点灯夫

 真っ黒い海が、私の足元にある煉瓦の道の淵に、たぷんたぷん、とぶつかっている。

 私も負けじと、革靴を煉瓦の道に、かつんかつん、と打ち付けて歩いていく。



 あと、どれほどだろう。どこまでいけばいいのか。



 いまここで、私が足を、ひょい、と外して見せれば、私はこの黒い海の中に消えていくだろう。


 ひとは案外、気分がいいと、気軽に足を外してしまうのさ。

 いちど、ひょいと、はずしてみようか。いっぺん、きらくに。

 そんな気分になるものさ。


 誰かが言っていたようなセリフが思い浮かぶ。ああ、違う、これは今、自分で思いついた言葉であろうな。 

 

 それでもいい。だが、まだだめだ。



 私の足元には、「墓場」と呼ばれる海が広がっている。

 そのさらにさらに深い場所には、墓標のない墓場があるのだろう。



 どうせゆくところはおんなしなのだから、いまここでもかまわないのではないのかね。


 まだだめだ。わたしはこのはかばのゆいいつの、ぼひょうへ、ゆくのだから。




 この煉瓦の道を真っ直ぐ行けば、灯台がある。

 実際に見たことはないが、青い色をした灯台だという。


 わたしはそこにゆきたい。





 一段辺りが暗くなった気がして、ふ、と顔を上げた。

 目の前には、大きな大きな建物があった。灯台下暗しとはよく言ったものだ。

 私は入口を探す。真っ暗な壁をぺたぺたと触りながら、扉を探す。


 きん、と音がして、私は取っ手に触れた。あった。これがいりぐちだ。

 ゆっくりと、ゆっくりと、私は取っ手を回す。

 き、き、き、と錆びついた音を立てて取っ手はゆっくりと回った。私はす、と目を閉じて、それから、く、と取っ手を引いた。


 きいいいいぎぎぎ、と盛大な音を立てて扉が開く。私は目を開けた。





 海だ、と思った。





 私の目に映るものすべてが暗い青色をしていた。

 私の影が群青色に揺らめく。幽かなその影は、今にも消えそうに薄い。


 上を見上げてみると、ぐるぐる、ぐるぐると、壁伝いに螺旋の階段が続いている。




 これをのぼればいいのか、ぐるぐると。




 堅い石の段に足を掛ける。すると、かーん、と長く鋭い音が、ぐるぐると、上の方まで響き渡った。もう一段、足を掛けては、かーん、と、また足を掛けて、かーん、と。

 私は音を確かめるように、一段一段上って行った。


 小さな水銀灯がところどころに点いている。階段も壁も、ぜんぶ青白く染めている。

 よく見ると偶に壁のところに窪みができていて、そこには燭台が置いてある。



 ここにひをともしてゆくのだろうか。


 すいぎんとうのあおと、ほのおのあか、どれほどこっけいないろになるのだか。



 私が一段一段進む度に、私の体はどんどん青に包まれていく。どこまでこの階段が続くのかも分からずに、それでも上を見ずに、ひたすら足元を見ながら進んでいく。




 このあおのしたには、はかばが、ひろがっている。




 すう、と足が冷えた気がした。でも不思議と、怖いとは思えなかった。



 うえにのぼればのぼるほど、したにちかづくとは、




 なんともおかしな、はなしであるよ。



















 階段が、なくなった。

 前を見れば、また扉。触れれば冷たい、木の扉。



 ここが、



 取っ手に手を掛ける。

 先ほどのようには開かなかった。それでも私は取っ手を揺らし続けた。


 みぐるしいくらい、それはもう、がちゃがちゃとゆらす。


 ここまでか、

 私は、笑いたくなった。声を立てて笑おうとして、できなかった。かは、とからの音を立てただけだった。

 

 さぁっと絶望が通り抜け、そのまま後ろに続く螺旋の階段を、転がり落ちてしまいそうだ。


 こんなことなら。

 こんなことなら、さっきに済ましてしまえばよかった。

 黒い海の淵を歩いて、そのまま足を、ひょいと外してしまえばよかった。

 

 これがほんとの高望み、と誰も笑わない冗談が頭をよぎった。






 何をしているんだ?


 急に後ろから声が聞こえた。

 私は振り向いた。そこには私よりも背の低いひとがいた。その手には、赤い火があった。

 そして、そのひとの後ろには、やわらかい赤が続いていた


 何をしているんだ?


 声は私に聞いてくる。


 あけようと、してるんです。扉を。でも、鍵がかかってあけられないんです。


 はあ、なあるほど。そりゃあ、そうさね。鍵はわたしが、かけたんだから。


 そのひとは、懐を探ると、ちゃり、と音を立てながら、鍵を出した。


 この部屋に、入りたいのかい?


 入りたいです。迷惑でしょうか。


 んにゃ、迷惑なんて、ことはない。いっしょに入ろう。


 そのひとは、火を揺らして、私の傍によると、取っ手に鍵を通した。

 かちゃり、とあっさり音がして、木の扉は開いた。



 中は青かった。海の中のように青かった。

 奥には格子のついた窓が、夜の空を、四コマに切り取っていた。そのうちの二コマ目には、三日月があった。


 どうだい。


 そのひとは、味気なく聞いてくる。


 案外、ひろいんですね。


 そうさな。でも、とてもつめたい。


 赤いやわらかな火が、そのひとを照らして、この人を、赤いひとにしていく。

 赤いひとは、壁を撫でて、そして床を撫でて、座った。

 私も、同じように、座った。


 おしりが、冷たくなりますね。


 ああ。ここはいつだって冷たい。この火がなけりゃ、凍ってしまう。


 毎日、ここへ。


 毎日、ここへ。それが私の仕事だよ。


 ここに、住んでいるのですか。


 いいや。こんなところ、住めたもんじゃあない。もっと、よいところに、住んでるさ。


 ここで、毎日、何をするのですか。


 この火をもってな、下からいっこずつ、火をつけてってやるのさ。


 毎日、ひとりで。


 ああ、ひとりでさ。毎日、いつだって、私はひとりだよ。


 外に、あかりは、ださないの。


 外には、ださない。この中にだけ、ともすんだ。


 灯台というものは、外にあかりをだすものでは。



 私は、灯台のために、あかりをつけては、いないのさ。外に向かってつけたって、どうせだあれも、見やしない。みんな、下しか、見やしない。


 どうせだあれも、みやしない。

 みんな、したしか、みやしない。

 わたしも、したしか、みなかった。










 赤いひとはおもむろに立ち上がって、四コマの窓を開いた。

 ぶわ、と風が入った。

 ひんやりとしたその風は、私の頬を撫でて、通り過ぎて行った。





 こんやは、みかづきが、きれいだ。


 やわらかい赤は、消えていた。

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