人でなし西萩とプロトタイプ
西萩は人畜無害な男だ。正確には人畜無害に見えるだけであって、なかなかに外道だったり人でなしであったりするのだが、それでも西萩から靄のような悪感情を感じるのは稀だった。
こいつが視えるほど苛立つ時なんて、それこそ昼食のカレーうどんが食べられなかった時ぐらいなものだ。
――のはずだったのだが。
「あれぇ、昇汰くんじゃん」
「げ、縁くん」
二人で聞き込みをしている最中に西萩はとある男に声をかけられた。西萩に「ゆかり」と呼ばれたその男は、西萩と同じで特に特徴のない男だった。ミディアムぐらいの真っ黒な髪に、大きめなのに死んだ目、着ているのも西萩と同じようなくたびれたスーツで、隣に並んで立つと、まるで兄弟か双子のように見える。
血縁者だろうか、と西萩に目をやったその時、俺は「うっ」と口元を押さえて後ずさってしまっていた。
「どうしてここにいんの。縁くんの事務所、この辺じゃなかったよね」
見たこともないほどの悪感情を西萩が纏っていた。口調にも険悪なものが滲み、常にへらへらと笑っているはずの顔は嫌悪で歪んでいるようだ。
「なんか昇汰くんの相談所、最近好調みたいじゃん? ちょっと冷やかしにきたんだよね」
対する縁という男は、いつもの西萩のようにへらへらとした笑みを浮かべている。だけどこちらも悪感情を抱いているのは同じようで、体中に黒い靄を纏っていた。だがそれだけにしては靄が濃すぎる気がする。これは、誰かに恨まれているのか――?
「帰って」
「嫌だ」
「帰れ!」
「やだね!」
俺はまるで子供のようなかけあいをしている二人から距離を取ろうと足を動かしたが、その直後に西萩に手首を掴まれて引っ張られ始めた。
「行こう、舩江!」
足音荒く歩き去ろうとする西萩の後ろを、軽く走りながら縁はついてくる。
「待ってよ、昇汰くんー」
「なんでついてくんの!」
「えーその方が面白いじゃん」
「僕は面白くないんだけど!」
しかめっ面で叫ぶ西萩を通り越して、縁は俺たちの前に立ちふさがった。自然と西萩は立ち止まり、目の前の縁を睨みつけることになる。
「何」
不機嫌そうに唸る西萩に一切気圧されることなく、縁は笑みを深める。
「知ってるぞー。昇汰くん、君、幽霊とか妖怪とか大好きな事務所やってるんでしょ」
「……だったら何」
「実は困ってる幽霊さん、僕見つけちゃってさあ」
数日後、事務所近くのファミレスで俺たち三人は同席していた。西萩と縁は正面で向かい合い、互いに無言のまま貧乏ゆすりをしている。鏡合わせのようなその図はどこかおかしくもあったが、そんなことを言うべき時ではないことぐらい俺にも分かる。
「ご注文をお伺いしまーす」
「ドリンクバーで」
「チョコレートケーキ一つ」
「あ、僕もそれで」
便乗して注文した縁を、西萩はキッと睨みつける。縁はそれを睨み返し、店員が去った後、二人は再び沈黙したまま向かい合っていた。
「ていうか縁くんさあ」
とんとんと指で机を叩きながら西萩は沈黙を破る。
「なんでまだ生きてんの? この前警察沙汰になってたよね?」
「昇汰くんこそこの前女に刺されてたくせに。さっさと死ねばいいのになあ」
「あ?」
「あ?」
人畜無害そうな顔を歪めていがみ合う二人を見て、二人の上に渦巻く悪感情を見て、逃げ出したいのを堪えながら俺はついどうでもいいことに気をやってしまう。
ていうか――刺されたのか、お前。
努めてそのことを考えないようにしながら、俺は震える指で縁を指さした。
「西萩、こいつは……」
「西萩縁。僕のいとこ」
「縁です。仲良くしようね!」
「チッ、ぶりっ子が……」
舌打ちする西萩だなんて初めて見た。ついでにドスのきいた声で毒を吐くのも初めて見た。
「なんかさ、僕と同じで事務所やってるらしいよ。復讐代行なんだってさ」
「……は?」
「復讐だよ復讐。依頼人からさ、恨みを聞いて、代わりに復讐するんだよ」
西萩は平然とそう言うと、足を組みなおした。普段はそんな仕草絶対にしないくせにその姿は妙に様になっていて、こいつ本当はこっちが本性なんじゃないのかとすら思えてくる。
「復讐する前に毎回恨みに爆笑してからやるんだってさ。性格悪いよね~こいつ」
「昇汰くんに言われたくないんだけど。お兄さんも大変だねえ。こんな奴が同僚なんていつも胃が痛いでしょ」
西萩を指さしながらしみじみと言われ、俺は何も言えず押し黙る。西萩は鋭い目で責めるようにちらっと俺を見た後、縁に何かを言い返そうとし――その瞬間、鳴ったスマホに意識を持っていかれたようだった。
「ちょっと電話出てくる」
「待て西萩俺も」
こんなところに置いていかないでくれと暗に訴えるが、西萩はそれに気づいた様子もなく席から離れていってしまった。
「一緒に行こうとするなんて、お兄さんたち仲良しですね。もしかして学生時代ツレションとかしたタイプ?」
にこにこと笑う縁には嫌な気がべっとりと張り付いていて、まるでヘドロのようだ。依頼でさえなければ今すぐここを立ち去っているところだが――依頼人との間を取り持ってくれるというのなら仕方がない。ここは我慢するしかない。
顔色がどんどん悪くなっているであろう俺を、縁はテーブルにべたっと張り付いて見上げてきた。
「あ、お兄さん、なんでこんなに僕たち仲悪いんだって思ってるでしょ」
「思ってない」
「またまたぁ、特別にお兄さんにだけ教えてあげるね。実は僕と昇汰くんって、家が近かったからよく一緒に遊んでたんだけどさ」
「聞きたくない」
「僕、その頃仮面ライダーにはまっててさ。あいつの家でもそのフィギュアで遊んでたんだけど、あいつそのオモチャの首へし折りやがってさ」
「それの前に僕の怪獣フィギュア壊したのは縁くんでしょ!?」
さっさと話を終わらせたのだろう。西萩は戻ってきた途端に俺たちの会話を聞き咎め、縁に突っかかっていった。俺はその隙に席を立った。
「ドリンクバー行ってくる」
アイスコーヒーとついでにダブル西萩の水を持って戻ってみると、西萩たちの頼んだケーキが来たところのようだった。二人はウェイターの女性をにこやかに見送った後、すぐに元の剣呑な雰囲気に戻った。
俺は自分の席に座りながら、そっと西萩たちの近くに水を寄せた。西萩たちはそれを見もせずに引き寄せ、一口、二口、水を飲んで息を吐いた。
その表情からは若干険しいものが取れたようで、やっと冷静になってくれたかと俺は安堵する。依頼の内容について聞き出そうと、俺が口を開きかけたその時、先んじて西萩はケーキの端をつつきながら何でもないようなことのように言った。
「それにしてもその汚い顔でよくも僕たちの前に出てこられたよね。見てよ舩江ったら真っ青になってるじゃん」
――俺に振るんじゃない。
「はぁ? お兄さんが真っ青になってるのは昇汰くんが依頼人に失礼なことばっかり言ってるからでしょ。ねー、お兄さん?」
――だから俺を巻き込むんじゃない!
二人は目も合わせないままチョコレートケーキを口に運んでいく。
「はー? どうせ今回の幽霊だって縁くんが原因で死んだ奴なんじゃないの? ひっどいことするよねえ」
「まさかぁそんなことするわけないじゃん。僕はただ自殺しやすい場所に自殺しやすい人を配置することしかしてないって。願望をかなえてあげてるんだからこれって慈善事業じゃん?」
「まったくこの人でなしはこれだから」
「昇汰くんの方が人でなしでしょ。人の心どこに置いてきたのお前」
「僕のどこが人でなしだって言うのさ。僕ほど人畜無害な人間もそうそういないよ! ねえ舩江?」
急に振られて、ストローで吸い込みかけていたコーヒーを逆流させてしまう。咳き込む俺だったが、二人の西萩が見つめてくるのを見て、唸りながら誤魔化すことにしかできなかった。
「ほら、お兄さん言葉に詰まったあー。お前、自分が人でなしだってそろそろ自覚した方が世のため人のためだって!」
「はぁ? 僕のどこが人でなしだっていうのさ! 言えるものなら言ってみてくーだーさーいー!」
「人でなしじゃなかったら女に刺されたりしないでしょ」
簡潔に正論を述べられ、俺は心の中だけで深く頷く。
「はーー? 清廉潔白に生きてる僕に対してなんてこと言うのお前! 女に刺されるぐらい生きてたら普通に一度ぐらいあるでしょ、ねえ舩江!」
再び話を振られて俺は目を逸らした。興奮で立ち上がっていた西萩はそれを見てちょっと落ち着いたらしく、数秒立ち尽くした後、素直に着席した。
西萩は食べ終わったケーキについていたフォークを弄びながら縁に尋ねる。
「ていうかさ、縁くんなんで僕が刺されたこと知ってんの。気持ち悪いんだけど」
「え? 知ってるに決まってんじゃん。僕とお前の仲なんだから」
「はぁ?」
「昇汰くんを刺したのって、KHちゃんでしょ? あの大学の同期の髪の長い」
「……そうだけど、だからなんでお前がそんなこと知ってんの」
苦々しい表情の西萩に、にぱっと笑って縁は答えた。
「あれ仕組んだの、僕」
「は?」
「だーかーら、僕が昇汰くんの家の情報売ったんだって」
西萩はその瞬間完璧に動きを止めた。考え込んでいたのか、それとも言葉を飲み込むのに時間をかけていたのかは分からないが、数秒後、西萩は突然目の前の水の入ったグラスを掴みとり、縁の顔にぶちまけた。
「あーごっめーん! 手が滑っちゃったあ!」
大声で嘯く西萩をぎょっとしながら見る。縁は一瞬だけきょとんとした後に、満面の笑みになって西萩の顔面に水をぶちまけた。
「ごめんごめん! 僕も手が滑っちゃったよ!」
二人とも立ち上がり、そのまま取っ組み合いの喧嘩になりそうなのを、西萩の肩を掴んで必死で押さえこむ。
「おい、西萩縁!」
「はいはい何ですか、お兄さん?」
「お前、俺たちに依頼人の仲介をするために来たんだろう! さっさとそっちの話に入ってくれ!」
すると縁は「あーあれね」とか言いながら能天気に笑った。
「嘘に決まってるじゃんそんなの。僕、幽霊見えないんだから当然でしょ?」
「帰れーーーーー!!」
西萩の絶叫が店内に響く。店員と客全員の視線を受けながら、西萩縁は軽い足取りで去っていった。
文字通り嵐が去った心地で俺はなんとか西萩を落ち着かせて座らせる。西萩はしばらくフォークをいじりながらあいつへの呪詛を唱えていたが、ふと何かに気付いたらしく、椅子を蹴って立ち上がった。
「あ!!」
「あいつケーキ代払わずに帰りやがった!」
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