人でなし西萩のアルバイト記録
昼下がりの事務所の中、俺たちはいつも通りデスクに座って仕事をしていた。俺は溜まっていた書類整理、西萩はパソコンで依頼のメールに返信している。いつも通りの平和で――言い換えれば若干暇な時間を過ごしていた俺たちだったが、ふと西萩はキーボードを叩く手を止めると、こちらに視線をよこしてきた。
「ねぇ、舩江。怖い話してよ」
「はぁ?」
いつにも増して唐突な西萩の提案に、俺はいつも通りに眉間にしわを刻んで聞き返す。かなりの圧を込めて言ったつもりだったが、西萩はにこにこと期待に満ちた目をこちらに向けてくるだけだ。
「なんで俺が」
「えー、なんとなく聞きたくなったから」
「誰が話すかよ」
「そう? じゃあ僕が怖い話するね」
最初からそれがしたかったんじゃないか、と言いたいのを堪え、俺は書類を見ながら冷めかけたコーヒーを持ち上げて啜ろうとした。
「あのね、これは僕が風俗で働いてた頃の話なんだけど」
「ぐふっ」
真昼間の平和な事務所にはふさわしくない、ついでに言えば人畜無害そうなこの男にはふさわしくない話題を振られ、俺はあと少しでコーヒーを噴き出すところだった。
「風俗……ってあの風俗か?」
「っていってもただのラブホの清掃員だったんだけどね」
平然と話を続ける西萩に、俺はほっと胸を撫で下ろす。なんだ、驚かせやがって。そういえばこいつは給料さえもらえればどこでもバイトしそうな奴だからな。でなけりゃ、丹田さんのやっていたこの事務所にバイトとして入ることもなかっただろう。
そうやって一人で納得していると、西萩はカタカタとキーボードを叩きながら話を続けてきた。
「ラブホの清掃員って意外と面白い仕事なんだよ。部屋にのこされたコンドームの数とか忘れ物とか染みとかで、どんなプレイしてたのかなーって大体想像つくし。いやらしい意味じゃなくてね? 謎解きゲームみたいで楽しいんだ」
「結構な趣味だな」
「そんなに褒めないでよ。話が逸れたね。これは僕が清掃員になって一ヶ月ぐらい経った頃だったかな。その日はとある大部屋のお客さんがめちゃくちゃ激しいプレイをしたっぽくて、一人じゃ清掃が間に合わない状態だったんだよ。だから店長含めてスタッフ全員で掃除してたんだけどね、入口のドアがバーンっていきなり開いたんだよ。営業時間外だったしこのホテルには僕たち以外誰もいないはずなのに」
「なんだ、幽霊でも出たのか? ホテルにはよくあることだろう」
「違う違う。来たのは黒服の怖いお兄さんたち」
「は?」
突然の急展開に俺は間抜けな声を上げてしまう。思わず西萩を見やると、西萩は飄々とした表情で話を続けてきた。
「実はその地域一帯が、とあるヤクザ屋さんの縄張りだったらしくてね。なのにラブホの店長さん、ここ数か月ショバ代を滞納してたらしいんだよ。で、その場にいた僕たちは残らず捕まって、こわーいおじさんたちのところに連行されちゃったんだけど」
「お、おう」
「おじさんたち滅茶苦茶怖かったよ。ンドラボケカスゥ! テメナニシタノカワカットンノカゴラァ! とか言ってきてさ。僕たちはもう震えながら俯くしかなかったよね。だけどそこにやってきた親分らしき人が、結構冷静に話を聞いてくれて、僕たちがただの清掃員だと分かって「悪いことしたな」ってお金渡されて帰されたんだよね。僕はもう逃げるようにそこを辞めたんだけど、その数か月後にふらっと見に行ってみたらビルごとなくなってて肝の冷える思いをしたっていう話。正直生きた心地がしなかったよね。あー生きててよかったぁ」
こんな話どう反応しろと言うのか。確かに怖い話といえば怖い話だが方向性が違うだろ、方向性が。
「他にもあるんだけどさ」
続くのかよ。
内心のツッコミを無視して、西萩はいつも通りの平然とした顔で語り出す。
「これは僕が他のホテルで働いてた時なんだけどね」
懲りずにまたホテルで働いてたのかこいつ。
「そこのホテルの水道水さ、めちゃくちゃ不味いので有名だったんだよ。僕も一回飲んでみたことがあるんだけど、もう生臭くて飲めたもんじゃなかったんだよね。それでさ、僕がホテルを辞めた後に聞いた話なんだけど、そこの給水タンク開けてみたら死体が浮いてたらしいんだよね。人間の死体が。まあ、それだけの話なんだけど」
いつの間にか聞き入っていた俺は、はぁっと息を吐きだした。
正直ドン引きはするが普通に怖い話だ。よかった、最初のペースで来られたらどうしようかと思った。
努めて平静を装いながら、俺は書類に目を戻す。正直こんな話を聞かされた後では仕事に集中できるはずもなかったが、無理矢理にでも仕事をして今の話を頭から追い出したい気分だった。
しかし西萩の話はそこで終らなかった。
「あと、これは僕がキャバクラの黒服さんやってた時なんだけど」
「は??」
思わず顔を上げて、西萩を見てしまう。こいつが、この優男が、キャバクラの黒服? 似合わないにもほどがある。何かの冗談か?
西萩はパソコンから手を離して、人差し指を立ててゆらゆらと揺らしながら話を続けた。
「黒服さんって変なお客さんを追い出したり、上がるキャバ嬢さんを見送ったりするんだけどね。ある時、キャバ嬢さんが上がる時に、とあるお客さんも一緒についていこうとしたんだよね。最初キャバ嬢さんは嫌がっていたんだけど、何かを囁かれた途端、急に大人しくなってそのままついていこうとしたんだ。だけど一応仕事だし「お客さん、無理強いはよくないですよ」って僕は声をかけたんだよね。そうしたらお客さんは「無理強いなんかじゃないよな。な?」ってキャバ嬢さんに言って、キャバ嬢さんは泣きそうな顔で何度も首を振ってたんだよね」
おい待て止めろまさか。
「僕は、そっか、無理強いじゃないならいっかーって思って、そのまま見送っちゃったんだけど、次の日からそのキャバ嬢さんお店に来なくなっちゃってね。一緒に行ったお客さんも来なくなっちゃったから、どうしたんだろうねーってスタッフみんなで話してたってだけの話なんだ。ちょっとつまらなかったよね、ごめんごめん」
確かにつまらないかもしれないが、衝撃的なカミングアウトではあるぞ。
言いかけた言葉を飲みこみ、今度こそ終わりだろうと俺は震える手をコーヒーに伸ばして中身を啜ろうとした。
「あー、あとこれば僕がウリセンだったころの話なんだけど」
「がふっ!?」
衝撃的すぎる言葉に派手にコーヒーを噴いてしまった。いや、うん、ウリセン? ウリセンってあのウリセンか? こいつが? いや言われてみればそういう趣味の奴らに好かれそうな顔はしている気がするがまさかこいつが??
「あっ、ウリセンって知らない? 知らないなら検索しない方がいいよ」
慌てた顔で西萩は首を横に振った。いや、知ってるが、知ってるがお前。
「じゃあこの話は止めとこっか」
ここまでしておいて止めるのかよ。気になるだろうが!
「うーんじゃあ最後にもう一個だけ話すね。これは舩江にも関係ある話かもしれないんだけど」
俺にも関係ある? いや、どんな話が来てももう驚かないぞ。
「これは僕がホストやってた時なんだけどね」
「え」
持ち上げかけたコーヒーから手が離れ、机に落ちる。僅かに残っていたコーヒーがこぼれ、書類にかかった。
今こいつは何と言った。ホスト? こいつがホスト? えーおまっ、えーー?
ウリセンに比べればパンチ力は低いが、それでもボディブローのように効いてくる衝撃的発言に、俺は西萩を凝視してしまう。
「いや、僕すごかったんだよ。入って二か月でお店の指名ナンバースリーになってさ。適当に女の人おだててるだけで、どんどん注文してくれるんだよね。天職なのかなって僕思ったよ」
うんうんと頷く西萩に、若干正気を取り戻してきた俺は、汚れてしまった書類を見て顔をしかめ、それ以上の被害を防ごうとハンカチでコーヒーを押さえた。
「じゃあなんでホストにならなかったんだ。天職だったんだろ?」
「それがね、僕、女の人に刺されちゃってさ」
「は」
「多分どの女の人にも同じ言葉かけてたのがいけなかったんだと思うんだよね。きれいだよ、大好きだよ、君が一番だよってさ。そしたらなんだか勘違いした人がいたみたいで、お店を出た途端にぶすーっだよ。結構深くまで刺さっててさ。血吐いて、手術沙汰になったんだよね」
心底不思議そうな顔で西萩は言う。こいつ、前々から思ってたが、結構駄目な奴なんじゃないか?
そんな俺の視線に気付く様子もなく、西萩は立ち上がって自分のシャツをまくろうとした。
「その時の傷跡見る? 結構えげつないのが残ってるんだ!」
「誰が見るか!」
大声で拒絶してやると、西萩は「そっかぁ」とか残念そうな声を上げて自分のデスクに戻っていった。そこで話は途切れ、ようやくこの地獄のような会話が終わったのかと俺は安堵した。
しかし、一つのことを思い出して、ふと俺は尋ねた。
「待て、これが俺にも関係ある話ってどういうことだ」
「ん? いや僕、女の人全員に同じ言葉かけてたって言ったじゃない? だから他にも僕を刺そうとしてくる人がいるかもしれないんだよね。だからもし僕が刺されたら証言してほしいんだ。昔の職場の痴情のもつれですってね」
とんでもなく面倒でできればあってほしくない状況を提示され、俺はフレーメン反応をした時の猫のような顔になった。
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