宇宙海兵の追憶

 1

 ゴーグルに移るアラートメッセージを確認するまでもなく、ネイシスは戦闘用ブーツから伝わる爆発の振動によって敵の攻勢が激しさを増したことを知った。それでも彼は背負った予備弾薬の重さに抗いながら基地を護る防衛拠点へと走り続ける。

「・・・わかっている!!」

 自動迎撃銃座に辿り着いたネイシスは弾切れを伝える警告音に苛立ちながら薬室カバーを乱暴に開けると、担いで来た弾薬の供給を開始する。もっとも作動不良を起こさないよう最初の過程だけはマニュアルに従い、熟れた果実を扱うように丁寧に扱った。

「おお!」

 正確に作業を終えた彼は掛け声と共に再起動ボタンを押す。たちまち銃口から弾が外に向って激しい爆音と火花と共に撒き散らされた。無駄弾を減らすためにネイシスは銃座の有効射程距離を二百mに設定している。すなわち敵がこの距離の内側に多数存在していることを意味していた。

 獲物を狙う蛇の鎌首のように銃座は砲身を小刻みに動かしながら、絶え間なく撃ち続ける。運んだばかりの弾薬は既に半分ほど消えていた。

 込み上げる孤独と焦燥感に耐えてネイシスは砲盾の影から小銃を構える。再度、銃座が弾切れを起こしても取りに戻る時間はもうない。手持ちの武器で迎撃出来なければ、ここは突破されるだろう。そしてそれは彼の死と基地の陥落を意味した。

 ネイシスにとって自分の死はそれほど怖くなかった。軍に志願したときから漠然とその可能性を意識し、覚悟していたからだ。だが、基地を陥落させることは、小隊を纏め上げていた中尉、厳格で鬼のように厳しい軍曹、仲の良かった戦友のマッジ達、共に戦った彼らへの裏切りのように感じ罪悪感で胸が苦しくなる。

 更にこの基地は惑星カナルの四分の一をカバーする電子戦の拠点である。ここが落ちれば敵はこれまで妨害電波によって封じられていた誘導兵器やネットワークを駆使してより激しい反撃が各地で行われるのは間違いなかった。

 自動銃座が停止したことでネイシスは、いよいよ直接戦闘に備えた。小銃の照準器と肉眼を駆使して動く者を探すが、幸いにして彼の視線に基地側に迫る敵の姿は見つけられなかった。銃座を確認すれば僅かながらも弾薬は残っている。どうやら今回も辛うじて敵を食い止めることが出来たらしい。

 しばらくしてネイシスは安堵の大きな溜息を吐くと、そのまま身体を休めたいという誘惑を断ち切って立ち上がる。次の攻撃が何時に始まるかは不明だ。三日後かもしれないし、もしかしたら数分後かもしれない。直ぐにでもそれに備えなければならない。彼は自身の肉体に鞭打つ思いで弾薬庫を目指して走り出した。


 発祥の地である地球を飛び出して宇宙開発を開始した人類は、やがて光速を超えて移動する手段を編み出した。〝跳躍〟と呼ばれるその方法で人類は、まさしく飛躍的な速度で新たな開拓地へと旅立った。

 かつては一丸となって宇宙開拓に挑戦した人類だが、活動範囲が拡大し時代を経るごとに幾つかの派閥や組織に分かれ始める。人間にとっては無限にも等しい広大な宇宙ではあるが、その欲望を満たすのにはあまりにも広すぎた。無限の可能性を追い求めるには、それこそ無限の労力が必要だからだ。

 果てしない宇宙空間の中から人間が入植可能な惑星を探し出すとなると、砂丘の中からたった一粒の砂金を探すのに同等か、それ以上の労力が必要とされた。そして、新たに地球化が可能で資源に恵まれた惑星を発見し開拓する労力と、敵対組織が保有する惑星を武力で奪い獲る労力。後者のコストが前者よりも明確に下回った場合、人間は後者を選ぶ生き物だった。

 こうして人類は外宇宙に進出した後も領土を巡る争いを繰り広げ、惑星カナルでの戦いもその中の一つだった。元々、カナルは当初からその帰属を巡って人類連合と敵対組織のミシェーン同盟の間で小競り合いがあったのだが、豊富な水資源に加えて希少金属の地層が発見されるとミシェーン同盟は再び惑星カナルの所有権の正当性を主張し、カナルと周辺星域に艦隊を派遣、地上軍を降下させ実効支配を開始する。もちろん、それを見過ごす人類連合ではなく。敵艦隊と数度の小競り合いを繰り広げるとカナル地表に救援部隊を送り込んだ。

 この援軍の一つがネイシスの所属している人類連合宇宙海兵隊の空挺部隊であり、敵に囲まれていた電子戦基地の救出と確保を目的としていた。だが、一個大隊あった部隊は予想を上回る規模の反撃を受けて作戦当初より壊滅状態となり、僅かに生き残った残存兵力も基地を救出するどころではなく、逆に命からがら逃げ延びることとなった。

 そして重要拠点である電子戦基地を陥落させようとする敵の攻撃によって僅かな生き残りも徐々に数を減らしていき、遂にはネイシスが最後の一人となっていたのだった。


 銃座の弾薬補充を終えて立ち上がろうとしたネイシスは、眩暈によって倒れそうになるのを通路の壁に手を付くことで必死に堪える。続いて強烈な吐き気を感じるが出掛かった胃液を無理やり飲み込むことで抑えつけた。『最後にまともに寝たのと食事は何時だったか?』と彼は自問するが、正確な時間を割り出す前にその考えを停止させる。知ったところでどうすることも出来ないのだから、考えるだけ無駄だった。彼は司令室に戻ることのみに意識を集中させる。防衛体制を整えた後は基地そのものの機能を確認する作業が待っている。仮眠と食事はそれからだ。

 幾つかの隔壁を抜けて司令室に辿り着いたネイシスは中央奥のデスクに腰を降ろすと、端末を使って点検を兼ねた報告書の作成を行う。本来は基地司令官用のデスクと端末だが、ネイシスは最後の一人となる前に少尉として戦時任官されており使用権限を得ている。彼はまだ慣れない士官用コードを入力すると基地の全支配権を握るシステムを呼び出した。

「主動力正常。補助動力待機確認。妨害電波出力予定の九十九%を維持。任務続行中・・・」

 マニュアルに従い発音しながら点検を兼ねた日報報告を行う。現在の絶望的な状況にあっては茶番にも感じられるが、これを怠ると幾つかの警告が発生し、より仕事が増えることになる。面倒だが片付けなければならない作業だ。

 報告を終えたネイシスはスティック状の携帯戦闘食で食事というよりは最低限の栄養を摂取するが、緊張の糸が緩んだのだろう。食べ終えると無意識の内にデスクに突っ伏してしまう。鉛のように思い瞼が降ろされ、数秒もしない内に微かな寝息を立てる。それはネイシスにとって五十四時間ぶりの睡眠だった。


 2

 鼓膜を震わせるアラート音にネイシスは泥沼のような眠りから覚醒を促される。このままアラートを無視する考えが胸に過るが、身体は既にこの事態に備える行動を開始していた。

 寝ている間に脱いでいたヘルメットを慌てて被るとネイシスは網膜操作を使ってゴーグルにアラートの原因を表示させる。同時に現在時刻を確認し自分が寝ていた時間を確かめる。ほんの数十分のつもりでいたが最後の報告から五時間程が経っていた。

「くそ!寝すぎた!!」

 後悔の念が思わず口から出るが、意識そのものは濾過したかのように澄みきっている。それを睡眠の成果だと納得すると、彼はアラートの原因である敵性勢力の迎撃に意識を集中させた。

 司令官用の端末を使いネイシスは既に降ろしている隔壁と自動銃座の機能を再確認する。更に弾薬消費が激しい地点にいち早く駆けつけるため、予想される敵の規模と出現地帯を割り出した。

「まったく!光速を超える技術がありながら!」

 知りたい情報を得たネイシスは悪態を吐きながら立ち上がる。自動銃座等への迎撃指示はこの指令室から執ることが可能だが、弾薬補給等の地道な作業は人の手を必要とする。その技術的な格差に今更ながら腹が立ったのだ。もっとも、そのような旧時代的な戦闘を強いられているのは、彼が護る電子戦基地が機能しているからだ。この基地によって周辺一帯が長距離通信や誘導兵器、大規模光学兵器等の電波機器の使用が不可能となっている。更に基地はある程度の損害を受けると自爆するよう設計されており、被害を抑えて制圧するには歩兵を送り込むしかない。そしてこれこそが、彼一人となっても敵の攻勢を退けている最大の理由でもあった。


 迫り来る敵群に向けてネイシスは小銃をフルオートで斉射する。今回の敵の攻撃は過去にないほどの規模と苛烈さであり、彼はとうとう司令室に至る最後の隔壁の前で防戦を強いられていた。彼が射出した弾の多くが原型を留めずに破壊された隔壁から飛び出す敵兵に吸い込まれるように着弾し、そいつは前のめりに倒れた。

「うおお!」

 敵を倒したネイシスはそれに喜ぶことなく雄叫びを上げると、味方の身体を飛び越えて来る新たな敵に銃口を向けトリガーを引き絞る。だが小銃は彼の戦意を無視するかのように沈黙を保った。

「くそ!」

 弾切れを悟ったネイシスは白兵戦用の斧を振り上げる敵に対して自ら間合いを詰め、銃床を鈍器として下から突き上げる。斧の凶悪な刃を潜り抜けて彼は敵の顎を激しく強打する。骨を砕く確かな手応えが腕に伝わった。

 次の標的を見定めようと振り向いたところで、ネイシスは腹部な奇妙な温もりを感じる。まるでぬるま湯を下半身に掛けられたようだ。それでも彼は自分の任務を果たすために顔を上げようとするが、今度は強烈な寒さと身体の麻痺を受けてその場に崩れ落ちる。受身も出来ずに倒れた彼は狭まる視界の中に赤い液体を見る。

「・・・ここまでか・・・」

 それが自分の腹から流れ出た血であることを知るとネイシスは微かな声で事実を受け止め、これまで倒した敵の数を思い出して満足感を覚える。最後の一人である自分が死ぬことで基地の陥落は必然に違いなかったが、それでも多くの敵を道連れにしたはずである。彼は充分に任務をやり遂げた想いを胸に抱きながら、死を受け入れた。


 3

「・・・覚醒薬投与から一分経過。血圧、心拍正常。各種脳波基準値に到達。これより尋問を開始します・・・。ノースウッド伍長起きて下さい」

 その声は暗闇に射し込んだ恒星の光のように、ネイシスの意識に明確な基準をもたらした。彼は呼び声を通じて世界の存在を知る。そしてそれはま自分がまだ生きていることの証明だった

「うっ・・・」

 視神経に感じた反応を痛みとして捉えたネイシスは短い悲鳴を上げて顔を伏せる。彼に返事を促すため光が当てられたのだ。

「目が覚めしましたか。ノースウッド伍長。我々はあなたに聞きたいことが幾つかあります。まずは所属と姓名を改めて自分口から申し出て下さい」

「・・・ここは?」

「質問を行っているのはこちらです。速やかな返答を要求します!」

 未だはっきりしない視力の中でネイシスは自分を呼び掛ける声が若い女のものであることに気付いた。訛りのない明確な人類連合の共通語が使われているが、有無を言わさない毅然とした問い掛けを受けて、ネイシスは自分の置かれた状況と立場を知る。死んだと思っていたが、強制的な治療を施された上で尋問の体裁をとった拷問を受けている最中らしい。おそらくは基地の機能を停止させる安全終了コードを聞き出そうとしているのだろう。

 基地はある程度の損傷を受けると動力源である核融合炉を暴走させ自爆するよう設計されている。それを防ぐには正しい順序を用いてコードを入力し停止させる必要がある。これはネイシスがただ一人の士官となった時に変更している。彼はしっかり死ねなかった自分の運命を呪った。

「・・・人類連合宇宙軍第五戦隊麾下第一海兵隊第二連隊所属・・・ネイシス・ノースウッド少尉」

 積極的に答えるつもりはなかったが、表だって反抗すれば相手を硬化させるだけだ。それゆえにネイシスは自分の所属を素直に告げた。

「残された記録によると戦時任官によって少尉に昇進したようですが、人類連合宇宙軍の規定によると士官への昇格には将官の承認が必要とされているはずです。それにより我々はあなたを本来の伍長として扱います」

「・・・そこまで知っているなら、もう俺から聞くことはないんじゃないか?」

 おそらくは基地に残されていたデータを解読したのだろう。尋問官の指摘にネイシスはそっと瞼を開けながら皮肉を込めて答える。

「そのようなことはありません。あなたしか知らない情報があるはずです。続いて生年月日と経歴を時系列的に申し出て下さい」

「・・・生年月日は人類連合共通歴235年6月23日。恒星VSSⅦ星系の惑星ユークリッドシード出身。十八歳までは地元の公共教育機関に所属。卒業後、志願兵審査に合格して宇宙軍に入隊。有重力化での運動能力が評価され海兵隊に、その後は二年の訓練と待機の後に・・・今回の作戦に参加・・・そして現在に至る」

 尋問官の顔を見つめながらネイシスは淡々と事実を口にする。医務室を思わせる小振りの部屋にいるのは彼女と自分だけだった。毅然とした声の通り彼女はややきつい印象を受ける女性だ。それでも切れ長の眼と筋の通った鼻は調和を保っておりネイシスの基準でも美人と言えた。白を基調としたミシェーンの士官用野戦服を纏っているので、軍医かそれに準ずる立場にあるようだ。

 医療関係者とはいえ女性と捕虜と二人きりにしても良いのかという疑問が湧き上がるが、ネイシスは自分の身体が椅子の上に拘束されていることを知る。当たり前だが敵もその辺りの配慮は怠っていなかった。

「積極的な抵抗は無駄と判断したようですね。なかなかの洞察力です。あなたは人類連合のアンドロイド兵にしては柔軟性がありますね」

 微かに口角を挙げながら尋問官はネイシスに好意的評価を下す。だが、彼の耳は後半の単語を聞き逃さなかった。『俺をアンドロイドと間違えやがった!!』という怒りにも似た思いが胸に湧き上がるが、それを顔に出さないように必死に平静を保つ努力をする。

「ネイシス伍長は動揺していますね。上手く隠したつもりでしょうが、あらゆる生体反応でモニターされていることをお忘れなく。私に反論があればお聞きしましょう」

「なっ!俺は・・・いや・・・」

 否定しようとしたネイシスは慌てて口を塞ぐ。尋問官の挑発と誘導に乗る危険性に気付いたからだ。この手の尋問は責め手側が圧倒的に有利だ。いずれ口を割る時が来るだろう。とは言え、さすがに進んで相手の手の平の上で踊らされたくはなかった。

「・・・では、こちらから問いましょう。人類連合歴245年。今から十年前、この惑星が含まれるシルウェン星系に入植を開始していた我々に人類連合が突如襲い掛かり、双方の間で小規模な艦隊戦が起こりました。この戦いそのものはいわゆる痛み分けに終わりましたが、戦略的にはシルウェン星系を防衛させた我々の勝利でした。この事実は人類連合内部では隠蔽されてシルウェン星系と惑星カナルの奪取、いえあなた方の解釈では防衛に成功と報じられていたようですね。そして惑星カナルの地層に希少金属が埋まっていることを知ると、前回を上回る規模の戦力を用意して再び我々に襲い掛かって来た。おそらくは、これまで隠蔽していた欺瞞を解消する意図もあったのでしょう。この事実をどう思いますか?」

「・・・敵側が主張する事実とやらをそのまま受け入れるわけにはいかないな・・・」

 惑星カナルを巡る戦火の原因を自分の祖国の一方的な侵略と責められたネイシスは思わず浮かべそうになった苦笑を噛みつぶすようにして答える。戦争とは両者がそれぞれ正しいと思うからこそ出来る行為だ。〝真実〟とは見る者によって変化する。ミシェーン側の主張を受け入れるわけにはいかなかった。

「まあ・・・ネイシス伍長の立場からするとそう反応するしかないでしょうね。ですが、今の話は前置きのようなものです。私が聞きたいのは今回の戦火が始まった十年前、あなたは何をしていたのかということです。具体的に答えて下さい」

「十年前なら初等教育を受けていたはずだ・・・」

「その歳ならもう世の中の出来事にある程度の関心を持ち始めていたことでしょう。惑星カナルを巡る戦いを報道で知ったりしませんでしたか?」

「・・・覚えていない・・・。俺の親は子供に無差別に情報を与えるような人じゃなかった・・・」

「なるほど、ではその年に花火と呼ばれる黒色火薬の化学反応を愛でるイベントに両親に連れていかれたことは覚えていますね?」

 尋問官の指摘にネイシスは大きく目を見開いて彼女を睨みつける。確かにこの年頃に両親に連れられて避暑地で花火を見に行った事を覚えている。夏の夜をキャンバスに繰り広げられる鮮やかな光の色彩、そして爆音が響くごとに顔と身体を打つ大気の振動が思い出された。

「・・・花火大会の帰りは父親に背負われて宿泊していたホテルに戻ったのでしたね?」

「な・・・なんで・・・」

 寸前まで出掛かった『なんでそんなことまで知っている?!』という言葉をネイシスは飲み込んだ。プライベートな子供の頃の思い出が基地のデータベースに記載されているはずはない。もしかしたら、同じ部隊に所属していた戦友に何気ない会話の中で語っており、その戦友が先に捕虜となって敵のミシェーン側に漏れたという可能性もあったが、父に背負われてホテルに戻った記憶は彼自身も指摘されるまで失念していた記憶だ。どう考えても他人が知るはずのない事実だった。

「驚いていますね?・・・無理もありません。ですが、不思議のことではありませんよ。先程も指摘したとおり、あなたは人の手によって造られたアンドロイドであり、その記憶は人工的に移植されたものです。人類連合はアンドロイド兵士に何十・・・あるいは何百種類かの中からパターン化した人間として記憶を植え付けて、組織への帰属意識と士気を保っているのです。あなたの人格は我々では中流家庭に生まれた兵士シグマ三型と認識しており、その全てを把握しております」

「・・・ば、馬鹿な俺は人間で・・・軍には志願して入ったんだ!!」

「あなたにはかつてエマ・スティーンという名のガールフレンドがいましたね。彼女とは高等教育を教える学校で知り合い、しばらく交際を続けましたが些細なことが原因で別れた。あなたはそのことを今でも少なからず悔やんでいる。意地を張らずに自分から頭を下げれば良かったと・・・」

「・・・や、やめろ!」

 噛んで含むように自分だけの思い出を暴露する尋問官の声にネイシスは吠えるように訴える。目の前の女性が語る内容は自分だけが知る苦い記憶だ。彼にとっては最も神聖な領域に土足で踏み込みこまれたようなものだった。怒りもあったが、同時に計り知れないほどの悲しみに襲われる。何しろ〝それ〟を知っているという事実は尋問官の指摘が正しいことを意味しているからだ。ネイシスは男の矜恃によって込み上げる涙をなんとか耐えるが、それすらも誰かに作られた〝まがい物〟かもしれないと思うと更に胸を痛くした。

「少し休憩にしましょう・・・」

 頭を垂れるネイシスに尋問官が声を掛け部屋を退出した。


 4

「一旦休憩としましたが落ち着きましたか?」

 再び部屋に現れた尋問官をネイシスは無言で迎える。

「きっとネイシス伍長は私が予め自白剤を用意いて聞き出した情報を元に、より重要な情報を聞き出すための芝居を打っていると信じたいのでしょうね」

 まるで心の中を見透かされたような発言だが、この頃になるとネイシスもいちいち動揺することはなかった。

「では、あなたがアンドロイドである具体化な証拠をデータとしてお見せしましょう。まずあなたの実年齢は二歳です。更に・・・」

 ネイシスの反応を想定内とでも言うように尋問官は投射型の映像を表示させると彼のフィジカルデータの説明を開始する。淡々とした説明によって自身がアンドロイドである証拠が固められていくのをネイシスはまるで他人の夢を覗き込んでいるような気分で聞いていた。

「・・・これでネイシス伍長、あなたが人類連合のアンドロイド兵であることが理解出来たと思います」

 全てのデータを語り終えた尋問官は改めて結論を口にする。ネイシスの心の中には未だ否定する気持ちが残っていたが、それが単なる願望でしかないことを彼は理解していた。戦闘は極めてシビアな仕事だ。時には柔軟な発想と行動が要求される。論理的な思考は優秀な戦士に必要不可欠な要素だった。

「あなたが人類連合に忠誠を尽くす理由が作られた偽の記憶によることが理解出来ましたか?その呪縛を断ち切って新たな人生を歩もうとは思いませんか?我々はあなた望むなら、その援助をすることが可能です。具体的にはカナルとは別の開拓惑星への入植と生活のための職業訓練を約束します。どうです?」

「・・・そのためには、基地の安全終了コードを教えろと・・・」

 御膳立てが揃ったと判断したのだろう。尋問官は侵略者の捕虜にとっては破格とも言える条件を提示するが、ネイシスはその意図を読み取った。

「ええ、その通りです。カナルに投入された他の人類連合地上軍もあなたの部隊と同様に制圧されつつあります。もはや時間の問題ですが、あの電子戦基地の存在が厄介なのです。自爆されて放射能汚染物質をカナルに撒き散らされても困りますからね。ぜひ協力して頂きたいのです」

「・・・汚染物質?」

「そう、あの基地には動力原の核融合炉とは別に核分裂爆弾が存在しています。自爆の際にはそちらも連動して機能するように設計されている。まるで、他人の食事を奪おうとして追い払われたから、汚物をその料理の皿に投げつけて逃げるような行為だと思いませんか?我々はそれを防ぎたいのです」

「そんなモノが・・・」

 ネイシスは絶句しながら尋問官の言葉に反応する。そして敵が何故、これほどの手間を掛けて取引を申し出るのか理解した。例え防衛に成功したとしても地表が汚染されてしまっては惑星の価値そのものが低下する。ミシェーンからすればネイシスを説得し協力させることが最優先課題なのだろう。

「・・・俺の実年齢が二歳ならば・・・少なくてもこの二年間は正しく俺の本当の記憶というわけだ・・・」

 しばらくの沈黙の後にネイシスは言葉を紡ぎ出す。様々な考えと葛藤が頭と胸の中で交錯しているが、自分のするべきことを言語化させていた。

「ネイシス伍長、我々は必ず約束を守ります。入植する惑星での社会的立場もそれなりのものを用意すると約束しましょう!」

 その口調からネイシスの決意を感じとったのだろう。尋問官は慌てて約束の正当性を主張する。

「この二年、俺は戦友達と過ごして来た。いいことばかりじゃなく・・・とばっちりで連帯責任の懲罰を負わされたり、悪い遊びにも誘われたりもしたが、それは本物の記憶なんだ・・・例え、祖国の人類連合がクソみたいな組織で・・・俺がアンドロイドであろうと・・・俺は仲間達とあの基地を護るために戦った!・・・だから仲間との思い出は裏切れない!」

「ネイシス伍長・・・我々は慈善団体ではありません。自発的な協力がなければ強制的となりますし、最後の手段として脳内にある情報を直接分析することも視野に入れてなければなりません。その事をよく考えて判断してください!」

「もう・・・決めたんだ・・・」

「・・・そうですか。・・・私としては残念です。それでは第二段階に移ります!」

 後半はネイシスに向けられたというよりは、音声コマンドだったのだろう。尋問官の声に従い部屋の壁から収納されていた設備が姿を現す。外科用の医療機具に見えるそれだが、何に使われるかは言われなくても予想が付いた。

「あぐぅ!!」

 寝台状に形を変えた拘束椅子の上でネイシスは悲鳴を漏らした。脳に直接響くような激しい痛みを受けたからだ。

「考えを改める気になったら、いつでも申し出て下さい」

 激しい責め苦が続き、ネイシスの意識が限界に達しようとした時点で、尋問官は彼の顔を覗き込みなが諭すように語り掛ける。それは砂漠で遭難した旅人に差し出された水にも等しい誘いだったが、ネイシスは頷こうとした首の動きを寸前で止めた。

「これからはもっと激しくなりますよ。後遺症が残るかもしれません」

 警告はするが拷問自体を止める気はないのだろう。宣言通り、先ほどよりも激しい痛みがネイシスを襲う。意識を失うが、その都度起こされ責めが繰り返される。やがて彼は身体だけでなく時間の感覚も失った。


 次に意識を取り戻したネイシスはこれまでの経験から直ぐに襲って来る激痛に対して身構えるが、それはやって来なかった。恐る恐ると目を開ける彼に尋問官から声が掛けられた。

「ありがとうございます。ネイシス伍長。あなたが供述した安全終了コードで無事、人類連合の基地の機能を停止させることが出来ました」

「・・・な、なんだって」

 まるで何年間も喋っていなかったようなしゃがれた声でネイシスは問い掛ける。

「言葉の通りです。ネイシス伍長。あなたに自覚はないしれませるが、既に安全終了コードを供述しています」

「そんな・・・」

 自分の最後の拠り所であった仲間達を裏切り、意地を砕かれたネイシスの目にとめどもなく涙が溢れ頬を濡らした。

「それでも・・・あなたには手ずらせてもらいましたよ。これまでのアンドロイド兵は自分の出生を知ると、心が折れたように恭順と成るか自暴自棄になってしまいましたからね。ネイシス伍長の精神力は客観的に見て賞賛に値すると言って良いでしょう。・・・望むなら今からでも協力型捕虜として扱うことも出来ますが・・・どうしますか?」

 尋問官は敵であるはずのネイシスに賞賛の言葉を掛け、改めて問う。彼は慚愧の念から絶望の淵にあったが、それを明確に否定することは出来なかった。

「・・・肯定と受け取りましょう。生きる機会があるならそれに縋るのが人間という生き物です。恥じる事はありませんよ」

 その言葉を受けてネイシスは嗚咽を上げて泣き続けるのだった。

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SF系短編集 月暈シボ @Shibo-Ayatuki

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