人でなし西萩の善行日記
五月三日 晴れ
唐突だけど僕は今日から善行日記というやつをつけてみることにした。善行。つまり「いいこと日記」だ。僕は根っからの善人なので改めて日記なんてつける必要はないとは思うのだけど、最近流行ってるらしいし物は試しというやつだ。それに、善行を積むのはいいことだしね。これを機に意識していいことをしてみようかなあ、だなんて思う僕であった。
五月四日 晴れ
アパート近くの公園で、鳩に餌をあげているおじさんとお話をした。なんでも鳥が好きなんだって。僕もちょっと餌やりのお手伝いをした。あれって結構楽しいね。ぱーっと餌をまくとばーって鳥がやってきて。これも善行に入るかな? 一応書いておく。
五月五日 曇り
今日も祝日なので事務所はお休みだ。家にいても特にすることもないしアパートの近くをぶらぶらしていたら、大通りの近くで困っているおばあさんを見つけた。善行チャンスだと思ったね! 話を聞いてみると、なんでも目があんまり見えないのに、家族とはぐれてしまって困っていたらしい。僕はおばあさんの家の住所を聞いて、スマホで検索しながらおばあさんを家まで案内してあげた。なんて優しいんだろう僕って! 善行ポイントで言ったらいくつかな?
五月六日 曇り
今日は久々に事務所を開ける日だ。休みの内に溜まっていた仕事を二人がかりでなんとか片付けて、それでも帰りはいつもより遅くなってしまった。日付が変わるぐらいの道を夕飯を食べ損ねた僕がとぼとぼ歩いていると、道端で一組の男女が口論しているのに行きあった。大声で話しているから遠くからでも分かってしまったのだけれど、どうやら二人はカップルで痴話げんかをしているらしい。僕はそそくさとその隣を通り過ぎようとしたのだけど、男の方が女性に手を上げようとしているのを見て、つい二人の間に割り込んでしまった。男の人の拳を運よく手の平で受け止めて「暴力はよくないですよ」みたいなことを言ったら、男の人は僕に「テメェ、こいつの何なんだ」とかつっかかってきた。だから僕は「あなたには関係ないですよね」って返したんだけど、そうしたら男の人は「お前らそういう関係かよ」とかなんとか言ってどこかに行ってしまった。女の人はそれを慌てて追いかけていってしまって、僕はその場に取り残されることになっちゃったんだ。善行……だったのかな? うん、善行だね。
五月七日 雨
今日は幽霊さんの依頼で街のあちこちに行った。だけど善行らしい善行は積めなかったなあ。依頼はただのお仕事だから善行換算ではないよね。僕は公私の区別をしっかりつける男なんだ。偉い! ところで最近、舩江の顔色が悪い。どうしたのかな、風邪でも引いたのかな。
五月八日 雨
雀がアパートの前で死んでいた。以上。
五月九日 曇り
今日は大変な目にあった。いつもの帰り道を歩いてたらね、道端で男性が女性の上にのしかかってたんだ。えー、こんなところで盛ってるの、止めて欲しいなあとか思いながら僕はちょっと足音を大きめにして彼らへと近づいていった。だってここ通らないとアパートに帰れないし。威嚇行動? ってやつだよ。回り道? するわけないじゃん、なんで僕が譲らなきゃいけないのさ。そんなこんなで僕は彼らに近付いていったわけだけど、そしたらのしかかっていた男がバッとこっちを振り向いてきて、そのまま慌てて逃げていっちゃったんだよね。女性をそのままにした状態で。僕は善人だからひどいことをするもんだなあとか思いながら彼女に近付いて、「大丈夫ですか」って声をかけたんだよね。そしたら彼女からすごーく嫌な匂いがして、スマホの明かりで照らしてみたら、彼女死んでるの。もう滅多刺しにされて。そこから先は当然のように僕が呼んだ警察がやってきて僕は事情聴取。犯人だと若干疑われていたみたいで、事情聴取は朝までコース。やっと解放されてようやく家に帰ってきてこれを書いてるってわけだ。あーあ、本当にひどい目にあった。
五月十日 晴れ
昨日ひどい目にあって寝ていない僕はふらふらしながらも事務所に出勤した。社会人としての責務を果たしたんだ。出勤してから「だったら連絡して寝ればよかっただろうが」って舩江に指摘されたんだけれど、その頃には僕、ナチュラルハイってやつになっててね、舩江のやめとけって感じの視線を振りきって調査のために外出したんだ。勤労精神! そしたら、またおばあさんが困っているのに行きあった。それも前とおんなじ交差点でだ。善行週間である僕は当然おばあさんの手助けをして、自宅まで連れていってあげたよね。そのせいで調査が遅れちゃって舩江に文句を言われたけど、仕事より目先の善行の方が優先すべきじゃない? 人間としてさ。その辺、舩江は分かってない節あるよね。人間嫌いだし。
五月十一日 晴れ
ネコがアパートの裏で死んでいた。以上。
五月十二日 雨
今日は妙なことがあった。というのも、いつも通り調査のために外に出ていたら、またあのおばあさんがあの交差点で困っていたんだ。当然僕は助けるよね。善良な市民だもん。そしたら、連れていった先でおばあさんの家族が「もうこいつを助けるな!うちにも来るな!」ってすごい剣幕で怒鳴るんだよ。僕は「はあ」とかなんとか答えて、そんなに嫌がるなら次はしないようにしようかなあとか思った。人の嫌がることをしないのは、僕だって知ってる常識だからね。これも善行善行。
五月十三日 曇り
今日は例の殺人事件の事情聴取に行ってきた。色々聞かれたけど、僕あんまり覚えていなかったからろくな情報は提供できなかったなあ。ごめんね、警察さん。ところで舩江の顔色がいよいよ悪い。流石に休ませようとしてみたんだけれどそれどころじゃないんだって。依頼でもないのに何かを探っているみたい。
五月十四日 晴れのち雨
一日ぶりに例のあのおばあさんの交差点に行ってみたら、ちょうど警察と救急車が来て、辺りは騒然となっていた。周りにいた人に何があったんですかって聞いてみたら、どうやらとある老人が事故で亡くなったみたい。僕には関係ないけれど可哀想なこともあるもんだなあ。今日はそれぐらい。善行は積めなかった。残念。
五月二十三日 晴れ
前回の日記から九日? 十日? ぐらい空いてしまった。でも言い訳させてほしい。大変だったんだよ。屋上から見てみたらこの街全体に嫌なものが渦巻いてて、そう、僕にも見えたんだよ! 舩江はそれだけヤバいやつだって言ってたけど。それでうまく言えないんだけれど、怪獣映画みたいなことになって、舩江は僕に逃げろって言うけど、そもそもどこに逃げればいいのかも分からなかったからずっと舩江の後ろに隠れてたよね。それでどかーんってなってぐしゃーんってなって、買ったお札も全部使っちゃってなんとかやり過ごしたんだけど、舩江いわく「呪詛返しをした。後味は悪いが仕方がない。この街に最近蔓延っていた因果はこれで正しい方向に巡るだろうよ」だってさ。何の事だか僕にはさっぱりだけど、舩江がそう言うならきっと一件落着なんだろうね。日記が遅れちゃったのは、全部終わった後に舩江も僕も卒倒して病院送りになったから。いやー、見つけてくれた明日香にはあとで何か奢ってあげなきゃね。
五月二十四日 晴れ
今日は平凡な日だった。特に人助けすべきことも起こらなかったし、仕事も順調に進んだし。あ、そうそう、小動物相手に毒餌をまいていた人が捕まったんだって。毒を食べた鳥が死んで、その死骸を食べて猫も死んでたみたいだよ。道理で死体が多いと思った。物騒な話もあるもんだね。
五月二十五日 晴れ
今日も平凡な日だった。街は平和で、仕事も順風満帆。いい気分で外を歩いていたら、偶然あのおばあさんの家に行きあったんだ。そしたらさ、おばあさんの家がどこにもなくなってたんだよ。もう真っ黒焦げの全焼ってやつ。近くにいたおばさまに話を聞いてみたら、なんでもあの家はわざと人を殺して保険金をだまし取ろうとしてたんだって。でもそれがバレる直前に、原因不明の火災が起きて、一家全員死んじゃったみたい。ひどい話もあったもんだよねえ。この平和な溝の口でそんな事件が起こるだなんて。あ、でもこの前殺人事件も起きてたっけ。
五月二十六日 曇り
アパートの近所の公園でぼんやりしている男の人とお話した。この前の鳩に餌をあげてた人だよ。世間話をしてたら、毒の餌をあげていた人の話になってね、そんなひどい人もいるんですねえ、みたいな風に僕は言っていたんだ。で、事務所に戻ってみたら舩江に出会い頭に殴られた。「お前あれほど言ったのにまた引っ付けてきたのか!」だってさ。どうやらまたよくないものを引っ付けていたみたい。霊媒体質って本当に困っちゃうなあ。いつもありがとね、舩江。
ノートの中身をとんでもなく嫌そうな顔で眺めていた舩江は、ぱたんとノートを閉じると、躊躇なく一斗缶の中にそれを放り込んだ。新聞紙を詰め込み、西萩がデスクに置きっぱなしにしていたライターで火をつける。火がまんべんなく燃え広がったあたりで、西萩が屋上にやってきた。
「あれ、舩江。何してんの?」
「お焚き上げだ。嫌なもん見たからな」
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