人でなし西萩とアイノさん

 西萩には「アイノさん」という知人がいるらしい。

 俺が最初にアイノさんに出会ったのは、夜の横浜だった。その日は紆余曲折あって西萩と一緒になって横浜の海岸線辺りをドライブしていたのだが、そろそろ帰ろうとなった辺りで西萩が路肩に停めてある外車を見て目を輝かせたのだ。

「あっ、舩江! 戻って戻って!」

「は?」

「いいから早く!」

 一日中運転させられて疲れ果てていた俺は、かなり機嫌が悪い視線を西萩に向けたのだが、当の西萩はまるで子供のような顔で通り過ぎた件の車を見ている。

「なんだお前、車オタクか何かだったのか」

「車は男のロマンでしょ! いや、そうじゃなくて、あれ多分僕の知り合いの車だからさ」

 今にも扉を開けて駆け出しそうな勢いの西萩を見て、かなり親しい知り合いなのだろうと当たりをつける。別に戻らなくてもよかったのだが、そこで意地悪をするほど人間として腐っていないつもりだし、何より少し車を停めて休憩したい気分だったからちょうどいいと思ったのだ。

 かくして俺たちは今来た道をUターンして、その知り合いの車のところまで戻ってきた。車のナンバーを目視した西萩は嬉しそうに声を上げた。

「やっぱり! アイノさんの車だ!」

「……アイノさん?」

「僕がめちゃくちゃお世話になった人! ちょっと挨拶してきてもいい?」

 シートベルトを外しながらの西萩の言葉に、俺は手をしっしっと振って答えた。ばたんとドアが閉まり、車の中は静寂に包まれる。ラジオをつけると、流行りの邦楽が計ったように流れ出した。

 今日は散々な一日だった。何が悲しくて西萩とドライブなんてしなきゃいけないのか。いや、ドライブだけならまだしも、結局あいつに流されて横浜の街を一緒に散歩までしてしまった。道中あいつは突然ハッとした顔をすると、「もしかしてこれって……デート?」とか脳みそに蛆が湧いたような発言をしやがったし、車の中では静かにしていると思いきや、ラジオの音楽に合わせてへったくそなハミングをしだすしで――ああ、そうだ。このラジオは西萩がこれ以上歌わないように切ったんだった。

 指でとんとんとハンドルを叩きながら、俺はラジオを聞き流す。一曲目が終わり、軽薄な声のDJが次の曲の紹介をしている。俺はふと海岸の方へと視線をやった。

 海岸に立った柵の辺りには数人の影が見えた。そのうちの一人は見覚えのある髪型をしていたので多分西萩だろう。隣にいる大柄の男がアイノさんだろうか。他にも数人、誰かがいるようだが――同僚か何かか? それにしてはなんというか立ち方が妙というか、まるで映画で見る護衛か何かみたいだ。

 頭に浮かんだ馬鹿げた考えを振り払い、俺はラジオへと目を戻す。結局、西萩が戻ってきたのはその十五分後だった。


 次に俺がアイノさんの名前を聞いたのは、とある厄介な依頼を受けた時だった。

 依頼人は男の幽霊。それも全身から血を流した惨殺死体の幽霊だ。

 彼の依頼は単純明快。自分が殺された理由を知りたい、その一点のみだった。だが、これほど難しい依頼もない。俺たちは人の心が読めるわけではないのだから、その殺人犯を突き止め、動機を聞き出さなければいけないのだ。

 あまりに難しい依頼に、これを受けるかどうか俺たちは話し合っていたのだが、ふと西萩は何かを思いついたような顔で、依頼人(がいると西萩が思っている方向)に尋ねかけた。

「あの、依頼人さんが住んでたのって横浜でしたよね?」

 依頼人が頷いたのを見て、俺は西萩にそれを伝えてやる。

「殺されたのも横浜?」

 首肯。俺が西萩にそれを伝えると、西萩は何か納得したような顔になって、依頼人に向かって胸を張った。

「お任せください! 確実に、とは言い切れませんが、多分あなたを殺した犯人もその動機も分かりますよ!」

 俺は内心慌てたが、その発言を取り消させる前に依頼人は嬉しそうにお礼を言って出ていってしまったので、へらへらと笑う西萩を睨みつけることしかできなかった。

「お前、どういうつもりだ!」

「まあまあ、当てがないわけじゃないからさ」

 そう言うと西萩はスマホを取り出し、どこかへと電話をかけながら、俺から隠れるように給湯室へと入っていってしまった。

「あ、もしもしアイノさん? お忙しいところすみません。実はちょっとお尋ねしたいことがありまして――」

 数日後、件の依頼人は突然事務所にやってきて俺たちに深々と頭を下げてきた。

「ありがとうございます。殺された理由も、犯人も分かって、しかも復讐までしてくださるなんて、どれだけお礼を言っても足りないほどです」

 そう言うと依頼人は姿が薄くなって消えていった。きっと成仏したのだろう。事件が解決したことにホッと息を吐きながらも、西萩がどうやって犯人を突き止め――そして復讐とやらを果たしたのかは結局分からずじまいだった。


 またある時、いつも平和な西萩相談事務所に、招かれざる客が現れた。

「ですから! こちら幽霊探偵事務所なんでしょう? うちの雑誌で特集組ませていただきたいんですよー!」

「困ります、うちはそういうのじゃないので……お帰り願えませんか?」

 先ほどからこの会話がループしている。俺は不機嫌なのを隠さないまま、足でとんとんと床を叩いていたが、記者は全く気にしていないようだ。

「ちょっとだけでいいんです! あ、お写真撮らせてもらいますねー!」

「こ、困ります! 帰ってください!」

 俺が殴って終わらせてもいいのだが、西萩曰く、ああいう連中は殴ると警察に駆け込んで余計にややこしくなるらしい。どこでそんな知恵をつけてきたのかと聞きたくもあったが、一理ある考えではあったので俺は静観するしかなかった。

 五度目ぐらいの襲撃の後、俺たちは顔を突き合わせて話し合っていた。

「あいつ、どうにかならねえのか。人外の奴らが怖がって寄り付かなくなってる」

「だよねえ……ちょっと考えて対策してみるよ」

 西萩がそう言った数日後、相談事務所のインターホンを押す人物が現れた。またあの迷惑記者かと俺は身構えたが、西萩は「はいはーい」とか言いながらドアを開けに行ってしまった。

 ドアを開けてみると、そこには記者はおらず、代わりに金髪に黒スーツ姿の若い青年が立っていた。ともすればコンビニの前にたむろしているような不良にも見える青年は、西萩を見ると、とても嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「ちわっす、西萩さん! あいつさりげなく追い払っておきましたよ!」

「ありがとうございます、本当に助かりました」

 西萩は深々とお礼をすると、「ちょっと待っててくださいね」と言って、給湯室に置いてあった菓子箱を二つ、青年のところに持っていった。

「これ、ささやかですけどお礼の品です」

 あれは確か西萩が少し遠出して高級百貨店で買ってきた菓子だったはずだ。そんなものをこの青年に渡すのか?

「こっちはアイノさんに、もう一個は皆さんで食べちゃってください」

「あざーっす! 一週間ぐらいは張り込んで様子見てみますね!」

「助かります、ありがとうございます」

 西萩が丁寧に礼を言うと、青年はにっこりと笑って帰っていった。俺は妙にすっきりした様子の西萩に近付いて問いかけた。

「おい西萩。今のは何だったんだ」

「ああ、あの子? アイノさんのところの社員さんだよ。溝の口にも支店があるから、ちょっとあの記者を追い払うの手伝ってもらうことにしたんだ。言ってなかったっけ」

「初耳だ」

 柄の悪そうな黒服の青年、高級外車、荒事、西萩の対応。

 まさかアイノさんっていうのは――というか、多分そうなんだろうな。

 俺は妙に納得した思いで、西萩の謎の人脈に思いを馳せた。


 数週間後、事務所で書類仕事をしていた俺はとある事実に気付いてふと声を上げた。

「そういえば最近あの記者野郎来ないな」

「あ、言ってなかったっけ。もうあの人来ないよ」

 書類から目を上げようともせずに西萩は答える。俺は怪訝な目で西萩を見た。

「警察にでも行ったのか」

「まさか。ああいう輩は警察に通報したら余計に嫌がらせ激しくなっちゃうって」

 そういえばその通りだった。でもじゃあどうやって「もう来ない」だなんて知ることができるって言うんだ。黒服の連中が何度追い返しても、懲りずにやってきていた人間だっていうのに。

 俺の視線に気づいたのか気付いていないのか、西萩は顔を上げないまま答えた。

「さあね、あっちが勝手に首突っ込んで、勝手に虎の尾を踏んで、勝手にがぶーって食べられちゃったんだから知らないよ」

 数秒。俺は西萩の言葉を飲みこもうとした。

 勝手に突っ込んで、勝手に尾を踏んで、勝手に食べられた。それはつまり――

 その可能性に思い至った俺は、椅子を蹴って立ち上がった。

「西萩まさかお前……!」

「僕は何にもしてないよ。あっちが勝手にアイノさんちに突っ込んでったんだって」

 相変わらず西萩は書類を見つめたままだ。俺はそんな西萩に歩み寄り声を荒げようとした。

「何もしてないわけないだろう! だってアイノさんはヤク――」

「駄目だよ舩江」

 常ならば滅多に聞くことのない強い語調で遮られ、俺は言葉を失う。顔を上げた西萩は、ひどく冷静な目をしていた。

「この世にはね、白黒はっきりさせちゃいけないものもあるんだ」

 子供に言い聞かせるように一語一語はっきりと宣告される。

「僕が知らないと言えば知らないんだし、あちらも知らないと言えば知らないんだよ」

 そこまで言って西萩はふっと表情を緩め、優しく笑いかけてきた。

「そうでなきゃ、いざという時共倒れになっちゃうでしょ? これはアイノさんの気遣いなんだよ」

 俺は何も言い返せなかった。数秒にも数分にも感じる沈黙の後、俺は西萩から目を逸らしながら言った。

「……アイノさんは良い人なのか」

「うん、すっごく良い人だよ」

 視界の外の西萩はにっこりと笑っているのだろう。俺は自分のデスクへと戻っていった。

「そうか、ならいい」

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