冬には僕がコートを持って待っているから
身を刺す風が吹く街で、一人の少年が立っている。
これと言って特徴のない、十歳ほどの少年だ。
おかしなことと言えば、曇った色のコートを両手で抱えて持っていることぐらいだ。
まただ。
と、俺は思った。
またこの少年と会う冬がやって来たのだ。
少年は俺をじっと見ていた。
最初に出会ったのは小学生の時だっただろうか。
確か、テストで悪い点数を取ったのが母親にバレて叱られた後だ。悔しくて一人で泣いていた。
少年はその時の俺と同じくらいの背丈だった。少し離れた所から俺を見ていた。
手には、雪の降りそうな空と同じ色のコート。
俺と目が合うと、少年はパタパタとこちらへ駆けてきた。
俺にコートを差し出す。
それは大人用のサイズだった。
「いらない。そのコートは、僕には大きすぎるよ。」
俺は、自分を僕と呼んだことに少し驚きつつも、去っていく少年を見送った。
次に会ったのは中学生の時だ。
部活でレギュラーから外され、とにかくムシャクシャしていた。
そこへあの少年が来たのだ。昔と少しも変わらぬ姿で。
その時俺は何て言った?
ああ、そうだ。
「いらねーよ、ンなモン。寒かねーんだからよ!」
そうやって怒鳴ったのだ。
少年は肩をビクリと震わせて、走って逃げた。
それから毎年あの少年は冬の寒い日に姿を現した。
少年と会うときは、決まって心が暗いときだった。
うまくいかない人間関係、勉強、ほかにも色々なことが混ざり合って、何だかわからない、モヤっとしたわだかまりになって、俺の中で燻っていた。
俺はきっと、不器用に生きているんだ。昔も今も、これからも。
欲しいのは、コートじゃなかった。
俺はもう、流石に怒鳴ることはせず、少年に言っていた。
「いらないよ。寒くはないから。」
少年は、すぐに去らずに、止まって俺をじっと見た。
そして首を振っていた。
何が違うんだ?
俺がさらに断ると、少年はしょんぼりとした背中を見せて去って行った。
そして、今日。
俺は、やっぱり心が暗かった。
具体的に言えば、彼女に振られた。そこから広がって、いろんな出来事が、悪い方へ回っていった。
少年が駆け寄ってくる。
「またか?」
俺が問うと、少年はコクン、とうなずいた。そしてコートを差し出す。
「その親切は嬉しいけど、俺は寒くないから必要ないよ。」
少年はまたもや首を振った。
「一体何が違うんだ?」
少年は俺を真っ直ぐみつめて、それから目を伏せて去って行った。
一体何が違うんだ?
もう他に考えるコトもない俺は考える。
そして思った。
あのコートはとても暖かそうだった。
色も生地も寒そうだったが、俺には暖かそうに見えた。
もしや。
体の寒さを癒すコートではないのか?
少年は、いつも俺の心が暗い時に現れる。
心の寒さを癒すのか?
バカだ、と思った。なんだよ、心の寒さって。俺はその考えをすぐ捨てた。
だけど、ただ少しだけ、嫌なことがどうでもよく思えた。
俺は、冬の失恋ソングを、鼻で歌いながら帰った。
次の年。
人生最悪の日だ。
何が駄目だったのか。そんなことなどもう分からない。知らない。どうでもいい。とにかく色んなヤなことが、一気に俺に襲い掛かってきて、頭の中でぐるぐるぐるぐるああだこうだと、回り回る。めまいのような感覚。
心は真っ暗闇の中。
いっそのこと、
少年は、いた。
パタパタと駆け寄ってきた。
俺は少年を見下ろして、少年は俺を見上げて、じっと見つめ合っていた。
「心が、辛いの。」
少年が初めて口を開いた。
俺は、うなずいた。
「心が、悲しいの。」
今度は、「うん。」と口に出してうなずいた。
「心が、痛いの。」
「うん。」
「心が、寒いの。」
「うん。」
「つらいね。」
「うん。」
「かなしいね。」
「うん。」
「いたいね。」
「うん。」
「さむいね。」
「うん。」
「生きてるのも、ツラァクなっちゃうね?」
「うん。」
俺は、うなずいた。
「僕のコート、着なよ。」
そう言って、曇り空のコートを差し出した。
初めて俺は、このコートを、着たい、と思った。
手を伸ばす。
ふわっとする。
重い色。
なのに軽い。
広げる。
ボタンは四つ。
フードがついてる。
腕を通す。
暖かい。
俺は、うずくまった。
少年は俺にフードを被せた。
暖かい。
少年が俺の頭を撫でる。
暖かい。
暖かい。
心が寒いなら、
永遠にそこでぬくまっていな。
肌を焦がす暑さの中を、恋人と二人で歩いていた。
「やっぱり、あなたと一緒にいたい。」そう言ってくれた彼女。
「あーやだ。あっついねー。」と言いながら笑っている。
「そう?僕は好きだよ、夏の暑いの。」
僕の隣で彼女は、ふふ、と声を漏らして笑う。
「変わんないね。」
「何が?」
「あなたって、夏はテンション高いのに、冬になると途端にテンション下がってたでしょ?やっぱり夏のが好きなんだね。」
そう言って、僕の前を歩き出す。
晴れ渡った空の下、すべてがきらきらして見える。
だからすぐに、視界の隅にいるのに気が付いた。
それを見ないよう、僕は呟く。
「変わったさ。」
なあに?と振り返る彼女に、僕はにっこり微笑んだ。
何でもないよ、と言う僕。ヘンなの、と言ってまた前を向く彼女。
僕は、左を向いた。
曇天の色したコートを着た男が、こちらを恨めしそうに見ていた。
僕は、右の頬だけ上げて、笑って見せた。
変わったさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます