人でなし西萩の転落

 西萩は見た目によらず、割とヘビースモーカーの部類に入る男だ。

 いつもへらへら笑っていかにも常識人ですよ、真人間ですよ、僕煙草も酒も嗜んでませんよー、みたいな顔をしておきながら、聞き込み中にいなくなったかと思えば喫煙所で煙草を吸っていたり、事務所で雑務をこなしているときもかなり頻繁に屋上に煙草を吸いに行ってしまう。

 しかもその時間が地味に長い。その上、間も悪い。客が来る直前に限って狙ったように煙草休憩に行ってしまう。

 一度、客が来たのを知らせるために屋上に行ってみたら、西萩は屋上の縁をまるで平均台にでも乗っているかのように歩いていた。

「何やってんだ、お前」

「あ、舩江。見て分かんない? 煙草吸ってるんだよ」

 指に挟んだ煙草をちらつかされ、俺はぎゅっと眉間にしわを寄せる。

 フェンスのないこの屋上でそんなことをすれば、一歩間違えれば転落して即死だ。こいつが何を思ってそんなことをしているのか俺には理解できなかったし、理解する必要もないと思っていた。

「落ちても知らねえぞ」

「あはは、そんなドジ踏むわけないじゃん」

 西萩はけらけらと笑って、屋上の縁でターンする。俺は顔をしかめながら「客だ」とだけ言って屋上を後にした。

 その時、無理矢理にでも引き戻しておけばよかったと後悔することになるのは、その三週間後だった。



 その日もあいつは仕事をひと段落させると、さっさと屋上に煙草を吸いに行ってしまった。それはもういつものことだったし、「煙草吸ってくるねー」と軽い調子で言う西萩を、俺は顔も上げずに見送った。

 数分後、自分の仕事を片付けた俺は何をするでもなく、ぼーっと窓の外を眺めていた。とはいえ面白いものが見えるわけでもない。いつも通り、向かい側のビルと差し込んでくる陽光が見えるだけだ。

 コーヒーでも淹れようと立ち上がり、もう一度窓に目を戻した時、俺はそれを見てしまった。

 いつも通りの安物の黒いスーツ。風になびくネクタイ。何かに縋るように上に伸ばされた手。重力に従って落ちていく体。


 俺の目の前を、西萩が、落ちていった。


 ゴッ、と何かが地面にぶつかる音が階下から聞こえてきた。

 しばらくその場を動けなかった。静まり返っていた事務所に、窓の外から甲高い悲鳴がいくつも聞こえてくる。ああ、潰れてしまったあいつを見て、下を歩いていた奴らが悲鳴を上げているんだ。頭の冷静な部分がそう告げる。

「にしはぎ」

 手を伸ばしてふらふらと窓に歩み寄る。だけど窓の下を覗きこむ勇気はなかった。

 なんで、どうして。自殺願望でもあったのか。どうして気付いてやれなかったんだ。あいつは俺の×××なのに――

 全身から力が抜け、床に崩れ落ちる。

 誰かが呼んだ救急車のサイレンが、遠くから響いてきていた。



 三日後、俺は病院にいた。

「いやー、びっくりしたよね。まさか足を踏み外して落ちるとは思わなかった! もう世界が回転するってあのことを言うんだろうね! くるーんってなってひゅーってなって次の瞬間には地面にごつーんだよ。本当にびっくりした!」

 擬音の多い口調でけらけら笑いながら語る西萩に、お見舞いにやってきた俺は我慢ならなくなって拳を握り込み、西萩の脳天に振り下ろした。

「いたたっ。何するのさ、こっちは怪我人だよ?」

 手足を包帯でぐるぐる巻きにした西萩が抗議の声を上げる。そんな西萩を見て、俺はますます顔を歪めた。

「あれ、舩江泣いてるの?」

 西萩にそう指摘され、俺は慌てて顔を伏せる。

「誰が泣くか!」

 そのまま全身の震えが収まるまで待って、俺は顔を上げて西萩に宣告した。

「お前もう屋上禁止な」

「えー」

「あと煙草ももうちょっと控えろ」

「ええー!!」

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