第2話 あの日見た花は快活
俺が、花言葉と聞いて一番に思い浮かべるのは菜の花だ。みんなも小学生の時、公園で見かけなかったか? 一面に広がる黄色い花。あるいは白くまとまった綿毛たち。息を吹きかけると、散り散りになって飛んで行く。俺はそれを、とてもとても羨ましく思った。
あるいは、今でもそうかもしれない。
最初にあいつからメールが来た時、俺はなぜかそのことを思い出した。
菜の花の花言葉は、快活、だ。
**
「私の話聞いてくださいよ」。それがあいつから届いたメールだった。その図々しさに、若干社会不適合の臭いを感じたが、何も言わなかった。俺が意識していないだけで、人間とはみんなそういう生き物なのかも知れなかった。
女とは、3ちゃんねるの「おしゃべり板」で知り合った。雑談系のカテゴリのうちの一つで、日々どうでもいい会話がなされていた。その中には学歴煽りがあり、職業煽りがあり、チェーン店煽りがあり、政治煽りがあった。だが下を見れば見るほど、「この板はそれほど深刻ではない」との思いに駆られた。自分の感覚が麻痺しているのか、事実他の板がもっと殺伐としているのかは分からなかった。
俺はそこで、ずっとROMっていた。あ、ROMっていうのはRead Only Memberの略で、書き込まずに読むだけの連中のことをいう。昔は「2get失敗云々」からの「半年ROMってろ」だかなんだかがあったみたいだけれど、もうそれを語る人もほとんどいなくなった。昔は忌み嫌われていた自分語りやコテハン、ヌクモリティ((藁))の欠片もない罵倒でも何でもござれの時代である。俺はそんな大航海時代の掲示板を眺め、高みの見物を決め込んでいた。
だから、「捨てアド送ってねらーとメールするスレ」に興味を持ったのも、単なる偶然、気の迷いだったのだと思う。両親の死後繰り返されてきた退屈な日常に、ただ飽き飽きしただけなのだ。ちょっとした暇つぶしになれば上出来だった。
「暇つぶし」は英語でkill timeという。「時間を殺す」と、ラノベ好きの同級生と馬鹿笑いしていたことを思い出す。あの頃はどんなくだらないことにも笑えたが、今は違う。
むしろ、「時間を殺す」という表現それ自体が、本来の意味で正しいような気さえする。
俺たちが存在するずっとずっと前から、「時間」という不可思議な存在はそこにあった。そして俺たちは、有無を言わさず現世に放り出され、かと思えば時間という制約にいつかは殺される。
何もしなければ、俺たちは時間という無差別殺人者に殺されてしまうのだ。それを防ぐためには、自分から時間に幕を閉じるしかない。
「時間を殺す」ということは、つまり自殺ということなのかもしれない。そうすれば確かに「暇」なんてものは存在しなくなる。
……だめだ。気持ちが落ち込んでいると、いつもこういうことばかり考えてしまう。無理にでも生きることに楽しみを見出さなければ、廃人のようになってしまうかもしれなかった。
そういう意味でも、掲示板に書かれていた「20代の女」にメールを送ろうと思ったのは、今考えてみれば悪い案ではなかったのかもしれない。もちろん釣り(男が女のふりをして、たかる男を騙すこと)の可能性もあったが、男たちからたくさんの反応が寄せられていた。
俺に連絡は来ないかもしれない、と思った。それならそれでいい、さっさと寝てしまおう。そう思った時、英語教師がメールを知らせた。
『はじめまして。おしゃべり板のものです』
本当に来た。俺が連絡したのが最初ではなかったが、この女(?)は俺にも連絡を寄こしたということか。
『連絡ありがとう』
これを送ってしまうと、あたかも俺がメールのやりとりを期待していたかのように映るかもしれない、と思ったが、それが本心である、と言うことを隠す見栄も面倒になったので、そのまま送った。すると、
『私の話を聞いてくださいよ』
とメールが届き、こちらが返信もしていないのに長文のメールが来た。すべてを紹介すると長くなってしまうので割愛するが、大意は「仕事が辛く、やめたいがやめられない」という内容だった。その女(?)はある会社のショム(なにかは分からない)をしていて、書類の整理や作成を主に担当しているらしかった。ただ、通常当番制であるはずの倉庫の開閉や前日の連絡事項の確認を行う者が自分以外誰も存在せず、常に誰よりも早く出勤し必ず最後に帰宅しなければならないという。朝7時半に出社し、帰社時間が夜11時ごろ。帰りつくのは0時前だという。
そんなに辛いなら辞めればいい、と思ったし、おそらくそれを伝えることが最善だったのでそのまま送った。しかし女(?)からは、「私は絶対に辞めません。自分に負けたような気がして嫌ですから」という返信が帰ってきた。
自分に負ける、とはどういう意味だろう。
俺は自分に負けているのだろうか。そんな気がしないでもない。
しばらくメールのやりとりをした後、女(?)から、「あなたは何をしているんですか?」というメールが届いた。隠す気もなかったので、正直にニートと答えた。
しばらく返信がなかった。まぁ当然だろう。労働者からすればニートは忌むべき存在だ。これが世界の正しい動きだと思ったが、それにしてはつまらなかった。
しばらくして、返信があった。「いつも何をしているんですか?」
無理に会話を続けようとしてくれていることが分かった。正直俺ももうやりとりに飽きていたので、相手が男だろうと女だろうと嫌がることを送り付けてやった。
「オナニーですね」
くだらないが、事実だった。
俺が生きているという証拠は、ティッシュの中で干からびて死んでいる精子だった。本来であれば新たな命を生み出すはずだったが、俺のものは残念ながらいつもティッシュの中で枯渇していた。
それでいい、と思っていた。俺に、親になる資格などない。
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