うん僕も思った。大嫌いだよ縁くん」
ペッと地面に唾でも吐きそうな顔で昇汰くんは言う。その百面相具合がちょっとだけ可笑しくなった僕は、上機嫌で机の中から一枚の紙を取り出した。
「はいこれ」
「何これ」
「何って地図だけど」
「それは見ればわかるけど」
地図を受け取って首をひねる昇汰くんに、僕は笑い出しそうなのを堪えて言ってやった。
「いやね、明日僕のファンがそこにお礼参りに来るらしくてね。わざわざ呼び出すなんて馬鹿なのかなあとは思うけど無視して悩みの種を増やすのもあれじゃない? だから僕の代わりに行って――死んできてほしいんだ」
あっけらかんと言ってやると、昇汰くんはきょとーんと目を瞬かせた後、流石にまずいということに気付いたのか、僕に食ってかかってきた。
「ええー! 嫌だよ僕そんなとこ行くの!」
「は? 僕はお前に死んでほしくて、お前は僕の金が欲しい。ちゃんと等価交換の賭けじゃないか。死ぬかもしれないけど」
「死ぬのは別にいいけど、縁くんのために死ぬのが嫌なんだよー!」
ぷんぷんとか擬音がつきそうな仕草で昇汰くんは怒る。仮にも成人男性なんだからそういう仕草は止めてほしい。いや本当に、本当に止めてほしい。
「ほら、これあげるからさっさと帰ってよ」
引き出しの中から銃弾の詰まったコルトガバメントを出して、ごとりと机の上に置いてやる。昇汰くんはそれを持ち上げて、泣きそうな顔で僕を見た。
「こんなのの使い方なんて知らないよー……」
「うるさい、ググれ!」
机をバンと勢いよく叩いてやると、昇汰くんはびくりと肩を震わせた。
「このまま飢えて野垂れ死ぬのと、明日死ぬ思いをしてくるの、どっちがいいのさ」
ばちりと昇汰くんと僕の視線がかち合う。昇汰くんはじっと僕を見た後、視線を泳がせ、それからうーんと考え込んで、肩を落とした。
「分かったよ……行ってくるよ……」
とぼとぼと部屋から出ていく昇汰くんに僕はひらひらと手を振ってやった。
「ばいばい昇汰くーん。ちゃんと死んできてねえー」
翌日の深夜、僕は前日の疲れで事務所を臨時休業にして自宅で熱帯魚を見ていた。ああもう本当にこいつらだけだよ、僕の心を癒してくれるのは。適量だけ餌を入れてやると、熱帯魚たちは素直に水面に餌を食べにくる。僕の周りは本当に無能だらけで信頼できる奴なんて一人もいないから、この時間だけが僕の休息時間というやつだ。
しかしそんな平穏も遥か遠くの玄関が蹴り開ける音によって破られてしまった。
「縁くんいる!?」
いないよ。全然いない。僕は息を潜めて熱帯魚と向かい合っていたが、声の主はずかずかとリビングへとまっすぐに歩いてきてしまった。
「あ、いたいた! また熱帯魚とお話してたの? 本当に寂しい奴だね」
「うるさい黙ってなんで生きてるの昇汰くん」
一息で言ってやると、昇汰くんはにこーっと僕に笑いかけてきた。
「なんかどうにかなっちゃった!」
「は?」
「はいこれ返すね!」
「え? ああうん」
咄嗟に受け取ったそれは、昨日昇汰くんに渡した拳銃だった。若干軽くなっているのを見るに、中身は無くなっているようだ。
「いやー火事場の馬鹿力って本当にあるんだね! 僕びっくりしちゃった」
「僕の方がびっくりしてるんだけど。僕、確かに死んできてって言ったよね?」
「死にもの狂いでなんとかしたらなんとかなっちゃったんだもん。仕方ないでしょー。それより……」
昇汰くんはちょっと汚れた両手を僕に差し出してきた。
「約束だよ! お金ちょうだい!」
僕はそれを呆然と見つめた後、頭をがしがしと掻いて唸った。
「あー……分かった、分かったよ、払うからさっさと帰ってよ」
「やったー! 縁くん大好き!」
「そう、僕は大嫌いだけどね」
我ながら律儀だとは思うが、契約を果たした奴には契約通りの報酬を渡す。それが僕の性分なのだから仕方ない。
僕は拳銃を引き出しにしまいなおしながら大きくため息を吐いた。
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