人でなし西萩の監禁動機

 風邪を引いた。しかもかなりひどい風邪だ。

 最近色々あって霊的な意味で衰弱していたところに、どこかから風邪を貰ってきてしまったのが原因だろう。頭は心音と同じリズムでずきずきと痛むし、寝る前は軽い痛みだった喉も今では声を出すのも辛いぐらいになってしまっている。

 俺はなんとかベッドから立ち上がると、買い置いてあった市販の風邪薬を出してきて、水なしに噛んで飲みこんだ。体感では熱もかなり高そうだから本当は医者に行くべきなんだろうがそれすらも億劫で、俺はふらつきながらもベッドに戻り、布団の中にもぐりこんだ。

 ああ、そうだ。事務所に一応連絡を入れないと。枕元のスマホを取り、LINEを起動する。西萩のトーク画面に行き、文面を考えているうちに急激な眠気が襲ってきて、俺は気絶するように目を閉じてしまっていた。


 目を覚ますと、俺は天井を向いていた。寝入った時にはうつ伏せで丸まるように寝たはずだったが、今は仰向けになっている上に、ちゃんと布団もきれいにかけてある。ついでに額にはひんやりとした感触があり、どうやら冷えピタが貼ってあるようだ。

「……え」

 天井をぼんやりと見ながら間抜けな声を上げると、がさごそとビニール袋の音をさせながらベッドに近付いてくる人物がいた。

「あ、起きた?」

「西萩……?」

 首だけを動かしてそちらを見ると、いつも通りの笑みを浮かべた西萩がこちらにやってきたところだった。

「なんでここに……」

 痛む喉を動かして尋ねると、西萩は新しい冷えピタを箱から出していた手を止め、自分のスマホを取り出した。

「え? だって舩江、こんなLINE送ってくるんだもん。心配になって見に来ちゃったんだよ」

 差し出されるままに見てみればそこには「風邪d」とだけ書かれた俺のメッセージがあった。その後には五通ほど続く西萩の心配のメッセージが。どうやら途中送信してしまったようだ。

「こういう稼業だし万が一の時のために合い鍵は預かってあるしね。悪いけど勝手に上がらせてもらったよ」

 額から勢いよく冷えピタが剥がされ、新しいものが貼りなおされる。俺はその冷たさに目を細めながら、右手で額を触ろうとした。

 じゃらりと鎖がこすれるような音がした。

「は」

 右の手首に手錠がはまっている。それも子供用のおもちゃの手錠ではない。何かのプレイ用か、警察の持つ本物の手錠のようだ。

 俺は混乱で一瞬固まった後、がばりと体を起こした。熱のせいで体の節々が痛むが構っていられない。右手の手錠を引くと、手錠から繋がった鎖の先は、ベッドの支柱に別の手錠で固定されていた。

 なんだこの状況は。俺は風邪で寝ていて、そこに西萩がただ看病をしにきただけのはずだ。他にこの家に入った人間がいないとすれば、こんなことができるのは一人だけ。俺はゴミ箱に古い冷えピタを捨てに行っている西萩の後ろ姿を睨みつけた。

「西萩、これはなんのつもりだ」

 立ち上がり、手錠を見せようとする。しかし鎖は思いのほか短く、俺は鎖に引き戻されてベッドに尻餅をついてしまった。

「何って……手錠だけど?」

 振り返った西萩が心底不思議そうに答える。俺は苛立って手錠の鎖を引っ張りながら声を荒げた。

「外せ!」

「やだよ。外したら看病させてくれないでしょ」

 平然とそう言う西萩に言葉を失っていると、西萩は機嫌よさそうな表情でにっこりとこちらを振り向いてきた。

「それよりスーパーでおかゆのもと買ってきたんだ! 今温めるから待っててねー」

 西萩がドア一つ挟んだキッチンの方に行ってしまったのを確認すると、俺はなんとかこの手錠が外れないか力を込めて引っ張り始めた。勢いよく何度引いても、鎖も手錠も緩む気配はなく、指をかけて開こうとしてもびくともしない。

 焦った俺は辺りを見回し、ベッドから離れた場所にある机に手錠の鍵らしきものが放置してあることに気がついた。俺は中腰になって手を伸ばし、なんとか鍵を掴めないか試みる。しかしどうしても届かない。五分ほど格闘しているうちに、西萩はおかゆの入った皿を持って戻ってきてしまった。

「あーもう駄目だよ舩江。風邪なのに立ち上がったらー」

 西萩は近寄ってくると、片手で俺の胸をとんと押してベッドへと戻してしまった。再び立ち上がろうとした俺だったが、その前に西萩はおかゆを俺の膝の上に置いて、スプーンを握らせてきた。

「ほらおかゆ作ったよ、食べて食べて」

 にこにこ笑う西萩は普段と全く変わらないように見える。しかし自分が手錠で繋がれているというのは事実で、俺は渡されたおかゆを睨みつけるように見下ろしていた。

「どうしたの? あーんしたげたほうがいい?」

「あ?」

「わわ、冗談だよ。怒らないでったら」

 ぶんぶんと首を横に振る西萩はやっぱり普段の西萩のようで、大体事情を察してきた俺は、とりあえず目の前のおかゆを片付けることにした。

「思い出すなー。大学時代の彼女にもこうやって看病してあげたんだよ」

 素直におかゆを口に運び始めた俺に満足したのか、西萩は俺から少し離れて床にあぐらをかいて座り込んだ。

「僕の家でこうやって看病しようとしたら泣き叫んじゃうし、トイレに行くって言うから手錠外したらそのまま逃げちゃったんだよね」

 西萩はぷーっと頬を膨らませた。

「そんなに僕の看病が嫌だったのかなあ。傷つくなあ」

 成人男性がしていい仕草ではないと突っ込もうとしたが、それももう面倒なので俺は何も答えないままおかゆを食べ続けた。

「ごちそうさま」

「はい、お粗末様でした」

 食べ終わった皿を渡すと、西萩は嬉しそうにそれを受け取り、キッチンへとそれを置きにいってしまった。

 西萩の様子を見るに、どうやら監禁そのものに興味があるのではないようだ。唐突に病んでしまった顔でもない。とすれば、可能性は一つ。

 これから行わなければならないことに、俺は片手で頭を抱えてため息を吐く。

 そう、あいつを扱う時は、感情的にならずに一つ一つ噛み砕いてやるのが一番なのだ。風邪でクソだるい時にこんなことさせやがってとは思うが仕方ない。仕事とはいえこいつと付き合っていく以上はこれは避けられない手順なのだから。

「おい西萩」

「なーにー、舩江ー?」

「ちょっと話がある」

 キッチンから西萩を呼び戻す。戻ってきた西萩は出たごみを片付けるのに夢中のようで、こちらを向こうとはしなかった。

「西萩、どうして俺を手錠で繋いだんだ」

「看病するためだよ、舩江風邪ひいてるんだもん」

 話が通じない。だがここで諦めたらだめだ。俺は我慢強く西萩に繰り返し問いかけた。

「なんで看病に手錠が必要なんだ」

「え? だって看病する時って手錠するものでしょ?」

 不思議そうな顔で西萩が振り返る。その表情は無防備で、裏の意図はないように見えた。

 ――ここか。

 動機の在処を確信した俺は、重ねて西萩に尋ねた。

「どうして『看病する時、手錠をする』だなんて思ったんだ?」

「母さんが言ってたんだ。風邪ひいてるのに動き回ったらベッドに手錠で繋いじゃうからね! って」

 話はそれだけー? とか言いながら西萩はおかゆと冷えピタのゴミを片付け終わる。俺はふつふつと腹の底から湧いてくる怒りを押し殺し、努めて冷静に西萩の名前を呼んだ。

「西萩」

「んー?」

「ちょっとそこに座れ」

「へ?」

「正座だ」

 強い口調で言ってやると、西萩は慌てて俺の前に近付いてきて、素直に正座をした。その表情は怒られる寸前の子供のように強張り、本当にこいつには自覚がないのだと分かった。

 俺は西萩を見下ろしながら、一語一語丁寧に宣告した。

「いいか西萩。これは、立派な、監禁罪だ」

「…………へ?」

「監禁だ監禁。どうやって書くか知ってるか」

「え、咄嗟には書けないかも……」

「奇遇だな俺もだ」

 適当に返事をしてやると、西萩は「かんきん……」と言葉を繰り返し、ゆっくりとそれを飲みこんでいるようだった。考え込んでいた西萩はばっと顔を上げると、焦った顔で弁明してきた。

「で、でも舩江、母さんは風邪の時は手錠で繋ぐって……」

「それは言葉のあやだ」

「でも双方同意の上でやってるから……」

「俺は同意してない」

 険しい顔で睨みつけてやると、西萩は徐々に顔色を悪くさせ、急に慌てて俺の手錠に手をかけてきた。

「ごめん舩江! 今外すね!」

 たどたどしい手つきで手錠を外され、俺は痛む手首をひらひらと振った。そんな俺の前に、西萩は自主的に正座していた。

「ごめん、本当にごめん……警察に通報してくれていいから……」

 そう言いながら西萩は子供のようにしゃくりあげて泣いていた。そんな様子に俺はただでさえ痛い頭がさらに痛む思いがして、天井を仰いだ。

 あークソ、こいつはマトモに見えてこういう突拍子もないことをする傾向があるからな……。でも、本人には全く悪気はないんだろう。苦虫を噛み潰した思いで俺は西萩に声をかける。

「誤解が解けたならそれでいい」

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